19・ドゥーチェの溜息
1942(昭和17)年11月16日、ナポリ
統領ムッソリーニははるか東方から戦略物資を運んで来た南雲艦隊旗艦、赤城をナポリへと招待し、自ら視察に訪れていた。
ナポリのピザを堪能する水兵の姿に満足した彼は、赤城へと海軍将校や技官を引き連れて視察に訪れる。
そこで源田から説明を受けていた。
「航続距離はおおむね1500キロほどになり、行動半径500キロほどはおおむね確保でき・・・・・・」
話を聞いていると、自分たちとは飛行機運用の考え方が違う事に驚くムッソリーニであった。
誰かの質問に対し源田は得意気に言う。
「欧州は数百キロしか飛べない機体が多いらしいが、我らは島と島の間が数百キロ、時には1000キロ以上離れた海域で単発機を飛ばす。程度の差こそあれ、アメリカも似たようなものだ。貴国の戦闘機がたどり着けないような沖合からでも、アメリカ軍は攻撃を仕掛けて来るだろう」
どこか得意気で、ムッソリーニからすれば癪に障る部分も見受けられたが、その発言内容が丸々ウソとも思えなかった。
現に日本はその太平洋でアメリカを相手に戦っており、同じ様な環境であれば、やはりアメリカも似たような性能の艦載機を揃えている事は想像に難くなかったからだ。
今回、南雲艦隊が撃沈したH部隊らしき艦隊にはアメリカ空母が含まれていたと言う事だったとイタリア側の面々は思い出していた。
日本側が主張する戦果と地中海での戦果を足せば、もはやイギリス海軍には単独で大規模な艦隊を編成できる主力艦艇はなく、アメリカ軍が混じる事に違和感を感じないなと思うムッソリーニだった。
そして、その混ざる空母がこの少々癪に障る源田の言の通りであれば、イタリアにも目の前に並べて自慢げに説明する戦闘機、雷撃機、急降下爆撃機のような足の長いトリオを揃えなければ、今後は対応できなくなってくるかもしれないと思っていた。
そのことに将校たちも思い至り、源田の誘いに乗るように口を開く。
「その様な足の長い艦載機、参考のために譲ってもらうことは出来ないだろうか?」
その質問に、源田が笑顔で答えるものだから、ムッソリーニは顔には出さないが、静にため息を吐く事になった。
「ええ、それはもちろん。我々も同盟国が窮地に陥る事は望んではいない。是非ともお譲りしたい」
その言葉に将校や技官の一部が喜んでいるのを、ムッソリーニは呆れながら横目に見ているのだった。
さらに甲板では制動索の作動実演などの説明を受ける。
実際に空母を運用する国の装置を見学し、実物を見ながら説明を受ける事は何よりの知識となったのだろう技官たちの顔には、ムッソリーニも満足するのだった。
その後、エチオピアやソマリアといった海外領土への展開を考えた際、日本が提供した機体を参考に、長距離飛行が可能な機体が開発されることになり、空母アクィラの建造も加速する事になった。
1942(昭和17)年12月7日、ニューヨーク
「あれがジャップの戦闘機か?」
「どうもそうらしいな。言うほど小さくもないし、ボロそうにも見えないじゃないか」
ニューヨークでは全く景気の良い話が聞こえてこない戦争の話題で、開戦1年を迎えたこの日に行われたセレモニーは、トーチ作戦の最中、オランへ来襲した南雲艦隊に所属するゼロ戦がほぼ完全な形で海中へと墜落したものを引き上げ、市中引き回しが行われていた。
ほかに何か話題性のある明るい話題などない中で、唯一話題性があったのが、プロペラが曲がった以外、ほぼ外見を保っているこのゼロ戦の鹵獲であった。
これまで太平洋各地で苦戦を強いられる敵機ではあったが、ここまで完全な形での鹵獲は初めてだった。
ニューヨークで市中引き回しとなった後、軍や各メーカー技術者らによって徹底的な調査研究が行われる。
「ふむ、エンジンにはわが社の特徴がみられる。ああ、ナカジマじゃないか。あのパクリメーカー製だというなら納得だ」
「これを見ろ、20ミリだぞ。エリコンFFだな」
「こっちは303ブリテッシュだ。ヴィッカース機関銃だな」
「お、なかなか良い照準器使ってやがる」
「おい、コイツ無線機ないぞ?」
「装甲や防弾ガラスを知らないのか?」
調べていく中で有名どころの機関砲、機関銃を搭載していることが分かったが、それらは特に驚く様な新機軸ではなかった。
そして、二一型ではまだまだ不安定な無線機しか搭載されておらず、受信すら時として不可能な代物であったため、取り外すパイロットも存在していた。幸か不幸かこの機体もそうで、アメリカは日本軍の戦闘機無線周波数などを知るには至らなかった。
もちろんの事、機体の軽量化を第一として防弾ガラスや背面装甲板すら装着されていない。海軍将校やパイロットだけでなく、技術者すら率先して安全装備の廃止を推し進めた機体であったのだから仕方がない。
「むっ、この主桁の強度を見ろ、これじゃあ640キロも出せばへし折れる計算になるぞ!こいつは大発見だ!!」
ゼロ戦二一型の降下制限速度は約630キロであり、ほぼ完全な実物からその制限速度を割り出せたことは大きな収穫として即座に前線へも伝えられることになったが、それが有効に機能したかと言うと、逆効果となってしまった。
すでにゼロ戦の生産は全て三二型へと移行しており、外見こそゼロ戦ではあるが、構造からして別物となっており、その降下制限速度は700キロとされていた。これではもはや事実上制限などほぼ存在していないに等しく、報告を信じて急降下で回避しようとしても着け狙われ、ただただ犠牲を増やす結果を産むだけに終わってしまっていた。
さらに無線や装甲が搭載されていないという報告も同様で、その情報から2機編隊による空戦法、いわゆるサッチウェーブを生み出したが、日本側も無線を駆使してその対策をすぐさま講じ、防弾ガラスや背面装甲板による防御効果もあって、戦果はごく短期間のうちに落ち着くことになってしまった。
完全に型遅れの旧型機を掴まされたことに気付くまでに1年近くかかり、米軍の苦悩はまだこれからも続くのだった。




