50・ウィンストン・チャーチルの暗躍
1945(昭和20)年2月、オタワ
「大変!マンションが燃えてるわ!」
とある住宅街で誰かが叫び、出火元を含む何軒かの部屋を焼いてようやく消火された。
焼け跡からは家族と思しき遺体が見つかり、損傷の激しさから身元確認までは至らなかったが、住人であるイーゴリ・グゼンコ一家であろうとされた。
身元確認の翌日には遺体はソ連大使館へと引き渡された。
「この焼けた炭がヤツで間違いないのかね?」
偉そうなひとりが遺体を見下ろしながら確認をとる。
「はい。偽装の可能性を疑いましたが、調査によってほぼ本人と確認されました」
「ほう。召喚猶予をしてやったのに機密を持ち出して、さらにはコレか?」
男はそう続けた。
「機密文書も発見されました。逃亡先と目される雑誌社に渡っていない事も確認しております」
「わかった。本部にはこちらでしっかり処理した旨の報告を頼む」
男はそれ以上の興味を遺体に向けず立ち去って行った。
その頃郊外のとある屋敷では、死んだはずのグゼンコがオドオドしていた。
「おいおい、機密を持ち出す様な大胆な奴がそれはないだろう?」
映画俳優をやっていそうなプレイボーイがそう声を掛ける。
「ジェームズ、本当に間違い無いんだな?」
グゼンコはオドオドしながら返事をした。
「間違いない。というか、ネズミの数は把握しているし、ヤバいヤツは既に処理している。残りは俺の仲間だな。監視は付いてるが」
その言葉にも不安がぬぐえないグゼンコであったが、プレイボーイはさらに続ける。
「イギリスに居る仲間に至っちゃ、ソッチの振りをしたまんまらしい。アメリカにいるヤツらには気取られてはいないよ。ここはカナダだからね」
まるで女性を口説く様な口調で云うが、妻子持ちのグゼンコには響かなかった。
「まさか、MI6の話だろうか?」
「ああ、記者だな。俺と同じ」
それを聞いたグゼンコは確信し、ようやく安堵する。
グゼンコも機密情報に触れて知った話だが、目の前のプレイボーイはいとも簡単に答え合わせをしてきた。
「この機密の写しは受け取るよ。そして、君たち家族は既にこの世に居ない。亡命は失敗したのさ」
プレイボーイはそう悪い笑顔を作り、懐に手を入れる。
「まさか、騙したな!」
グゼンコがそう叫ぶ。
その時、舞台のスターが務まる様な煌びやかな印象を纏う女性が部屋へ入って来た。
「ごめんなさい、このクズ。こんなイタズラが大好きなのよ」
スター然とした女性は綺麗な声でそう語ると、グゼンコには見えない速度でプレイボーイに手刀を見舞う。
「おっと。さすがに遊びすぎたかな」
軽やかに避けたプレイボーイは懐から手を出し、1枚の書類をグゼンコへと手渡した。
「新しい資格書類だ。君ら家族は今日からポーランド系移民となる。ま、仲間だな」
グゼンコはその書類に目を通し、ようやく一息つくのだった。
「今ごろマンションは大騒ぎさ。補償はソ連大使館からたんまり貰えるんじゃないか?」
そして、プレイボーイは部屋を出て某所へと向かった。
「ボンドです。閣下」
そう名乗って部屋の主に確認をとる。
「入り給え」
部屋には葉巻を咥えたビヤ樽こと、チャーチルが居た。
「作戦は成功したようだな。ライリー」
チャーチルはプレイボーイを見てそう尋ねる。
「閣下、今の名前はライリーではないですよ」
プレイボーイはやれやれと肩を竦めて言う。
「私にはライリーの方が呼びやすい。良いじゃないか。これであのごうつくばりの選挙を妨害した『犯人』も捜しやすくなるな」
「はい。アメリカの友人も喜ぶ事でしょう」
ふたりは悪い笑顔でしばし歓談を続けるのであった。
1945(昭和20)年4月13日、ホワイトハウス
「前任者のお悔みに来たんだが、何か引き継ぎはあったかな?」
頭を抱えるハリー・S・トルーマンを訪ねたチャーチルは尤もらしくそう尋ねた。
「ああ、いつも貴方の事を詐欺師だの古狸だのと愚痴っていたけれど、今の私にはその気持ちがよく分かるよ」
トルーマンは顔を上げてそう答えた。
「アカの侵蝕が酷いらしいね。アトリーも頭を抱えているらしいよ」
チャーチルは平然とそう言ってのけるが、トルーマンには隠居者の他人事に聴こえず、今の事態を作り出したのが目の前に居る事を悟る。
「私は何をすれば良い?」
彼はただの一言で折れていた。
大統領となって様々な機密に触れたが、その中でとても衝撃を受けたのが、昨年選挙における妨害にソ連が主体的に関与していた事実であった。
まだルーズベルトが判断していない問題であったため、知るものは少ない。
だが、目の前に居る人物はそれをさも当然の様に語り、自分より詳しいことくらい容易に理解出来た。
もちろん、レンドリースの仕組みを知る以上、眼前の怪物をどうにかしないと色々マズイ。
だが、弱気なトルーマンは初手で機先を制され、折れてしまったのである。
「いや。君は大統領なんだから、すべては君が決める事だよ。ただ、自由欧州同盟の一員としては、太平洋にうつつを抜かすのは感心しないね」
チャーチルは他人事然とした口調でそう言う。
「しかし、チャイナ権益を貴方に奪われたとルーズベルトは言っていたが?」
「それは誤解だよ。アメリカが日本と戦争中だから、大英帝国が一時的に預かっているにすぎない。戦争さえ終われば返す事になっているさ。君もチャイナに興味があったのかね?」
ルーズベルトはチャーチルが説明した日英支那合意をまるで信じていなかった。
「いや、私はチャイナの事に興味はない。しかし、合衆国の権益を預かっている身ではある。本当に返すと言えるのかい?」
ルーズベルトの不信感が強くトルーマンにも引き継がれていた。
「もちろん。日本は満州に引っ込んでいるし、蒋介石を支援することにも同意している。ただ一つ、満州国の承認は条件らしいがね」
それを聞いてトルーマンは悩みだす。
「そう急ぐ話ではないよ。君にも立場があるのだしね」
チャーチルはそう言い残して部屋を出ていく。
「さて、国王陛下のためにも、アメリカにはもう少し踊って貰わないとね」
大統領執務室のドアを閉めながら、チャーチルはそうつぶやいた。




