願いの果て ある女児の視点
母はいつも夢の中にいるような人だった。
口調や所作を見ると、元々はもっと良いところで暮らしていたのだと思う。
男に体を売る仕事で生計を立てながら、少ない収入を切り詰めて自分を着飾る衣装や化粧品に金をつぎ込んでいた。
「ねえ聞いて。この前、お客さんの1人がママにこのドレスを買ってくれたの。きっとワタシが好きなのよ。もしかしたら運命の人かもしれない」
鏡の前で母の髪をとかしてあげるのが、ワタシの仕事の1つだった。
幼い子どもがいると思えないほど若々しく綺麗な母は、よく男に言い寄られていた。
「何度もお前を抱いてきたが情が移った。俺が見受けしてやるから暮らさないか」
「ええ喜んで! 素敵な人に巡り会えて、ワタシ幸せよ!」
自分を引き取りたいという男が現れると、母はあっさり相手の好意を受け入れる。
誰かを愛していないと生きていけない人だった。
愛さえあれば幸せになれると信じて疑わなかった。
だけど――
「お前、子持ちだったのか!? 何で言わなかった、父親は誰なんだ」
「お客さんの誰かだけど、当時は避妊とかわからなくて。でも、ワタシが産んだ子に間違いないよ?」
「それがどうした。血の繋がってないガキの面倒なんか誰が見たがる。早く捨ててこい」
「そんな。ワタシが好きならこの子も愛してあげて。父親になってあげて」
「ふざけるな、騙したな俺を。お前にいくら金を注ぎ込んだと思ってるんだ、この売女!」
「痛い! やめて!」
子どもがいるとわかった途端、大体の男は豹変する。
当たり前だ。
2人きりで家庭が築けると思ったら、血が繋がってもいない他人の子どもが部屋に居座るようになるのだ。目障りに決まっている。
前もって説明したくても母は年齢を偽って働いているらしく、子持ちだと言ってしまったら客が離れてしまうから黙っているしかなかったのだろう。
こうなってしまったらワタシにできるのは、代わりに憎まれ役を買って出ることだけだった。
「……なんだ、このガキ」
「…………」
「気持ち悪い目で俺を見やがって。この!」
「……っ」
気の済むまで殴らせてやれば母までは回って来ない。
大の男から暴行されるのは初めのうちこそ痛かったが、受け身のやり方を覚えてからは差ほど苦にはならなくなった。
「……大丈夫? ごめんね、ママのせいで。ありがとう――、大好きよ」
「うん」
それでも母は、男がいつか変わってくれるのではと期待していた。
だけど男が望んでいたのは若い女であるはずの母の体だ。子どもがいるというだけで心が離れてしまったのだろう。
暴力は日増しに強くなり、季節が1つ過ぎる頃になると母のほうが先に根を上げた。
「こんな生活もう堪えられない。あんな男、きっと運命の人じゃなかったんだわ。夜になったら逃げよう、見つからないように準備しておいてね」
「…………うん」
ワタシがいる限り母は幸せになれない。
もう捨ててくれれば良いのに、それでも我が子と一緒に暮らしたいという意志だけは変えようとしなかった。
「あなたは大切な一人娘だもの、絶対見捨てたりしない。……もう寂しいのは嫌だもの」
ワタシのせいでどれだけ生活がうまくいかなくても、母はワタシを手放さなかった。
ひとりになりたくなかったワタシは、母の身の回りの世話を進んで行った。
母はそれからも男を変えて同じことを繰り返した。
中には子どもがいることに理解を示す男もいたが、そもそも金で女を買おうとする性分で長続きするはずもない。手間がかかるとわかった途端にワタシは虐待された。母が抗議をすると今度は母まで暴力を振るわれ、結局逃げることになった。
いつしか母は、自分の代わりに殴られるワタシを頼るようになった。
「痛い、助けて――!」
「自分の子どもの影に隠れやがって、どこまで汚いんだ!」
