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10 女騎士視点

生き地獄

「あ……うぁ……」


 赤黒く染まる切断面から、液体がこぼれ落ちて地面に染みを作る。

 腕がない。

 手首から先の感覚が消えていた。

 生まれてから今まであったものが無くなっていた。


(嘘……うそ、うそ……!)


 最初はじんじんと擦り傷を負った時のような痛み。

 少しずつゆっくりと、その断面が膨大な熱を帯びて肥大していく。

 何度見直しても、確認しても、私の腕にあるべきものが無かった。


「おら邪魔だ」


 声が聞こえたかと思うが早いか、鋭利な爪が生え揃ったヨハンの素足が腹部に吸い込まれる。


「げふっ……!」


 内臓が弾け飛んでしまいそうな衝撃と共に視界が目まぐるしく回って、吹き飛ばされた私は近くの木に背中から激突した。

 体が真っ二つになってしまいそうな痛みから、立ち上がることさえままならなくなる。

 力なく地面に頭から崩れた私は、胃液を吐き出しながらも、見たくもない現実に目を向けさせられてしまった。


「げほっ、ごほっ! あ……ぁ……っ」


 夢だ、こんなもの。

 激痛に見舞われ慟哭を吐き出しながら、私は必死に否定を繰り返す。

 そんな内心を少しも意に介さず、冥王と自称した魔物の暴虐は続いていた。


「がっ!? うぎゃあっ!」

「中級魔法じゃ全然効いてない……っ! あがぁっ!」

「た、助け……ひぐっ!」


 吹き上がる鮮血と叫喚が樹海に霧散する。

 誰も奴を捉えられなかった。

 剣撃は1度も命中せず、炎魔法が直撃してもその動きが止まることはなかった。

 手にした太刀が振るわれるごとに、仲間の体がバターのように寸断されていった。

 特殊能力だとか固有スキルだとか、小手先の技は一切使っているように見えなかった。

 抜き身の一振りでパーティーを容易く相手取り蹂躙する姿は、ある種の畏敬すら覚えるほどだった。

 超常的な剛腕、魔法すら凌ぐ身体強度、俊敏性、反応速度――私達が魔法で底上げしたぐらいでは足下にすら及ばないチカラの壁がそこにあった。


「爽快だねェ。オマエラが魔物を殺して回る気持ちがわかるってもんだ」


 ……こんな殺戮が爽快?

 何を言ってるんだ、こいつは。

 イヤだ。

 もう嫌だ。

 早く現実に戻してくれ。


 縋るような気持ちで視線をさ迷わせる。他にできることなんて無かった。

 すると、男の子と目が合う。

 ラビだ。

 先日結ばれたばかりの、愛する人。

 気持ちを確かめ合って、将来を誓い合って、一緒に生きていこうと決めた人。


 そうだ、彼なら。


「ラビ……っ! 助けて……!」


 無事だった手を伸ばす。


 頼む、お願いだ。

 頭の良い君なら、きっとこの窮地を脱する手段を思いついているはずだ。

 腕が痛むんだ、苦しいんだ。

 助けて皆を、私を、こいつから。

 私の思いが通じたのか次の瞬間、ラビが動――





 えっ。





 視線が逸れる。

 そのまま彼はくるりと背を向けて、森の奥へ走っていく。

 私のほうを、見向きもせずに。


 え? ……えっ?


「どう……して?」


 どこへ行くんだ?

 そっちは、違う。私はここにいるんだ。

 まさか助けを呼びに行ったのか。この辺りには私達以外誰もいなかったじゃないか。

 私達、付き合ってるんだよな?

 好き合っているんだよ、な……?


 だったら、どうして。


 遠ざかって、いくの。


「……ラビっ! げほげほっ……! ラビ! 待って! 助けてくれ!」


 聞こえているはずなのに、彼は振り返ってくれない。

 小さな影が木々の間に消えていく。


 なんで!? 何で何で、なんでぇっ!?


「ハッ、逃がすかよ――ん?」


 刹那、地面が隆起してかと思うと土の塊が出現。ヨハンの目の前で破裂すると視界を奪った。

 おそらく土の精霊魔法の一種だろう。

 単純な手だったが、ヨハンが太刀を一閃させて土煙を払った先にもうラビの姿は無かった。

 それは同時に、私が完全に見捨てられたことを意味していた。


(どう、して……!?)


