09 女騎士視点
「ハァッ! たッ!」
気合いを乗せた私の声が痩せ細った木々の合間に響く。
精霊魔法で強化された体で魔物の懐に飛び込んだ私が剣を一閃させると、長い腕を振り下ろさんとしていた魔物はあっさり真っ二つになった。
私達は昏い帷の落ちる森の中にいた。
森といっても木に葉は1枚もついていない。枯れ枝がまるで魔物の指先のように暗い空へ張り巡らされている。
そんな如何にも魔の住人が好みそうな場所で私達を襲ってきたのは、金切り声に魔力の波動を乗せながら攻撃してくるゴーストのような魔物と、異常に発達した四肢で木々の上を移動しながら襲い掛かってくる顔が眼球で出来た魔物。
両方とも、何度倒してもすぐに体を修復して起き上がってきた。
どんなに実力で上回っていても、これでは疲弊するばかり。
たった今倒したこの魔物も、このままではすぐに胴が繋がり復活するだろう。
だが――
「今だ! 《ウインドガード》を!」
「はい!」
仲間の魔術師の1人が風の防御幕を私達にではなく魔物の死体にかける。
すると、あの黒い靄が体内への侵入を阻害されて、それきり魔物が再び活動することはなくなる。
「よし。やったな、ラビ!」
「うん。お疲れ様、ウィノナ」
えへへ、名前で呼ばれてしまった。
そう、原理はわからないが、この靄こそ魔物が復活する要因。ならば大気の流れでダメージを軽減する風の力でそれらを打ち払ってしまえばいい。
はたして靄の侵入は阻害され、それ以降魔物が再活性することはなかった。
《ウインドガード》の効果は術者が解除する以外では
これもラビが思い付いたことだ。
さすが未来の夫。
そのことが判明してから私達を頼りに数名の冒険者が集まって、運良く合流できた元々のメンバー2人に加えて私達と同じ『真鍮』級だという冒険者8人が加わり、12人となった私達は、森の先に見える城を目指していた。
どうやら空に向かって階段が伸びているらしい。
その間も魔物は容赦なく襲いかかってきたが、回復役も2人になったことで前衛の私達もそれなりに無茶ができる。
精霊魔法の使い手であるラビが支援することで皆の力も最大限に発揮され、ここにきて私達は最強の布陣を築くことができた。
いきなりこんな魔界みたいなところに飛ばされたが、案ずることはない。
なにしろ、私達には“愛の力”があるからな!
「……ふふっ」
そう、これが愛なんだ。
先日のことは、思い出しただけで今でも頬が緩んでしまう。
恋が実って、好きな人と結ばれることがこんなに心を温かくしてくれるなんて想像以上だった。
男爵家の屋敷で貴族としての作法を学ぶだけだったあの頃とは全然違う。
恋愛だって、父の下にいたら私の意思そっちのけで廷臣の誰かと結婚させられてしまっただろう。
自分の人生は自分で決めると家を飛び出して冒険者になったけれど、今ではその判断は間違っていなかったと胸を張って言える。
現に、ギルドの皆は私達の幸せを心から喜んでくれた。
(できれば、ソアラとアーシェにも祝福して欲しかったな……)
彼女らとは恋のライバルではあったが、何だかんだ良いパーティーが組めていたと思う。
もっと一緒に冒険してみたかったのに、結局アーシェは雲隠れしてしまい、ソアラの家には何度か見舞いに訪れたのだが会わせてはもらえなかった。
気の合った仲間との離別は辛いけど仕方ない。
2人の分も……いや、死んだ仲間の分も私達が頑張らないと。
これはチャンスなんだ。
この異世界でどのパーティーよりも活躍して、名声を得る。
そしてやがては冒険者の最上位『神翠石』になるんだ。そうすればきっとお父様も――
「いやァ、そんな封じ方があるたァな。やっぱ戦闘のプロは違ェな」
その時、何ともやる気のない単調な拍手と共に、聞たことのない男性の声が響き渡る。
周囲を見渡すと、手前の木の上。幹の途中から2つに分かれた樹木にもたれかかる形で、ひとりの魔物が私達を見下ろしていた。
その姿は、筋骨隆々とした偉丈夫という言葉がぴったりと当てはまる。
がっしりとした体格に太い四肢。衣装は腰蓑のようなものが巻かれているだけの、まさに文明の外で育った風体をしていた。
ただし、見た目だけだ。
手足や顔立ちは人間のそれとほぼ変わらないのに、その表面は影のような黒い色に覆われ、振り乱れた髪の裏側では双眸が不吉な赤い光を灯している。
その出立ちには見覚えがあった。
平原で最後に落ちてきた、あの魔物だ。
背中には次いで降ってきた太刀を背負っている。
あの時は青年のようなシルエットだったが、それからも成長していたらしい。
「弱点はちゃんと用意してあんだけどな。まァ“叡智”とやらを最大限使えんのがお前ら人間の長所だ。いいぞ、そうでなくちゃァ、戦りがいがねェや」
人の言葉など理解できないはずの魔物が口を開く。
それは実に流暢なもので、飄々として言葉を放つ様相に、私は戦慄すら覚えていた。
それは皆も同じだったのか、明らかに動揺している。
