第14話|優しい嘘とその代償
「なんで?? ギン君、子どもだったのに、急におっきくなったの???」
混乱しながら、頭に浮かんだ疑問をそのまま口にすれば、
「ダンジョンは深層に潜れば潜る程、地上よりも時間の流れが遅くなるんですよ」
ギン君が、そんな思いもしなかったことを言いました。
「六年です。アンタが僕の言うことを聞かず、一人ここに送られてから、地上では丸六年が経ちました」
「へえ? じゃあ、今ではギン君のほうが一つ年上ってことになるの、かな? ギン君じゃなくて、ギンさんって呼んだ方がいい??」
私の感慨は、ギン君が過ごした時間の長さにどうにも追いつかなくて。
何を話せばいいのか分からなくなって、思わずそんな薄っぺらな、どうでもいいことを口にしてしまった時でした。
つい先日までは同じくらいの高さにあったはずの顔を見上げる間もなく、ギン君の腕の中に、ギュッと抱きしめられました。
「僕があんな嘘を言わなければよかったんだ。……迎えに来るのが遅くなって、ごめん」
私を抱きしめる腕のその強さに、ギン君が過ごしてきた六年という時間の長さを、私もようやく少しだけ実感できた気がして
「私がまだ生きてるって、信じて迎えに来てくれたんだ」
ありがとうの思いを込めて、広くなったその背中を一度ギュッと抱きしめた後ゆっくり体を離すと
「この魔具が夜に光る限り私は無事だって言ったの、アンタでしょ。忘れたんですか?」
ギン君がキーホルダーを指し、もどかしげに言いました。
そういえば、咄嗟にギン君を守るため、そんなことを言ったような?
思わず言葉に詰まり、愛想笑いを浮かべながら頬を指で掻けば、
「……もしかして、ウソだったんですか?!」
ギン君が信じられないとばかりに目を見開きました。
特段良い言い訳も思いつかなかったので、先ほどのギン君の言葉を思い出し、
「これで、おあいこだね」
と笑えば、私がとっくに死んでいてもおかしくなかったという現実が、今更ながらギン君の中に実感を伴って押し寄せてきたのでしょう。
「……ほんと、生きててよかった」
ギン君は私の手を掴んだまま、その場にヘナヘナと座り込んだのでした。
六年と言えば、日本では七回忌を迎え、故人を偲ぶことにも一つの区切りをつける頃だというのに。
そんなにも長い間、ずっと私を探してくれていた人がいたことに、どうしようもない嬉しさを覚えた時でした。
「文句は地上に帰ってから、たっぷり言わせていただきます」
そう言って立ち上がったギン君が、私の手を強く引きました。
「待って、どこに行くの?」
「言ったでしょう? 魔王が戻って来る前に急いで逃げるんですよ!」
ギン君の大きな声に驚いたのでしょう。
これまでずっとどこかに隠れていた灯雪が、突然キッチンの棚の上へ飛び上がり、その弾みで明かり取りのクリスタルを入れていた薬瓶が棚から落ち、割れずに床を転がります。
「……私、行かない」
そう言えば、ギン君はまるで私の言葉の意味を理解することを拒むように、信じられないといった顔でこちらを振り返りました。
アルセルさんがいかに優しくしてくれたか、ここがどんなに素晴らしい場所かを一生懸命語った私にギン君が返した言葉、それは――
「僕はもう、そんな優しい嘘に守られないといけないような子供ではありません。だから一緒に帰りましょう。大丈夫、アンタが心配することは何もない。僕が、守るから」
そんな、まるで噛み合わないものでした。
思わず後ずさった私の手を、ギン君が痛いほどきつく握り、そのままグイッと引き寄せます。
そして床に落ちていたボンボンショコラを一つ拾い上げたかと思えば、私の顎を掴み、それを無理やり口の中へと押し込みました。
次の瞬間――
体験したことのないような猛烈な眠気に襲われ、私の意識はそこでプツッと途切れてしまったのでした。
■■■■■■
私生児として生を受けた子爵邸で、僕は見えない子供だった。
もちろん幽霊ではないので、実際には義母からも、父からも、使用人からも、僕の姿はきちんと見えている。
けれど、正妻である義母の気分を害さないため、僕は実の母以外の誰からも、名前を呼ばれず、探されず、叱られず、褒められずに育った。
子爵である父は、政略結婚で結ばれた元伯爵令嬢の妻よりも、平民であった僕の母を深く愛していたのだと聞く。
