06
「ん……」
わたしが目を覚ますと、そこは元いた平原ではなくゴツゴツとした岩肌が広がっていた。
肌寒く、薄暗い。
空の色は星が出ていてもおかしくないほど真っ黒なのに、周囲の景色は遠くまで見渡せるほどぼんやりと浮かび上がっている。
「エコー君、ディー?」
呼びかけてみるものの、2人はおろか他の冒険者の姿も無い。
いきなり地面が消えて落下したのだ。どのくらいの高さがあったかわからないけど、もしかしたら大怪我をしているかもしれない。
一刻も早く探さなければと思い、立ち上がって辺りを確認すると、荒れ果てた道の先に城壁のようなものが見えた。
王都のそれとは異なり高さが二回りは低かったけれど、もしかしたら誰かいるかもしれない。
他にあてもないため、ひとまずわたしはそちらへ向かうことにする。
道のすぐ脇は切り立った崖になっていた。
足下には視線を移すだけで身が竦んでしまうような闇がどこまでも広がっている。
この暗がりの先に底なんて存在しないのでは。1度足を踏み外してしまったら無間の中を永久に落ち続けてしまうのではないか。
そんな風に不安を掻き立てられる虚無がどこまでも顎を開いている。
もし、この先に2人が落ちてしまっていたとしたら。
(……考えるまでもないですね)
その時は迷わず飛び込んで、救出するだけだ。
落ちぶれるのには、もう慣れているのだから。
崖の道は緩やかな上り坂を描き、まるで導くように城壁の前まで続いていた。
壁沿いに歩いていくと、すぐに背丈の何倍もある木製の城門が姿を現す。
かんぬきはされていないようで、左右の扉は少しだけずれていて風が漏れ出していた。地面に近い場所からは平原で見た黒い靄が流れ出している。
隙間を通って奥に進むと、そこには町が広がっていた。
建築様式は王国とほとんど遜色はない。大きな通りの左右には大小いくつもの建物が並び、宿屋や酒場を示す看板も掛けられていた。ただ、そこに人の気配はない。
廃墟なのかと思ったものの、そう呼ぶにはどこか違和感があった。建物はほとんどが新築同然で、生活の痕跡が全く見られなかったからだ。
何か情報を得られないか通りを歩ていると。
(…………?)
ふと、建物の間の狭い路地で何かがもそりと動く。
念のため血剣を抜いてそちらへ向かうと、開け放しになったドアの影で誰かがうつ伏せで倒れていた。
背格好からして、冒険者の1人だ。
「大丈夫ですか?」
慎重に近付きながら声を掛けるものの返事はない。
意識を確かめようと体に触れようとした、その時。
「……あ、ああああああっ!! 助けてくれぇぇぇっ!!!」
むくりと上半身を起こした冒険者の男性が悲鳴を上げながらわたしに縋り付こうとする。その口元からは血液が溢れていた。
驚いて硬直してしまったわたしの目の前で、彼の体が抵抗の暇さえ与えられず叫び声と共にドアの奥へと一瞬で引きずられる。
「なっ……!」
暗がりのせいで部屋の奥は見えない。
代わりにばりばりと肉を噛み合わせるような瑞々しい音が反響した。
それからほどなくして。
ペタ、ペタ。
白い、4足歩行の何かがうちらに近付いてくる。
頭を過ぎったのはウルフの姿だったけど、それよりも姿勢が低く腕は横に伸びている。
人間だった。
まるで蜘蛛のように腕を曲げて地を這う、蒼白い肌をした人間の女性に似た体を持つ魔物だった。
頭は背中のほうまで首が回転し、上目遣いの瞳がこちらをぎょろりと見据えている。服は着ていない。振り乱された髪は触手のように垂れ下がり、毛先からは赤い雫が滴っていた。
「良イ子ニシテマシタカ?」
おっとりとして澄んだ声音で魔物が呟く。
「…………え?」
「……良イ子ニシテマシタカ? 良イ子ニシテマシタカ、良イ子ニシテマシタカ、良イ子ニ――」
それが魔物の鳴き声なのだと気付いた時には、魔物は虫のそれに似た加速でわたしに迫ると地面すれすれから飛び掛かってきた。
対応が遅れて組み敷かれてしまうと、向けられた後頭部の中央がぱっくりと2つに割れてその奥から頭髪のない血まみれの子どもの頭部が現れた。こちらが捕食用なのだろう、顎を何倍にも開いて噛みつこうとしてくる。
「くっ!」
片方の手は抑え込まれていたものの、わたしは空いた手に剣を創出してその腹を斬りつけた。
武器がないからと油断していたか、たまらず大きく仰け反る魔物。
追い打ちで頭部に刃を突き立てる。
「良イ子ニシエギギッ!」
連続で剣を創出、体に叩き込む。
刃は呆気なく体奥に吸い込まれ、何本もの刃に串刺しにされた魔物はやがて動きを止めた。
見た目や言動は異形そのものだけれど、力は差ほどでもないようだ。
「……っ!」
けれども息を吐く間もなく気配を感じて振り向くと、来た道の方角に2本の足で立つ白い影。
その外見には見覚えがあった。
端的に言ってしまえば人間の骨だ。成人と変わらない背丈の人骨がまるで睥睨するようにぽっかり空いた眼窩をこちらへ向けていた。
その手には、戦斧が握られている。
あの影が実体化したような魔物の言葉。
わたし達が生者であるならば、この敵は――
反対側からも生まれた気配に振り返ると、同じように武器を手にした骨がふらふらと佇んでいた。
1体だけではない、ここから見えるだけでも10体近くはいるだろうか。
中には鎧を着用している者もいる。
虚ろな仕草で剣や槍など様々な武器を手にして近付いてくる様相は、まるでわたしを仲間に引き入れようにも見えた。
感情の類は見受けられなかったものの、カタカタと音を立てながら一斉に襲いかかってきたのは、それから間もなくのことだった。
「……! 数は多くても……!」
両手に剣を構え、わたしは骨に向かって走り出す。
骨だけの身にしては動作は機敏。でも、目で追えないほどではない。
もちろん攻撃を受けたところでわたしに害はないにしても、そのほとんどは容易に回避できた。
逆にわたしががら空きの胸部に剣を叩き込むと、肋骨は呆気なく砕けて背骨が損傷すると、途端に人骨は地に崩れ去った。
続けざまに剣を叩き込み2体、3体と撃破していく。
これなら、わたし1人でも殲滅できる。
そう思った矢先――
「良イ子ニシテマシタカ?」
耳元で、あの女性の魔物の声。
振り向いた時には私の体に飛びつく蒼白の腕が伸びていた。
(女性の魔物のほうにも仲間がいた!?)
