12・その頃の地中海方面
1942(昭和17)年6月30日、エル・アラメイン
「ふむ、最近の英軍は歯ごたえが無いな。トブルク辺りまでとはまるで別の軍隊ではないか」
ロンメルは幕僚たちに対してそう零していた。
マサル・マトルーフでの戦いにおいて、機甲師団が遺棄した戦車を複数鹵獲する事に成功し、何がどうなったのか蛮族集団が集団投降してきていた。
「どうやらマダガスカルを日本が確保し、アラビア海で暴れている事で補給が激減しているとの事です。2ヶ月も満足な補給が無いとなれば、士気の低下や燃料、弾薬の枯渇も頷けます」
「本当にそうだと良いのだがな」
ロンメルは素っ気なくそう返し、従来通りの迂回戦術を幕僚や指揮官たちに指示した。
対するオーキンレックは頭を抱えていた。
5月からこちら、スエズ運河経由の補給は完全に途絶し、地中海にも空母や戦艦がほぼ存在しなくなったことで補給は微々たるもの。届くはずであった戦車の補充など望みようもなく、弾薬すら備蓄のみでやりくりしなければいけない。
「ああ、あの砂漠狐はこんな状況で盗賊まがいの動きをやっていたのか。地が盗賊なのではなく、それ以外の策が採れなかったのだな」
自身が困窮してやっと、ロンメルと言う人物を分かったような気がしたのだった。
なけなしの物資を分け与えたニュージーランド師団はマサル・マトルーフで降伏してしまい、指揮の拙さから彼らを見捨てた形の第1機甲師団も部品不足で米国製戦車の落伍が頻発しており、もはや戦える状況にないとゴットが泣きを入れて来ていた。
「そうは言ってもないのだから仕方がない。インドなど、もはや大英帝国が支配する以前に戻ったようだというではないか。砂漠狐が来なかろうと、このままではここもいずれそうなってしまう」
彼にはもはや打つ手がなかった。
翌日から始まったドイツ軍の攻勢は存外に弱いものだった。その事にオーキンレックは安堵するのだが、凶報は別の場所からやって来た。
7月2日、日本軍がアデンを空襲したという一報がもたらされたが、それは司令部のみの留まらず、カイロ市街にまで伝わる事となってしまった。
それほどエジプトにはドイツ軍の侵攻に対する動揺が広がっていた。
さらに、日本軍のマークが赤い丸であるという話が伝わると青と赤の二重円である英軍マークを誤認する混乱が広がる事となった。
司令部にも紅海を北上する艦隊情報やらエジプトを飛ぶ日本軍機といった情報がもたらされ、非常に混乱をきたすことになり、基地を飛び立った空軍機を指して日本軍の来襲などと言う騒動が起きるに至り、オーキンレックは混乱が収拾するまで空軍の飛行を差し止める措置に出た。
「そんなことをしたら防衛線が守れない!せっかく抑えているドイツ空軍が妨害を受けずに飛んでくるようになってしまう!!」
そんな声が多く聞こえてきたが、オーキンレックは一蹴した。
「では、確実にわが軍と日本軍を誤認せず、同士討ちや混乱が起きない措置を取り給え」
そう言われては、黙るしかなかった。すでに誤報や混乱が軍にまで広がり、このまま放置すれば同士討ちがいつ起きてもおかしくないところまで来ていたのだから。
だが、その措置で救われたのは、英軍ではなく苦戦を強いられていたロンメルであった。
迂回戦法をとったはずがイギリス軍陣地のど真ん中へと飛び込んでいたロンメルの軍団だったが、気が付いたらイギリス軍機が飛んで来なくなり、ドイツ空軍機が徐々に支援へと駆けつける様になってくる。
7月5日に一度、イギリス空軍の飛行差し止めが解除されたのだが、ソマリランドへの空襲があったとの報で再度現場が混乱、わずか半日で再度飛行が停止され、勢いに乗ったドイツ軍はそのままアレクサンドリアへと足を踏み入れるのだった。
7月10日、ベルリン
「ロンメルがやったぞ!さあ、モルヒネデブよ続け!!」
マルタ島空挺作戦に反対の姿勢を示すゲーリングに対し、ヒトラーは辛辣な罵りを加え、作戦実施を強要した。
それでも数日は抵抗する姿勢を見せたゲーリングであったが、ヒトラーの考えが変わる事はなく、ロンメルがすでにアレクサンドリア入りを果たしたことを確認すると、渋々ながら作戦実施を決断するのだった。
こうして8月1日に実施されたマルタ島空挺作戦はクレタ島を上回る損害を生じさせたものの、10日には主要な地域の制圧に成功し、補給作戦を意図していたイギリス軍はジブラルタルにおいてその足を止める事となった。
こうして、中東、インド、東アフリカに英連邦軍が孤立する事態が発生した。




