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「……って何ヒトの体つかんで達観してんのよ! ほら、走るわよ!」
諦めるのは早いとばかりにわたしの手を振り切って、襲い来る津波に背を向けて走り出すディー。
もうとっくに覚悟を決めていたわたしは、慌てて彼女の後を追う。
「に、逃げ場なんてどこにあるんですか!」
「どうせあれもどっかのクソの仕業でしょうが! だったら、あの城は平気なハズよ!」
もしこれも“仕掛け人”の誘導であるならば、崖の上の城まで洗い流すような真似はしない、そう踏んだのだろう。
確かに、この津波を生み出したと思われるあの声の主が、自分のいる場所まで害を及ぼすとは考えにくかった。
だけど水の巨壁は恐ろしい速度で丘陵地へ迫っている。
城の建つ巨岩の麓までたどり着けるかというと、正直苦しいところだった。
「もっと脚を動かしなさい、追い付かれるわよ!」
「そう言われても走るのは苦手で……!」
「装備なんてほとんどしてないんだから身軽なはずでしょうが!」
「ディーと違って胸回りがすっきりしてないから、たぷんたぷん跳ねて大変なんですようっ」
「あっはっは、あんた確実に女友達いないでしょ」
「だから何なんですか、急に!?」
前にも言ってましたよね、それ!
言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうですか!
そうこうしてる内に、丘の下り斜面を駆け抜けてスパートに入る。
加速を得た膝の動きはもう自分では止められないほど早まり、体がふわりと浮いたような感触さえ覚える。
そのまま滑るように芝の上を駆け抜けて――
「えっ」
不意に、横から飛んできた何かがわたしのすぐ下の地面を抉る。
足を奪われ態勢を崩したわたしは、為す術もなく転倒してしまう。
「なっ!? ちょっと!」
足を止めたディーがこちらへ戻ってくる。
傷はすぐに治るものの、失速は免れない。
魔物が攻撃してきたのだろうかと思って衝撃が飛んできた方へ顔を向けると、こちらをにやにやと眺めつつ城へと急ぐ冒険者の姿があった。
その顔には見覚えがあった。町でディーを引き入れようとしていた上位冒険者だ。
「言ったろ、後悔するってなぁ!」
捨て台詞を残して、あっという間に彼方へ消えていく。
おそらくは断られた意趣返しだろう、魔法か何かをわたしの足元に撃って進路を妨害してきたのだ。
よりによってこの状況で実行してくるなんて。ディーの言っていたように今までどこかで様子を見ていたのだろうけど、信じられない凶行だった。
「あの野郎……っ」
「……ディー! あなただけ先に行ってください!」
ディーは怒りに顔を歪めながらもわたしを起こそうとするけれど、これでは2人とも間に合わない。
せめて彼女だけでも助けなければ。
わたしのペースに合わせているから使わないだけで、ディーは高速移動を可能にするスキルを持っている。彼女だけなら城までたどり着けるはずだ。
「わたしは溺れても死にません。後で合流すればいいんですから――」
「うっさいわ! 1度決めたら最後まで曲げないのよ、ワタシは!」
――――あ。
「このままだとあの野郎の言う通りになるでしょうが! 窮地だからって態度をコロコロ変えてられるか! 必ず2人でたどり着くのよ!」
一切の迷いなく、彼女は言い放った。
それは、逃げてしまったわたしと大違いで、実に堂々としたものだった。
(……羨ましい、ですね)
本当に羨ましい、ディーが。
どんな時でも自分に自信を持っていて、生き方を曲げない彼女が。
いつだって胸を張っている彼女の心の強さが、ほんの少しでもわたしにあったなら。
「早く立って。こうなったら意地よ、何が何でもアイツに追いついて、落とし前つけさせてやるわ!」
「……本当に強いですね、ディーは」
「何たそがれてんのよ! いいから――って」
立ち上がったわたしは、ディーの背中に腕を回してそっと体を抱き締めた。
力技が得意な割りに、彼女の体は意外と細い。
「ちょ……何して……」
彼女は目をシロクロさせている。
驚かせてしまったのは、謝るしかない。