喉笛に喰らいつかれながらも魔物の体に目を落とすと、その体には見慣れた血の色の剣が突き刺さっている。言うまでも無くさっき仕留めたと思われた魔物と同一個体だった。
油断した、死んだフリをしていたのだろうか。
だけど――周囲を見てわたしは目を見張った。
粉々にしたはずの骨の体に黒い靄のようなものが吸い込まれたかと思うと、ばらばらになった骨が瞬く間に修復され、再び立ち上がって武器を取る。
「まさか……」
食い千切られた喉から剣を創出して手に取ると、女性の魔物の首を刎ねてもう1度とどめを刺す。
人骨が襲い来るなか彼女を観察すると、やはり同じように黒い靄が体内に吸い込まれたかと思うと女性の首が接合され何事もなかったかのように“再生”を果たした。
間違いない、この魔物達は倒しても甦る。
アンデッド、リビングデッド、ネクロム。
死の概念から外れた者、あるいは死を超越した者。
伝承の存在だと思っていたけれど、まさか実在していたなんて。
再生までには時間がある、ひとまず退いて様子を――
「良イ子ニ――シテマシタカ」
その時、ドアの奥からさらにもう1体女性の魔物が現れ、わたしを強襲する。
「っ!? くっ!」
何とか引き剥がそうとしても、不死者の群れは次々に迫ってくる。
平原では頭さえ潰せば動きを停止したけど、この魔物達は死んでも元の状態に再生してしまう。
まるで、今のわたしを相手にしているようだった。
「ほんと、厄介よねぇ」
その時、すぐ近くで聞き慣れた声が響くと、わたしに迫っていた魔物達の頭部が次々に破壊される。
「……ディー! 良かった、無事だったんですね!」
隣に立っていたのは黒い外套を纏いメイスを構えるディーの姿。
元気そうな姿を見て、わたしは心の底から安堵する。
「見たとこ、あの靄が体に入ると復活するみたいねぇ。でも甦るまでには多少時間がかかるみたいだから、一気に切り開いて逃げるわよ」
「は、はい! あの、エコー君は!?」
「まだ来たばかりだけど、今のとこ見てないわ。ひとまず落ち着ける場所を探して状況を確認するわよ」
無言を是としてわたしは剣を創出し、通りに立ち塞がる骨の群れを打ち払う。
横に並んだディーも次々に魔物の頭を粉砕し、通りへ出たところで――
ズン…………。
地が震え、暗い影が降りる。
通りの中央に降り立ったのは、わたし達の身長の何倍もあるドラゴンだった。
ただし翼は虫に喰われたように穴が空き、鱗が剥がれ落ちて爛れた外皮が痛ましい。その眼窩に瞳はなく、腐り落ちた歯茎にようやく牙が接いでいる。
死竜。
一見して満身創痍。だけど今となっては恐るべき特性があることを私達は知っていた。
竜から放たれる強烈な殺意はひしひしと伝わってくる。
眼球がなくともこちらの姿は視認できるのか、わたし達を捕捉する首が左右へ動いた。
「これまた大物が来たわね……!」
「来ます……!」
ドラゴンの口元が淡い光を帯びる。
これは、竜固有の技である《ブレス》の動作だ。
平原での狂乱と違って不死化しても技は使えるらしい。
わたしは問題ない、でもディーはどうか。建物に隠れて回避しようか、考えたその時。
ヒュガッ――――
竜の周囲に突如として光が現れ魔物を灼く。
首回りが閃くとごとり、とドラゴンの頭部が地に落ちる。
「危なかったなぁ、姉ちゃん」
建物の上から声が響き、わたし達を見下ろすように数人の男女が姿を現す。
名前は把握していないけれど、その面々には覚えがある。
平原で力を誇示していた上位冒険者達だった。




