第16話|高慢の成れの果て
幸い、処刑を恐れ逃げ出したルシアを一番最初に見つけたのもまた、オレだった。
「……兄様には敵わないな」
そう言って、小さく震えながら弱々しく笑うルシアの手を、ガラス細工に触れるようにそっと取れば……。
ルシアはまたしても一瞬体を強張らせた後、諦念を浮かべ、そっとその細い指を再びオレに預けた。
太陽のように美しかった淡い金髪は泥に汚れ、輝きを失っていた。
その姿を実に哀しく思いながら、眠ってしまったルシアを世界から隠すように抱きしめオレに出来る事を考える。
初めて出会ったあの日のように、躊躇した末、その決断を間違える事はもう許されない。
熟考の末、思い至った方法は、あまりに単純だった。
オレが罪を被り、ダンジョンへと送られ、地上へ溢れ出ようとする魔物を屠り続ける。
そうして、あたかも聖女の力によって魔物が封じられているかのように民に見せ、ルシアの力が本物であると偽り通すのだ。
侯爵家が手を回したのだろう。
オレの望んだ通りに、刑はあっさりと執行された。
ダンジョンへの追放は、聖騎士のオレにとっても実質的な死刑を意味したが、それでいいと本気でそう思った。
聖騎士としてルシアを護衛するうちに抱いてしまった、不毛な恋慕。
そして、伯爵家の次男として『スペア』の座に甘んじ、ただ空っぽな日々を積み重ねていくばかりの自分自身への燻り。
それら全てから解き放たれ、初めて誰かを守るためだけに自分を投げ出せる。
そんな自由で身軽な立場になれたような気がして、妙な安堵感さえ覚えた。
ダンジョンの奥底――
そこは、揺らぎと淀みからあふれ出る澱の中より、魔物が次々と現れるところだった。
その侵食に耐えながら、地上に這い出て来る雑魚とは比べ物にならないほど醜悪で凶悪な魔物を屠り続け、果たしてどのくらいの時間が経っただろう。
ダンジョンの奥では、深く潜れば潜るほど、地上よりも時間の流れが遅く、特に深い場所では、こちらでの一日が、地上の一月、あるいはそれ以上に当たるのだと聞く。
ルシアが聖女を降り、王太子妃となるその日まで自分の命が持つことだけを祈りながら、ただひたすらに魔物に向かい剣を振るった。
あまりにも多くの歪みをこの身に通し、あまりにも多くの淀みを取り込み続けたせいで、いつしか意識が崩れた。
身体が本来の形を失ってから、どれほどの時間が経っただろう。
時間の感覚はとうに壊れ、時折、自分が誰なのかさえ曖昧になることがあった。
だが、そんな中、ひとつだけ消えないものがあった。
「ルシア」
その名前だけは何度削れても、どれだけ暗い夜が来ても太陽が必ず昇るように、オレの中に浮かび上がり続けた。
それから更に、気の遠くなるくらいの時間が経った頃――
ある時、ダンジョンの上層部へと続く細い通路が、ふと目に留まった。
かつて自分が降りて来たと思しき、細い道。
「ル**」
知らず口にした、誰か《・・》の名前の音の並びが崩れた瞬間、何故かもう長い事見ていなかった陽光が、急にどうしようもなく恋しくなって。
歪んだ身体を引きずりながら、歪みと淀みをベッタリと纏ったまま、人であった頃の名残で上へ上へと向かった。
もう少しで、ずっと焦がれていたあの光を目にする事が出来る。
そう思った時だった。
突如、結界に身体が弾かれた。
祈りによって編まれた、絶対的な拒絶。
「何故だ。……何故、オレを拒む?」
思わずそんな言葉を漏らした瞬間、思考がその一点へと軋みながら傾き、止まらなくなった。
このような封印を施せる存在など、一人しかオレは知らない。
『聖女』
その呼称が、もう誰なのかも分からない誰かの面影を伴って、確信のように浮かぶと同時に、僅かに残っていた良心が最後にグシャリと歪むのが分かった。
今になって考えてみれば。
