第13話|侵入者
咆哮を聞くなり礼拝堂の入り口まで駆けていった熾火とアルセルさんにつられるように、私も思わずキッチンを飛び出しました。
入り口の前では熾火が外へ向かって身を低くし、再びグウウと低い唸り声を上げています。
熾火の視線の先を見やれば――
通路の奥に、血を流しながら異形の魔物に追われ、懸命に逃げる人の姿がありました。
助けなきゃ!
反射的に駆け出そうとしたところで、
「待て!」
アルセルさんに腕を強く掴まれました。
「でも!!」
どうやって助けるか考えるよりも先に、また体が動きそうになった、その時です。
私の声に気がついたその人が、魔物に追われながら、こちらへ真っすぐ駆けてくるのが見えました。
しまった。
自分の考えなしの行動のせいで、アルセルさんまで危険に巻き込んでしまう。
そんなことに今更気づき、一瞬、全身から血の気が引いた時でした。
礼拝堂へ滑り込むように駆け込んできたその人を追って、魔物が入り口へ迫った瞬間――
バチン!!
大きな音と共に、魔物の体が見えない壁に弾き飛ばされ、ドサッと地面にひっくり返りました。
「ここにいれば心配ないと言っただろう。……まぁ、少なくとも魔物に関しては、だったがな」
礼拝堂を出て追ってきた魔物を一刀のもとに斬り伏せたアルセルさんは、剣を一度強く振って刀身についた瘴気を払い落とすと、床に倒れ込みゼイゼイと荒い息を吐く人を冷たく見下ろし言いました。
アルセルさんの視線につられるようにして、その人をよく見れば、逃げ込んで来たのは私と同い年くらいの黒髪の男性でした。
剣こそ腰に佩いていましたが、街で見かけるような普段着の上に、簡素な革の胸当てと手袋をつけただけの軽装です。
とてもダンジョンの奥深くまで探索に来た冒険者には見えないなと思っていると
「た、助けてくださりありがとうございました。買い物の帰りに母の薬を探しに入ったのですが……上層から足を滑らせてしまって。魔物から逃げるうちに道に迷い、こんな奥まで来てしまって、死ぬかと思いました」
彼は実に人懐っこく微笑みながら、そんな驚くような事を言いました。
彼のその笑い方に、何故か懐かしさを覚えた時です。
「そうか。では、出ていけ」
アルセルさんが剣先をその男性に向けながら、底冷えするような冷たい声で言いました。
しかし、そんなアルセルさんの威圧的な態度にもめげず、
「お願いします。一晩だけ、こちらに置いて休ませてください。お礼に食料をお分けしますから」
そう言って男性が鞄から取り出したもの、それは――
新鮮な卵に、牛乳。
真っ白な小麦粉に、バター。
そして、瓶いっぱいに詰まったお砂糖でした。
やはり魔王討伐はおろか、ダンジョン探索をするために来た人の持ち物とは到底思えず
「私からも、お願いします。少しだけ、この人を休ませてあげてくれませんか?」
そうお願いすると、アルセルさんは長い事苛立たし気な様子を見せた後、
「……一晩だけだ」
そう言って、ようやく剣を下ろしてくれたのでした。
それにホッとした、その次の瞬間です。
先程聞いた恐ろしい魔物の咆哮が、再びダンジョン中に響き渡りました。
礼拝堂を守る結界のようなものに弾かれ、アルセルさんに討伐されたあの魔物がこの声の主かと思って安心していましたが……。
どうやら別だったようです。
「お前、何をした?!」
アルセルさんの刺し殺さんばかりの視線を受け、黒髪の男性が、
「……実は……封印の陣の上で、派手に転んでしまいまして……」
おずおずと皮手袋を外しました。
露わになったその掌には、乾いた血の跡がこびりついています。
アルセルさんの纏う怒気が尋常ではないほど大きくなった、その時です。
入り口の方を振り返った熾火が全身の毛を逆立て、激しく唸り始めました。
「いいか、決してここを出るなよ?!」
そう言い残し、慌てて飛び出して行こうとしたアルセルさんの手をパッと取り、
「気を付けてくださいね。危ないと思ったら、無理せず安全第一で帰って来るって約束してください」
思わずそう言えば、アルセルさんはまた酷く驚いたように目を見開き私を見ました。
きっと、私はまた何か変なことを言ってしまったのでしょう。
それでも、そんなことよりただアルセルさんに無事に戻ってきてほしくて、その手をギュッと握ったまま、そのサファイアブルーの瞳を見上げれば……。
アルセルさんは、何か言いかけた言葉を飲み込んだ後、仮面の一部を僅かに崩しながら
「……すぐ戻る」
そう言って、また小さく笑ってくれたのでした。
アルセルさんを見送って、どのくらいの時間が経ったでしょう。
「あの、よろしければ水を一口分けていただけませんか?」
黒髪の男性にそう言われ、慌てて彼をキッチンに招き入れました。
甕に汲んでおいた冷たく澄んだ水をカップに入れて渡した後、同じく甕の水を使い彼の手の傷についた汚れを綺麗に洗い流します。
「ありがとうございます。お礼に、よろしければこちらもどうぞ」
そう言って男性が鞄から取り出したもの、それはこの国では庶民の口にはなかなか入らない、ボンボンショコラでした。
しかも、小さな箱に綺麗に並べられたその中身は、どれも私が聖女としてお城に滞在していた頃、そんな高級品とも知らず好んで食べていたものばかり。
「どうして、私の好きだったものばかり……?」
そう呟き、咄嗟に箱を受け取ろうと伸ばしていた手を思わず引けば。
高級なショコラが床に零れ落ちるのにも構わず、黒髪の青年が私の手をギュッと強く握りました。
「お迎えに上がりました。魔王が封印を解かれた魔物に手こずっている今のうちに、早くここから逃げましょう」
突然かけられたその言葉に、どう返せばよいのか分からなくて、
「……以前、どこかでお会いしましたか?」
懐かしい気はするのに、あまりにも心当たりがなさすぎる彼に、思わず馬鹿正直にそう尋ねた時です。
黒髪の青年がおもむろに、胸元から古びたペンダントを取り出しました。
何だろうと思い、そのペンダントトップに目を凝らせば――
それは、私が子供の頃、日本の観光地のお土産屋さんなどでよく見かけた、蓄光素材のパワーストーン風キーホルダーでした。
そしてそのキーホルダーは、幼い頃に祖母に買ってもらって以来ずっと大切にしていた、私の宝物でもありました。
「……ギン、君?」
そんなことあり得ないと思いつつ、つい先日までお城で私の身の回りの世話をしてくれていた幼い少年の名前を口走れば、
「ようやく気づきました? 相変わらずアンタは、気づくのがホントおっそいんですよ」
そう言って。
彼は泣き出しそうになるのを懸命にこらえながら、それでも私の記憶の中にある、あの心優しい少年の面影を残す笑顔を、またそっと私に向けてくれたのでした。




