■10話 優しい人とは -利己的な利他主義 2-
ヒデオとアルビがなんとなく意気投合してる間、シーエの方も教室でエムジと話していた。
エムジ
「そういえばその頬の傷」
シーエ
「お、これか? 良いでしょ?」
二人におぶさられて疲労困憊のシーエであるが、傷を見せる時にはドヤ顔を作る。
エムジ
「……何が良いんだ?」
シーエ
「これさー、ウチがアルビを守った時に出来た傷でさー」
エムジ
「事のあらましはアルビから聞いたよ。アルビが大変困惑したそうだな」
シーエ
「? そうなのか?」
エムジ
「そういう所だぞ、困惑するのは。で、その傷の何が良いんだ?」
シーエ
「勲章的な? アルビ守った記念としてウチ的にはお気に入りなんだ。アルビは傷跡が消えて欲しいって言ってたけど、ウチは残ってほしいなー」
エムジ
「残るとしたらアルビは悲しむだろうな」
シーエ
「その理由がウチには良く解らんのだけど……まぁ人の心は千差万別、お前が言うならアルビは悲しむんだろうな」
エムジ
「それでも傷跡が残ってほしいか?」
シーエは少し悩むそぶりを見せる。
シーエ
「うーん、難しい所だね。ウチの気持ちとしては傷跡は残したいけど、アルビをわざわざ悲しませたいとも思わない。どっちかを取ればどっちかは諦めないといけないって感じ。幸いと言ったところか、傷跡が残るか否かは運任せだから、逆にどっちに転んでも片方の望みは叶うとポジティブに考えておくよ」
エムジ
「本当に変な奴だな。他者を思う気持ちが有るのか無いのか」
シーエ
「無いね」
エムジ
「言い切りやがった。アルビを悲しませたくないと思っておきながら良く言う」
シーエ
「外面だけ見れば思いやりの気持ちが有る様に映るだろうな。でもこれは"ウチがアルビに悲しい思いをして欲しくない"という願望を抱いてるだけで、本心でアルビを思っているかというとちょっと違うんだ」
エムジ
「大抵の人間はそういう心理状態を"他者を思っている"と表現するもんだ。で、お前は別にそれをわざわざ否定しなくても会話は成り立つ。そうまでして頑なに否定するのは何故だ?」
シーエ
「うーん、メリットだけ考えれば"ウチは優しい人間です"と偽ってた方が良いんだが……親しくなった人にはウチの内面を知ってほしいと思ってるのかな? お前やアルビから"思いやりがある"と評価されるとこそばゆいんだよな。たぶんあんま親しくない人間からそう評価されても気にも留めない」
エムジ
「そいつは全然嬉しくない情報だな」
シーエ
「なんでだよ!? ウチら親しいだろ!?」
エムジ
「別に?」
シーエ
「泣くぞ!?」
エムジ
「まぁそれは置いておいて」
シーエ
「置いておくなよ!?」
エムジ
「結局のところお前が自分を"優しい人間"と評価しない事への疑問はさほど解決されてない。というか人間の優しさ、思いやりは突き詰めると結局はお前の言う利己的思想の産物だと俺も思う。それならば全人類が利己的であり、利他的な人間はいない事になるんだが、お前は自分だけ優しくないという様な評価をしてるよな」
シーエ
「そうだな。ウチも全人類が利己的とは思わない。利己的であって良い、とは思うが。アルビ何かはマジで優しい、利他的な人間だと思うぞ」
エムジ
「そうだろうか? 結局は優しくしたいという自己欲求に従ってるという点で、お前と同じなんじゃねーか?」
シーエ
「厳密には違うと思っている。例として募金をしてる人を上げてみよう。募金をする人の心理は二つあると思っていて、まずは困ってる人のためを思って活動してる人だな」
エムジ
「大抵はそうなんじゃないか?」
シーエ
「そうであると良いとは思うが、実のところは違う。ウチを含めた何割かの人間は"良い事をした気分になりたい"、"罪悪感を減らしたい"、"自己肯定感を得たい"等の理由で動く。厳密にはウチはちょっと違くて、"ただ助けたいから助ける"だけなんだけど、共通してるのは困ってる人の事を思ってる訳じゃないって点だ」
