02
「冒険者の皆さま。この度は世界の危機に力をお貸しいただき、感謝の念に堪えません。教会の総主として、心から敬意を表します」
整った顔立ちに静かな笑みを湛えながら、主教様は清んだ声音で口を開いた。
「間もなく“グランドフォール”が発生し、悪意が大地を蝕むでしょう。どうか皆さまに神のご加護があらんことを。信徒一同、ご無事をお祈りしております」
水晶窟の合間を流れる涼風のように、神秘的な雰囲気で言葉を紡ぐ姿に誰もが息を呑む。
自身の背丈とほぼ同じ長さの杖を置いて跪くと、主教様は静かに頭を伏せて祈りを捧げた。
銀髪がさらりと頬を流れて陽光を反射する様は、まるで芸術品が息を吹いたように美しい。
洗練された動作に宿営地の誰もが見とれてしまっている。
とても同じ年頃とは思えない少女の所作に、わたしはいつの間にか我を忘れて魅入ってしまっていた。
彼女こそ世界に1千万の信徒を抱える教会の指導者にして、神のご意思の代弁者。
お名前は、ヨレンタ様という。
確か幼い頃には既に聖女として認められ、主教に選ばれたのは歴代でも最年少の12歳だとか。普段は司教様らに支えられながら教会のまとめ役をこなされているはずだ。
(え……)
祈りを解いてゆっくりと顔を上げた主教様の碧瞳が、一瞬わたしを捉えたような気がした。
ただの気のせいかもしれない。でも本当に少しだけ、周囲に向ける慈愛とは異なった見定めるような容貌をされていたように思えたのだ。
だけど、それから彼女がこちらに顔を向けることは一度もなく、形式的な文言を残した後、奥に下がっていった。
「驚いたろ。同じ平民の出だからと自らお申し出くださったんだぜ」
カファールさんが口を開く。
普段は大聖堂の奥で聖務に励まれているため、たとえ信徒であっても市民は祭事以外でそのお姿を拝見する機会は滅多にないだけに、冒険者の多くは沸き立っていた。
「さすが、絶世の美女と噂されるだけあるな」
「ああ、すっかり見惚れちまったぜ」
前座が前座だっただけに落ち込んでいた士気も幾分持ち直したようだ。
その気持ちの多くは信仰と関係のないもののようだったけれど。
だけど横に立つディーの顔は、なぜか判然としないものだった。
「カミサマがお告げをくれるのって、人を助けるためよね」
「? そうですね」
「ならどうしてもっと大勢じゃなく、たった1人にしか言葉をくれないのかしら」
「え?」
「この晴れ渡った空を見なさい。とても魔物が降ってきそうな雰囲気じゃないわ。にも拘わらず、それは起こるって断言してる。もっと大勢に伝えないと、信憑性が薄くて行動してもらえないんじゃない?」
「それは……神様にも事情があるんじゃないですか? 信心深く高潔な精神の持ち主でないと、ご意思を賜れないという事ですし」
後は、昔からの積み重ねというのもあるだろう。
今代のみならず歴代の主教様も例外なく神託を授かっており、グランドフォールの発生日時を誤ったことは1度もないとされている。
初めから真に受けられることは無かったにせよ、何度も言い当てていれば信頼も増してくる。
神託があるからこそ迎撃準備もできるのだし、そうでなければ被害はもっと拡大しているだろう。
世界の危機を何度もお救いくださっているのだから、崇敬されるのは当然のこと。そもそも魔物と戦うための魔法やスキルをもたらしてくれたのも神様というではないか。
その感謝を伝えるために教会が組織されたともいえるのだから。
「それって見方を変えると、カミサマにも崇められたいって下心があるってことでしょ。ちょっと勿体ぶり過ぎって話よね。大体、穴が開く予告は1ヵ月も前からできるくせに、穴そのものを閉じたり魔物を打ち払らうことはしてくれないのかしら。どうも本気で救おうって気が感じられないのよねぇ」
「いや、さすがにそこまでは図々しいというか……」
確か魔物にも魔物を創造した“神”が存在するという言い伝えがあったはず。
邪悪なものには干渉できないとか、何かしら制約があるのではないか。
いずれにせよ十分過ぎるほど人に尽くしてくださっているのだから、文句をつけるのは罰あたりだと思う。
「もしかしたら案外――あ、始まるみたいね」
話を切った彼女がそちらを促すと、段差を設けた台の上にカファールさんが立っていた。
「全員注目。……あー、後ろの方、聞こえるな。少し早いがこれで締め切りだ。これから作戦内容及び報酬について説明する。心して聞くように」
下に降りてきた魔術師の魔法によって拡声された声が響く。
いよいよということで、全員の顔が引き締まったものに変わった。
