13・そのころの日米
1942(昭和17)年5月20日、連合艦隊司令部
「四航戦のこれ、信用出来るのかね?」
「空母2隻の大炎上を確認だそうですが、爆撃のみで炎上させたに過ぎず、ヨークタウン型に至っては水平爆撃で二五番ケ弾を投下し命中させたとか。もはやホラか幻覚の類としか言いようがありませんな」
四航戦は誇らしげに空母2隻撃沈を報告したが、連合艦隊司令部では誰も信じていなかった。
連合艦隊司令部の認識では、ケ弾の性能は二五番通常爆弾より良くて命中率1割向上、大体5分ほど命中率の補正が効けば良い程度の認識であり、夜間爆撃で7割近い命中率など誇張か幻覚と言った疑いを抱いていた。それも、水平爆撃で4割以上の命中などというホラが混ざっていては、もはや信じるに値しなかった。
実際のところ、試験においてケ弾の赤外線センサーの性能はお世辞にも良くはなかった、筈である。しかし、セイロン島空襲時に四航戦が運用したソレと、珊瑚海で運用したソレでは信頼性が別物と言える程に向上しており、その上でほぼ奇襲によって空母を炎上させている。そうなればロストしようのない熱源が出現するのだから、あとは適切に投下すればだいたい命中か至近弾コースに乗る。
参謀たちは、そう言った幸運が重なった上での異常なほどの命中率である事までは思い至れていなかった。
結果、四航戦の挙げた目覚ましい戦果を必要以上に低く見積もってしまう。
「ほぼ奇襲に等しい攻撃であった事から空母に火災を生じさせたという事だろう。とは言っても夜間の着艦で損失を生じ、飛鷹を損傷させては追撃も偵察もままならん。これでは戦果を信用しろと言われても、眉唾ではないか」
司令部は開戦から多くの夜戦において各部隊が様々な失敗を繰り返している事を重大視していた。魚雷はマトモに敵に到達せず、電探による見張りが時として有効に働かず、挙句の果てには同士討ちである。
そして、今回もやはり電探索敵で発見した艦隊へと攻撃を行い、大型空母2隻撃沈という報告が行われた。
これまでも現場部隊への激励などは行う傍ら、山本の意向もあって実際の戦果分析は非常に辛めな判断が行われていたのである。
「四航戦の戦果は戦果として公式には認める事になろうが。さて、今後の作戦に必要な判断としてはどうする?」
参謀たちはしばし考えた後、結論を出す。
「我々としてはこの2隻は中破相当、米大陸まで修理に戻る事を考えれば、3ヶ月は戦線を離れるという判断で良いでしょう」
「そうなると、夏以降は真珠湾も復旧し、5隻の空母を相手取るのか。一航艦は戻せないのか?」
頭の痛いことにインド洋作戦が上手く行き過ぎ、それを知ったドイツがエジプトを陥落させると主張し、その支援として紅海封鎖を秋ごろまで実施してほしいと要請してきていた。この為南雲が率いる第一航空艦隊の空母6隻をインド洋に張り付けておく必要があった。
「現状の勢いを考えれば難しいかと。隼鷹型2隻が夏には完成予定です。それをもって新たな航空戦隊を編成し、四航戦と共に第二航空艦隊を編成、南方に当てる事で凌ぐしかないでしょう」
怪文書を読んだ海軍軍人たちは、急ぎ隼鷹型空母の正式な建造をはじめ、開戦に間に合わせただけでなく、2隻を追加建造していた。それが夏には完工する目処が立っていたのである。
同じころ、ワシントンDC
「それで?」
ルーズベルトはとんでもなく不機嫌だった。
「はい、閣下。ヨークタウン、レキシントンともに手の施しようがない火災となっており、もはや雷撃処分以外に手は残っていなかったと・・・・・・」
「それは分かった。で?」
「エンタープライズはキールにも損傷が及んでおり、戦列復帰は早くとも冬になる見込みと・・・・・・」
「そうか。ビヤ樽もエジプトやマルタがいつまで持つか分からんと言っている。今の状況でサラトガやホーネットを太平洋に戻す訳にもいかんと言う話だったな」
イギリスは空母4隻を僅かひと月で失い、マルタ島への補給にも事欠く状況となっていた。本来であればイラストリアスがマダガスカルで沈むなど、まかり間違ってもあり得ないはずの事態であったのだから。
「オーストラリアに関しては、現在ジャップが侵攻をはじめたソロモン諸島への増援を出し、地上基地からの反攻によってソロモン諸島を奪回し、ニューギニア北部へ圧力を掛けるというマッカーサーの案を軸に作戦を詰めている所であります」
「ナグモが来るんじゃないのか?」
「それに関しては、紅海封鎖をドイツから要請されており、太平洋への回航は不可能との見通しです。年明けまで待てば北アフリカでの反攻作戦も始まり、エセックス級の就役も始まり、太平洋へ空母を回す余裕が生まれます」
何とか大統領の機嫌を取る作戦部長だったが、当のルーズベルトは納得していない。
その後、エジプト、マルタが陥落した事でルーズベルトの機嫌は底が抜けてしまう事になるのだが、ソロモンにおける状況は、アメリカが危惧した程は悪化しなかった。
1942(昭和17)年6月、呉海軍工廠
「で、いつになったら四航戦は動けるんだ?」
角田は飛鷹の修理だけでなく、隼鷹の改修工事まではじめられてしまい、海へ出られずにいた。
「新型艦爆を運用するにあたって必要なカタパルトの装着工事を実施しておりまして、ひと月ほどは要するかと・・・・・・」
角田には意味がよく分からなかったが、この頃すでに後の艦爆「彗星」が量産を開始しており、隼鷹型4隻へと配備する計画が軍令部では進められていた。
そのため、米空母が払拭されたこの隙を逃すことなく運用改善のためにカタパルト設置が行われていた。
このカタパルトも怪文書由来の代物ではあるが、角田の知る所では無かった。が、彼は五〇番噴式ケ弾を運用する専用機が運用可能になると聞いて、それまでのイライラが収まり、子供のように彗星の配備を心待ちにするのだった。
いや、彼だけではなく、ケ魂信者となった四航戦、そして、その布教に呑み込まれる六航戦、ひいては第二航空艦隊、通称ケ魂部隊が生まれる事となるのはもうしばらく先の事である。
こうして、二航艦が南方の海を目指すのは秋も深まった11月半ばを待たなければならなくなっていたのだった。