 逃げ帰ってきたアレッサのことを、あんなに非難していたじゃないか。

 僕達は絆を何よりも大事にしようって、言ってくれたじゃないか。


 体が痛いんだ、死にたくないんだ。

 こんなの嘘だ、戻ってきて。

 お願い、助けてよぉ……っ!


「ひぐ……ひっく……っ。待って……っ! 恋人だろう、私たち……っ!」


 涙が溢れる。

 縋るものを失って嗚咽が漏れる。

 恐怖、孤独、絶望。

 心の中に渦巻くのは、少し前では知りようもなかった感情ばかりだった。


「うまいことやったなァ。まァいいさ。ここにいる限り、逃げ場なんてねェんだからなァ」


 私以外に生きている仲間が誰もいないのを確認すると、ヨハンは手近に横たわっていた冒険者の亡骸に手を伸ばして、その首をあっさりとねじ切った。

 そして林檎でも食べるように大口を開けて、絶命に歪む頭部にかぶりつく。

 ばりばりと聞くに堪えない音が聞こえて、私は臓腑が締め付けられる思いがした。


「獲れ立てはやっぱうめェな。……で、ウィノ――何だっけ? フラれて泣いてんのか、お前」


 食べこぼしの付着した口元をぬぐいながら、魔物がこちらに顔を向ける。


「……っ! ぐすっ……フザけるなっ……そんなこと、あるわけ……!」

「いやァ、残って戦えっつうのも酷な話だと思うぞ。お前らの力量でここから逆転は無ェだろ。だったらこういう時は、片割れが体を張ってコイビトを生かすもんだって知識にあった。全滅よりゃ、遥かにマシだろうぜ」