エムジ
「なるほど。ただ傷の話に立ち返るが、お前はアルビが悲しむの嫌がってたじゃないか。それはアルビの事を思ってる、んじゃねーのか?」
シーエ
「アルビが悲しい気分でいるとウチが嬉しくないってだけで、本気でアルビの幸せを願ってるのとは少し違うんだ。もちろん幸せになることに越したことは無いが、最終目的がアルビの気持ちじゃなくて、自分の気持ちなんだよ」
エムジ
「うーんまぁ、微妙には解るがな」
シーエ
「さらに極端な例を出そうか。例えば先日のウチが殴られた事件のさらに強化版、アルビが死にそうになってたとする。それをウチが助けるとアルビは助かるがウチは死ぬ。こんな状況でもウチはアルビを助けるよ」
エムジ
「だろうな」
シーエ
「その時のウチの心理はどういう状態だと思う?」
シーエから他者へ彼女の心理状態を問いかけることは珍しい。シーエ自身意識してないが、エムジならばシーエの心理状態を見抜けるかもという信頼の現れなのかもしれない。
エムジ
「助けたいから助けた、じゃねーのか?」
シーエ
「もちろんそうだが、もっと自分勝手だ。この先アルビのいない人生をウチが歩みたくないから助けた、だ」
エムジ
「……なるほど」
シーエ
「それによって助けられたアルビはウチがいない人生を歩むことになるが、そんなのウチの知ったこっちゃ無い。それよりもウチの気持ちを優先して助ける。結果的にアルビが精神的不幸にさらされると知っていてもだ」
エムジ
「今の説明でなんとなく腑に落ちたよ。日常生活だとただの親切な人にしか映らないが、より極端な状況では利己性が強く出ると」
シーエが自分を親切では無いと言っていた理由が、ようやくエムジにも理解出来た。行動はともあれ、内面は自分優先なワケだ。
エムジ
「それでもお前は結局、自分の命を顧みずに人助けをする存在には変わりねーワケだが」
シーエ
「相手がアルビレベルの親しい人間ならね。知らない人や、そこそこの知り合いなら見捨てるよ。ウチの命を捨ててまで助けたいとは思えない」
エムジ
「どうだか。実際人が死にかけてる様を目の当りにしたらお前は動いちまうんじゃねーか?」
シーエ
「いやそれは無いよ。だってウチは毎日見捨ててる」
エムジ
「……どういうことだ?」
疑問が解決すると新たな疑問が沸き上がる。
シーエ
「これはウチが小学生くらいの時に気が付いた事なんだが……。世界中には今まさに死んでいる人間が沢山いるだろ。飢餓や病気、紛争等で」
エムジ
「……そうだな。ニュース等でよく話題にあがる」
シーエ
「ウチもニュースでその事実を知ったよ。それまでのウチの自己認識は、さっきエムジが言っていたように"親切な人"だったんだ」
エムジ
「ほう」
シーエ
「ウチは幼稚園や小学校で困ってる友達がいたら積極的に助けてたし、彼らの笑顔が好きだった。自分は優しいのだと認識していた」
エムジ
「まぁそう思うのが普通だわな」
シーエ
「でもニュースで世界の真相を知った時、ウチは助けたいとは思えなかった。本当に優しい人間なら助けるべきだろ? 自分の全お小遣いを募金にまわしたり、将来ボランティアをするべく様々な経験を積んだり。でもウチはそうしたいとは思わなかった」
エムジ
「そこまで極端な行動は大半の人間はしないだろ」
シーエ
「でもやる人はいる。そういう人は真に優しい人間だ。でもウチはそうじゃなかった。お小遣いはおもちゃを買うのに使いたかったし、将来ボランティアのみを主な活動にしたいとも思えない。現にウチは自分の生物学への探求欲求だけでこの学校を受けてるしな。ボランティアからはどんどん外れている。つまりウチは自分の事が第一の、優しくない人間だったというワケだ」
エムジ
「その理論で言うなら、俺もアルビも優しくねぇな。というか明確に、俺も自分は優しくないと認識したわ」
