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魔物が一歩踏み出すと、場内の空気が凍りついたように固まった。
誰もが異様な雰囲気を感じ取っているのだろう。
遠く離れた観覧席にいるわたし達でさえ、悠然と足を運ぶその姿から薄気味の悪さが伝わってくる。
「ケルベロスにオルトロス――オレサマの愛玩動物……って設定の仲間をよくもやってくれたなァ。しかもこんな大人数でいたぶるたァ、陰湿なこった」
2体の亡骸を横目に惜別を口にする魔物。
言葉を話すこともそうだけれど、ここまではっきりと感情を表す魔物がいることにわたしは驚きを隠せなかった。魔物というカテゴリーよりも“魔人”や“魔族”といったほうがしっくり来るほど、その様相は人間に近しいものがあった。
「できることなら駆け付けてやりたかったぜ。まァ、これで本当にテストは終わった。後はオレサマだけだ。ほれ、掛かって来い」
数では圧倒的不利な状況にも関わらず、ヨハンという名の魔人は赤い双眸を輝かせながら中指をくいくいと曲げて冒険者達を挑発した。
その顔にはあからさまに好戦的な笑みが浮かんでいる。
「……僕が倒した時は、鎧なんか着てなかった」
「エコー君はあのヨハンという魔物と戦ったんですか?」
「はい。でもさっき話してくれた魔物の特性とは、少し違う気がします。あの時、あいつは消滅したので」
エコー君がヨハンを撃退したことに驚きは無かった。
彼はディーとの訓練で目に見えて強くなったし、何よりあのスキルがある。
少なくとも1対1で後れを取ることはもう無いはずだった。
それでも不安が拭えないのは、あの魔人の正体が今一つ掴めないからだろうか。
「始まったな」
そう呟いたカファールさんの視線の先では、勇敢にも魔人に突撃する剣士らしき1人の男性冒険者の姿があった。
「クソが、舐めんじゃねえ!」
「威勢がいいなァ! オラッ!」
二回りは違う体格差から太刀を振るい迎撃する魔人。
凄まじい速度で繰り出される斬撃を、冒険者は構えた片手剣でかろうじて受け止めた。
ただ力でぶつかったのではない、先手を打って太刀の力が乗り切らない絶妙なポイントを押さえて斬り結んでいる。
それだけで動きを止めるには十分だった。
「おい離れろ! 全員、一気に行くぞ!」
掛け声と共に剣士が離脱する。
その直後、魔人に向けて《狩人》の矢と攻撃魔法の雨が一斉に降り注いだ。
「うォっ!? 畜生!」
ヨハンは巨体に似つかぬ俊敏さで回避、あるいは太刀で打ち払うものの、接触と同時に爆発する炎魔法が直撃。その体は一瞬で爆炎に呑み込まれた。
人間ならば大火傷では済まない。けれど、魔物特有の耐久力で火が燻ったまま黒煙から転がり出るヨハン。
すかさず今度は近接職が肉薄する。
スカウトの冒険者に背後を取られるだけでなく、両側面を含めた四方から絶え間ない連携攻撃が繰り出されると、さしもの魔人も怯んだように笑みを消した。
「……見た感じ、戦えない相手じゃなさそうだな」
「ですね。油断はできませんが」
「お前らはいかなくていいのか? まあ、今からじゃ混ざり辛いか」
「はい……怪我人もいますから」
前回からの連戦ということもあり、戦闘に参加している冒険者達の息はパーティーの垣根を越えてぴったりと合わさっている。
今からわたし達が前線で戦っても逆に呼吸を乱してしまいかねない。
もし参加するとしたら、その時は彼らが劣勢に立たされた時だろう。もっとも、200人の冒険者をやり込める状況なんて想像したくなかったけれど。
「そういえば王子殿下はどうしたんですか?」
「ん? 連れ歩くわけにもいかないから、城で見つけた部屋の中に護衛付きで保管してあるよ」
「ま、まるでアイテムみたいな扱いですね」
「まあ~、もしかしたら俺も戦ることになるかもしれねえから、コイツは持ってきたけどな」
「えっ、それは――」
「あ、見てくださいあれ!」
エコー君が促した先を見ると、冒険者の攻撃を受けて傷を負った魔人の体が紫煙のような気体を放ちながら、ゆっくりと元通りになっていく。
「回復能力も有り、か。逃げ回られると面倒だな」
詠唱する様子もないことから、おそらく《セルフヒール》のオート効果と同じで本人の意思にかかわらず再生効果が発動するのだろう。
ただし回復速度は同魔法のレベル10が良いところ。厄介な能力に違いはないけれど、ダメージ自体は通るのだから結局は一撃で倒すか倒れるまで攻撃し続ければいい。
「痛ェなオイ! 少しは休ませろや!」
「図体の割りに逃げ足は早ぇな! おい、一気に行くぞ!」
数の有利を生かして冒険者が近接、遠距離問わずに間断なく攻撃を畳みかける。
戦況は冒険者側が有利に進めていた。
これなら隠し技でもない限り、彼らだけで押し切れるだろう。
けれど――
「……違う。あんなものじゃない……」
背中におぶさったまま戦いを見守っていたウィノナさんが呟く。
「私達が戦った時はもっと強かった。目で追えるような速さじゃなかったし、人の体なんて簡単に吹き飛ばしてた。あれじゃまるで、似ているだけの別人じゃないか……!」
「……弱くなっているってことですか?」
「逆よ」と、答えたのはディーだった。
「あいつ、メチャクチャ加減してるわ」
