02
まさか魔物が落とし穴を用意するなんて。
そんなもの誰が想像できるかと心の中で非難を繰り返しながら狭苦しい穴の中をわたしは滑り落ちていく。
何とか落下を止めなければと足掻いてみたけれど、できるのは剣を突き立てて減速することぐらい。
やがて眼前を高速で流れる土の壁がふっと途絶えて広い空間に投げ出されると、どうにか受け身を取って着地する。
どこに光源があるのか、ぼんやりと薄明かりに照らされて浮かび上がるのは町の酒場ぐらいの間取りの洞窟。
どうやらここが落とし穴の底らしいけど――
「……っ」
周囲を見渡して息を呑む。
地面のいたるところに横たわっているのは人間や家畜、さらには巨大昆虫やゴブリンといった魔物の死骸。
それらは例外なく体中を抉られ原形を留めていない。
魔獣の餌食になったのだろう。
そして、暴食の張本人は目と鼻の先にいた。
水気を含んだ音を立てて、こちらに背を向け岩陰で血肉を啜るもの。
こちらには見向きもせず何かの死体を貪っている。
上で見たトゥカファと同じ藍色の鱗で外皮を覆った1体の魔獣。
「ンンンンンン」
輝く瞳で魔獣がこちらを振り向く。
おそらくこちらが雌だろう。体が小さく頭の角が無い。
彼らに落とし穴を仕掛ける習性があるなんて情報はなかったけど、魔獣の背後を見て納得する。
洞窟内の光源でもある青白い輝きを放つ丸みを帯びた物体。
粘液のようなもので壁に張りけられている人の頭ほどの大きさのそれらは、魔獣の卵に他ならなかった。
ここは彼らの巣。そしてゆりかごであり、食堂でもある。
そう理解した時には、魔獣があっという間にこちらへ肉薄していた。
「ン」
魔獣がわたしの片足を軽々掴み取る。
反撃する暇もなく軽々とわたしの体は宙を舞って、それから素振りでもするように壁面に叩きつけた。
顔面が陥没して鼻がひしゃげ、歯がボロボロと折れた。首の骨から肋骨にかけても粉砕され内蔵に突き刺さる。
「……ンン」
次に見た時には元通りになっているわたしを見て、魔獣が首をかしげる。
それから今度は地べた目掛けて念入りに何度も叩きつけられ、硬い地面に体が接触するたびに破裂した臓器が盛大に吐き出された。
べちゃ、ぐちゃ、べちゃ、ぐちゃ。
外傷とは違い内臓への衝撃はまた別種の耐え難い苦痛がある。
でも、そこまで。
痛めつけるだけでは、わたしを屠殺するには程遠い。力づくでは《完全回復》の壁を越えられない。
体を潰したはずなのに次の瞬間には平然としているわたしに苛立ったか、魔獣は尚も力を強めわたしを粉砕しようとするものの、肉片と血しぶきが舞い上がった傍から再生する。
「――そろそろ反撃です」
次の叩きつけでわたしは爆ぜた半身の再生方法を変え、大量の血剣を四方に射出する。
さすがに怯んだか拘束していた手を放す魔獣。
それだけでは硬い鱗を持つ魔獣にダメージらしいダメージはほとんど与えられなかったものの、想定内だ。
(なら、ここは?)