「……ぐっ! ち、違う! ここから2人でお前に勝つはずだったんだ! 私達ならきっと……っ!」

「ほう」


 その途端、私の左足に衝撃が走る。

 ヨハンに踏みつけられて骨が砕かれたのだと知ったのは、それから間もなくのことだった。


「うぎゃあああっ!! 痛あいぃぃ!!!」

「戦意があんなら戦闘続行だなァ。ん、どうなんだ」


 それから尚も全身に蹴りを浴びせてくる。

 そこに加減なんてものはなく、装甲がひしゃげてミシミシと骨が軋む音がした。


「や、やめろっ……! うぐっ! げはっ! も、もうやめてっ! どうしてこんなこと……っ!」

「どうしてェ? 野暮なこと聞くなァ、“魔物”ってなァそういうもんだ」


 動きが止まり、代わりに膝を曲げて私の顔を覗き込む。

 赤い瞳に宿る光がどうしようもなく不気味だった。


「人を殺すため、そして()()()()()()、オレらが産まれた理由はそんだけだ。つまんねえよなァ。何でこんな弱っちい生き物に殺されてやんねェといけねェんだ」

「…………こ……ころ……す、ため?」

「あァ、そうだ。概念は知ってても愛なんて理解できねェし、オレサマに至っては生殖能力も持たされてねェ。さっきはああ言ったが本当は食い物の味もわかんねェんだ」


 愉しみが他にないんだと、彼は言った。


「お前らが魔物を倒して快感を得るように、魔物もお前らと戦うことだけが生き甲斐なんだ。そういう風に造られたんだよ」


 そんなの、誰が何のために。

 そう訊く前に。


「だからよ。オレサマの悦びのために死んでくれや、ウィノなんとかチャン」


 その歪んだ口元を見て、今度こそ私は胸の奥が氷つくのを感じた。

 もう何を言おうと、私ひとりを生かして帰す気なんてこれぽっちも無いと理解したからだった。


「……! や……やだあっ!」


 必死に地べたを這いずって、私は逃げた。

 痛めつけられた全身がさらに痛んだが、そんなことを感じている暇は無かった。

 死にたくないという生への執着が私に最後の力を振り絞らせた。

 だけど、ヨハンが無情にも私の片脚を掴む。次の瞬間、体がふわりと宙を舞った。

 投げ出された私は受け身を取ることもできず、頭から地面に突っ込んだ。


「うぶっ! あ……う……あぁぁあ……!」

「こうやって獲物をナブんのもいいなァ。情緒がある」


 頬が擦り切れて鋭い痛みが襲う。

 体が壊されていくことに堪えられず、心のほうが先に潰れてしまいそうだった。


「そう怯えんな。生まれて初めて人間とまともに会話してオレサマは感動している。だから特別に《冥王》の能力を見せてやろう」


 ヨハンは傍の樹木に片方の手の平を打ち付けた。

 そして引き裂くように爪を立て振り下ろすと、木の幹が剥がれる代わりに虚空が削られたような漆黒を湛えた裂け目が現れる。

 中で何かが蠢いているのが見える。

 それからすぐに奥から同じような色合いの気体がふわりと飛び出すと、スライムのように滑らかな動作で上半身だけ人の形を為すと、こちらへ流れてきた。

 そして私の寸前まで来ると。


『ア……アアアアアアァァァッ!! 出ジデ! ココガラ出ジテエェェッ!!』


 常人なら喉が裂けてしまいそうなほどの声音で、ヒトガタの霧が絶叫する。

 大口を開けて、同じく霧で出来た腕をばたばたと振り回しながら、何かから逃れようと必死にのた打ち回る。

 1体だけではない、一様に苦悶に歪んだ表情を浮かべながら、ヒトガタは次々と現れた。


『オ願イダァッ!! 助ケテ!! 誰カ、誰カァァァッ!!』

『痛イ痛イィ!! 体ガ崩壊シテ苦シイ……ッ!! モウ許シテクレエエェッ!!』

『何デ、何デゴンナ目ニ゛イィィ!! 神様アアァァ!!』


 絶望にくれる悲鳴が森の中にこだまする。

 助けてくれ、ここから出してくれと解放を乞い続ける。

 だけど、それは叶わない。

 私の目と鼻の先まで距離を縮めると、途端にその体は裂け目の中に引き戻される。

 そしてまた、同じように這い出して来ては何度でも助けを乞う。


(私は、何を見せられて――)


『!! モシカシテ、ウィノナカッ!? 助ケテ!!! 頼ム、助ケテクレェ!!!!』


 新しく生まれたヒトガタが聞き覚えのある声を放つ。

 形成された顔をよく見ると、それはさっきの戦闘で犠牲になったばかりのギルドの仲間だった。


『息ガ出来ナクテ苦シインダ……! 全身ヲ引キ千切ラレルヨウナ感覚ガ何時マデモ消エナインダ……ッ! 俺タチ仲間ダヨナ? ダカラ助ゲデッ! ウィノナ、ウィノナァァァッ!!』


 両腕を伸ばして私を取り込もうとするような勢いでヒトガタが迫る。

 だが彼は絶望に歪み切った表情を残滓に、呆気なく引き戻されていく。

 その後で裂け目が閉じると、周囲は何事もなかったように静寂に包まれた。


「……ぁ」

「壮観だろ? 今、垣間見えたのが地獄ってヤツだ。この檀刀『オールオーバー』の刃で絶命した人間は、死後の魂をオレサマの支配領域である“冥府”に送られ、未来永劫1日たりとも休まることなく、ありとあらゆる惨痛を味わうことになる」


 ただの数打ちにしか見えない太刀も、冥王専用の武器。

 そして――魂。

 あれらヒトガタは肉体を離れた皆の、なれの果ての姿。

 見知らぬ顔の魂は別の場所で殺した冒険者達のものなのか。


「どうして、こんなことを……! み、皆を、解放しろぉ……っ!」


 悍ましさで声が震える。

 内心の恐怖を隠すことは全くできていなくても、仲間の変わり果てた姿を見せられて、ほんの少しだけ心に残っていた義憤が私にそう言わせた。


「ってもなァ、これがオレサマの食事だしよ」

「た、魂が食事だと……」

「あァ、それだと残念賞だ。正確には……魂が生み出す瘴気だな」

「しょう、き」


 それは、いわゆる穢れを含んだ大気を指す言葉。

 一般的には魔物が空気中に毒素を巻いたことを意味して用いられる。

 だが、魂から生まれるそれは別の意味を持っていた。


「この辺りに漂ってる黒い靄も、元は瘴気。悲嘆、憤怒、怨恨とか、そうした生き物の持つ負の感情が実体化したものだ。……もっともこの辺りに浮いてんのは全部、“上”で死んだ無数の魔物の絶望だがな」

