ラゼルの水物
朝、目が覚めて、ベッドの中にいることに違和感を覚える。
昨日のことを思い出せど、幌馬車に乗った以降の記憶は一切としてなかった。
ね、眠ってしまった・・・?
今まで、人前で寝るという行為は自身の身分上でも、危険であり恥ずべき行為だった。
だからこそ、人の僅かな気配で目が覚めていたのに、見知らぬ人がいたという幌馬車で眠ってしまったというのだろうか。
本来ならば血の気が引けるだろうその行為に頬に朱がさすのが自分でもわかった。
自分で思っているよりも、ミレイアさんとテオさんのそばに安堵を覚えているのだと嬉しさと恥ずかしさが込み上げたのだ。
手に埋もれるように、抑えた顔の側で朝に相応しい鳴き声が響く。
チラリと目線だけ動かせば、青を背負ったフェルが此方を覗き見ていた。
どうしたの?
そう、言いたげな目に首を振って小さな体を引き寄せる。
「おはよう、フェル」
柔らかな毛並みを撫で上げると、小さく鳴き声を上げた。
朝の挨拶のようなその鳴き声に口角が上がる。
持ち上げた手をゆっくりと振り下ろした。
─パシン。
軽い音と共に、頬と掌に僅かな衝撃が走る。
軽い気持ちで、気を入れ直す為に叩いた頬は思ったよりも痛かった。
それでも、しっかりと入れ替わった気分に、瞬きを繰り返して、体一杯に陽の光を取り込むと、一気に体を伸ばす。
「よし。今日も一日頑張ろう!」
ぐっと伸ばした拳の周りをフェルが羽音を響かせながら飛び回る。
「行こう、フェル」
伸ばした手を広げて呼び込めば、小さく鳴き声をあげて、素直に手のひらに収まったその小さな体をそっと肩に乗せる。
なるべく、肩が揺れないようにと歩く慣れた歩き方に静かな足音が廊下に響いていた。
リビングの扉に近づくにつれて漂う匂いに、お腹が鳴りそうになる。
よくよく考えると夜ご飯を抜いてしまった為に、胃の中は空っぽなのだろう。
早くちょうだいとでも言うようにきゅっとなるお腹をそっとさすって、扉を開ける。
廊下よりも明るい白の灯の中でテオさんとミレイアさんが既に立っていた。
「おはよう」
足を踏み入れて、笑ってそう言うと、2人から同じ挨拶が返る。
「さ、座ってちょうだい。お腹すいたでしょう?」
椅子を引かれて体を押し込められるようにやんわりと押す力に素直に従う。
椅子に着けば、コトリと音を立てながら置かれた器にはふやかされたご飯のようなものが入っていた。
「雑炊というものよ。ラゼルちゃん、昨日お夕食を食べていないから、少しでも消化にいいものをってテオと作ったのよ」
ミレイアさんのその隣、テオさんは柔らかく微笑った。
そして、机に並ぶ料理に違和感を覚える。
いつもなら、朝であろうときっちりと食卓に並ぶおかずたちが一切なく、各それぞれの机の前に同じような土鍋の形をした小さなお鍋が並ぶだけ。
その様子に不思議に思っていたのが伝わったのか、テオさんが私に目線を合わせた。
「ラゼルだけ、仲間外れのご飯なんて寂しいだろ?だから、みんな同じご飯だよ」
「みんな一緒で、素敵でしょう?」
ぽんっと撫でる暖かな手と言葉が2人の優しさなのだとわかった。
「うん、嬉しい。ありがとう!」
精一杯の笑顔で笑って返す。
「いただきます!」
掬い上げた雑炊の中には、野菜がたくさん入っているのか、カラフルに見えた。
上に飾られたネギにカブや白菜。星の形をした人参にしめじ。細く切られた椎茸達を優しい出し汁と卵で綴じられていた。
熱々の湯気を覚ましながらゆっくりと完食すると、いつもよりも食べていないつもりでいたはずなのに、ぐっとお腹が重くなる。
「お粗末様でした」
そう言いながら食器を片すミレイアさんは、私の前に透明なカップを置いた。
中身は青から透明へとグラデーションを描いた爽やかな見た目をしていた。
「上がソーダゼリーで下がレモンゼリーなのよ〜?」
夏にぴったりの見た目でしょ?
得意気な笑顔で笑うミレイアさんに頷いて返す。
「うん、とっても綺麗」
「ふふ、是非食べてみてちょうだい?」
そう言われて、スプーンをソーダゼリーの部分に差し込むと、軽い跳ね跳ね返しがあった。
それを無視して差し込み掬い上げる。ぷるぷると揺れるゼリーは、スプーンの上でなお、鮮やかな青色をしていた。
口にふくむと、ピリリした感覚が下を襲う。
驚きに固まると、不思議そうな顔でミレイアさんとテオさんが私を見た。
「ラゼルちゃん・・・?嫌いなものだったかしら?」
一気に不安そうな顔になるミレイアさんに首を振って否定する。
「違うの。ピリピリしてたから、びっくりしちゃって・・・」
「・・・ラゼル、もしかして炭酸は初めてかい?」
「たんさん・・・?」
おうむ返しのように、言葉を拾って返すと、テオさんは「ちょっと待っていなさい」と席を立った。
程なくして戻ってきたテオさんの手には、ほんのりと青みを帯びた透明な飲み物が入ってグラス。
しかし、グラスの中には泡が立っていた。
「これが、炭酸だよ。飲んでごらん?」
手渡されたそのグラスに口をつけると、さっきのゼリーよりも数倍強いピリピリとした感覚がしゅわっと広がる。
不思議と嫌ではないその感覚は喉を通る所でも、しゅわっと音を立てた。
「どうだい?」
「不思議な感じ・・・」
素直な感想を吐き出すと、2人は安心したように笑った。
「ごめんなさいね。初めてだと思っていなかったわ。びっくりしたでしょう?」
そっと、顔を合わせるミレイアさんに笑いかける。
「大丈夫。ちょっとびっくりしたけど、美味しいよ」
「ありがとう、嬉しいわ」
綻ぶように微笑うミレイアさんに、そっとさっきのゼリーを持ち上げて、見せるように口に含む。
飲み物よりも弱い刺激が再び舌に広がる。
「うん。美味しいね」
そう言いながらミレイアさんの方を見ると、綻んだミレイアさんの笑顔が目に入る。
あっという間になくなる上層に初めて下層のゼリーに色があることに気がつく。
ほんのりとした黄色は、上の青が強く気がつかなかったのかな?
そう思い、首を傾げつつ口に含むと、今度は酸味が鼻を通る。
強い酸味ではなく、程よい酸味は、口の中を一瞬にしてあっさりさせる。
さっきのゼリーよりも水気を多く感じるそのゼリーは喉をつるつると滑るようにしてお腹に消える。
さっきまでお腹がいっぱいだと思っていたはずなのに、あっさりと収まったゼリーに再び手を合わせて挨拶をする。
「ミレイアさん、美味しかったよ。ありがとう」
笑いかけると優しい笑顔で私の頭をそっと撫でた。
その横で、少しだけ言いづらそうに淀むテオさんが視界に入る。
どうしたの?そう問おうとすると、テオさんが先に口を開いた。
「ラゼル」
慎重に呼ばれるその名前にしっかりと向き直すと、テオさんはそろりと私から目線を外した。
「テオさん・・・?」
そっと呼びかけると、意を決したように口を開いた。
「ラゼルの今日の、勤務は、お休みだよ」
と。




