45・山本五十六の会心
1944(昭和19)年10月24日、ミッドウェー島沖
ミッドウェー島から離れた位置を遊弋する大型空母2隻、小型空母4隻が居た。
臨時編成の第三航空艦隊を率いるのは小沢治三郎だった。
「アメリカ艦隊がミッドウェー島に来襲する様です」
「そうか。手はず通りだ」
小沢はそう言って瑞鳳型3隻からミッドウェー島へと戦闘機隊を派遣した。
電探搭載機はスプルーアンスの艦隊を探ると共に、攻撃隊の探知も任務としており、攻撃隊を探知した事で艦隊の方位はこれで判明した。後は正確な位置である。
「彩雲を出しますか?」
「ああ」
こうして信濃に用意されていた彩雲を発進させる。
大型装甲空母信濃は、当初は大和型3番艦として計画されていたが、怪文書によってその運命が変わった。
怪文書の世界において、今後は戦艦が衰退する未来が露わとなっていたからだ。
戦艦は既に実用上の限界まで巨大化しており、費用対効果に見合わなくなりつつあった。
明らかに空母の戦力投射能力には逆立ちしても敵わないのだから、象徴的抑止力として最低限維持すれば良いとされた。
そこで歓喜したのが航空主兵論であったが、彼らにも問題が突き付けられた。
漸減戦略における航空機とは、大型雷撃機による魚雷攻撃の事だったが、5年もすれば電探の進歩によって正確な射撃が可能になり、40ミリ級機関砲に組み合わされればもはや防ぐのは難しくなる。
戦車砲にも使われるクラスの砲弾から飛行機を守り切るなど、荒唐無稽でしかなかった。
こうして生まれたのがケ号誘導装置であり、各種ケ弾である。
航空主兵論は誘導装置開発へと転換した。
ならば戦艦はどうすれば良いのか?
それは簡単な話だった。
ケ号誘導装置を備える爆弾を積む艦爆を多数載せる空母。それも急降下爆撃や雷撃でも破壊されない装甲空母にすれば良い。
まず開発されたのは、既存の設計を用いた大鳳型であり、こちらはイギリスが開発したイラストリアス級に近い空母となった。
開戦によって隼鷹型をベースとした量産性の高い雲龍型が優先されてはいるが、将来型空母は装甲空母であるという考えは変わらなかった。
そして、海軍は怪文書からより未来の空母に目を付ける。
それは300m級空母だが、今の日本では建造も難しく、まずは大和型戦艦の船体を流用した280mほどの飛行甲板を有する装甲空母とする事に決まった。
怪文書にあったツインブリッジは理解出来なかったので採用されなかった。
さらに他の資料から斜め甲板なる意味不明な技術にも触れたが、必要性を感じず、カタパルトを3〜4基搭載出来る広大な甲板と舷側に並ぶエレベーターは採用する事にしたのである。
これまで速力を求めて細身の船体を採用してきたが、甲板面積を倍増させるには船体幅も必要となるため、大和型戦艦の船体流用は理に適う物と言えた。
こうして1940(昭和15)年5月に、名目上は大和型戦艦3番艦として起工されたのである。
その後は進水式や命名なども大々的に発表されたが、それはアメリカを欺くための偽装であった。
日本においてもカバーストーリーとして起工後の戦局や趨勢から改造されたと云う話にされたが、実は最初から空母として計画され、建造されていた。
就役が遅れたのは新機軸てんこ盛りによる初期不良が原因だった。
こうして信濃は、基準排水量5万6千トン、全長282m、甲板幅68mという史上最大の空母として誕生したのだった。
格納庫は重装甲化した飛行甲板の重量やエレベーター配置を考慮して一層となったが、大和型の巨大な船体を活かして70機を搭載出来た。さらに広大な飛行甲板には20機ほどを露天係止する余裕もうまれた。
この巨大飛行場と比べてしまうと、僚艦である大型装甲空母大鳳が中型空母に見えてしまうから困る。
「敵、発見しました。大型空母1、軽空母5!」
「かなり多いな」
小沢はアメリカ艦隊の勢力に驚いたが、それはインディペンデンス級が小さいからカサブランカ級と似たように見えたためである。
「よし、攻撃隊出せ」
こうして、信濃、大鳳、千歳から発艦した攻撃隊はスプルーアンスの艦隊へと殺到した。
小沢の艦隊に搭載されている機体は戦闘機は瑞鳳型にゼロ戦五三型、信濃、大鳳に海風である。
瑞鳳型は艦が小さいため、サイズの大きな海風は20機を切るためゼロ戦を充て、信濃の搭載力を攻撃機に振り向ける事で戦闘機ばかりを搭載している。
スプルーアンスは最悪のタイミングで来襲した日本軍に舌打ちする。
「何で今なんだ!」
レーダー偵察機や彩雲を追い払おうと複数の直掩機が燃料を減らし、100機以上の敵戦闘機にポロポロにされた攻撃隊が帰還しているまさにその時。
ただでさえ手一杯なのに、そこに迎撃を命じてさらに管制はてんてこ舞いになってしまう。
話に聞いた通りに雷撃機はおらず、すべてが急降下爆撃や水平爆撃を行う姿はいささか奇異に映ったが、ソレが命中した事で混乱が限界を超えた。
「ウェーク、マニラ・シティ、レイテ被弾!」
立て続けに命中したそれは甲板を貫き艦内で爆発した。
しかし、それに留まらない爆発や火災が各艦を襲った。
「どうなっているんだ?」
スプルーアンスはわけが分からなかったが、噴式ではない五〇番ケ弾には陸軍の開発した対艦タ弾が採用され、爆発地点よりさらに先へと威力を解放していたからだ。
「敵機直上!」
緩くダイブする様な姿勢で爆弾が投下され、後部を傘の様に開いた爆弾はスルスルとヨークタウンへと寄ってきた。
そして、後部エレベーター付近を貫通して格納庫で爆発。
爆風を伏せて凌いだスプルーアンスはめくれた飛行甲板を見て舌打ちしたが、凶報はそれから遅れてやって来た。
「機械室被弾!」
それを聞いて何を言われたのか分からなかった。
「何を言っているんだ?防御装甲で爆発したんじゃないのか?」
「はい。爆発は格納庫で起きましたが、機械室へも貫通し、スチームパイプを破りました」
「何だと?!」
たった一発。それも堅牢な水平装甲で受け止めたはずの爆発であったが、左舷タービンへ繋がるパイプをダメにした。それは冗談の様な損傷であり、軽空母や護衛空母であればどうなるかは、考えるまでもない。
「ジャップの爆弾は化け物か!?」
こうして小沢艦隊は2隻の護衛空母、さらにウェークを沈め、ヨークタウンを大破させたのであった。
スプルーアンスの悲劇はそれでは止まらず、速力の落ちたヨークタウンは夜半に潜水艦の襲撃を受けて大浸水を起こす。
エセックス級のタフさとハワイが近かった事で沈みはしなかったが、短期間での戦列復帰は絶望的となった。
1944(昭和19)年10月26日、横須賀
「・・・以上になります」
山本はミッドウェー撤退作戦の成果を聞いて会心の笑みを浮かべる。
「アメリカには『窮鼠猫を噛む』という諺がないのか?いや、あまりに負けが込んで正常な判断力が保てないのかも知れないな」
そう言ってソロモン海海空戦、ミッドウェー撤退戦について世界へと発表する様に指示を出した。




