第10話|秘密の図書室と代用品
しっかり水分と暖を取って、薬を飲み、たっぷり寝たおかげでしょう。
次に目が覚めた時、すっかり体調は元に回復していました。
しかし……。
いくらもう大丈夫だと繰り返し言っても、アルセルさんはその冷たい手で私の額に触れては、
「まだ熱がある。大人しく寝ていろ」
と繰り返すばかりで。
暇を持て余し、庭に食材を取りに行こうとしては止められ。
湖に魚を釣りに行こうとしては止められ。
仕方なく掃除をしようとしては、やっぱり止められ。
ついに我慢できなくなって、
「このままでは退屈で病気になってしまいます!!」
と憤慨すれば、アルセルさんはしばらく理解しがたい生き物を見るような目で私を見た後、
「暇じゃなくなればいいんだな?!」
そう言って、実に大げさに私の腕を支え、礼拝堂の祭壇前までエスコートしてくれました。
「ここなら掃除していい、そういうことですね!!」
私が腕まくりをしながらそう言えば、
「違う」
と、一刀両断されてしまいます。
まさか、ここで祈れば退屈も紛れるとでも?!
本気ですか??!
あまりの話の通じなさに白目をむきかけた、そのときです。
アルセルさんが、祭壇の上に置かれた燭台をおもむろに床へ下ろしました。
続いて、重そうな石の祭壇を押して動かし始めます。
『アルセルさんが、大掃除する姿を見て楽しめ的な???』
いったい何を見せられているのか分からず混乱していると、ずらされた祭壇の後ろから、突如、隠し扉が現れました。
アルセルさんがその扉に手をかけ、ゆっくりと大きく開いた隠し扉の先にあったもの、それは――
青白いクリスタルの光に彩られ、オレンジ色のランプに似せたクリスタルが間接照明のように内部を照らす、ウォークインクローゼットほどの広さの実に幻想的な図書室でした。
何年もこのダンジョンの地下で閉ざされていたというのに、資料保存のため、守りの魔法のようなものがかけられていたのでしょうか。
内部の空気は驚くほど清浄で、そこに綺麗に並べられた本のどれにも、傷みは見られません。
沢山の本が並んでいる。
そんな日本では当たり前の光景がどんなに幸せなことだったのかを痛感し、万感の思いで背表紙を眺めて回っていた時です。
日本語で題名の書かれた一冊を見つけました。
思わず手に取り開いてみれば、それは何代も昔の聖女が遺したものでした。
何が書かれているのだろうと、ドキドキしながらページを捲れば、そこに延々と綴られていたのは、ダンジョン内の料理のまずさへの愚痴でした。
手記と呼ぶにはあまりに拙い、文才も何もないただの日記。
しかし、それに激しいシンパシーを感じながら大事に大事に時間をかけて読み進めます。
すると――
その本の、終わりの方に、ダンジョン内で採れる、牛乳・卵・小麦粉をはじめとした、現代日本ではお馴染みの食材の代替品についての覚書が記されているのを見つけました。
嬉しさのあまり、その手記をギュッと胸に抱きしめ、思わずホロリと涙を零した時です。
「……そんなに、良いことが書かれていたのか?」
アルセルさんの、押し殺したような声が聞こえました。
「帰還の方法か? 言ったはずだ、お前は生涯……」
「ダンジョンで採れる食材のメモが書かれていました! 本当に見つかれば、ホットケーキも、アイスクリームも何でも食べ放題です!!!」
感激の涙と一緒に垂れていた涎を手の甲で拭いながらそう言えば何故でしょう?
サファイアブルーの瞳に僅かな赤を滲ませ、その本へ向け怖い顔で手を伸ばしていたアルセルさんが、急に酷い頭痛にでも苛まれたかのように頭を抱えました。
「やはり、私の風邪が染ったのでは?!」
そう心配すれば、
「違う!」
と、またなぜか苛立たしげに返されます。
もう、アルセルさんは本当に短気なんだからぁ。
きっとカルシウムが足りないんでしょうね。
でも牛乳代わりの食材を使った美味しいご飯を食べれば、それも解消するんじゃないかな♪
そんなことを考えながら、まだ見ぬ食材にホクホクしていれば
「……分かった。採って来てやる。その代わり、オレが帰るまで大人しく寝ていろ」
アルセルさんからそんな提案をされたので、退屈している事は一旦脇に置き、素直にその素晴らしい案に乗る事にしました。
「……もし、オレが帰るまでにここを一歩でも出てみろ。採ってきた食材はすべて魔物の餌にするからな」
出がけにアルセルさんがそんな恐ろしいことを言ったので、そのあまりに残酷な仕打ちに震えあがりながら、絶対に外には出ないことを大昔の聖女の手記に誓えば、ほんと何故でしょう??