「助けて! ――! ママを守って!」
「……! ……っ!」
「どけ! こんな女をなんで庇うんだ! ええい、もう勝手にしろ!」
「うう……ありがとう、また守ってくれたのね。――を産んで本当に良かった。きっと神様がワタシを守るために遣わしてくださった天使なのね」
暴力を受けるぐらい何ともない。
けれど母をいつまでも幸せにしてやれないワタシは天使などではない、疫病神だ。
そんなことより早く運命の人とやらが現れて、母を幸せにしてやってほしかった。
そんな生活が続いたある時。
母はいわゆる裏社会の男と関係を持ってしまった。
愛想を尽かした後の男の暴力は酷いもので、ワタシ達はいつものように夜逃げしようとしたものの、運悪く男に気付かれてしまった母は徹底的に痛めつけられた。
「やめて! ママを助けて!」
「ガキならそこに縛り付けてある。誰もお前を助けねえよ!」
「……! ……!」
顔を腫らして涙を流す母を、黙って見ていることしかできない。
唇を噛みすぎて、血の味が広がる。
「また逃げ出したら地の果てまで追いかけて、もっと痛めつけてやるからな。それが嫌なら一生俺の奴隷でいることだ」
やがて男の気が済んだ後、ぼろぼろになった母はゆっくりと立ち上がり、縛り付けられたままのワタシに言った。
「……なんでいつもみたいに助けてくれなかったの。あなたは天使のはずなのに」
「…………ごめんなさい」
「謝って済む問題なの。ちゃんとママを守りなさい。――のせいでこんなに殴られたのよ」
痣で腫れた母の顔に浮かんでいたのは憎悪だった。
魔物のような顔をしながら、母はワタシに言った。
「殺して」
「…………?」
「あいつを、あの男を殺して。明日はちょうど家にいる日だし、ワタシが買い出しに行かされてアリバイのある間に、あの男を殺すのよ。まさか子どもに殺されるとは思わないでしょうし、世間だってあなたが殺したとは思わないはず」
「…………」
「あいつが生きてたらワタシは幸せになれない。いいわね――、絶対にやって。ママの願いを叶えて」
「…………わかった」
子どもの力で大の男を殺すのは骨が折れた。
首回りを包丁で刺せばすぐに死ぬと思ったけど、抵抗された。
「こ、このガキ……!」
男の爪が腕に食い込んでワタシの皮膚を裂く。
たとえ肉を削ぎ落とされ骨だけになっても、刃物を持つ手は離さない。
なんとしてでも母の願いを叶えてあげたかった。
やがて男が動かなくなると、強盗が入ったように見せかけるための偽装をして、近所に助けを求めた。
首を一突きで仕留められていたため手練れの犯行だと判断され、ワタシ達に疑いの目が向けられることはなかった。
しばらくして家に帰ってきた母は、満面の笑みでワタシを褒めた。
「アハハ、よくやったわ! あいつに親族はいないから、この家はもうワタシ達のもの。しばらくは贅沢ができる!」
「…………」
「やっぱりあなたはママの天使だったのね! あなたがいればワタシは何度でもやり直せる! これからもずっと――ぐすっ――あれ?」
「…………」
「おかしいな……涙が止まらない。あ、あれ……ワタシ……ひぐっ……」
「…………」
「ひ……ぐす……うええええん……! ワタシは何をやってるのよぉ……っ!」
「…………ママ」
「自分じゃ何もしないで! 現実から目を背けて! 人に甘えてばかりで! 実の娘の手まで汚させて! 最低のクズよ! こんなだから回りに誰もいなくなったのよ! ゆるして……! うわあああああん!」
泣き崩れた母は、元の母に戻っていた。
くしゃくしゃにした顔でワタシを抱き締めてくれた。
「お願い、もう1度だけやり直させて! もう夜の仕事はしない、男もいらない、ワタシの手であなたを育てきってみせる! だから……っ」
――あなたと一緒に、生きさせて……!
