■11話 恋と保健体育
生徒
「きりーつ、礼」
生徒
「「「有難うございましたー」」
昼休み前の授業が終わる。それと同時に、教室の空気が一気に弛緩。生徒たちは待ちかねたように席を立ち、友人との雑談を始めたり、購買へ向かう準備をしたりと、それぞれの昼休みへ駆け出していく。
保健体育の教師は教科書を閉じると、出席簿を脇に抱え、さっさと教室の出口へ向かった。授業が終われば用はないと言わんばかりの足取りだ。
その背中を見てシーエは、椅子を引く音を立てて立ち上がる。聞きたい事があるのだ。
シーエ
「バニ様、ウチ恋したかもしれないんだよね」
バニ
「シーエちゃんが? 熱でも出たんじゃない?」
シーエ
「ひどくない!? ウチだって人間、生き物だぞ!?」
開口一番ひどいことを言ってくるこの教師はバニ様だ。本名は忘れた。
最初の自己紹介で
『アタシのことはバニ様と呼びなさい』
と言い放ち、クラス全員をドン引きさせたせいである。あんなインパクトのある登場をしておいて、本名まで覚えていろという方が無理な話だ。
二年生になって担当教師はいくらか変わったが、保健体育担当のバニ様もその一人。
六月上旬。新学期から二か月が過ぎた今では、生徒たちもこの変人教師に慣れ、気軽に話せるくらいには距離が縮まっていた。
あ、ちなみに性別は男性。年齢は不詳。
シーエ
「生理現象として恋はしても可笑しくないだろう?」
バニ
「そんな冷めたこと言わないの! 恋って素晴らしいものなのよ!? ときめく胸、ほとばしる情熱、たまらないわ!」
シーエ
「ウチはそこまでの激変ぶりは無いが……」
バニ
「じゃあ恋じゃないわ。解散」
シーエ
「冷たくない!?」
バニ
「冷たいのはシーエちゃんよ。冷めてるとも言えるわね。恋をただの生理現象として捉えてるうちは恋について語る資格は無いわ」
バニ様はひらひらと手を動かし、シーエから距離を取ろうとする。いやまだ話は続いてるんだから教室から出て行こうとするな。
ちなみにさっきから教師に対して全く敬語を使っていないが、これはバニ様が『アタシに敬語は使わないで』と皆に注文したからだ。自分を様付けさせるくせに敬語は使われなくないとか何だか良く解らないな。
シーエ
「資格とかいるのか……。いや生理現象だから冷めてるってのも偏見だろ。この生理現象は奇跡だぞ? 生物が進化の過程で得た機能だ。これが無きゃ人類も生物もここまではびこってない。ウチが今ここにいるのも両親が恋した結果だしな」
バニ
「……案外素敵な事言うじゃない。意外とロマンチストなのね」
シーエ
「ロマンチストかは解らんがロマンは感じてるよ。生物は素晴らしい。偶然は素晴らしい。そしてウチもようやく生物の一員として、恋と言うステージに上ったかもしれない」
バニ
「かもとか言ってる時点で違うわよ。解散」
シーエ
「なんでだよ!?」
バニ
「アタシは単に恋をしたときに起こる自身の感情と身体の変化が好きなの。恋をしてる子を見るのも好き。シーエちゃんからはそれを感じないわ」
シーエ
「だからウチは恋した"かも"なんだよ。それが恋かどうか知るためにも保健体育の授業をしてるバニ様に意見をもらいたいんだ」
バニ
「違うわ。解散」
シーエ
「だから決めるの早くない!?」
バニ
「だって解散しないとアタシお昼ご飯食べられないもの」
シーエ
「あ、それはすまん。放課後空いてる?」
バニ
「いつでもいらっしゃい?」
食事を邪魔すのは悪いなと、シーエは素直に引き下がった。
* * *
放課後。シーエは事のあらましをバニ様に説明する。
シーエ
「……とまぁ、エムジにこんな感情を頂いたんだよね」
バニ
「微妙……」
シーエ
「微妙て」
バニ
「それは友愛でも全然発生する感覚だもの。話してて楽しい、拒絶されたら凹む。正常よ」
シーエ
「ウチは今までそれが無かったんだけどな」
バニ
「どっちかって言うとそっちが珍しいわね。言い方が悪いけど、本当に仲良くなったと感じた子があまりいなかったんじゃない?」
シーエ
「あーそれはあるかも。この学校入るまではアルビ以外を友人と呼べたか怪しいな」
バニ
「アルビちゃんに拒絶されたらどう思う?」