ルシアにそのような力などなかったのだから、あの封印はルシアの時代よりはるか後に現れた、別の本物の聖女によって施されたものだったのだろう。
そして、その頃には既にルシアはこの世にはいなかったのだろうと察しがつく。
だが、幸か不幸か、当時すっかり狂ってしまっていたオレに、そんな事が分かるはずもなかった。
「……オレを、裏切ったな」
また我知らず、声が漏れた。
すべてを捨てて、すべてを差し出して、ここまで来たのに。
そのすべてを捧げた『何か』が、オレを拒絶した。
そんな考えが、オレの中で祈りだったものを、ゆっくりと呪いへと形を変えていくのが分かった。
結界を通り抜けるほど弱い魔物を使役し、伝言役として地上へと放った。
『地上を侵略されたくなくば、聖女を、贄として差し出せ』
それは脅しであり、要求であり、そして……。
醜く歪んでしまった、オレの信仰にも似た愛の言葉の成れの果てだった。
◆
足を滑らせたと言った癖に。
ヒビ割れ一つない卵を鞄から取り出して見せた、黒髪の男と刃を交える。
見ればその手にあるのは、過去に一度だけ目にしたことのある、聖剣と呼ばれる特別な剣だった。
魔のものには致命傷を負わせられる一方、それ以外のものを斬れば砕けるとされる、その刀身から繰り出される強い熱と光の攻撃には、最初こそ苦戦を強いられた。
しかし、それにさえ気を付けてしまえば、大した敵ではなかった。
だからだろう。
余計なことを考える余裕ができてしまった。
ヤツも、オレとの間にある圧倒的な力の差には気づいているだろうに、何故か一向に逃げる気配を見せないのだ。
それどころか、どれだけ傷を負おうと、何度でも瞬時に立ち上がり執拗なまでに剣を向けてくる。
「何故、国は今更聖女を取り返しに来た?」
得体の知れない薄気味悪さを覚え、ヤツの肩に剣を刺し、岩壁に縫い留め詰問すれば
「国のことなど知ったものか! 僕がヒナタを迎えに来た、それだけだ!」
そう言って、ヤツは素手で肩に刺さる刀身を握ると、信じられないくらいの力でそれを抜き、血濡れの手でまた剣を構えた。
「身の程知らずな。たった一人で、むざむざ死に来たのか」
思わず思ったままを口にすれば
「六年間、ヒナタが生きていると、ただひたすらに信じてきた。いつか必ず彼女を救い出せる日が来ることだけを願って、そのために剣を振るってきたんだ」
出血が激しく、意識を保っているだけでもやっとだろうに
「ヒナタをこの地獄から、この腐った国から救い出せるなら、この身がどうなろうと構わない!!」
またオレに向かい、ヤツが切り込んでくるものだから、うっかり気づいてしまった。
あぁ、こいつはオレに似ているんだ、と。
だから。
その瞬間、この男にヒナタを託すのも悪くないのかもしれないなと、そんな事を思ってしまった。
自分には叶えることのできなかった思いの、その先にあるものを、この男になら託してみてもいいのかもしれない、と。
しかし――
『手放してやればいい』
そう思う端から、思考は止まり。
生きている限り、オレはこの醜い執着を手放す事は出来ないのだと、認めるしかなかった。
そこからまた、長いこと無駄な打ち合いを続けてしまった末
『きっとこのままでは、この男を殺してしまう』
そう思った時だった。
この男が死んだら、ヒナタはきっとその骸に縋って泣くのだろう。
ふと、そんな考えが頭をよぎり、その姿を想像してしまった瞬間、泣き縋るヒナタにルシアが、そしてその前で物言わぬ骸となった男にかつて聖騎士だった自分自身が重なった。
そうして、それを酷く羨ましく思ってしまうと同時に、あぁ、このままではダメなのだと、ようやく諦めがついた。
死角を突かれた振りをして、わざと剣を取り落とす。
聖剣のもたらす終わりを享受しようとした、その時だった。
「危ない!!」
いつの間にか目を覚ましていたヒナタがそう叫びながら、オレと聖剣の間へ飛び出して来た。