でも、その前に。
「思いつきました。2人で助かる方法を」
向き直って告げる。
このままでは、どうあっても波に呑まれてしまう。
だけど、わたしには1つだけ閃いたことがあった。
「実はさっき、あの城にいる誰かから、わたしの頭の中に声が届いたんです」
「…………は?」
「その人物はどうやらわたしに用があるようで、この津波はわたしを呼び寄せるために引き起こされたものらしいんです。言い換えれば、わたしが流されても最終的にはその人物のいる場所――つまり、あの城に到着する可能性が高いんです」
そう、要は津波に呑まれても耐えられればいいのだ。
幸い入水は前に試したことがある。
結果は肺と胃が水で満たされては元通りになるため、溺れることと回復を延々繰り返す苦しみに襲われたものの、意識を失うまでには至らなかった。
このまま何もしなくても、目的地に流れ着くまでじっと我慢するというのがわたしの考えだった。
「その声が本当かはともかく、ワタシはどうすんのよ! あんたと違って息しないと死ぬのよ!?」
「問題ありません。実は《セルフヒール》で窒息から回復すると、肺の中の空気も一呼吸分だけ元に戻るんです」
教会で神聖魔法の他に教わったものの中に、呼吸吹き込み法というものがある。
川や海で溺れてしまい心肺が停止してしまった人に対して、口から口へ直接息を送ることで意識を取り戻すまでのあいだ呼吸を補助するという救命方法だ。
そのことを話すと、ディーははっとした面持ちでわたしを見た。
「ま、まさか」
「気付いてくれたみたいですね」
そう、つまりは。
流されている間ずっと――
「ずっと、わたしとキスしていましょう」
キスを通じて新鮮な空気をディーに送り届けていれば、溺れることはない。
この方法ならば水の中にいても大丈夫。
土壇場でわたしは、起死回生の策を思いついたのだ。
「さぁ、いきますよ。……んっ」
わたしは意を決して顔を近付けるものの、何故かディーは露骨に顔をしかめて拒否の姿勢を見せた。
「き、急にそんなこと言われてもできるわけないでしょ! しかもあんな荒波の中で!」
「でも他に方法がないですよ。あの、もしかして恥ずかしいんですか?」
「当たり前じゃない! キスなんてしたことないもの!」
「…………え゛っ」
だ、だって。
いやいやまさか。
「な、何よその目は! そんなに驚くこと!?」
「えぇ……だって色町に住んでるし、日頃から散々思わせぶりなことを口にしてるじゃないですか」
「そりゃ、いざって時に裸見られて動き止めてるようじゃ話にならないから、気構えをしてるだけよ! 男遊びだって、男娼と一緒に酒飲む以上のことはしてないわ!」
う、嘘でしょう?
「あの……ディーが経験豊富だってわたしは気にしませんよ?」
「何その言い方! ワタシってそんなふしだらに見えるの!? 傷付くわぁ……!」
「いえあの、そんなことは……っ! ただ本当に意外だったので!」
「もうアタマきた! あんたこそどうなのよ。何の抵抗もなくキスを迫ってくるあたり、相当なドスケベなんじゃないの!?」
「ドっ!? 何てことを言うんですか! わたしだって初めてですけど、緊急事態ですし、勇気を出して――」
「……ってことは、ワタシとキスするのは本当なら勇気がいるくらい嫌だってこと!? 酷っ!」
「~~っ! あなたそんなに面倒くさい人でしたっけ!?」
「体型にも乳にも恵まれた女に何がわかるってのよ!」
どこをどう間違ってしまったのか、わたし達はにらみ合いながら、いつの間にか口論を繰り広げてしまっていた。
でも、何か忘れているような。
「「……はっ!」」
耳に響く地の唸り。
次いで聞こえてきたのは水しぶきを含んだ轟音。
どうして失念してしまったのか。
その時にはもう、津波は目と鼻の先に迫っていた。
「ど、どうしましょ……うぷっ!」
「ああああもう! 覚えてなさいよぉ! ぷはっ!」
波涛の直撃を受けて、わたし達の体は呆気なく呑み込まれる。
上も下もわからない水中で、泡沫にまみれた視界の端に映ったのはなんだったのか。
満足に思考を働かせることもできず、わたしの意識は渦を巻く奔流に呑まれていった。