「……え?」
そう言った彼女の表情は、今までにないほど強張っていた。
「……ここから俯瞰で動きを見てわかった。人間に近い体つきをしているからこそ、使うべき筋肉を使わないって場面が何度もあったわ。視界に捉えてるのに気付かない振りもしてる。“倒せるのにやらない”“避けられるのに喰らってる”。さっきからずっとそんな感じよ」
「……あの、僕もそう思います。森の中にいた時、ずっと離れた所にいたのにあいつの殺気は肌にべったりと張り付いてくるようでした。それが今は全然感じないんです」
緊張した声でエコー君も同意する。
それが本当だとすれば、どうして実力を隠しているのか。
「……そんなにヤバイのか?」
「日頃から訓練してる騎士サマならわかると思うけど」
「正直、実戦の経験ならお前ら冒険者のが上だよ。俺らは始めから勝てる数で挑んでるから、勘はあんまり働かなくてな」
「まぁ、ただナメてるだけならいいけど。問題はそんなチンピラにも見えないことよ」
みんなに教えたほうがいいと思い立っても、今の状況ではどうにもならない。
とにかく成り行きを見守るしかないのが現状だった。
(……そういえば、今回も上位冒険者がいない)
階下でヨハンと戦っているメンバーにも、彼らの姿はなかった。
まさか、彼らが津波に流されてしまったとは考えにくい。
まだ自分達の出番ではないとどこかで様子を見ているのだろうか。
わたしがあれこれ考えている内にも、冒険者達の攻撃は続いている。
中距離からの集中攻撃を受けて足を止めた魔人に、最初に斬りかかった剣士が再度突撃をかける。
首筋に目掛けて放たれた渾身の一撃を、ヨハンは後一歩のところで太刀を使って受け止めた。
「おい、お前が最後の相手ってのは本当なのか? 呆気無さ過ぎなんじゃねえのか」
「んん? そいつは悪かったなァ。だが仕方ねェんだよ。こいつァオレサマのテストでもあると同時に固有スキルの調整も兼ねててな」
「へっ、ワケのわかんねぇことばかりベラベラ言いやがって。このままお前の首を取って平原で俺らを見下した上位の奴らの鼻を明かしてやる」
「何だァ、誰かムカつく奴でもいんのか? 首はやれねェが相談には乗ってやるぜ」
「ッ! お前もかよ、舐めやがって……! もういい喋るな、てめぇは!」
「……そうだな、もういいだろ。《冥府の報復》。待たせたな人間共」
「――――は?」
刹那、魔人の体から紫紺色の光が解き放たれる。
「――――――っ」
ぞわり。
心臓が凍り付いてしまいそうな悪寒を感じて、肌が粟立つ。
痛みに慣れ切ってしまったはずのわたしが忘れて久しい死への恐怖。
その正体が、闘技場の隅々にまで一瞬で満ちた底の知れない殺気だと知った時にはもう、魔人の腕が冒険者に向けて振るわれていた。
ぐしゃ――
「……? へ……?」
理解できたのは、今の今まで剣を受け止めていたはずの太刀を薙いだということだけ。
ただそれだけで、冒険者の首筋から腰にかけての部分が、着ていた鎧ごと無くなった。
「…………ぇ……ゴボッ…………ぁ?」
一呼吸おいてから下半身が床に倒れて、内臓と血液を撒き散らす。
土台を無くして床に落下するだけだった彼の首を、魔人は禍々しい光を纏ったまま髪の毛を無造作に掴んで引き止め、言い聞かせるように口を開いた。
「呆気無ェってのは、こういうのを言うんだ」
それだけ言うと、首を離してその顛末を見届けるヨハン。
太刀の一振りで冒険者の上半身を吹き飛ばしたのだと理解できたのは、それから間もなくだった。
「――おい、攻撃を続けろ! 早く仕留めるんだ!」
我を取り戻した冒険者が声を上げる。
それに連なって他のみんなも攻撃態勢に入るけれど、次の瞬間にはヨハンが腕を振りかぶって間合いを詰めぬまま太刀を一閃させる。
「がっ……!?」
「ひぐっ……!?」
風圧のみで作られた空を裂く斬撃が宙を舞い、前線にいた冒険者達の体を寸断する。
それで終わりではない。先ほどとは打って変わって、上から見ているわたしでさえ追いつけないほどの速さで地を駆け抜けるヨハン。
後衛職の前に姿を見せたと思った瞬間には、打ち払われただけで肉塊となった魔術師の体が鮮血と共に撒き散らされた。
「う……うわあああああああああああああ!」
200人以上もいる冒険者達は、一気に混乱状態となった。
「速過ぎて狙いがつけられな――がひゅっ!?」
「早く態勢を……ぎゃっ!」
手に負えない速度と攻撃力で蹂躙する魔人を捉えられるものは誰もいない。
中にはヨハンを迎え撃とうとするものもいたけれど、そんな勇敢なものから真っ先に餌食となった。
「い、いやだ! もう逃げ――ごふっ」
「助けて……! 誰か……ひぐっ!」
逃走する冒険者にも容赦なく襲い掛かり、階下は血だまりと化していった。
もう誰にも彼らの瓦解を止められなかった。
そんな惨劇を目の当たりにして、わたしはようやく声を振り絞る。
「と、止めないと! このままじゃ……!」
全滅する。
そう言いかけた直後――
「おっ」
ヨハンが赤い瞳をこちらへ向けるや否や、石畳にヒビが入るほどの力で大地を蹴り、一飛びでわたし達の前へと着地した。
「よう、坊主。それにウィノなんとかチャン。逢いたかったぜェ」
魔人はわたし達を眺めて、心底嬉しそうに嗤った。




