第二十六話 ボス登場
沈黙の洞窟地下二階、迷宮層では魔物達の悲鳴が木霊していた。次々に襲い掛かって来る魔物達に手を焼いたベテラン冒険者達が、十人以上の一大パーティーを臨時で組んだ為である。
二人、もしくは三人程度のパーティーでは魔物に数負けして苦戦していた彼等も、十人以上ともなれば流石に余裕が出てくる。元々が個々の強さは秀でているベテラン勢ということもあって、その快進撃は留まることを知らなかった。
前衛に居る一人の冒険者が剣から弓に持ち替えて、魔物達に向けて矢を放つ。矢をつがえて発射するまで一秒にも満たずに撃てるそれは、神技にも等しい。放たれた矢がオークの頭に刺さると、その生命をあっけなく奪いとる。
その冒険者は一撃だけにとどまらず、何発も魔物達へと矢を放った。その度にオークが、ジャイアントバットが、リザードマンが、大蜘蛛が、放たれる矢の数だけ魔物達の命を狩り取っていく。
魔物側も黙ってやられているわけではない。何とか接近戦に持ち込もうとオークやリザードマンを中心に突撃するが、前衛を固めている戦士職の壁は厚かった。
全身鎧を着ている重剣士が大剣を振るうと、突撃してくる魔物達の先方を両断していく。一撃必殺の言葉通りに、その剣を受けた魔物達は、冒険者達に攻撃も届かせることなく死んでいった。
別の魔物の部隊が後方から冒険者達に襲いかかろうと別通路から迂回してくる。冒険者達の背後をとることに魔物達は成功するが、そこに炎の津波が押し寄せた。ルーネが作り出した大魔法だ。彼女が生み出した炎の地獄は、魔物達を一飲みにすると、後には焼け焦げた魔物の死体しか残っていなかった。
前衛も奇襲部隊も壊滅した魔物達は、一目散に逃げようとして冒険者達から距離を離そうとするが、背を向けた魔物達に矢が降り注ぐ。先程の弓矢持ちの冒険者が追撃として放ったのだ。
みるみる内に瓦解していく魔物達。冒険者達の活躍は、このまま行けば、この階層にいる魔物達を全滅させる勢いであった。しかし――
魔物達からの連戦をくぐり抜けた冒険者達が小休止を兼ねて自身の武器や鎧を確認する。剣は刃こぼれが起きて切れ味が鈍くなり始めている。鎧は所々欠けているかへこんで、その形を変えていた。それだけではない。疲労や、身体に増えていく傷や怪我は、確実に彼等の継戦能力を奪っていった。
ルーネと共に臨時パーティーへ参加していたカリスは、この状況にいらついていた。
「おいアーノルド、早くレッドオークを討伐して戻らないとこっちがもたねえぞ。まだレッドオークは見つからねえのか」
アーノルドと呼ばれたのは、先ほど魔物達と退治していた全身鎧の重戦士である。柄が胴体ほどもある愛用の大剣を鞘に仕舞い込むとカリスを一瞥してぶっきらぼうに言った。
「さあな、魔物の抵抗が激しい所を見ると、そろそろ親玉には出会えるだろう」
アーノルドの投げやりな返答にカリスが舌打ちをする。これでカリスは僧侶職なのだから世の中わからないものだ。
「全くついてないぜ。リークスはリタイアするわ、魔物達には囲まれるわ、これでレッドオークの賞金が手に入らなけりゃあ、やってられねえ」
カリスの愚痴にアーノルドが横槍を入れた。
「リークスについてはお前達の自業自得だ。新人をからかおうとして、手痛いしっぺ返しを受けただけだろ。それで、あの新人の冒険者はどうするんだ?」
カリスはアーノルドの言葉を鼻で笑うと。
「あいつはもう良い、仕返しとして奴の仲間二人をルーネが焼き殺したしな。この通り、結界石も戻ってきたし、リークスを叩きのめした事についてはチャラにしてやるよ」
カリスは結界石を取り出すと、手で遊び始める。
カリスの言葉にアーノルドは特に感傷を抱かなかった。冒険者同士での殺し合いなど日常茶飯事であり、さして気にする程でもない。しかし、カリスが懐から取り出した結界石を
しばらく見続けると、フルフェイスの奥にあるアーノルドの顔色が変わった。
アーノルドは、カリスが手に持っている結界石を指差す。
「おい、それの何処が結界石なんだ。ただの石にしか見えないが」
「あー? 何言ってんだお前――」
カリスは手で石を遊ばせるのを止めると、結界石をまじまじと見る。石には結界石特有の紋章や術式がどこにも描かれてなかった。
それに気づいたカリスが怒りで顔が紅潮する。そう、ベルフが自分に偽物を掴ませてきたと始めて理解したのだ。
「あの糞ガキがあああああああああああ!!」