シーエ
「されてみないと解らないけど……凹む、のかなぁ? でもそれもアルビの選択だし見守りそうな気がするなぁ」
バニ
「ふーん、仲良い子全員に同じ感情を抱かないのなら、エムジちゃんは特別かもね」
シーエ
「とわいえエムジから完全に拒絶されたとしても、大ショックを受けるかと言うとそうでも無い気もするんだよな。それもエムジの選択だから尊重したいし。ただ少し、チクリとする」
バニ
「仮説だけど、シーエちゃんはシゾイドパーソナリティに近い気がするわね。少し違うけど。シゾイドの人は他人への依存が少ない、人間関係が切れても平気、感情表現が乏しい、一人でも苦にならないって特徴があるけど、アナタは人間そのものは好きだしね。執着しないだけで」
シーエ
「そだね。ただウチの人間好きって、生き物としての観察対象としての好きが結構入ってるから、一般的な好意とは違うかもしれないけど」
バニ
「そうなるとますますシゾイドの子に似てるわね。他人への依存が少ない。で、そんなシーエちゃんがエムジちゃんにのみ、人間関係が切れることに対する痛みを感じるなら……それは恋かもしれないわね」
シーエ
「やっぱそうかもしれないのか……。何か思ってたより地味な感情だな」
映画や漫画などではクソデカ感情として表現されることが多いのが恋である。自分もそんな劇的な感情に晒されてみたいと興味が湧いていたのだが……現実は違う様だ。
バニ
「元の感情値が低いからよ。大抵の子はもっとあからさまに動揺したり心臓がバクバクしたりするものよ。アタシはそういう子を見るのが好きなんだけど……シーエちゃんがそうならないのは残念だわ」
シーエ
「まぁもしかしたら今後、この感情がさらに大きくなるかもしれないけどな。恋の可能性があるってだけで、それをより意識するようになるだろ? エムジだって今後そういう目で見ていくワケだし。まぁ絶対敵わない恋な訳だが」
バニ
「失恋もとても良い人生経験よ。普段なら今まさに恋してる子にそんな無粋なアドバイスはしないけど、シーエちゃんは失恋することも前提に動いてそうだしね」
シーエ
「そりゃうまく行くビジョンが全く見えないからね。エムジが性欲薄目なの、バニ様は把握してる?」
バニ
「直接本人から相談を受けたわ。彼は普通になれない事に思い悩んでるわ」
シーエ
「気にする必要は無いと思うんだけどな。それがエムジなんだし。ま、その性格のせいでウチの恋は実らなそうだけど」
バニ
「そこまで達観してるのも、やっぱり変わってるわね。アタシが恋したときなんかは、そんな冷静じゃいられなかったわ」
シーエ
「ほえー。バニ様は過去、誰に恋をしたの?」
純粋に興味がある。目の前の先生が誰かに心奪われる瞬間など想像できない。
バニ様
「アタシはアタシ自身にしか恋したこと無いわ! 今でもアタシに恋してるの」
シーエ
「いやそんなウチ以上に特殊な例の人間が、ウチに何を知ったような口で語ってるねん!! 自己性愛者じゃないか!」
バニ
「失礼ね。恋に対象何か関係ないわ。アタシはアタシに恋してる。そしてその恋は素晴らしい! 毎日がバラ色よ。アナタの浅はかな恋とは比べ物にならないわ」
シーエ
「別に浅はかと言われても否定はしないが、『アタシは恋のスペシャリストです』的な態度に納得がいかねー!」
バニ
「だってアタシはスペシャリストですもの」
シーエ
「納得いかねー!!」
納得は行かないが、欲しい答えは一応知れた。生物学の観点からならエムジに直接相談しても有意義な会話が出来そうだが、いかんせん「ウチはエムジに恋してます」的な態度を見せたらヤツも困惑するだろうし。
何より互いに恋したこと無い者同士が語り合っても答えは出ない。
バニ様も恋の経験としては……まぁ特殊だが、シーエ達よりも長い人生を生きている、それこそ"先生"なワケだ。忌憚のない意見をもらえたし良しとしよう。
シーエ
(明日からの学校、楽しくなりそうだな)
自分の心まで観察対象として楽しむシーエにとって、恋という生物的本能は今後の学園生活を彩り豊かに変えてくれるスパイスであった。
例えそれが実らぬ恋であったとしても。