エムジ自身も自己認識を改める事になった。なるほど、この理論なら毎日見捨ててるというのも納得だ。エムジは世界の悲劇など毎日意識はしていなかったが、考えてみれば自分も毎日見捨ててるのと同義である。
シーエ
「うーん、エムジはそうかもしれないがアルビはたぶん違うな。この事実に気が付いてないだけだろう。というかニュースを小耳にはさんでも、ちゃんと可愛そうと思って、そしてその後の生活で忘れていくタイプの人間だろう」
エムジ
「いや、それはむしろ優しくないんじゃねーか?」
シーエ
「いやいや、人間はネガティブな感情に支配され続けるとストレスが溜まって病気になったり鬱になったりするだろ。そうならない様に忘れるって機構が脳にプログラムされてる。だからその場で可愛そうと思えばそれは優しさなんだよ。ウチは可愛そうと思う前に自分の生活レベルを落としたくないという保身を考えたからね」
エムジ
「行動の結果としては、結局お前もアルビも何もしてないのは変わらないのにな」
シーエ
「この話の主題は"ウチが優しいか"と"なぜ優しくないと自己認識してるか"だからな。別に結果がどうというのは関係ない。心持ちの話さ」
エムジ
「まぁ確かにな」
シーエ
「そんでたぶん、『なぜ全財産を募金しない? ボランティアしない?』というウチが感じた疑問をアルビにぶつけたら、すっごく悩んで多少は募金すると思う。その分ウチより優しい」
エムジ
「その話はアルビにするなよ? 恐らくだが悩むだけじゃなくて罪悪感につぶされるぞアルビの場合」
シーエ
「そうなのか? まぁエムジがそう言うならそうなんだろうな。人の心の機微の観察はウチよりエムジの方が得意だ」
エムジ
「いや俺もどっちかってーと不得意な方だが」
シーエ
「ウチよりは得意だよ。しかしアルビが罪悪感でつぶされるのなら、何でエムジは平気なんだ?」
エムジ
「俺も若干の罪悪感は感じてるぞ? ただお前と同じように、俺は自分の生活レベルを落としたり将来をささげたりは出来ないなと納得したからだ。お前の話は論理だてて展開されるから、納得もしやすい」
シーエ
「そう言ってもらえるととても嬉しいね! アルビやヒデオには『理屈っぽくて良く解らない』と評価をもらうんで。ヒデオはそれも含めて楽しんでくれてるみたいだが」
エムジ
「話が少し変わるが……お前が優しくないと言う事は解った。じゃあ逆に、何で人助けするんだ?」
もっともな疑問である。優しくないのに助ける理由は良く解らない。
シーエ
「何でって言われても、それが好きだからとしか言いようがないが……。目の前の人をただ助けたい。幼少期からそうだったしな。しいて言うならこれも群れを形成するための本能なのかもな」
エムジ
「なるほどな。ヒトって種は群れで生きる動物だ。互いを助け合う方が生存には有利。その形質が色濃く出てるってワケか」
エムジも生物学が好きである。シーエの説明で軽く納得できた。
シーエ
「そうそう。そんでもって動物を動かすのは欲求、感情じゃん? 人助けをせねばって本能が告げてくる訳じゃなくて、人助けをしたいって欲望が湧いてくるから勝手に体が動く的な。相手の事を思ってもいないのに助ける、この醜悪な行動も動物としての行動の一環だ」
エムジ
「そうだな。お前の利己主義と利他的行動っていう一見矛盾した生態も、生物学なら説明つく」
シーエ
「いやーやっぱ生物学って良いよね。こんなに生物の話ですとんと納得してくれる相手、エムジしかいないよ」
エムジ
「嬉しくねーな」
シーエ
「なんでだよ!? そこは喜べよ!!」
エムジ
「ちなみに助けた相手から恨まれたり、余計なお世話と言われた場合はお前はどう思う?」
シーエ
「なんとも思わんな。だって相手の事を思って行動してないもん。ウチは助けたいという欲求に従って動いてるだけだから、助けた時点で感情的な報酬はもらってる。その後の相手の反応は副産物だ」
エムジ
「いやーお前の言う通り、本当に醜悪だな」
シーエ
「だろ? 良いよなー醜悪な生態」
エムジ
「いやキモイ」
シーエ
