06
彼女が現れると待合所が一瞬の内に静まり返った。
白に染まった髪を頭の後ろでまとめ、くしゃくしゃに皺の寄った顔に難しい表情を浮かべた、一見して小柄なお婆さん。
だが、纏っている空気はとても重厚なものだ。
普段は待合所にもほとんど顔を出さないが彼女こそ、ラクシャの町の冒険者ギルドマスターを務めるゼノビアさんだった。
なんでも昔はかなり高名な冒険者だったらしく、王都のギルド組合長にも顔がきくのだとか。
こうして顔を合わせるのは冒険者登録をした時以来だけど、その表情は初見の時以上に険しいものだった。
「昼間からうるさい奴らだね……。ナナリ、受付に資格を剥奪する権限なんかないだろう。調子に乗ってんじゃないよ」
ゼノビアさんがぎろりと睨みつけると――初めて名前を知ったけど――ナナリさんは椅子から慌てて立ち上がり、背筋をただして向き直った。
よほど緊張しているのか、額には脂汗が浮かんでいる。
「い、いえ違うんですっ! 聞いてくださいマスター! この女、冒険者としてあるまじき行為をしていたんですよ!?」
「……なんだいそりゃ」
「はい! なんと彼女、体を売って男を雇い入れクエストをクリアしてるんです! とんでもない毒婦です!」
「そうなのかい?」
「してません」
「っ!! この期に及んでウソまでつくなんてどこまで腐ってるの、この底辺陰気女っ!! マスター、見ての通りの往生際の悪さでギルド内の空気まで最悪にしてるんですよ! 倫理的に許されません、有り得ないです! ギルドの看板に泥を塗ってますっ!! こんな女、すぐにでも追い出すべきですっ!」
早口でヒートアップするナナリさんを、しかしゼノビアさんはどこか冷えた視線で一瞥していた。
「倫理なんて人それぞれだろう。法を破らなきゃそれでいいんだよ。大体うちのギルドには元罪人も何人かいるが、そいつらも追い出すってのかい」
「そ……それは……!」
ナナリさんが口ごもり、同時に何人かが気まずそうに視線を外す。
職を失った人間、まっとうな職に就けない人間が生活のため冒険者になることは珍しいことではない。
犯罪者崩れがいることは一般にも周知されていることで、基本的には冒険者ギルドは荒くれ者の集まりというのが世間での認識だった。
「か、彼らは問題を起こしてませんし、みんな仲良くやってるからいいんです! 彼女のやり方は女の尊厳を貶める行為なんですよ!? マスターも女性ならわかってくれますよね!?」
まくし立て同意を求めてくる彼女を、ゼノビアさんは「あたしみたいな老いぼれに何言ってんだ」と不快そうな表情を浮かべて口を開いた。
「いいかい、冒険者は結果が全てだ。依頼者とギルドに不利益をもたらさなければ達成するための手段は自由。当人がいいってんなら傭兵でも騎士団でも好きなだけ雇って構わない。もちろんウチは定められた以上の報酬を払うことはないし、上から問題視されれば規約が変わりもするけどね。アレッサがどんな手を使おうが、苦情がないなら何でもいいんだよ」
「わ、私達がめいわ――」
「ギルドが不利益を受けたか判断するのは、あたしだ。資格を剥奪するかどうか決めるのもあたしだ。これ以上くだらない言いがかりで内輪揉めするなら、関わった全員出てってもらうからね」
最後の一言はナナリさんだけでなく待合所の隅まで聞こえるような声量だった。
皆が押し黙り、反論する人は誰もいない。
それからさらに、ゼノビアさんは続ける。
「それはそれとして、ナナリ。お前はクビだ」
「…………えっ!?」
信じられないといった面持ちでその瞳が見開かれる。
「く、くく、クビ!? なんで!? どうしてですか!?」
「お前、アレッサに『銀』から『黒晶』級へ変更になったはずの討伐依頼を受けさせたね」
(え?)