もっとも、美しい部屋を与え、上等な服を着せ、危険から遠ざけるという名目で一方的に世間から隔離し、死に至るまで心を病ませたそれを、愛と呼ぶのかは僕からすれば甚だ疑問だ。
少しずつ壊れていく母の傍で、
「今日は外がすごく寒いから、僕、外になんて行きたくないんだ。だから母様、お部屋でご本読んで」
「父様が、今度の休みにみんなで街に行こうって言ってたよ。そうとなれば、急いで新しいドレスを仕立てないとだね。ねぇ、母様はどんなドレスが欲しい?」
そんな、すぐにばれるはずの嘘をつくようになったのは、一体いつからだっただろう。
結局、嘘は嘘のまま、何の救いもないまま。
僕が十一歳の冬、母は眠るように死んだ。
机の上に残された、空になった薬瓶を呆然と眺める僕に、母は元より体が悪かったのだと父は言った。
父のそんな嘘に対し、返すべき言葉が思い浮かばなくて。
生前母が僕に対しそうしてくれていたように、
「そう、ですね」
と、思わず気づかなかった振りを通せば……。
鈍麻した胸は、思った以上にもう痛まなかった。
一度遠縁の男爵家に引き取られた後、すぐに城に出された。
小姓として仕え、ゆくゆくは騎士となるためだ。
ぞんざいに扱われ、時として気まぐれに殴られ、都合のいい時だけこき使われる。
そんな城での暮らしは、子爵邸でのものよりもずっと気楽だった。
それに加え、城には僕を初めて真っ当に扱ってくれた人までいた。
当時王太子であった、エルドリック殿下だ。
僕が敬愛する、将来の賢王として既に名高かった殿下の隣にはいつも、美しく、気高く、そして殿下と同じくらい賢い婚約者の少女がいて。
落ち着いた様子で柔らかく笑い合う、そんな二人を見るのが、僕は何よりも好きだった。
だから――
異世界から突如現れたヒナタは最初、僕にとって邪魔な異物以外のなにものでもなかった。
突然現れて、殿下と婚約者の二人の間に割り込んでは関係を乱し、下品な態度でエルドリック殿下の視線を奪う浅ましい女。
嫌味を言われても軽く笑い流し、誘い文句には曖昧な言葉を返し、それでいながら殿下のあり得ないくらい近くでヘラヘラ笑っている。
そんなヒナタを見て、とんでもない悪女だと思った。
だが、小間使いとしてヒナタと言葉を交わすうち、彼女が母と同じように、殿下によってこの城に閉じ込められていることに、僕は気づいてしまった。
美しく整えられた部屋の中で優しく扱われながら、しかしヒナタは、殿下の許可と付き添いがなければどこにも行けない。
それを疑問に思って抗議しても、誰も彼女の訴えを真っ当に扱わない。
ヒナタの面差しが、どこか母に似ていることに気づいた時、僕はたまらなくなって、また母にしていたように思わず嘘をついた。
『誰よりも賢い王太子殿下が帰還のための研究を続けているんです。どうせすぐに帰れますよ』
『殿下は優しい人ですよ。怖いなんてとんでもない。あんなにも温情深く、素晴らしい方を僕は知りません』
『何も心配いりません。万事、殿下に任せておけば、貴女は幸せになれますよ』
僕のそんな言葉を聞く度、ヒナタは、笑顔を見せた。
あの頃より大人になった今なら分かる。
あれは、騙されて希望を見出したが故に浮かんだものではなく、幼い僕の拙い嘘に騙された振りをしてくれた、哀しくも優しい笑顔だったのだと。
でも、その時はそんなこと分からなくて。
ただただ、その笑顔があまりにも懐かしくて。
僕は、ヒナタに嘘をつくことをやめられなくなってしまった。
しかし、そんな嘘の報いはすぐに訪れて――
こともあろうに殿下の求婚を突っぱねたヒナタは、贄としてダンジョンに送られることが決まってしまった。
自分が、殿下は優しいだけの人だと嘘をつき続けたせいだ。
そう思い、浅はかな自分の行いを心から悔いた僕は、その日初めて嘘をつくのをやめた。
「殿下は優しいだけの人じゃない。誰かに盗られる前に、アンタを抹殺するつもりだ。僕が身代わりになって時間を稼ぎます。だから今すぐ逃げてください!」
それなのに。
ヒナタは、僕を身代わりにはできないと、逃げることはしてくれなかった。
そして彼女の宝物を託した僕をワードローブに隠したまま神官に連れられ、僕の前からいなくなってしまった。
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