カリスが石を地面に投げ捨てると、その様子を見ていたアーノルドが笑いを上げる。
「なんだ、お前ちゃんと結界石かどうかの確認もしなかったのか」
アーノルドだけではない、他の冒険者達もカリスを笑い者にしていた。
「と言う事は、結界石はまだあの坊主が持ってるわけか」
「確か、あれは一つ数十万ゴールドの価値はあったな」
「レッドオークよりも、あの小僧を見つけて石を奪うのも悪くないな。カリスだと、また騙されるかもしれない」
口々にカリスを囃し立てる冒険者達。カリスの方はもう我慢の限界といった顔をしていた。
「うるせえ、てめえら黙りやがれ! クソがっ、絶対に許さねえぞあの小僧!!」
その様子をルーネが冷めた目で見ていた。騙されたカリスを侮蔑しているのか、それとも本当にどうでも良いと思っているのかは定かではない。
冒険者達がそうして騒いでいると、偵察に出ていた冒険者が帰ってきた。彼は偵察を買って出ていたシーフで、本隊に先んじて進路先を偵察していた。シーフの彼は、通路の先を指差す。
「おい、レッドオークを見つけたぞ。この先の大広間で偉そうに待っていやがる」
場の喧騒がピタリと止んだ。目当ての獲物についに出会えたのだ。
カリスがアーノルドに目配せする。
「おい、確か十万ゴールドは倒した人間の恨みっこ無しの総取りだったな」
カリスの言葉にアーノルドが頷く。
「ああそうだ、分配なんて誰も求めてないだろう。倒した奴が手に入れる。それだけだ」
カリスだけでなく、それを聞いた全員が笑みを浮かべる。誰も彼もが自分こそが賞金を手に入れると信じている顔だった。
冒険者達が一丸となって、通路の先へと向かう。先頭に前衛職の冒険者、中衛にシーフや僧兵等のアタッカー+支援職、後衛にはルーネなどの魔術師職だ。
総勢十二名からなる大規模パーティーは、文字通り道中にいる雑魚モンスターを蹴散らして行くと、レッドオークが待ち構えている大部屋まで辿り着いた。
大部屋の入り口には鉄の扉が付いていた。赤い色の両開き扉で、それが部屋の内側に向かって開くように出来ている。その扉に辿り着くと、冒険者達がざわつき始めた。
誰かが呟く。
「沈黙の洞窟に、こんな扉があったか?」
その言葉に誰も返事はしない。彼等は、この街のベテラン達だ。当然、沈黙の洞窟の内部へ何回、いや何十回も探索に来ている。その彼等が、こんな大扉の付いた部屋は知らないと言っていた。
その沈黙の中、カリスが口を開く。
「そんなのどうでも良いだろ。ダンジョンに新しく部屋が生えてくるなんて珍しくもねえ。特に沈黙の洞窟なんて、古代の遺産に分類されている場所だぜ。部屋が作られようが、発掘されようが不思議でも何でもねえだろうが」
カリスの言葉も間違ってはいない。ダンジョンとは、そういう不可思議な場所である。
しかし、アーノルドは、このタイミングで出てきた未確定要素に嫌な予感を覚えた。それは死を察知する直感とでも言うものか。
「帰るのも手ではある、しかし――」
これだけの人数が揃っていて引く事にアーノルドは抵抗を覚える。彼の直感は全力で下がれと言っていたが、状況がそれを拒んでいた。
「なに迷ってやがる、とっととレッドオークを倒して金手に入れて、それで終わりだ。お前達が行かないなら、俺達だけでも行くぞ」
カリスが扉を開くと、ルーネと共に中へと入っていった。
それに慌てたのは周りの人間だ。出遅れまいとして、それに続く形で全員が部屋の中に入っていく。アーノルドも迷うのは止めて、周りに釣られる格好で同じく部屋の中へと足を踏み入れる。
アーノルドが部屋の中に入ると、そこは大きな坑道だった。先程までの迷宮層とは違う、どちらかと言えば一階に似ている空間だ。部屋の中は暗闇ではなく、光が灯されていた。これは部屋の壁の中に、自然発光する石を備え付けてあるからだろう。
部屋の中に充満する少しのカビた匂いと、大量に漂う獣の匂いに、アーノルドは即座に大剣を構える。魔物の大群がいると分かったのだ。そして、アーノルド含めた冒険者達が、部屋の中の状況に驚愕する。
冒険者達の目の前には一匹の、赤い、巨大なオークがいた。
豚というより、凶暴な猪といったほうが正しいその顔付きは、魔物の中でも一線を画する威厳を出している。身の丈は二メートル五十はあるだろうか。巨漢であるアーノルドさえも子供のように見下ろしている。横幅はもはやオークの範疇にとどまらない。ミノタウロスや巨人族と比べても引けは取らないはずだ。
