■13話 クマバチとプラシーボ
6月下旬。期末試験まで残された時間は、もうそれほど多くない。自宅で勉強していたアルビは、机に突っ伏した。
勉強はしている。ちゃんとしている。だが疲れたものは疲れた。
アルビ
「ちょっとだけ……」
誰に言い訳するでもなく呟き、スマホを手に取る。ショート動画を眺めながら脳みそを休ませる作戦だ。
次々と流れていく動画を適当にスワイプしていたその時、アルビの指がぴたりと止まる。
画面に映っていたのは、どう考えてもシーエが食いつきそうなネタだった。
アルビ
「ねぇねぇシーエ! クマバチって気合で飛んでるらしいよ。知ってた?」
次の日、アルビはシーエに話題を共有する。昼休みくらいはテストの事を忘れ、友人と話題を共有したい。
シーエならこの話題は知ってる可能性の方が高いが、それでもシーエと同じ話題を共有できるというのはアルビにとって嬉しい事だった。
なお本日はエムジは学食との事。昼休み前に購買に行ったものの総菜パンが売り切れていたらしい。エムジにもこの話したかったけどな。
ともかく、アルビはシーエに昨夜仕入れた話題を自慢げに話したのだった。
シーエ
「あーそれは──」
ヒデオ
「え、どういう事!?」
が、話に食いついたのはヒデオだった。ただアルビとしても下ネタ以外ならヒデオと話す事に抵抗は無くなっているので、昨夜自分の手に入れた知識をひけらかす事にする。
アルビ
「クマバチの羽って小さすぎるらしくて、航空力学的に飛べるはずないんだって」
ヒデオ
「え、でも飛んでるよね?」
アルビ
「そうなんだよ。だから"気合で飛んでる"とか言われてるの。ある学者なんか"クマバチは自分が飛べないことを知らないから、飛ぶことが出来る"って言うんだって。なんかロマンチックだよね」
ヒデオ
「ということは、僕達も出来ないと本心から思わなければ、いろんなことが出来るって事なのかな?」
アルビ
「そんな事あったら良いよね! シーエはどう思う?」
シーエ
「あー……」
二人の話の盛り上がり度合いに対し、シーエの反応は微妙である。
シーエ
「何か、ウチが喋るとお二人が盛り上がってる空気を壊す事になるんだけどそれでも良い?」
アルビ
「どういうこと?」
シーエ
「ロマンを打ち砕いちゃう、的な」
アルビ
「あ、シーエはやっぱりこの事知ってるんだ。ボクの見た動画は間違ってたって事なの?」
シーエ
「まぁ端的に言うと……。あでも、ちゃんと別のロマンも提示するよ!」
ヒデオ
「聞かせて聞かせてー」
シーエ
「おほん、では改めまして」
シーエは咳ばらいをし、演説モードに入る。長年シーエと付き添ってきたアルビにとっては見慣れたモードチェンジだ。
シーエ
「まず、その話の対象はクマバチじゃなくてマルハナバチな。似てる蜂だからどこかで間違えられたんだろう」
アルビ
「そうなんだ」
シーエ
「で、マルハナバチが飛べる理由は、実は現在解明されている。一昔前まではマジで解明されてなかったんだけど、その時にさっきアルビが言ってたみたいな事を言う輩がいたんだよ。今でも都市伝説としてその話が残ってる」
アルビ
「輩って」
シーエ
「まず前提として、科学は万能ではない。ウチの言う科学は化学、物理、生物学、医学、数学などを複合的に総称した学問な。これらは日々研究、実験の繰り返しでアップデートされていく」
ヒデオ
「ふむふむ」
シーエ
「当時の科学で飛ぶことが説明できないからといって、その蜂は飛べないと断ずるのはとても非科学的なんだ。科学は万能じゃない。常に解らない現象に遭遇し、その理由を模索する学問。当時の科学で説明できないってのなら、当時の科学に穴があったって事だ。実際その後解明されているからそういう事だったんだろう」
ヒデオ
「穴ねー」
アルビ
「……」
アルビがヒデオを睨む。ヒデオはテヘペロ的な表情をしている。ムカつくけど意外と可愛い。
ともかく話を戻して、
アルビ
「なるほどー。ちょっと残念」
シーエ
「ロマンのある話はこれからな? しかも2つ話すよ」
ヒデオ
「お、それは楽しみ!」
シーエ
「逆転の発想だよ。科学は未知の現象を解明することで進歩する。いまだに進歩しているって事は……世の中には未知の現象だらけだって事。知ってる? 2023年まで、人間がブランコを正確に揺らせるメカニズムは解ってなかったって」