「まず確認だが、グランドフォール――ここからは短く“穴”と呼ぶが、近年では王国全体で多くても20個が1日がかりで出現するに留まっている。これまでは騎士団のみで対処できたが、最近の魔物の異常な行動を踏まえて念のためお前らを招集するに至った。――ただ、穴の出現場所次第では戦闘自体ないってこともある。仮に出番が無かったとしても報酬は払う。ただしその場合は各パーティーに『真鍮』級相当のみだ。そこは妥協してくれ」
何もしなくても収入はあるから、無駄骨でも良しとしてくれということだろう。
特に不満の声も上がらず話は続く。
「耳の聡い奴ならもう知っているだろうが、既に王都には近衛騎士団を含めて1万人が駐留し、王都圏全体に2万の兵が展開している。お前らの担当はこの先の平原一帯だ。近辺に降りた魔物を今日1日撃退し続けることが任務になる。まあ、1度に降ってくる魔物は例年通りなら多くても1000体。どうにもできない数じゃねえだろう。万が一異常事態が起きた時は増援の要請も考慮してるしな」
こちらは総勢500人。しかも全員がそれなりの実績を残している上位の冒険者だ。
魔物の階級は様々だけど、あくまで強敵なのは『真鍮』以上。強い魔物ほど個体数も少ないらしく割合としては10分の1にも満たないそうだ。総合的にはこちらの戦力が上だと思う。
「攻撃指示が出たら後は好きにやっていい。それまで勝手な行動はするなよ。ここまでで質問あるか」
「指示を出す騎士が先に死んじまったらどうするんだ?」
冒険者のひとりが質問を投げかける。
カファールさんは一瞬きょとんとしてから、にやりと笑って。
「そうなったら冒険者の腕の見せ所だな。好きにやって生き延びろ。さて、次はお待ちかね報酬の件だ」
ここからが大事だ。
わたしは聞き逃さないように神経を耳に集中する。
だけど告げられた言葉は短く、そして眉をひそめたくなるようなものだった。
「作戦が成功した場合、全パーティー一律に『聖玉』級クエスト分の報酬を出す。――以上だ」
案の定、冒険者の間からどよめきが起こる。
この場にいるのは最も階級の高いパーティーでも『白銀』級のみ。
報酬はその上の『聖玉』級。
わたし達なら3等分してもそれぞれ1年は不自由なく生きていけるほどの収入になる。
確かに申し分のない金額だけど、でも、一律はまずいのではないか。
「それだと働き損になる奴が出ちまうじゃねえか」
誰かが当然ともいえる意見を口にする。
そう。頑張ったところでどうせ同じ報酬額なら、積極的に戦うより自分の身の安全を考えてしまうのでは。
冒険者同士は階級が近いと言っても力量差は必ずある。
強い魔物に実力者がぶつかっていくのが理想とはいえ、対等の立場で集まっているのに自分達だけ危険な目に遭うのは筋が違うと思うのは普通のことだろう。
お金の払いが良くてもリスクを冒すだけの実が無いのでは、面倒を押し付けあって作戦が頓挫してしまう可能性もあるのではないだろうか。
「まあ、当然貢献度にバラつきが出るよな。でもさあ、いざ戦闘になったら結局のところ乱戦だろ。どのパーティーが何匹倒したとか、個別に査定なんて無理なんだわ。あっちよりこっちのが活躍したとか揉められても面倒だしな。そこで、点数方式にした」
「点数?」
「ああ。まず俺らから見てサボってると思う奴、足を引っ張ってる奴はペナルティとして減点する。ある程度マイナスになった時点でそいつのパーティーは報酬ナシだ」
「はっ!?」
これには誰もが目を剥いた。
さすがにそれは酷いような、後からいくらでも理由を付けて報酬をカットできるではないか。
「そんなの、お前らの匙加減でどうとでもなっちまうじゃねえか!」
「こんな時までふざけんなよ!」
「まあ聞け。ただし報酬ナシは最大でも2パーティーのみ。取り上げた報酬は残りのパーティーに均等に分配する。これなら俺らが不正するメリットはねえだろ? 少なくとも普通に働いてれば報酬が更に増えるかもしれねえしな」
「……それならそれで雑魚狩りに走るんじゃないか?」
「あからさまならそれも減点だけどな。ということで加点の話。もし、わかりやすい形で討伐に貢献してるパーティー――大物を仕留めたとか積極的に味方のフォローをしたとかだな。そいつらには特別報奨を用意してある」
「報奨?」
それが昇級だったら良いのだけど。
カファールさんは部下に指示を飛ばして台車を運ばせる。
そこに乗せられたものの1つを取り出して、皆に見えるよう掲げると、何人かの冒険者が溜め息を漏した。
「まず1つ目。超希少金属【ヒヒイロカネ】の鋳塊だ。伝説の戦士の武具は大体コレが素材。好きなよう加工してどうぞ」
赤みがかった金属の延べ棒は、冒険者なら1度は聞いたことのある鍛冶や錬金に用いる超レア素材だった。
次に取り出したのは、ケースに入れられた小さな指輪。
「2つ目は、かの大魔導師アンドレアスが開発したとされる魔具【ヘルメスの指環】。使用する攻撃魔法の魔力消費量とクールタイムを上昇させる代わりに威力を格段に増幅させるユニークアイテムだ」
