01
ラクシャの町から村を4つ過ぎた先。雑草も根付かぬ乾いた大地が続く山間部。
左右に巨大な断崖がそびえる峡谷の入り口前で、わたしはエコー君に向き合っていた。
「いいですか。“危なくなったらすぐ逃げる”。はい、復唱してください」
「あ、危なくなったらすぐ逃げる……」
「声が小さいです、もう1度」
「危なくなったらすぐ逃げる!」
「気合が入ってないです、もう1度」
「危なくなったらすぐ逃げる!!」
「それもう何回目よ……」
背後からディー――“さん”は付けなくていいというので呼び捨てにしている――の呆れ声が響くものの、残念ながら彼の話の聞かなさっぷりは並みではない。
暇さえあれば言い聞かせて精神に植え付けておくぐらいでないと。
「ポーションは忘れてませんね? 回復役がいないんですから、少しでも傷を負ったらすぐに使ってくださいね」
「でも100本はいくらなんでも多くないですか? バッグが重くて……」
「何言ってるんですか、かすり傷からバイ菌が入ったらどうするんですか」
「過保護か」
初級ポーションでもがぶ飲みすれば回復量は上がるから大量に持っていくに越したことはない。本当なら状態異常も含めて完全回復するエリクサーがベストだけど、1本買うだけでも『銀』級の報酬が消えてなくなってしまうため止むなく妥協した。
ちなみにディーは自前の錬金術スキルで作った傷薬を所持しているらしい。
単独で『銀』級まで到達したと言うし、実際に身体能力が高いのも知っているからエコー君ほど心配していないけど、それでも不意の一撃が運命を変えてしまうことだってある。
(自分の命を狙ってる人を心配するのもおかしな話ですけどね)
――わたしを殺す方法を見つけたい。
そんな理由でパーティーを組んでくれた《暗殺者》ディー。
すぐそばでわたしを観察して暗殺を成し遂げたいそうだけど、窮地を救われたという思いが強くて、悪人だとかそういうイメージは全くない。
実際、最初に襲撃されてからもう5日が経つけどその間1度も命を狙われてはいなかった。
せっかくパーティーを組んだのだからと、こうしてクエストの協力までしてくれる。報酬はきっちり3分の1を要求されたけど、もちろん了承した。
ディーの目的はわたしの目的。
いずれは、見つけ出してほしい。
わたしが……に至れる手段を。
「そろそろ行きましょうよぉ。ここに魔獣が住み着いちゃったんでしょ?」
「……らしいですね。元『黒晶』級魔獣トゥカファが今回の討伐対象です。気を付けていきましょう」
「頑張ります!」
パーティーを組んだ次の日、わたし達はさっそく『真鍮』級のクエストを受けた。
依頼主は王国及び商業ギルド。依頼内容は隣国との交易路である峡谷に現れた魔獣の討伐。
同地域には本来別の魔物が棲息していたものの、最近それらを一掃して縄張りにし始めたのが件の魔獣だった。すでに商隊にも犠牲が出ているらしく、交易には迂回を余儀なくされているそうだ。
悪魔属に分類されるトゥカファは以前倒したラスティリアのような巨体ではないけれど、それでも成人男性を遥かに凌ぐ背丈があり、必ずつがいで行動しているのが特徴だ。
攻撃力や耐久力はおろか俊敏性も同サイズの魔物とは比較にならぬほどのフィジカルを秘めている。ラスティリアが難攻不落の要塞ならトゥカファは暴風の如き戦象だそうだ。ただし弱点らしい弱点はなく、正面から挑んで退けられるなら冒険者としては一流だとゼノビアさんが言っていた。
とはいえ《セルフヒール》の完全回復の速度を超えられなければ相手がどれだけ強くても持久戦に持ち込める。
「では予定通り先行します。ディー、《ファントムハイド》をお願いしていいですか?」
「了解ぁい」
彼女がぽんとエコー君の頭に手を置くと、次の瞬間2人の姿が周囲の景色と同化していく。
スカウト系最上位スキルの1つ《ファントムハイド》は自身と触れたものを透明にして生き物の視界に映らなくさせる効果がある。
なんとも反則的なスキルだけど、息遣いなどの音は消せないのと、一定時間の経過及び激しい運動が解除条件であるため1度バレてしまうと2度目は通じないのがネックとなる。
作戦は単純。わたしがひとりで堂々と歩き囮になり、襲いに来た魔獣をスキルで隠れていた2人と共に叩く。