「うん」
その日から、母は化粧をやめた。
新たに衣装を買うこともなくなって、代わりにワタシのご飯を増やしてくれて、服を買ってくれた。
小さな部屋を借りての2人暮らし。
毛布で身を寄せ合って暖め合う日々は、貧しかったけど満ち足りていた。
夢から覚めた母は、ずっと優しい人だった。
「聞いて! ママね、町の食堂で働かせてもらえることになったの!」
初めてまっとうな仕事に就くことができた母は、幸せそうに笑っていた。
それがまるで自分のことのように嬉しかった。
ワタシも早く大人になって、一緒に働きたい。
「行って来るね、夕方には戻るから!」
「いってらっしゃい」
笑顔で出掛けていく母を見送ったその日。
陽が沈んでも、次の日になっても、母は帰って来なかった。
――コンコン。
「――の子か。悪いがついて来てくれないか」
「…………?」
「お前の母親らしき女が死体で見つかった」
殺したのは、母と最初に同棲を始めた男だった。
ずっと母を探していたらしく、連れて戻そうとしたところを抵抗され、かっとなって首を絞めたと打ち明けたそうだ。
「たかが娼婦を殺しただけで死刑なんだから、男も気の毒にな」
「何人も男を騙していた悪女だったらしい。自業自得だ」
「見ろよあの子、あんなにやせ細って。母親としてもロクな女じゃなかったんだろうな」
あ……ああ……。
「口の利き方に気を付けろ、お前ら。……母親に間違いないか?」
蒼白い顔をした母。
もう目覚めない母。
――どうして。
この人は何も悪くない。
やっと前を向いてくれたのに。
やっと――
「…………ワタシのことを……」
失って、初めて気付く。
ワタシもこの人と、変わらなかった。
ずっと、振り向いてほしかった。
欲しかったのは、この人の――愛情だったんだ。
・ ・ ・
「ねえ知ってる? 『呪いの掲示板』の噂」
「は? なんだそれ」
「この町のどこかに真っ黒な掲示板が立てかけてあって、そこに『殺したい人間がいる』ってメッセージと一緒に自分の名前を書くと、後日、ちっちゃな女の子が現れるんだって」
「へえ、それで」
「女の子に事情を伝えると、お金と引き換えにそいつを殺してくれるんだって。しかも、どこでどんな風に殺して欲しいか言えば、ちゃんとその通りにやってくれるのよ」
「なんだそりゃ。呪いってより暗殺者じゃないか」
「フフ、そうかも。仕事を終えた後で支払いを渋ると女の子に殺されちゃうらしいしね。あ、そういえばさ――」
・ ・ ・
「場数は踏んでると聞いているが、まさかガキで女とはな」
「うんざりするほど言われた。不安なら他当たる?」
「……いや、面構えが気に入った。殺って欲しいのは――」
・ ・ ・
「姉を殺してくれ。頼む」
・ ・ ・
「暗殺者ギルドを使うなど不特定多数に弱みを握らせるようなものでしょう。その点“ディー”はフリーでも格が違います」
「……だが標的は侯爵だ。王国でも屈指の警備が敷かれ、常に魔術師が待機しハイドスキルも警戒されている。もし失敗すれば我々もただでは済まんぞ」
「ディーなら増長した貴族1人、問題なく始末してくれます。全てお任せを。何なら私の首をかけてもいい」
「卿にそこまで言わせるとは。……報酬は全額前払い、だったな」
「ええ。高額ですが後から追加経費などの要求は一切ありません。それだけの実績と信用を築いた“最強の暗殺者”です」
「……ふむ」
・ ・ ・
最近、変な奴と関わってしまった。
どんなダメージを受けても回復する体を手に入れた、暗い顔の女だ。
女はワタシに自分を殺してくれと頼んできた。
初めは嘗められたものだと怒りが沸いたけど、話を聞いていると、こいつはワタシとあの人の悪いところを足したような奴だと思った。
本当の気持ちがわからず、大切なものが見えないで、いつの間にか自分が許せなくなってしまって。
気付くのは、いつも手遅れになった後。
(何でわかんないのよ)
あんたがしなくちゃいけないのは、そんなことじゃないでしょう。ほんと不器用なんだから。
でも、2人分の面倒臭さが合わさっちゃってるならしょうがないか。
いつか切りのいい時に言ってやろう。
ひとりきりのままじゃ気付かないって、知ってるものね。




