10
「カァ」
先に動いたのは鳥の魔獣だった。
杖をこちらへ向けると先端が淡く発光し、凍てつくような強風が放出される。
「ぐっ……!」
上級氷魔法の《ブリザード》を彷彿とさせる攻撃。
雪混じりの冷気は肌に張り付き、容赦なく体の自由を奪っていく。
放っておけばいずれわたし達も氷漬けになってしまうけど、吹雪のせいで身動きが取れない。
(まさか、こんな弱点があったなんて……!)
《セルフヒール》の発動はあくまで肉体が損傷を受けた時のみで、いくら寒くても体温が下がっただけでは回復対象にならない……ようだった。
何しろ灼かれたことはあっても、凍らされたことは1度もなかったから感覚が掴めない。
吹き付ける風に加えて雪が張り付いて身動きが取れない。
完全回復があっても、これでは攻撃すること自体が不可能だった。
「ちょっと……まずいんじゃないの、これは……!」
いくら身軽なディーも範囲攻撃は避けようがない。
なんとか魔物に近付こうとするものの、黒装束の霜は急速に厚みを増していった。
このままでは状況が悪化するばかりだ。
「お姉さん、僕はどうしますか……!」
吹雪の影響がそれほどでもないエコー君が声を上げる。
だけど、接近するほど冷気が増すのだ。近接攻撃の彼にできることは少ない。
「採集品を護ってください……! 気温の……変化にっ……弱いそうなので……!」
そう口にするのが精一杯だった。
こうしている間も肌が凍てついていく。
洞窟にしては広い空間でも入口に佇む魔物までの間には身を隠せるほどの遮蔽物もなく、これでは回り込むこともできない。
「カァカァ」
魔物が一声啼くと、早々に終わらせるとばかりに槍のようなデザインの氷柱を2つ具現化させる。宙に浮かぶその矛先は言うまでもなくわたしとディーだ。
程なくして高速で射出される氷塊をディーはぎりぎりでかわし、わたしはきっちりと腹部で受け止める。
「ごふっ……!」
軽々と皮膚を突き破って臓腑に染み渡る零度の痛み。
だけど、魔法ならば吸収してしまえばモノにできる。
取り込んだ氷の槍は半端なサイズなものの、隙を作るには十分。
「ディー、合わせて!」
わたしは右手を上げて取り込んだ氷の礫を魔物に向けて飛ばす。
「……っ!?」
魔物が怯んだお陰で杖から放たれる強風の軌道がわずかに逸れる。
それも一瞬のことだけど、彼女にはそれだけで十分。
ディーがスキルを発動し、魔物との距離を神速で詰める。
懐に入ってしまえば魔法で攻撃されるリスクは減る。それどころか、彼女なら急所を捉えられるはず。
「カッ」
魔物が杖の底で地面を叩く。すると突如として地面から透明な煉瓦とでもいうべき分厚い氷の壁がせり上がりディーの行く手を阻む。
アイスウォールという魔法の存在は聞いたことがあるけど、氷系統なら補助魔法でも使えるようだ。
唐突な障壁の出現にもディーは勢いそのまま、魔物へと疾駆する。
そのまま、突き破る気だ。
「お……らぁっ!!」
渾身の力を足に込め、飛び蹴りを叩き込むディー。
靴底が直撃した箇所を中心にヒビが入ると氷壁はこぶし大の破片となって砕け散る。
それだけでも尋常じゃない威力だけど、この場においては一歩足りない。
再び魔物の姿を捉えるものの、動きは完全に殺がれてしまっている。
そして魔物がもう1度地面を叩くと、今度は杖を中心にわたしの足元にまで広がる魔法陣が展開した。
(これは……まさか《フローズンフィート》!?)
