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「それじゃ、明日もよろしくお願いします!」
「……ええ。暇だったらまた」
陽はすっかり暮れていた。
最近のお決まりになっていた挨拶を交わして、隣の部屋に入っていくエコー君を見送る。
もう後1つ依頼をクリアすると彼は『銅』級になる。
わたしは結局クエストをずるずると手伝ってしまっていた。
……本当に、何をやってるんだろう。
いくらすることがないからって、本人のためにならないってわかっているのに。
今日はお世話になっているからとご飯まで一緒に食べてしまった。
結局、あれからエコー君は他のギルドメンバーとずっと口をきいていない。
彼らのほうもエコー君を露骨に避けているし、もう完全にわたしの仲間と思われている。
性格はいい子だし、どちらかといえば社交的なタイプなのに、関わっている相手がわたしというのが最高に悪趣過ぎた。
本人の勝手なのだし放っておけばいい……とは思えなくて、でもいくら考えても良い案は浮かばず、今日もわたしは溜め息をつきながら自室へと戻った。
「……?」
室内に入るとすぐに違和感を感じる。
部屋があるのは宿の2階になのだが、一か所だけある窓が開いて緩やかな夜風が入り込んでいた。
もちろん閉めていったはずだ。泥棒が入ったのかとも思ったけど特に荒らされた形跡も無く、何よりお金になりそうなものは置いていない。
風か何かで勝手に空いたのかなと、窓を閉めようと思った刹那。
銀色の光が視界の端に映った気がして、次の瞬間、ひゅんっという空間を切る音。
床から壁から天井から、わたしの方へ“風”が向かい、そのまま体の中をひやりとした感触が疾り抜ける。
「?」
比喩とかではなく、文字通り体内を何かが物理的に通過したのだと思う。
正体まではわからなかったけれど、とても細い筋のような何か。
それが滑らかに、肉に沿って吸い込まれていった気がする。
違和感の正体はわからないまま再び窓の方へ向かおうとした時だ。
「ハイ、お仕事完了ぉ」
女性のつまらなそうな声が響く。
そちらを向くとフード付きの外套を纏った見知らぬ女性が壁に寄りかかってこちらをしげしげと見つめていた。
紫色の瞳を湛えた三白眼に月光のように白い顔立ちの、歳はわたしと同じか少し上と思われる女性だ。
外套の下にはいかにも動きやすそうな漆黒色のレザースーツを着用し、細身ながらも引き締まった肢体が美しい線を描いている。腰のベルトにはダガーサイズの刃物が携帯されていて、全体の印象としては≪ローグ≫や≪スカウト≫といった偵察や奇襲を得意とする職業に近い装備だった。
だけどギルドメンバーも含め、その顔に心当たりはない。
研ぎ澄まされた刃物を前にしたような雰囲気は、あからさまな敵意こそなくても明らかに友好的ではないものだった。
「何したんだか知んないけど、あんたも難儀よねぇ。一方的に「殺せ、八つ裂きにしろ」なんてさ。ま、巡り合わせだと思って諦めなさい」
「……あなたは?」
「あんたをヤりに来たごく普通の暗殺者よぉ。ああ、身構えなくていいわ。さっきも言ったけど、もう終わったから」
堂々と暗殺しに来ましたと言い切った彼女は、右手のひとさし指をくるくると回した。
薄暗くてはっきりしないけど、その指には指輪のような金具にきらきらした糸のようなものが結われているのが窺える。
「あんたの首から下はもうバラバラになってる。一歩でも動いたらその瞬間バランスを崩した積み木みたいに倒壊するわ。まあそうじゃくても、後5つ数えるくらいの命だけど。というわけで、サヨナラ」
間もなく時が訪れると、懐に入れておいた硬貨を詰めた袋が見事に寸断された。
お陰でお金が床に散らばってしまった。
「…………」
「ったく、ゴミみたいな依頼を避けたいから料金設定高くしてんのに。まあ、うっかり引き受けちゃったワタシもワタシだけどさぁ」