怖がらせるような事を言ったのは自分の癖に、アルセルさんが頭痛を堪えるように、眉間に指を当てました。
食材が手に入ったら、何から作りましょう。
甘く煮た芋を賽の目に刻んで混ぜ込んだ、蒸しパン?
ふわふわのオムレツ?
クリームシチューやキッシュもいいかもしれません。
あぁ、どうしましょう。
食べたいものがあり過ぎて、全然決められません!
と、そんな楽しすぎる悩みに頭を痛めていた時でした。
アルセルさんと熾火が帰ってくる足音が、ようやく聞こえてきました。
逸る気持ちを懸命に抑えつつ、扉が開くのを待ちます。
そうして、呆れ顔のアルセルさんから、待ちに待った食材を受け取った、その瞬間――
私は、ハッとその場に固まりました。
私が頼んだのは、卵や牛乳、小麦粉の代わりになる食材でした。
けれど手渡されたのは、それらによく似た、まったく別の物だったからです。
またどうしても感情を抑えきれなくなり、ボロボロと大粒の涙を零しながら、
「これ、お願いしていたものとは別のものです……」
なんとか、それだけを言いました。
すると、私が零した涙をまた涎と勘違いし思わず飛びのきかけたアルセルさんが、
「すまない。すぐに今度こそ、頼まれたものを採ってくる。だから、泣くな」
そう言って、私をギュッとその胸の中に抱きしめてくれたので、
「これは、卵でも牛乳でも小麦粉でもなく、私がこちらに来て以来、夢に見続けていた、味噌と醤油の代用品です。まさか、またこれを食せるなんて……ほんとうに、ほんとうに、あ゛り゛か゛と゛う゛ございます!!!」
嗚咽と鼻水交じりに、そう心からの感謝を述べれば。
心配して本当に損したとばかりに、アルセルさんは鎧についた鼻水を拭うため、その胸に顔を埋めて号泣する私をベリッと引き剥がしたのでした。
それにめげず。
再度、熱い抱擁をもってアルセルさんに感謝の念を伝えようとしたところ、『大人しく寝ていろ』の発言が撤回され、代わりに料理の許可が下りました。
ですのでアルセルさんの気が変わらないうちに早々に引き下がり、先ほど入手した手記を参考に、早速料理を始めます。
汲んできてもらった湖の水を鍋に張り、火にかけます。
沸騰する前に、同じくアルセルさんに採ってきてもらった湖の藻をひとつかみ入れ、しばらく煮出します。
お湯が沸々と沸きほんのり琥珀色に染まると同時に、昆布によく似たまろやかな香りが立ち上ってきたところで藻を取り出し、火を止めます。
夢にまで見たお味噌汁の完成です!!
もしこれが夢ならば、冷める前に一口だけでも。
そう思って口をつけた瞬間、その懐かしい味と香りに、思わず、ほう、とため息が漏れました。
これはぜひ、アルセルさんにも味わってもらわなければ。
ワクワクしながら飲んでみるよう勧め、感想を待てば――
「なんだか少し土っぽい? でもまぁ……、その、なんだ。悪くはないんじゃないか?」
アルセルさんは実に歯切れ悪く、そんなことを言いました。
新たに崩れる気配もない、その欠けた仮面を見ながら、日本食初心者のアルセルさんにいきなり味噌汁は少しハードルが高かったかと、少々反省します。
まぁ、私も納豆のおいしさを理解できたのは高校生になってからだったので、焦らず和食のおいしさを徐々に理解してもらえれば。
そう思った時でした。
お味噌汁の入ったボウルを片手に持ったまま、アルセルさんが不意にもう片方の手を伸ばし、私の額に触れました。
そうして。
初めて会った時にはおくびにも出さなかった私への甘さを、何故か今ではもう隠そうともせず、
「熱が引いたようで良かった」
そう言って、見ているこちらが砂糖を吐きそうなほど、それはそれは甘く笑ってみせるものですから……。
私は、せっかく引いた熱がまた上がってしまわぬよう、お味噌汁でいい感じに温まっていた心と頬を、冷たい水で必死に冷やす羽目になってしまったのでした。




