22・大英帝国の困惑
1943(昭和18)年4月30日、ワシントンDC
「これはどういう事だね?」
呼び出されたチャーチルは指差す写真に目を落とした。
そこには光り輝く丸メガネを中心に歓談する人々が写っていた。
「ふむ。丸メガネを掛けているという事は、蒋介石ではない。トージョーか」
「そんな事はどうでも良い。呼ばれていたが行かなかったらしいがな。で?」
ルーズベルトはコツコツとアングロサクソン顔を指す。
「停戦後に派遣された大使の様だね。それが?」
「とぼけるな!インド、シンガポールはともかく、チャイナについても話し合いが持たれたそうだな?」
「そうらしいね。しかし、君。私は北アメリカで楽隠居っと、自由欧州同盟の末席に座る亡命政府首班に過ぎなくてね。何か聴きたいならアトリーに聞いたらどうなんだね?」
チャーチルはわざとらしくそうのたまうが、ルーズベルトは眉をピクリと動かすだけで挑発には乗らなかった。
「フン!インド、マレーの今後について、香港や租界の返還や売却問題?アレか、アメリカ抜きでチャイナ権益を山分けする算段かね?これは」
鋭い視線で問うルーズベルトに、あからさまなジェスチャーで肩を竦めるチャーチル。
「やれやれ、それこそ君が戦争に勝てば、全てひっくり返せるのではないかね。変な邪推をされても困るよ。今の大英帝国は立場が弱いのだから、外交交渉もそれに合わせるのは当然だと、外野の私は思うのだがね」
白々しくそう語り、サッサと去ろうとする。
「それだけではない。例の件、君が表に出なくて良いのかね?」
ルーズベルトは話題を変えて引き留める。
「アレなら私の出番はないだろう。オーストラリアやニュージーランドの精鋭は中東で軟禁中。私には使える手駒が無いのに、恥ずかしくてしゃしゃり出る顔すら無いよ」
チャーチルはおどけたようにそう体全体で表現した。
「冗談ではなく星条旗がはためくぞ」
「それを気にするのはヒトラーであって私ではないよ。アトリーへの説明も君が適任だろうね」
「後悔、するぞ」
「さあ?亡命先に身を寄せる私には今以上の後悔は無いが。さて、もう話が無いならお暇させてもらうよ」
チャーチルは手をヒラヒラ、大統領執務室を出ていくのだった。
「悪魔とでも手を組む。以前にそう考えたが、まさか中身がこんな事になっていたとはね。アトリーにもいい宿題になるだろうし、君の味方なんかもはや無理と分かったよ」
閉まったドアを睨む様にチャーチルは小声でそう呟いた。
その頃、イギリス首相クレメンス・アトリーは頭を抱えていた。
発端は日本側から渡されたメモであり、大して重要視していなかったが、調査の結果は目を疑うものだった。
まさかイギリス諜報部の中枢からソ連へと情報が流れていたなどあってはならない話だったし、イギリスの継戦がソ連の為に利用されるなど、さすがに容認出来る話ではなかった。
「まさか、こんな情報を手にしてしまうとは・・・」
さらにチャーチルはアメリカ中枢にも同じ可能性があると仄めかしてカナダへと渡っているため、彼は下手にアメリカと再度手を組む気にもなれないでいた。
日本からすればイギリスが敵に回らない為の工作に過ぎなかったが、中身の重大さからその効果は予想を遥かに超えていた。
アトリー政権は国内の引き締めに奔走するとともに、対ソ警戒態勢を敷く意思を固め、日独と部分協力すらはじめるのだから。
そんな彼にルーズベルトから持ち掛けられた話は、不信感を増すに十分と言えた。
「ソ連の為に第二戦線を作り出す?誰が、誰の願いを聞いて?」
今のアトリーには、それがスターリンの囁きをルーズベルトに投げかける「誰か」がホワイトハウスに居るからとしか思えなかった。
日本はご丁寧に地中海作戦の折に空母をイタリア海軍に見学を許しただけでなく、ゼロ戦まで提供して長距離戦闘機の必要性を説いた話もイギリスに聞かせている。
「間違いなく来年までにゼロ戦をモデルにした戦闘機がヨーロッパに現れる。そうなればロンドンは持たないだろう。たしかに、それではイギリスに爆撃機基地を置く意味はない。ブリテン島は新大陸の防壁ではないのだ!やりたければ勝手にやれば良い」
チャーチルならずとも、ジブラルタルやスエズ運河をアメリカに渡してまで、その風下に立つほど落ちぶれる気はなかった。
そして、招待された大東亜会議において、インドの独立を支持する事を約束した。
さらにチャイナの自立も認めたが、日本は露骨なまでにその分断統治を試みてきた事には驚いていた。
日本は満州国の承認を求め、南京政府を認めるよう迫ったが、イギリスが蒋介石を支援する事も認めた。
イギリスがインドやその他でやったほど狡猾ではなく、あまりに稚拙ではあるが、アトリーに乗らない手はなかった。
「日本はインドを我が物とする気はないらしい。ヴィシー暫定代表まで呼んでインドシナ独立を認めさせながら、フランスの権益そのものは認めた。下手ながらに外交が出来る国になったという事だろうか?」
日本の提案はイギリスならずとも、アメリカと共に歩まずともアジア権益が最低限保証される。独立支援を宗主国が行うと言えば、外面はたしかに良いだろう。
フィリピンについてもアメリカの約した独立を認め、マッカーサーが残した政権をそのままにしている事には驚きしかなかったが。やはり、一度はイギリスに師事した国なのだと、アトリーは感心していた。
「後は、オランダがインドシナ権益について日本と話を合わせれば、アメリカ以外はアジアの戦争から抜ける事になるな。流刑地は後にひけんだろうから仕方ない」
こうして、イギリスは国内問題に力点を置き、アメリカとの関わりをほぼ絶った。
オランダもいずれはチャーチルの誘いに乗り、日本と妥協する未来すら見えていたのである。