これには主に魔術師系の冒険者から歓声が上がった。
そして彼が最後に手にしたのは、禍々しく湾曲した漆黒の大剣。
刃の部分が魔獣の爪のように枝分かれしている。あまり実用的とは思えない剣だった。
「そして最後。あの《宵闇の鍛冶師》といわれた伝説のドワーフ職人ザルチャの傑作【ブラックディード】。使用するものの生命力を吸い取って形状を変えるレジェンダリ級の魔法剣だ。実力を遺憾なく発揮してくれた上位3パーティーには、これら武器庫に眠っていた品々の1つを進呈しよう」
残念ながら特別報奨は最後までアイテムだった。
通常では手に入らないものばかりなのだろうけど、わたしは鍛冶スキルも無ければ魔法も剣も使わない。
だけど、周囲の冒険者は子どものように目をきらきらと輝かせている。
「うおっ、凄ぇなぁ!」
「そういうのでいいんだよ、そういうので」
「勿体ぶりやがって、何が『――以上だ』だよ。よっしゃ、俄然やる気出てきたぜ!」
そんな様子をうんうんと頷きながらご満悦な様子で眺めるカファールさん。
ちょろいなあ、とでも思っているのかもしれない。
「……2人はどれか欲しいのありました?」
「僕はあまりピンと来ないというか。部屋に置いておいたら盗まれそうで」
「どれも売って金にするぐらいよ。悪かったわ。ワタシのせいで変に期待させちゃったわね」
「強制参加みたいなものでしたし、仕方ないですよ」
結局、迎撃戦は『黒晶』への昇級と関係のないものだった。
残念だけど気持ちを切り替えていくしかない。
報酬は出るのだから、後は減点されないように注意すれば良いだろう。
「フッ、優劣をつけるには丁度良い指標ができたじゃないか」
ふと隣から声がする。
振り向くとそこには、いつの間にかやってきたウィノナさんが不敵な笑みを浮かべていた。
「どうしたんですか、急に」
「どうしたも何も、ついに決着をつける時が来たと言ってるんだ」
疑問を挟む余地もなく、ウィノナさんはあろうことか剣を抜いて切っ先をこちらに向けてきた。
唐突な事態に何事かと周囲が注目する。
「以前、待合所で約束したな。君らの戦いを見せてもらうと。そして、どちらが上か、はっきりさせようと」
……いや、前半は覚えがありますけど、勝負事をするのは聞いてませんよ?
「良い機会だ。どちらのパーティーがあの報奨品を手に入れられるか、尋常に勝負といこうじゃないか」
「……えぇ」
嫌ですよ、そんな。
目立ちたくないし適当にやって終わらせるつもりなんですから。
大体、わたし達じゃ上位の冒険者に敵いませんって。
「申し訳ないですが、遠慮しておきます」
「なっ!? 今の場面は誰がどう見たって受ける流れだろう! まったく、そんな風に空気が読めないからギルドでも浮いてしまうんだぞ」
地団太を踏まれてしまうけど、大きなお世話です。
もしかしてラビ君達も同じ考えなのかと思ったら、ウィノナさん以外は誰もいなかった。
「あの、ひとりで来たんですか?」
「ああ。最近、皆ノリが悪くてな。メンバーが次々に離脱しているのはわかるが、いい加減ここらで切り替えないといけない。というわけでこの勝負を通じて、私達は結束を取り戻すのだ」
「知りません。わたし達を巻き込まないでと言っておきます」
「冷たいなあ、もう! 負けたとしても思い切り勝ち誇るだけにしておくからいいじゃないか!」
食い下がるウィノナさん。どうしよう、ちょっと鬱陶しく思ってしまった。
そしてディー、笑いを堪えてないで助けてください。
どうしたものかと悩んでいると、カファールさんの声が響く。
「お、集会のど真ん中で剣抜いてるアホ発見。あんな風に身内と揉める奴も減点でーす。おい、そこのアホをつまみだせ」
「え、え、私!? いや待て、これは我々と彼女の正当なる決闘でだな! は、話を聞いてくれーっ!」
騎士に両肩を担がれて退場していくウィノナさん。
ラビ君達のパーティーは開始前から減点になってしまった。
「うひゃひゃひゃ! あいつ本当に面白いわねぇ!」
「……少しは緊張感を持ちましょうよ」
何だか開始前から疲れてしまった。
まあ、考えてみたら穴が持ち場に出現しない可能性もあるわけで、その場合はお金だけが手に入ってそれまでなのだけど。
「お……おい!」
その時、冒険者の1人が彼方を指さして叫ぶ。
視線を移すと、ちょうど冒険者部隊の担当である平原の上空がぐにゃりと歪んで、夕立の前のような暗い影を落とした。
「始まったな。腕の見せ所だぞ、諸君」
その後も歪みは空を蝕み、やがて小規模の集落ならすっぽりと覆ってしまうほどの虚空に開いた大穴となる。
(簡単にはいかないと覚悟していたけど)
これが、グランドフォール。
間近で見るのは初めてだった。
喧騒は収まり、皆の顔つきが熟練のそれへと変わる。
苦難の1日は、こうして幕を開けた。