アルビ
「え、そうなの!?」
シーエ
「幼稚園児でも当たり前に出来るブランコ遊び。重心の移動によってブランコを揺らすってのは解ってたけど、その重心の移動にはかなり繊細なコントロールが必要なんだ。これを無意識にどうやってタイミング調整しているのか、それがようやっと最近分かったんだ」
アルビ
「ブランコなんて、みんな当たり前に揺らしてるのに……」
シーエ
「あと有名な話だと、世界で初めて飛行機を飛ばしたライト兄弟。飛行機が飛ぶ理由が解明されたのは彼らが初飛行をしてから数年後なんだよな」
アルビ
「そうだったの!?」
ヒデオ
「ライト兄弟って誰ー?」
アルビ
「それは流石に勉強しておいた方が良いと思うよ……ボクが言えた立場じゃないけど……」
シーエ
「この様に、世の中には現象を先に観察して後で理論が解明されることは多い。古くて世界中で観測できる現象としては雷とかか? 昔の人は神の仕業とか考えてたらしいからね。何で空から稲妻が落ちてくるのか全く分からなかった。これの理由が解明されたのも近代になってからだ」
アルビ
「確かに……」
シーエ
「化学は万能じゃない。マルハナバチが飛ぶ理由が解らないのなら、それは化学に穴があるという事。つまりは発展の余地があるということ。これはロマンの塊じゃないか?」
シーエの演説に熱が入り始める。本当にこの手の話題が好きなんだなと、アルビは少し嬉しくなった。
ヒデオ
「そうだねー。こないだ僕らが話してた乳首への実験もそういう事なんだよね?」
シーエ
「そうそう。乳首が感じるのは観測できる。しかし理由が解らない。解らないから仮説を立てて検証する。科学のだいご味だ」
アルビ
「その話はもういいよ! シーエはあと1個ロマンのある話があるって言ってたじゃん。それ聞かせて」
話題が下ネタに流れて行きそうだったので、アルビは慌てて舵を取り直す。
シーエ
「さっきヒデオが『出来ないと本気で思わなければ出来る』的な事言ってたじゃん。これマジであって、思い込むことで起こる現在の科学では説明できない現象がいくつか存在してるんだよ」
ヒデオ
「え、本当!?」
アルビ
「あ、それはボクも気になる!」
シーエ
「一番有名なのがプラシーボ効果。そして次に有名なのがその逆のノセボ効果」
ヒデオ
「何か聞いた事あるね。思い込みで具合が良くなる? みたいな?」
アルビもこれはなんとなく聞いたことがある。
シーエ
「そうそう、そんな感じ。プラシーボ効果の語源は偽薬という意味の『プラセボ』から来てる。偽薬、つまり偽の薬を病気の患者に『本物ですよ』って言って与えると、患者の容体が良くなるんだ」
アルビ
「え、でもその薬は偽物なんでしょ?」
シーエ
「そこが不思議なところだ。偽薬は大体ただのデンプンとかなんだけど、ちゃんと効くケースがほとんど。軽い風邪とかなら治っちゃう患者もいる。れっきとした現象として記録されてるが、理由は良く解ってない」
アルビ
「なんで? だって効能は無いのに」
シーエ
「クマバチが気合で飛んでるって力説してた割に、こっちはやたら疑問視するな。同じような現象のはずだが」
アルビ
「確かに……なんでだろ? 蜂はボク達にあんまり関係ないけど、薬は自分事だからかな?」
言われればもっともだ。でも自分の体に影響がある事柄になると、とたんに現実味が増して信じられなくなる。……シーエは蜂と人間を同列に見てるんだろうなぁ。
シーエ
「ともかく、理由は解らないのに効果はちゃんとある。これは化学……今回は医学と生物学、あと心理学だな。ともかく科学の発展のしがいがある、未知の領域だぞ」
ヒデオ
「確かに何かロマンあるね!」
シーエ
「一応仮説はある。薬を飲んだという安心感が作用し、不安が消える、ストレスが収まるという効果が影響してるってな。確かにそれで体調が良くなるケースは解るが、例えば頭痛が消えるとかの痛みが消える系、風邪薬の偽薬を飲んで風邪が治るとかは一切解明されてない」
アルビ
「確かに……」
シーエ
「というか頭痛のメカニズムもまだ実は良く解ってない」
アルビ
「そうなの!? 市販の頭痛薬って何してるの!?」
シーエ
「痛みをごまかしてるだけで、根本の原因を除去してるワケじゃないんだ。そして根本の原因が、まだ完ぺきには解明されてない。ここ数年で結構解ってきたらしいが」
ヒデオ