「前の書類を処分してなかったようだが、新しいのを渡すついでに口頭で言ったんだ。知らなかったとは言わせないよ」
「いや、それは……あの……っ!」
たしかにわたしはレッドバロンの討伐依頼書を見たけど、あれは古いものだったということだろうか。
ならば、ラスティリアという魔物との遭遇はイレギュラーではなくて、それどころか本来受けられない階級の依頼をわたしは受けていたことになる。
「さっきの報酬も『銀』級の分しか渡してなかったね。ウソつきは下衆だとか何とか自分で言ってなかったかい。ギルドの看板に泥塗ってんのはお前だろうが。ほら、どきな」
ナナリさんはぱくぱくと口を開閉して何か言いたそうにしているものの、肝心の言葉が出て来ない。そんな彼女の横を素通りしてゼノビアさんは壁際の金庫へ行くと、中からお金をかき集めて報酬袋に入れ、わたしの方へやってきた。
「悪かったねアレッサ。これが正規の報酬だ、受け取りな。後さっきコイツから貰った分はギルドからの迷惑料だと思って収めとくれ」
「…………あの、それなら迷惑料は結構ですから、わたしを『銀』に昇級させてくれませんか?」
「あぁ? 何言ってんだい」
低い声で思い切り睨まれてしまった。久々に恐怖というものを感じる。
だけどさっきの話が本当なら、わたしが達成した依頼は『白銀』の1つ下である『黒晶』級。
『銀』級2つ分にカウントするくらい構わないはず。
お金にはあまり興味がないし、少しでも早く上へ昇るにはまたとない機会に思えた。
そのことを伝えると、やがて溜め息1つ。
「……いいだろう。これで貸し借りなしだ」
「ありがとう、ございます」
「新しいギルド証を発注しとくから後で取りに来な」
わたしは心から感謝しゼノビアさんに頭を下げる。
思いもよらず昇級することができた。
今日はほんの少しだけ運が良いらしい。
「いいだろうじゃないですよぉっ!! 私がクビってどういうことですかぁー!?」
その時、唐突にナナリさんが大声をあげる。
その顔立ちは何だかとても老け込んでいて、全身から悲壮感が溢れていた。
「こんな簡単にクビなんてあんまりです! 大体、私の代わりに誰が受付をするっていうんですか!?」
「さっき斡旋所に求人の申請を出してきた。新しいのが決まるまでは、面倒くさいがあたしがやる」
「……はぁっ!? それって、私の言い分も聞かないでクビ確定だったってことぉ!?」
「そうなるね。依頼の取り違えはご法度だからねぇ」
「そんな! 私、スキルだって事務系のものばかり覚えて、一生懸命がんばってたのに! 天職だって思ってたのに! 精一杯ギルドの役に立とうとしてきたのに! それをたった1回の……!」
次の瞬間、ナナリさんの襟首を両手でつかみ、ゼノビアさんが真顔で引き寄せた。
その顔には、誰が見てもわかるほどの途方もない怒りが溢れ、発せられた声は今までで最も底冷えするものだった。
「冒険者は、そのたった1回のヘマで再起不能の怪我を負ったり、経費を回収できず路頭に迷ったり、死んだりする」
「!? ……あ、ぁ」
「いつだって1回に命懸けてんだよ。クビがなんなんだ。明日があるならそれで万歳だろうが。1番向いてないのは、次があるなんて軽く考えてるお前だろうが」
ゼノビアさんが手を離すとうなだれたままナナリさんは膝をついてそれきり顔をあげようとしなかった。
「あの……わたしは別に気にしてませんよ?」
さすがに気の毒になってそう言ったけれど、ゼノビアさんはもう受付席の整理を始めていた。
「お前が気にしないからなんだい。こういうのはきっちりしとかないと組織が腐るんだよ」
それは、ギルドを預かる責任者としての言葉。
彼女だって感情的に決めたわけではない。しっかりと天秤にかけた上で、自分の責任のもと、ナナリさんを切ると決めたのだ。
それでもまだ彼女がクビになったことに納得がいかないのか、冒険者の何人かが声をあげる。
「ゼノビア婆さん、いくらなんでもあんまりだぜ」「彼女だって今まで頑張ってきたんだ」「少しは取り計らってくれてもいいじゃねーか」
その中にはラビ君もいた。
「ゼノビアおばあさん。どうかぼくの顔に免じてもう1度だけ彼女にチャンスを与えてくれませんか?」
真摯な眼差しを向けて、懇願する。今やギルドの中心であるラビ君の発言。
ある意味ではギルドメンバー全員の心象を左右しかねない。
だけど――
「お前の童貞顔で何をどう免じろってんだい」
「……!? なっ!?」
さすがに全否定されるとは思わず、ラビ君は二の句が継げなくなってしまう。
童貞ってどういう意味だろう。
尚もゼノビアさんは、ついでだと全員に向けて声を上げた。
「いい機会だから言っておくけどね。ウチはいつから貴族の仲良しクラブみたいになったんだい」
「ど、どういう意味よ!」
「全員とても命張ってる人間の面には見えないってことだよ。いい歳した連中がママゴトでもしてるみたいで、気色悪いったらありゃしない。ぬるま湯に浸かりたいなら、冒険者以外にいくらでも安全な職があるだろうが。年の功で教えといてやるが、冒険者にとって必要なのは仲間意識じゃない、誰よりも早く這い上がろうってプロ意識だ」
こんなだからウチは、いつまで経っても『白銀』が3人しか現れないんだよ。
その途端、誰もが不満から顔を真っ赤にして――だけど、今度こそまともに反論する人は現れなかった。
口を開きかけた人もいたけれど、結局はゼノビアさんの雰囲気に気圧されて押し黙ってしまう。
ラビ君の取り巻きの3人は、明らかに別な感情を持ってずっとそちらを睨んでいたけれど。
それからゼノビアさんはこちらに顔を移してきた。
「ああ、アレッサ。お前がさっき言った要望だけど、ここのところ魔物の動きが慌ただしいのは本部も承知している。ついては『真鍮』以上のクエストは1度難易度を見直すそうだ。決議があるまでクエストは発注しないから覚えておきな」
「……! そう、ですか……」
それじゃあ、今日のうちに新しい依頼は受けられない。
手持無沙汰になってしまったわたしは決議とやらが早く決まることを祈りながら、ギルドを後にした。