「……あの」
「間抜け面で言ってくるもんだからついね。ってもう聞いてないか。ていうか、その服のせいで血が出てんのかどうかわかりづらいわねぇ」
「お金が散らばりました」
「すぐにあんたの体も散らばるから安心しなさい」
「…………」
「………………………………あ、あら?」
彼女がこちらにやってくる。
そして腕や顔を指でツンツンしてきた。くすぐったい。
胸の先端をついてきたところで、わたしはその顔をビンタした。
「痛っ!? ……え、えぇ!? ちょっと、どういうことぉ? 確かに鋼線で体をばらばらにしたわよね、目測を誤ったのかしら? いや、でも……」
さっき体を通り抜けたのは、鉄糸のように鋭利な道具だったのだろう。
布を断ったとは思えないほど切り口は滑らかで、これなら骨や肉を断つことも容易なはず。現に、あの瞬間わたしの体は確かにこまぎれになった。
命を狙われたのは驚きだったけど、でも《セルフヒール》は意識の外、寝ている間だろうと発動する。斬った傍から完全に再生してしまうので単に体の中を何かが通ったようにしか感じなかったのだろう。
「あの――」
混乱している暗殺者さんに声をかけようとして、次の瞬間、その手が翻ったかと思うとわたしの左胸にダガーが突き立てられていた。
心臓の中心を的確に刃が入り込んでいく。
常人なら間違いなく即死の一撃。
それでも、その即死は【即時発動】【CT0】を上回らない。
それどころか突き立てられたままの刃は吸収され、細胞の一部となってしまう。
「……!」
持ち手だけとなった得物を見て、その時初めて彼女の顔から表情が消えた。
今度は軽く飛び上がるとその右脚がわたしの首に叩き込まれる。
ゴキリと嫌な音が響いて頭部が曲がってはいけない方向に曲げられてしまうものの、瞬く間に再生。
視界を戻すと既に彼女の姿は掻き消え、直後、首筋にニードルのような細い金属が入り込む痛みが襲う。
おそらくは毒攻撃の一種。金属回りの肉や骨がぐずぐずに崩れていくのがわかる。溶けた組織は問題なく再生するけど、わずかな間にもう何度致命傷を叩きこまれたことか。
彼女は手を緩めずに、振りむいたわたしの首を別のダガーで切り裂く。だけど血飛沫すらなく肉と肉が融合する様相を見て、初めて大きく後ろに退がった。
「……幻惑魔法とかじゃない。首の骨を折っても止まらない。毒を注入しても溶けない。確実に斬ってるのに斬れない」
――あんた、人間?
やや独白に近い問いかけ。
答える必要はないし襲われたのだから撃退しても構わないのだろうけど、できれば諦めて引いてほしい。
「あの、誰から頼まれたのか知りませんけど、もう少し待ってもらえませんか。わたしは――」
どうにかわかってもらおうとして、ふと背後に別の気配を感じて振り返る。
「お姉さん、どうしたんですか? 何だか物音がしましたけど」
開いたままのドア。廊下にいたのはエコー君だった。
まずい。
慌ててそちらに視線を移すと“彼女”もそちらを凝視している。
暗殺者は普段は世間に素性を知られず生活している分、仕事の際に決して証拠を残さない。
では暗殺の現場を目撃された場合どうするか。
そんなの決まっている。目撃したものを速やかに消す、それ以外にない。
「ちっ」
舌打ちひとつ、彼女が動く。
向かう先はエコー君――ではない、開いたままの窓へ走り出している。
まずい、まずい、まずい。
一旦離脱して、後日ゆっくりと消しにかかる気だ。
こうなったら厄介だ。いつ襲ってくるかもわからない相手を四六時中警戒するのは実質不可能に近い。
わたしはどうでもいい。でも、エコー君を巻き添えにするわけにはいかない。
慌ててわたしは彼女の後を追い窓の外へ身を乗り出した。
後ろでエコー君の叫び声が聞こえたものの事は一刻を争う。
そのまま地上へ飛び降りた彼女の影は市街の路地奥へと吸い込まれていく。
その影を追いかけて、わたしは静謐に包まれた夜の町に身を躍らせた。