そのレッドオークの周りには数名のオーク達がいるだけだった。しかし、そのオーク達はどれもが鍛えられた身体をしていた。通常のオーク種のような出っ張った腹もしていなければ肥え太ってもいない。オーク種の精鋭達だ。
しかし、冒険者達が驚いたのはそれではない。
レッドオークの右側に、鎧と剣を身に着けている大きめのリザードマンがいる。鎧と剣を身に付けているそれは、通常のリザードマンのように爪と牙で戦う個体とは違った。一定以上のレベルに達したリザードマンがクラスチェンジすると成り上がる進化個体、キングリザードである。
そのキングリザードの周りに付き従うように数十名のリザードマン達がいた。
別種のキング同士が戦いもせず、共存している事に冒険者達が驚いていると、上から音がしてくる。
羽音を羽ばたかせながらこの広大な空間を飛び回るコウモリ、いやジャイアントバット達だ。制空権を握っている彼等は、地上にいる冒険者達を上空から襲いかかろうとその隙を窺っている。
殺し間に来たと悟った冒険者達が扉から外へでようとすると、上から落ちてくる魔物の影が地面に見えた。
「全員扉から離れろ!!」
アーノルドの叫びに扉に向かおうとしていた冒険者達がその場から離れる。と同時に上から巨大な蜘蛛が降ってきた。通常の大蜘蛛とは違う、大型トラックほどもある魔物、大蜘蛛の上位種、土蜘蛛だ。
運悪く、その土蜘蛛の降下に巻き込まれた冒険者が、地面で倒れていた。手足が折れたのだろうか、呻いて動かないでいる。その哀れな冒険者を、土蜘蛛が口に加えると、そのまま冒険者の下半身だけを口の中に入れた。
悲鳴を上げながら口の中に放り込まれた冒険者を土蜘蛛が咀嚼する。一噛み二噛みと口内から消化液を出して、痛みで悲鳴を上げている冒険者を少しづつ溶かしてじっくり味わいながら食べていく。
ふと、モゴモゴと土蜘蛛が口内を動かすと、ぺっと何かを吐き出した。それは冒険者が身にまとっていた防具や武器であり、それを土蜘蛛は口内で器用に外して外に吐き出したのだ。
邪魔なものを吐き出して、存分に人肉を味わいながら冒険者の全身を全て食べ尽くすと、土蜘蛛が大きくゲップをする。
沈黙の洞窟内ではマナが充満しているために魔物は食事も水分補給も必要が無い。しかし、人がおやつを食べるように、食欲ではなく娯楽のために魔物が人を捕食することはある。
目の前で仲間が凄惨に殺されている光景から冒険者達が立ち直ると、魔物達に対抗するために慌てて円陣を組んだ。
三匹の強大な魔物達に加えて、その手下と上空を覆うジャイアントバットの群れに冒険者達が死を覚悟する。なぜ、これほどの強大な魔物達がこの場に揃っているのか理解できなかった。
レッドオークに向かって相対していたアーノルドも、その疑問の答えを考えていた。こんな一目でわかる異常事態がなぜ起きているのか、そう一目でわかる……偵察に出ていた冒険者は、なぜレッドオークだけが居ると俺達に報告したんだ?
「おい、何で俺達に嘘の報告を教えた!」
アーノルドが、偵察を任せたシーフの冒険者を問い詰めようと後ろを振り返る。しかし、後ろを振り返ったアーノルドの目に写ったのは、そのシーフが、近くにいた女僧侶の首をナイフで刺し貫いていた光景だった。
ナイフで刺された女僧侶は、何が起きたのか分かっていないのか、自分を刺した仲間に何故? と言う視線を向けていた。しかし、それも束の間。口から多量の血を吐き出すとその生命を終わらせる。
即座に、アーノルドが仲間殺しのシーフに向かって大剣を縦に振り下ろす。脳天から直撃を受けたシーフは、その体を頭から股まで縦に両断されて絶命する。
アーノルドの頭の中では、男が裏切った理由がわかっていた。別種同士の魔物達が争わず、協力しているこの状況。何故か魔物側の味方をした人間の冒険者。多種多様な魔物達が手を組んで高度に連携していた洞窟内の状況。
これらを合わせると、答えはたった一つしかない。人類にとって最悪の天敵種の一つが現れたのだ、それは――
絶望的な状況に陥って壊乱寸前の冒険者達の視界に、一匹の魔物が上から降りて来るのが映る。四足歩行のその魔物は、二対の翼を生やした山羊のような黒色の獣だった。背にある黒い翼は、この魔物に空中を自在に動かす力を与えている。
その魔物がレッドオークの近くに降り立つと、周りにいる魔物達全てがその黒色の魔物に平伏する。その魔物こそ、彼等の新の主。人類の天敵種。裏切りと支配の魔物。
そう、悪魔種、デーモンである。