「おい。喋ってるぞ、あいつ……」
「あの時の魔物でしょ、相当やばい奴なんじゃ……」
「何で俺達の前に……」
いけない、気持ちで負けてはいけない。
私はすぐに気を引き締めて剣を構える。
「皆、慌てるな。相手は1人だ、私達なら勝てる! ラビ、支援を!」
「……あ、ああ!」
皆を鼓舞しながら、私は愛する恋人にスキルの使用を促す。
直後、精霊魔法の強化が掛け直されて、私の体に満ちていく。
――そうだ、この力だ。
風、水、火、土、光、闇。
全ての属性が適合され、体が普段以上に沸き上がっていく感触。
冒険者として上位に行くには、なくてはならないと言われている精霊魔法の支援効果。
やれる、倒せる。
あれが相当な実力を持つ者だというのは、わかる。
おそらく『白銀』の更に上。『聖玉』級の力を持った化物だと思っていい。
私達は1度『黒晶』級に辛酸を舐めさせられた。
でも、あれから今日の日のために研鑽を積んだんだ。
「そうそう、喧嘩っ早くて助かるぜ。城で待ってンのも退屈だからなァ。メインイベント前の肩慣らしだ。準備ができたんならそろそろ始めるぜェ」
魔物が太刀を手に立ち上がる。
それだけでびりびりとした威圧が伝わってきた。
予感がする。きっと、この戦いは今まででもっとも苛烈な死闘になると。
だが、その前に。
「ウィノナ・スタインだ」
「…………あァ?」
魔物が小首をかしげる。
「私の名前だ。全員の名前を伝えるのはさすがに無粋だからな、代表して言った。君にも名前があるんだろう? これから戦う者の名前をできれば教えてくれないか」
意思を持つものならば、個を指す名前があるはずだ。
私が訊くとどこかおかしそうに魔物は口端を歪めた。
「ふ……フヒャヒャ! ああ、そうだ! イイ、こういうのもいいなァ。名前だよな? 俺が創造主から貰った名はヨハン。……いや、違うな」
何か腑に落ちなかったのか、首を捻った後で言い直す。
「――『冥王ヨハン』だ。登録されてンのはそっちだな。まァ、何でも好きに呼んでくれや」
ヨハン。
冥王とはいわゆる死後の世界を総べるものを指す名称。
登録だとかの意味はわからないが、やはり相当な力を持っていることに違いは無い。
「にしても……お前、ウィノナスタインってのか? 面白ェなァ」
「……ふん。これから戦う相手に興など覚えるな」
そんなことを言われても何も出ないぞ。
私は既に、ラビのものなんだからな!
「イヤイヤ。他の連中は固くなってるってのに、俺に必ず勝てるって心意気を感じる。イイぜ、獲物はこうやって活きが良くなくっちゃァな」
「気持ちで負けていてはどうにもならないからな。ついでにそれは遠からぬ未来に起きることだ」
饒舌な奴だ。
だが、こうしている間も全員の準備は整った。
そろそろ攻撃に移らせてもら――
「だからよ」
(え――――?)
声は、すぐ耳元でした。
「お前は、最後にとっておいてやるよ」
ぽんっと、肩に手が置かれる。
視線を移すと、そこには目の前で樹上に立っていたはずのヨハンがいた。
私に触れたのは、彼の手だった。
手が離れて、風が薙ぐ。
「へ? が――」
妙な声が聞こえて振り向くと、そこには仲間だった戦士の1人が冥王の太刀を受けて体を両断される光景が見て取れた。
(………………え)
「なっ……! ……ひっ――ゴぶッ」
続いて水気を含んだ悲鳴を上げたのは回復職である神官の女性。
彼女の顔には魔物の巨拳がめり込んで、どす黒い染みが広がっていた。
(……………………え)
振るわれた太刀が吸い込まれて彼女の体が寸断される。
続いて別の冒険者へ向かいヨハンが体を揺らす。
防御もままならずに鎧ごとその体が断ち切られ――――
(…………うそ)
私の目の前で、仲間が蹂躙されていく。
「ひっ! なん……ッ!」
「や、やめ――ぎッ!」
「う……うわあああああっ! あがっ!?」
まるで夢を見ているみたいに、仲間が次々に刃を受ける。
……そんな。
質の悪い幻想だとしか思えなかった。
私達は精霊魔法による強化を受けているはずで。
たとえ上位の魔物にだって、そこそこ戦えるはずの力を手にしているはずだった。
それなのに。
「ひっ! いやあああ!」
新しく仲間になった女性魔術師にヨハンが飛び掛かるのがようやく見える。
「や……やめっ!」
やめろ……やめて。
やめて、もう。
彼女を庇おうとして、私は魔物に向けて剣を振るい――
ザシュ。
ぐるりと振り返ったヨハンの太刀が閃く。
その軌道にあったのは。
くるくると宙を舞う、剣。
その柄を握りしめているのは、かつて知ったる白銀色のグローブがはめられた腕。
「ぁ……」
赤に染まる視界。
同時に、右の手首から先の感覚が消えてしまっていることに気付く。
「あーァ、最後って言ったろうがァ」
痛みよりも先に熱が襲って。
もう全部が悪い嘘なのだと思いながら、私はどさりと音を立てて地に落ちた剣と、それを握り締める自身の腕を見て、心を手放すしかなかった。




