23・総力戦研究所 2
1942(昭和17)年12月初旬、東京
「それでは東亜の団結が実現できん!!」
一人の男がそう怒鳴ったが、周りは白けた顔で彼を見るばかりだった。
「東亜の団結だと?コレを読んでまだそんな寝言を言うのかね?」
1人が書類の束を示してそう言った。
「そんな作り話、信じる方がどうかしている!」
さらにそう叫んでいるが、誰も聞く耳を持ってはいない。
「ここにある通り、ゾルゲを首班とするソ連のスパイ網を摘発できた。違うかね?」
具体的な事例を出してそう問い質す。
「それとこれとは話が違う。イギリスが我らに降るというなら、今こそ東亜団結の時である!」
未だそう吠える男を置き去りに話は進む。
「南京政府への管轄移譲は滞りなく進んでおりますが、予想通り平穏無事とはいっていない様子です」
インド洋制圧が成って以降、陸軍は大本営計画にしたがって支那戦線の縮小を行っていた。
もはや援蔣ルート遮断など必要が無くなり支那派遣軍が過剰となっていたからである。
そして、南雲艦隊によるH部隊壊滅から程なく、イギリスが停戦に向けた接触を行ってくるようになっていた。
その事態に集められたメンバーが怪文書の記述を元に善後策の検討にあたっていたのだが、やはり考えを改められない者が現れたのだった。
「支那はココにある通り、わが軍が引けば再び内紛を始めている。これが続けばそう遠くないうちに共産党が上手い事やって丸め込むのは今の状況を見ていれば容易に想像がつく話だ。これから50年か100年か分からないが、ソ連が行き詰っても支那においては共産党がヌエのように蔓延る事になるという」
「だから、それこそ世迷言である!我らが支那を受け入れる事で全てが解決するのだ!」
「清にかぎらず多くの王朝がそうやって支那に取り込まれて行った。最大版図は図らずも女真族が築いた清であるのに、あろうことか漢民族を称する支那共産党は、それが漢の版図だと嘯くようになるそうではないか。人口ではどだい支那には勝てない。確かに何十年も先であればこの文書のようになっても不思議は無かろう」
やれやれと1人が具体的に指摘するが、その男は受け入れる気が全くないらしい。
「それに、汪兆銘と蒋介石、双方を認めて双方を支援すればどうなるか」
「それこそ帝国に資する偉業であろう!」
そう吠える一人を除き
「抗日転換が目に見えるようだ」
と口にする。
「満州を支那にくれてやるなどあり得ん。南京と重慶を双方認める事は、コレを鑑みれば我が国の未来に必要な事であろうな」
大方の意見はそう収束していった。
「停戦にあたっては、イギリスの在支権益ならびに香港は返還とするのが良いだろう」
「インド、マレー、昭南はどうする?」
「昭南は我が国が得るとしても、インド、マレーはイギリスが支援するのが望ましい」
怪文書の記述をめくりながらそう意見が出る。
「インドは三つに割れるのか。ヒンズーとモスレムの国か。しかもボースやネルーとガンジーも一枚岩ではなく闘争が起きる。か」
怪文書には日本が破れた後のインドについても記述があり、三国に分裂する旨がかかれていた。
「独立は宗主国が支援する。仏印はフランスが、蘭印はオランダが。という建前でよろしいか?」
いまも仏印には一応、ヴィシー派フランス総督が在しているのでその交渉はやり易いが、蘭印にはその窓口すら存在しない。
「蘭印については、コレを用いてイギリスに動いてもらえまいか」
書類のページをめくり、とある文書を示しながら1人が言う。
「ケンブリッジ・ファイブ?あの国の諜報部にソ連のスパイが居るのか!」
特に興味もなく読み飛ばしていたらしい1人が驚きの声を上げた。
「それも、スペイン動乱時に亡命した人物がすでに告発しているにもかかわらず、かのイギリスは全く当人だと気が付いていないという話らしいがね」
「つまり、調べればホコリが出ると」
「きっとそうだろう。夫人がそもそもアカと言う事らしく、共産党との付き合いもある人物らしい」
こうして日本から送り出す停戦交渉団には特務機関員を紛れ込ませ、それとなくイギリス側へとその情報をタレこむ。そこにはアメリカ政権内部の情報も付随してやれば、あちらは内政の混乱と対米不信によってしばらく戦争に関与してくることは無くなるという結論に至る事となった。
その上で翌春に開催が決まった大東亜会議に関する話を進め、そこにイギリスも呼ぶこととなった。
「大東亜会議は4月だ。遅くともそれまでには停戦も成立しているだろうし、例の話がイギリス側で調査されることになる。『宗主国による独立支援』という建前だけでなく、十分な材料になる物だと期待できると思うのだが」
こうして始められた対英停戦交渉の場において手渡されたメモはチャーチルの元まで届けられ、簡単な調査の結果、疑いが濃厚であるとして大問題となり、年を越さずに早々と停戦合意がなされる異例の事態となった。
ヒトラーやムッソリーニは何が何だかよく分からないままに、新たにイギリス首相となったアトリーと握手する事になったが、過程はどうあれ結果は良かったので深く考える事は無かった。
1943(昭和18)年6月、オタワ
チャーチルはMI6に所属する部下をソ連大使館に張付かせ、新たに着任したイーゴリ・グゼンコと接触させることにした。
「さて、これをどう料理していこうか」
チャーチルは小さなメモを見ながら葉巻を咥え、そう呟くのだった。