「……! じゃあ……魔物が復活してしまうのは……」

「ご推察の通り。ここいらの魔物は瘴気を生体エネルギーに変えられるのサ。お前らが元いた世界じゃ3カウント待たずに動けなくなっちまうが、この“アビス”じゃあ、瘴気が充満する限り際限なく活動できる」


 魔物を動かすのは、死んだ魔物の情念。

 心は死なない。だから、何度でも甦って、生者を襲う。

 ひとりでも多く、死者の世界に引きずり込むために。


「さっきの続きになるが、味がしねェ以前に、オレサマは他の奴と違って普通に喰っても栄養になんねェんだわ。代わりに、こうやって生き物の霊魂を取り込むのさ」


 取り込み、冥府に送り、その魂を永劫の責め苦に課す。

 そうすることで生まれる瘴気が自身の糧になるのだと、ヨハンは事もなげに言った。


「ここに来るまでに沼地で20は殺した、合わせて30は超えてるだろう。今も良い声で鳴いてるぜ。“上”じゃあ、おっぱいしかもらえなかったからな、大人になったんだから後は自分で獲れってこったろうな。……それはさておき、ウィノなんとかチャン。お仲間に加わる時間だ」

「あ……あぁ……」


 やだ、やだ、やだ。

 ぶんぶんと首を振るものの、太刀を振り上げる手は止まらない。


「いや……いやだ……!」

「潔くしろ。これは罰だ。オレサマの仲間を何匹も殺した。だからお前は地獄に落ちる」


 罰なんて知らない……!

 私はただ自由が欲しくて……幸せを自分の手でつかみたかっただけなのに。

 胸を張って、正しく生きてきたはずなのに。

 どうして、どうして……!

 嫌だ……逝きたくない! 地獄なんて逝きたくない!


「誰かぁ……っ!」


 死にたくない。ヤダ、ヤダ!

 こんなのって、あんまりだ。


「そんな拒否んなって。地獄の最前列でオレサマの活躍を見届けてくれや。愛してるぜ、なんとかチャン♪」


 だれか、たすけて……! ラビ! ソアラ! アーシェ! みんなぁ……っ!













「グガッ!!?? 何だァっ!! 何が起きた……!?」


 感情が極まってしまって、頭が思考をやめてしまったのだろうか。

 ぼんやりとした意識の彼方で、ヨハンの狼狽した声が聞こえる。


「!? オレサマの腕が……! こ、コイツは……!」

「はあああああああああああああっ!!!!」


 次いで、覇気を乗せたまだ幼さの残る男の子の声。

 ラビ、じゃない。

 でも……元気で、どこか頼りがいのある勢いのまま、ヨハンに臆することなく誰かが戦っている。


「――げガっ!? ごぶっ!! ……は、ハハハ! 凄ェな! まったく反応できなかったぜ、ガキィ……ッ!」

「…………ぐっ!!」


 ぼんやりと視界が浮かんでいて、詳細はわからない。

 小柄な人影がヨハンと思しき魔物に飛びついて、大きな剣を突き立てているのだけが、かろうじて判別できる。


「テメェの速度がぶっ飛んでんのか? それともスキルか? いいぜェ、そうだ……ゴふッ! こうでなくっちゃ張り合いがねェや! フヒャヒャヒャ!! ああ、楽しィなァ!! いいぜ……ここは大人しく()()()やる! だから、ゴホッ、必ず生きてオレサマの城まで来い! 待ってるからなァ、坊主ゥ!!」


 刹那、大柄な体が霧散する。

 どさっと人影が地面に落ちて、すぐに立ち上がって周囲を窺う。


 ……倒した、のだろうか。

 あの化け物を。


 それ以上、思考を回すには血を流し過ぎたのかもしれない。

 どうかそれが、夢ではなかったことを願って。

 私は、その意識を閉じた。



 ☆★☆★



「はぁっはぁっ……! ……やった。凄く強そうだったけど、勝てた……!」


「息があるのは……このお姉さんだけか。……うう、酷い。ディーさんからもらった傷薬を塗って治療します。鎧を外して体に触りますけど、許してくださいね」


「……縛ったくらいじゃ血が止まらない。専門職の人に治療してもらわないと。大丈夫です、必ず助けますから! よいしょっ!」


「とにかくお姉さん達と合流しなきゃ。城、か。この不気味な世界に落ちているなら、お姉さん達も向かってるはず。僕も行かないと!」


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