カーナがわたしを逃がすために使ってくれた、魔方陣を踏み込んだものの足下を凍らせて対象を固定する氷魔法。
スキルレベルが違うと範囲もここまで違ってくることに驚愕しつつ、ディーの危機に気付く。
「ディー! 乗ってっ!」
すぐそばまで来たわたしが叫ぶと、こちらを振り向いたディーが意図に気付いてくれたか跳躍する。
直後に《フローズンフィート》発動。わたしの足から膝までが瞬く間に凍らされていく。
だけど、わたしの背中に飛び乗ったディーは無事。そのまま彼女はわたしを足場に空中を舞って陣の外へ。
思い切り背中を踏み抜かれたお陰で脊椎が嫌な音を立てたけど問題なく再生。
追撃があるかとも思ったけど、魔物の動きは止まっていた。
こちらをじっと見据える光のない瞳には戸惑いのようなものが見受けられた。
さっきお腹を貫いたのに動けるのが不思議なのだろう。
逡巡の後、杖をこちらに構え――
「…………ガッ!?」
その肩に上から降ってきた何かが突き刺さる。
目を凝らしてみると、ディーが常備している毒を仕込むためのニードルだった。
「頭上がお留守よ、鳥野郎」
得意げな声が響く。
おそらく後退する寸前、直接投げてはガードされるため魔物の視界の外、上方に放っていたのだ。それが時間をおいて魔物の位置まで落下してきた。
あの一瞬でよく計算できたと思うけど、こういうところは本当に人間離れしていると思う。
「ほら、あんたも」
びしゃりと足下に液体が撒かれたかと思うと火球が投げ込まれてあっという間に炎が燃え上がり、氷が融けだした。
彼女が以前使用した“燃える水”だ。
自由になったわたしは一旦距離を取って魔物の様子を窺う。
毒は効いているようだけど、さすがに致死にまでは足らないようだ。
「これがイレギュラーってヤツ? 後でギルドに文句言わないとねぇ」
「……しょっちゅうですからキリがないですよ」
「でも1ランク上が精々ね。魔法に特化してるみたいだけど、その分本体の耐久は見た目通りよぉ」
「そう言われても、接近できないとどうにも……」
正直、どうしていいかわからなかった。
投擲は氷の壁に阻まれるだろうし、近付けばフローズンフィートで足止めされる。
しかもこちらの行動を阻害する範囲攻撃まである。
自動回復もいわゆる“凍傷”になるまで発動しないようだった。
相性が悪すぎる。
(……もしかして、この先ずっとこうなの?)
どんな攻撃だって耐えられるといっても、勝てなければ意味はない。
持久戦に持ち込んだとしたって、だらだらと戦ってくれる魔物がどれだけいるだろう。逃げられてしまえば、追う術がないわたしにはそれまでなのだから。
今の『黒晶』級ではこのクラスの敵が当たり前なのだろうか。
『白銀』になるには更にもう1段階上の敵が待っているのに。
だとしたら、わたしは――
「なに暗い顔してんの、辛気臭っ」
「……ほっといてください」
不快感を隠そうともしないディーの言葉に、逆に沈みかけていた気分が戻ってくる。
考え込んでしまう性質なんだからしょうがないじゃないですか、もう。
「……それで、明るくなるような案は浮かびましたか?」
「ええ、1コ思いついた。悪いんだけどしばらく1人で時間稼げるかしら」
「いいですけど、何をするつもりですか?」
「『クロバナ』は猛毒の原料になる。さっきエコーが回収したのをここで調合して、鳥野郎に喰らわせる。うまくいけば1発で勝負が決まるハズ」
「え? ……専門の器具がいるのに、ここで調合なんかできるんですか?」
彼女がダガーやニードル以外にも暗器をいくつか装備しているのは知っている。でもさすがにそこまで準備をしているようには見えなかった。
それに毒を作成できたとして、結局のところ魔物に近付けなければ無駄なのではないか。
「持ち直したみたいねアイツ。まぁ、パーティーを信じなさい。好きでしょ“信頼”って言葉」
「あ、もう……!」
そのまま後ろへ下がってしまうディー。
言いたいことはあったけど、打開策が思い浮かばない以上従うしかない。
前を向くと、杖を掲げる魔物の周囲に霧のようなものが立ち込めている。
何をする気かはわからないけど、今までより強力な魔法を使おうとしているのは確かだった。
「信頼、ですか……」
1度裏切った人間にとって、その言葉は呪いに等しい重圧を持つ。
信頼を裏切ったものはもう誰からも信じられてはいけない。
それでも、もう1度信じてもらえたら、信じぬかなければならない。
もう2度と誰かを裏切らないように。
(信じますよ、ディー)
何としてでも足止めする。そのために――
わたしはいつもの血剣を取り出す方法で、《セルフヒール》の力で同化したもう1つの武器を創出する。
「力を貸して、カーナ」
手の中に生まれたのは、ヴィクト君の剣と同じようにわたしの血で真っ赤に染まった魔杖。
(……3人で、目指しているんでしたね)
そうだ、わたしに弱音を吐いてる暇はない。
わたしの中にはいつも2人がいる。
いついかなる時も、『白銀』を目指すわたしを見守っていてくれている。
「……あんまり遅いと倒しちゃいますからね」
背丈ほどもある杖を両手で構え、わたしは洞窟に充満していく冷気の渦の中に身を投じた。