自らの手で血剣を投擲する。
これだけは何度も練習したから技術には自信がある。
狙いは、昆虫のそれに似た紅く光る瞳。
「――――ンンッ!!」
装甲のような鱗ほどの防御力はなかったか、剣は片目を容易に貫いた。
長い手足をばたつかせて憤る魔獣。
致命傷には程遠いけど、それでも活路は見えた。
「あなたを倒して、早く2人と合流させてもらいます……!」
倒すべき敵ははっきりした。
後はどれだけ迅速にかたをつけられるか。
討伐対象にあらためて向き直ると、血剣を両手にわたしは駆け出した。
☆★☆★
「た、大変だ! 早くお姉さんを助けないと!」
横でエコーちゃんが声を上げるが、今がそんな場合でないことは明白だった。
まったく、アレッサの戦いぶりが見れるかと思ったけど、こんなことになるんじゃ無理にでも止めとくんだった。
変なとこヌケてるのよねぇ、あの子。
戦闘向きじゃないっていうか、そもそも冒険者に向いてないっていうか。
リーダーなんて任せたら壊滅ものでしょうに。
じゃあ何でそんな女とつるんだのかと言えば説明がつかないんだけど。
「やめときなさい。あんなもんじゃアイツは死なないわよ」
目の前に佇む魔獣から視線を外さず言葉を返す。
死なない、というか死なれたら興ざめだ。少しでも顔を背けたら隙をつかれる、やられる。今はそんな状況だった。
「え……でも」
「あれでくたばるんじゃ、ここで死んどいたほうが幸せなのよ。『白銀』だっけ、そんなの遠い夢なんだから。どっちかというと、今ヤバイのはワタシたちのほうよ」
そう。今、絶体絶命なのはこっちのほうだ。
この魔獣はやばい、面倒くさい。
まともにやり合ったらまず無傷では済まない。
裏を返せば、まともにやり合わなければ攻略法はいくらでもある。
たとえば逃げるだけならそこの彼を犠牲にすればいい。
別に昨日今日あったばかりだし、特に思い入れもないのだからそれ自体は心が痛むもへったくれもない。
まあ本当にそうしたら、あいつが口きいてくれなくなるだろうけど。
ともあれ、この魔物はやばい。外見に似合わず隙が無さすぎる。
まるで武術の達人と相対しているように一挙手一投足を見られているというか、そんな感じだ。
こんな化け物が存在するとかまったく嫌になる。
ワタシは奇襲が専門であって、こうやって正面切って戦うのは専門外なのに。
「あの魔獣、やっぱり強いんですか?」
「んなもんクソがつくほどヤバイわ。もうとっくに間合いにも入ってるし、いつ襲いかかってきてもおかしくないわよ」
馬鹿でかい図体をしていて一見鈍そうだけど、こちらを黙って睥睨しているのは、決して逃がさないという自信があるのか何なのか。
人間じゃないやつの気持ちを理解するのは苦手なのよねぇ。
人間でも頭の中を理解できないやつなんて山ほどいるけど。自分も含めてね。
さておき、ここまで来たらやるしかない。
一応パーティーを組んだのも仕事の内なわけだし。
でも、その前に――
「一応聞くけど……今があいつの言ってた命の危機なワケだけど、逃げなくていいの?」
この素人のガキの立ち位置ははっきりしておかなくちゃ。
口をすっぱくして言われたわよね。
“危なくなったら逃げる”って。
今がその時だと思うんだけど。
ワタシはヤるのが専門で護衛は職務の範囲外。単独でやるならはっきりいって足枷でしかない。
「そんなことより、早くアイツを倒してお姉さんを助けにいきましょう!」
……意気込みは買うけどはっきりいってアレよ、マスコットだわ。
やる気だけで能力がついてないのはどうなのよ、アテにされても困るんだけど。
悪いけど、エコーちゃんの実力はおおむね把握している。実戦を見たことはなくとも大体のレベルはわかる。
この魔獣が彼を守りながら戦えるほど遊べる相手じゃないのは明白だ。
鼓舞される分にはいい。でも戦力に数えるかっていうなら、まだそこらの冒険者を雇った方がマシだった。
でもまあ、返ってきた答えは一応、澱みがなかった。
本気でアレッサのこと心配してる。気持ちが伝わる返事だった。
だったら次に確認しておくのは――
「ディーさんは《スカウト》ですよね? だったら《剣士》の僕が盾になりますから、安心して攻撃に専念してください!」
…………ああ、そう。
対等に扱っていいのねって聞こうとしたのに。
ハナからそのつもりなのね。
「なんていうか、あの女のカレなだけあるわねぇ」
よくも根拠無く自信が出せる。
この子もタガが外れてるのね。まあ、嫌いじゃないけど。
「へ?」
「何でもない。それより、盾ならワタシがやる。あんたは隙を見つけて斬りかかりなさい」
腹をくくってワタシは腰からダガーを抜いた。
対等だというなら、手を抜くわけにもいかない。全力で目の前の標的を殺す。
確か、こいつを単独で倒せば一流だとかなんとかギルドマスターが言っていたか。
だったらいっそ、イチバンを目指す気でやってみようか。
「こいつを仕留めるわよ、エコー」
ひとまず2人でこいつを倒して、とりあえず二流になりましょうか。
今のワタシは冒険者だものね。