「僕らの世界、解らない事だらけなんだねー」
シーエ
「そこが面白いんだよ。続いてはノセボ効果。これはプラシーボ効果の逆で、思い込みで具合が悪くなる現象だな。ストレスが原因で~とかなら解るけど、意味不明な実例がいくつかある」
こっちはアルビもヒデオも聞いたことが無い単語だ。
アルビ
「ノセボ効果?」
ヒデオ
「その実例教えてー」
シーエ
「有名な実験で、被験者に熱したアイロンを見せた後、目隠しして冷たい金属を当てたら、当てた個所が火傷になったっての、知ってる?」
ヒデオ
「あ! 知ってる!」
アルビ
「え、知らない。そんな事あるの?」
先ほどのプラシーボ効果以上に信じられない。本当は熱くないのに火傷になるなんて事があるなんて。
シーエ
「この実験自体はちょっと都市伝説化してて、今ウチが言った工程が全て正しいとは限らないんだけど、このような現象が起きるのは確認されてるんだ。熱いと思い込むと、その部位が水膨れになる。実際は熱くもないのにな」
アルビ
「不思議すぎる……」
シーエ
「これも仮説はある。水膨れってのは火傷に対する体の防衛反応だから、脳がバグって『この部位を治さねば!』と思い込むとその部位が水膨れ化するってもの。とはいえ、思い込んだだけで『傷』が出来るのは不思議だろ」
ヒデオ
「不思議ー」
シーエ
「思い込みによる傷と言えば、聖痕もあるな。これは敬虔なクリスチャン、キリスト教信者の方に稀に表れる現象なんだが、キリストが貼り付けにされた日になると手足のその部位に痣や出血が起きるんだ」
アルビ
「何それ!? 完全にオカルトじゃん!」
ヒデオ
「超常現象すぎる……」
普段現実的な話しかしないシーエからとんでもなくオカルトな話が出て来て、アルビは驚く。
しかしシーエはこれも淡々と、しかしロマンを持って科学的に説明していく。
シーエ
「だからその超常現象を解明するのが科学だってば。雷も昔は超常現象だったろ? ちなみにこれがオカルトってのは悲しいかな完全に否定されてる」
アルビ
「え、そうなの? どうして?」
シーエ
「聖痕が毎年出る被験者に、催眠術をかけた実験があったんだ。催眠術の内容は単純で、『今日がキリストが貼り付けにされた日だよ』って思いこませること。実際には全然違う日なんだけどな。そしたら被験者の手足には痣が出来たそうだ」
ヒデオ
「つまり、さっきと同じ思い込み?」
シーエ
「そう。これもノセボ効果の一種であると言われてるな。思い込むことで傷が出来る。まぁこっちは自分を害されたと思って傷が出来てるワケじゃ無いから厳密には違うかもしれんが……ともかく、思い込みの力ってのは凄いんだよ」
アルビ
「す、すごいね……」
シーエ
「これらはまだ完全に解明されてないってだけで、いずれメカニズムも判明するだろう。事象が観察出来ればあとは仮説と検証を繰り返していくのが科学だしな。解明後はロマンでも不思議な話でもなく、ただの常識に変わってるだろうけど、今の段階ではロマンの塊だとウチは思うね」
アルビ
「なんか、凄い良い話聞けた気がする……。クマバチの知識は間違ってたけど、あの動画見てシーエに話せて良かった」
昨日の夜の光景が思い浮かぶ。勉強をさぼ……違う、休憩するのも以外に良い事なのかもしれない。
シーエ
「そうだな。ウチもこの手の話は大好物だから話せて楽しかったよ。ただアルビ、ネットの情報をそのまま鵜呑みにして話すのは危険だから一応一旦調べてから話した方が良いぞ?」
アルビ
「う、ごめん……」
シーエ
「なんて偉そうな事言ってるウチも、今ひけらかした知識は幼少期のテレビ、ネットで仕入れたものだけどな。一応複数の文献を参考にはしてるから信頼度は70%くらいだと思っておいてくれ」
アルビ
「意外と低いね」
シーエ
「"こうだ"と決めつけずに様々な可能性を模索するのが科学のだいご味だからな。ウチの語った情報に間違いがあったら直ぐにアップデートし、後で共有するよ。ウチはこれらの現象を発見した偉人じゃない。また聞きしてるだけの人間だからな」
ヒデオ
「本当にシーエちゃんは難しい話が好きなんだね。こないだの乳首の件も、同じテンションで話してたし」
シーエ
「そうそう、あれだって理由が解らないけど観測されてる事象じゃん? そんなもんロマンしかないだろ!」
アルビ
「あーもう! 結局その話題になる!」