前回のように自ら丸呑みにされて内部からずたずたにする戦法は使えないものの、つがいということは魔物は最大でも2体しかいないということ。
奇襲をかけて1体でも先に倒してしまえばアドバンテージを奪えるはずだ。
谷に足を踏み出すと、少し離れたところで地を踏みしめる1人分の足音がかすかに聞こえた。たぶんエコー君のものだろうけど、このくらいなら魔獣に悟られることはないと思いたい。
日が高く昇っているため視界は良好。
道幅はわたしの足で20歩ほどなので動くものを見落とすこともない。
身を潜めるには十分な横穴や大岩などの遮蔽物を通り過ぎるたびに強襲を警戒したけどその気配もなく、わたしはどんどん奥へと進んでいった。
「…………」
どれほどの時間が経ったか、入口もすでに見えなくなり谷の深くまで踏査しかけた頃。
「……ンンン、ンンンン」
独特の低い唸り声をあげながら、岩陰からゆっくりとソレは現れた。
背筋を伸ばし2本の足でしっかりと立つ筋肉質な体つきは情報通りの大柄という以外、人の構造と差異はない。ただしその表面は甲鱗のような外皮と棘に覆われ、首から上には湾曲した太い角が天に向かって生えている。さらには爛々と紅色に輝く2つの瞳。
異形。
まさか正面から現れるとは思わなかった。
特徴からしてもこれがトゥカファで間違いない。
未知の敵と相対するのは完全回復を得た今でも慣れるものではないけど、それでもわたしは手に血剣を創出して臨戦態勢に入る。
魔獣から仕掛けてくる気配はない。だけどこちらを素通りさせてくれるほど殺意を抑えてもいない。
2人には任意のタイミングで奇襲するように言ってあるから、交戦すればそれがそのまま合図になるはず。
(来ないのなら、こちらから仕掛けますか)
わたしが足を踏み出しかけたその時だ。
「やめときなさい、罠よ」
すぐ横に立っていたディーがわたしの肩を引いた。
「!? ディー、どうして!」
姿はわたしにも見えている。《ファントムハイド》を解いたのだ。すぐ後ろにはエコー君の姿もある。
奇襲を断念してあっさり姿を現した彼女にわたしは動揺を隠せなかった。
どうしてあっさり解除してしまったのだろう、これでは作戦が違う。
非難する前に彼女が答える。
「もうバレてたのよ。アイツ、こっちにも目配せしたわ。鼻か耳が利くのかしらねぇ。とにかく様子を見た方がいいわ」
「……本当に? そんな素振り見えませんでしたけど」
訝るわたしに、ディーは魔獣から視線を外さず続けた。
「いい? こっちは人間の女2人に男の子1人。普通の魔物ならご馳走よ。なのに向かって来ない。何かあるに決まってるわ」
「……何かってなんですか?」
「そんなの知らないわよぉ。確か、夫婦なんでしょアイツら。もう1体の姿が見えないからそいつを発見してからでも遅くないわ」
そんな悠長な。
言われてみればそうですけど、どんな罠が待ってたってわたしなら耐え切れる。
こうして会話している間も、余裕があるのか相変わらず魔獣はこちらを睥睨するだけで襲ってこない。
「あの、お姉さん。僕も嫌な予感が」
エコー君まで。
そこまで言われるとなんだか反骨精神がわいてくる。
「……どんな罠か知りませんけど、わたしなら大丈夫ですよ」
「何が起きても知らないわよぉ」
忠告はしたとばかりにひらひら手を振るディー。
まあ、何かあるのは間違いはないのだろうが、どんな策だろうとどんな威力だろうと《セルフヒール》なら凌ぎ切れる自信がある。
黙って見ていたところで進展するとも思えないし、あまりなめられても困る。
スキルの力を2人に知らしめる意味でも、後ろは任せますよと一言だけ告げ、わたしは正面切って魔獣に向け駆け出した。
「はああああっ!!」
気合を入れ、剣を突き上げたこちらを確認しても魔獣は動かない。だけどそれならそれで好都合。
頑強そうな外殻からして切り伏せるのは難がある。
ならば、装甲の隙間をついて――
と、その時。
ずぼっ、と足元が音を立てて消える。
「はっ!?」
土砂と共に吸い込まれるわたしの体。
まさか罠って。
「落とし穴ですってええええ!?」
だから言わんこっちゃない。
刹那、にんまりと魔物が嗤いを浮かべたような気がするのと同時に、深い深い穴を落下する中で、わたしはそんな声を聞いた気がした。




