49・フランクリン・D・ルーズベルトの後悔
1945(昭和20)年1月20日、ワシントンDC
「いやぁ、おめでとう」
チャーチルは就任式を終えたルーズベルトに祝いの言葉を述べていた。
「何の用だ?」
ルーズベルトは不機嫌にチャーチルを睨む。
「何の用とは、厳しいね。お祝いだよ。自由欧州同盟揃ってのね」
確かにそこには自由フランス代表、シャルル・ド・ゴールをはじめとする面々が居た。
「それに、本国から空母を4隻、あとで更に2隻、『返済』されるんだったね。実に喜ばしいじゃないか」
この頃のアメリカは、フランスやアフリカへの上陸、輸送艦船の建造を優先し、モンタナ級戦艦以外の大型艦を後回しにするほどの忙しさだった。
そのため、護衛空母ならいざ知らず、軽空母すら軒並み延期となり、立て続けに空母を失った海軍立て直しのため、レンドリースの現物返済の形でインプラカブル級空母2隻、コロッサス級空母4隻を受け取る事になった。
本来であれば差し押さえたはずの各種権益との引き換えであり、ルーズベルトにすれば大きな痛手と言う他ない。
さらに、フランスや北アフリカ解放のためにさらに空母を引き渡すという約束もあり、逆レンドリースの形でアメリカがイギリスに課した貸付の大部分が現物返済される形になっている。
「お前には関係ないではないか」
苦虫を噛み潰したようにルーズベルトがそう言うが、チャーチルは変わらずニコニコしたままであった。
「太平洋については何も言わないよ。何かやるのは本国であって私ではないしね」
そう付け加える事も忘れてはいなかった。
1945(昭和20)年4月10日、サモア沖
「とうとうここまで来たか」
角田は隼鷹艦橋でそう口にした。
二航艦、そして、三航艦によって行われるFS作戦が始まろうとしていたのである。
この作戦ははるか以前から連合艦隊司令部で練られていたが、今回はその目的や意義が当初とはかけ離れてしまっている。
当初は米豪遮断を目的として行われる事を想定していたが、今やオーストラリア掩護が目的となり、ソロモン諸島からのアメリカ軍排除を狙っていた。
そのため、停戦成立後にオーストラリアからフィジー、サモアに関する資料を受け取っての作戦と言う、ほんの数か月前には考えられなかったものへと様変わりしていた。
日本軍は停戦合意に従い、すでにニューギニア島から撤退を始め、ニューブリテン島からも順次オーストラリア側へ施設を引き渡す形で引き揚げ準備の最中である。
しかし、その間にもアメリカ軍との戦闘が収まる事はない。
オーストラリアからの撤退もすんなりとはいかず、ニューカレドニアへと1月に後退したものの、そこから動く気配が無い事から、2月にはイギリス軍が進出して交戦も辞さない構えで何とか撤退させた。
しかし、アメリカ側は就役間もないモンタナをサモアへと進出させ、イギリスと対峙するという異常事態を引き起こしていた。
「アメリカと言う国は何をしたいのか分からん」
角田はそう愚痴るが、当のマッカーサーからすればフィリピン奪還は当然の使命であり、大陸利権をイギリスに奪われたと思っているルーズベルトもその後押しをしている。
「軽空母からなる艦隊を発見しました!」
サモア攻撃を前に行われていた索敵によって、予想通りに空母部隊が前進配備されているのを発見した角田は、すぐさま攻撃を命じた。
「よし、ケ魂の力を見せてやれ!」
すでに配備されているインプカラブル級2隻は大西洋に在ってフランス解放のために作戦中である。コロッサス級も慣熟中ではあるが、太平洋に配備する予定はない。
エセックス級空母はモンタナ級建造のために延期となっており、後期建造艦の起工は2年遅れとなり、今年後半にようやく就役を始める予定となっているため、アメリカ独自の大型空母は今や無いも同然だった。
そのモンタナ級は1番艦が宣言通りに昨年末に完成し、慣熟もそこそこにサモアへと進出、2番艦オハイオももうすぐ就役する。アメリカはさらに信濃の進水報道を受けて6番艦までを起工しており、なおの事、大型空母建造に影響を与える事になっていた。
二航艦の送り出した攻撃隊は鎧袖一触、アメリカ艦隊を撃破する。
ハルゼー、フレッチャー、スプルーアンスという名だたる名将を欠いた士気の低さも影響していた。ニミッツ自身、いつ更迭されてもおかしくないのだから、海軍の士気が旺盛な訳もない。加えて、乗組員の質も下がっていて操艦技量の低さ、パイロットの技量不足、管制能力の低さと、全くいい所が無かった。
1945(昭和20)年4月12日、ウォームスプリングス
ルーズベルトは昨夜受けたサモアからの悲報に憔悴しきっていた。
「どうしてだ?私はどこで何を間違ったというのだ?」
ソロモンからの撤退を拒否するマッカーサーを支持し、サモアへと艦隊を送るように命じていた彼であったが、日本軍の来襲によって空母部隊は壊滅、頼みの綱であったモンタナも訓練不足から大破してしまった。
さらに大統領選挙においてルーズベルト批判となるような報道を展開した裏にアメリカ共産党が居り、そこから芋蔓式に政権や官庁、国家機密プロジェクトに至るまでソ連の手が伸びていた事実を知ったのも、つい昨日の事だった。
「これでは私は、ソ連の思うが儘に踊っていただけではないか・・・」
静養中であるにもかかわらず、あまりに重大過ぎる報告を受けた事で疲労は極限に達していた。
「あ、が・・・」
そんな時、酷い頭痛に襲われ椅子から崩れ落ちてしまったのである。
「大統領!」
周りに居たスタッフが駆け寄るが、もはや手の施しようがなく、寝室に運ばれた後、診断の結果死亡が確認された。