「キモイのが良いんじゃないか! あ、もちろん序盤の方にも言ったが、ウチが助けた事によって相手が幸せになるならその方がより良いぞ? win-winだしな。でもそうならなくてもウチ的には問題ないんだよ」
エムジ
「まぁそれはそうだな。ただキモイのが良いって主張には同意出来んが」
シーエ
「お前は出会った初日からずっとそうだよな。主張が一貫してるって点ではとても好ましいが、生物がキモイと思いながらもその生態を勉強するってのはどういう心持ちよ? ウチみたいにMってワケじゃないなら、自分と言う生き物がキモイと突き付けられ続けるのはつらいんじゃないか?」
エムジ
「まー正直その通りだな。決して気持ち良いもんじゃねーよ」
エムジは生物学が好きだ。ただその好きはシーエの様に純粋な好奇心や気持ち悪さを味わうというM的な思想から来るものでは無い。
シーエ
「だろ? なのに何でさらに掘り進める? 今日もウチとの会話で"自分は親切ではない"って気づきも得たわけだろ? その割には別に凹んでる様にも見えないし、むしろウチへの質問がどんどん増えてる印象だ」
エムジ
「気持ち悪くて醜悪だったしとても、俺がその生物と言うものの一環だとより突き付けられたとしても、何も知らないよりかは知って納得する方が良いんだ。知らないことは"不安"であり、知ってることは"安心"だ。知れば知る程、視界にかかったモヤが張れるんだよ。晴れた先に見えるのがより気持ち悪い事実だったとしても、見えないよりは良い」
生きやすくするための生物学。自分と言う存在が何なのか理解するための生物学。そういう意味で、エムジは生物学が好きだった。
シーエ
「それだけ聞くと難儀な生き方をしてる様に見えるなー」
エムジ
「お前の頑なに『優しくない』って主張する頑固さも大概だけどな。優しいって言っておいた方が生きやすいだろうに」
シーエ
「確かに。ウチは自分の事を結構合理的と考えてるけど、ここに関しては合理性に欠けるな。なんだろ、互いに最適な生き方をまだ見つけられてないって事かね? 仲間だね!」
エムジ
「勝手に一緒にするな」
シーエ
「えー?」
* * *
帰宅した後、睡眠前にシーエは本日の会話を思い出す。
シーエ
(エムジとの会話は、いつも盛り上がって楽しいなー)
アルビとの会話も楽しいが、エムジとの会話は違う良さがある。何よりも生物の話ですぐに合意できることがたまらなく嬉しい。
自然と顔がにやける。良い友人に出会えたものだ。
シーエ
(でもちょいちょい拒絶されるんだよなー。あれはいじりなのか本心なのか、ちょっと凹むなー……凹む??)
さっきまでのにやけ顔から一変、シーエは眉間にシワを寄せる。なんでウチは凹むんだ? 人に拒絶されることには慣れてるし、それで心が動いたことなど今まで無かった。
それにエムジの拒絶は今までシーエが味わってきたそれとは違う。会話の流れで行われるいじりの一種だろう。いや本気でキモイと思ってるからこその拒絶だろうが、全力の拒否ではない。拒否ならばそもそもシーエと長々と話はしない。
つまりエムジはウチを好意的に見てるのは事実のはず。あれ、それは何か嬉しいぞ?
シーエ
(友人に好かれて嬉しい、そんなのは当たり前なんだがな。何か違うな)
人間の人格は移ろいゆくもの。環境やホルモンバランスで考えや感じ方が変わることなどザラだ。シーエ自身も思春期以前の自分と今の自分は別人レベルで思考が違うと認識している。しかしそれでも地続きの"シーエ"という人格なのだ。
シーエ
(この心境の変化も、ウチの生き物としての成長が何か影響してるかもしれんね)
シーエはまだまだ育ちざかり。ホルモンバランスも変わる事だろう。
シーエ
(もしかしたらこれが恋ってやつなのかね? だとしたら地味すぎるが。もう少し、自分を観察していくか)
新しい観察対象が出来て、シーエは満足そうに眠るのだった。次の日とてつもない筋肉痛にさいなまれるとは知らずに。




