第二十七話 ベルフ乱入
悪魔、デーモン、そう呼ばれる魔物は肉体が強いわけではない。
ミノタウロスのような巨体も持っていなければ、ドラゴンのように鉄をも切り裂く爪や牙があるわけでもない。その武力の強さに於いて特筆すべき所は存在しなかった。
では魔力の方はどうだろう。こちらも軒並み外れて凄いわけではない。
死霊の王、リッチの様に冥道魔道を極めたわけでもなければ、魔族のように天地を操るほどの力もない。身に宿す魔力は、魔族どころか人間の魔術師にさえ届かないだろう。
一見すると秀でた箇所のない弱小の魔物、それがデーモンである。が、しかしだ。その危険度は先に上げたドラゴンやリッチに匹敵、あるいは凌駕していた。
なぜならば、デーモンは人間や魔物に限らず、あらゆる生命体の精神を操ることができるからだ。
山羊に似た四足歩行の黒い魔物、デーモンは小さく一声鳴く。それはその姿形と同じように山羊の鳴き声と似ていた。
その鳴き声を聞いたレッドオークが、近くにいた同胞のオークの頭を拳で粉砕する。鉄をも砕くレッドオークの剛拳に、鍛えぬかれた精鋭のオークも耐える術がなかった。
魔物同士の仲間割れに訝しんだ冒険者達であるが、デーモンが起こした次の行動で、その意味を理解した。デーモンは死んだオークの死体の傍に近づくと、その死体に顔を近づけて食事を始めたのだ。
レッドオークとは本来、仲間意識の強い魔物である。決して、別種の魔物であるデーモンの為に、仲間を犠牲にするなんて真似はしない。
しかし、今やレッドオークに限らず洞窟に居る魔物全てが、デーモンに精神を支配されて彼の魔物に絶対の忠誠を捧げていた。それこそ、この魔物の為になら自分含めて同胞全てを犠牲にしても惜しくないと思える程に。
デーモンがオークの死体を貪る音が静寂な空間の中で響く。それは、オーク達にとっては、人が神に生け贄を捧げることに似ていた。神聖な儀式なのだ。
重戦士のアーノルドは、ちらりと扉の方を見る。先ほどの巨大な蜘蛛、土蜘蛛がその逃げ道を封じている。この隙に扉から逃げるのは不可能に思えた。ならば道は一つ。
「お前達、あのデーモンをやるぞ。あいつさえ倒せば魔物達に掛かっている支配が解けて逃げる隙が生まれるはずだ」
アーノルドの言葉に、冒険者達が頷く。早速、食事中で無防備になっているデーモンに冒険者達が矢や魔法を放とうとするが、デーモンは不意に食事をやめて冒険者達の方を振り向いた。
デーモンのその目が怪しく黒から青色に変わると、デーモンの目に魔力が集まり始める。デーモンの固有スキル、魔眼だ。
冒険者達が、しまったと思った時にはもう遅かった。冒険者達の精神がデーモンの魔力に侵されていく。
その精神支配は、鈍器で壁を壊すような荒々しい力ではなかった。鉄が酸に触れてその姿を溶かすような、大木が火に焼かれて燃えていくような、外の頑強さなど関係ない。精神と言う材質そのものに特化した力だった。
アーノルドが地面に膝をついた。身体に伸し掛るこの重さは、自身が着ている全身鎧の重さではない。目の前にいるあの黒い獣、いや、あのお方の神々しさに立つことさえ出来ないからだ。
後ろでは、デーモンに魔法や矢を放とうとしていた冒険者達が悲鳴を上げている。気高いあの存在を害そうとしていた自分達が許せないのだ。そして、それはアーノルドも同じだった。
アーノルドは、数秒前に自身が発した言葉を酷く後悔していた。自分達が逃げるために、デーモンの命を害そうなどとは許されることではない。それを主導した自分は神に弓を引く反逆者と同じだ。
アーノルドの目には後悔の念から涙が溜まっていた。食いしばっている歯は、ギリギリと音が成る程に噛み締めている。耐え切れなくなったアーノルドが、鎧の隙間から自身の首に剣を差し込んで自害しようとすると
「聖域!」
僧侶であるカリスが、仲間達にデーモンへの対抗魔法を使う。
冒険者達の身体が、それぞれ光の膜のようなもので包まれる。その途端、アーノルド達に少しだけ正気が戻る。アーノルドは自害しようと自分の首に立てていた剣を引き戻すと、魔物達に向けて構え直す。
「カリス助かった」
アーノルドがカリスに謝礼を述べる
「いや、良いってことよ。あのクソ野郎に支配なんかされて溜まるか」
そう言うとカリスは蹲って、胃の中にある物を吐きだした。
そして、アーマルドは悔しそうに唇を噛み締めてから言う。
「だが、もうデーモンを攻撃するのは無理みたいだ」
アーノルドは、デーモンを殺すことが不可能だと悟る。カリスの魔法でデーモンの力をある程度退けたとは言え、その心の中ではまだデーモンに対して崇拝の念が残っている。カリスの魔法で抑えられているが、デーモンを直接攻撃する事は無理だ。
そして、そのカリスは口から嘔吐物を吐いている。彼はデーモンの邪魔をした自分に対する自責の念に駆られて、その心の平衡を崩しかけていた。しかし、先程はわずかに残った意地と理性の力で、カリスは聖域の魔法を発動させたのだ。
デーモンがその様子を見ると、また一声鳴く。その鳴き声は魔物達に対する命令でもあるのだ。そして、その命令はただ一つ。あの邪魔な僧侶を殺せというものだ。
魔物達がカリスに向かって殺到する。レッドオークが、リザードキングが、土蜘蛛が、上空を覆うジャイアントバット達が、一斉に襲い掛かって来た。
「全員カリスを守れ! カリスが死ねばそこで終わるぞ!」
群になった魔物達が遅い掛かって来る中を、冒険者達は気力を振り絞って何とかカリスを守り続ける。彼がいなくなれば、デーモンの能力で自分達が完全に支配されてしまうからだ。
しかし、先ほどのデーモンの命令は魔物達だけではなくて、デーモンの魔眼を通して、冒険者達にも届いている。
円陣を組み、カリスを守る冒険者達の動きには精彩さが欠けていた。デーモンの発した命令に、冒険者達の身体が、意思に反して従おうとしている。円陣の中心で守られているカリスを、今すぐにこの手で殺したい。殺せば、きっとあのお方が喜んでくれるはずだ。
「カリス、もっと俺達から離れろ! お前を攻撃しない為に気力を尽くすだけで限界だ」
そう叫んだアーノルドだけではない。女魔術師のルーネも、その他の冒険者達もみんなカリスに対して殺気を向けている。カリスだけの魔法では、デーモンからの支配に対抗しきれないのだ。
このままジリ貧か、もしくは自分たちの手でカリスを殺して全滅するかの二択の中で冒険者達が抗っていると、不意に入口の扉が開け放たれて、一人の冒険者が乱入してきた。
その冒険者は、扉に背を向けていた土蜘蛛の背中に飛び乗ると、その巨体の背中を剣で深々と刺した。
突如不意打ちされた土蜘蛛が、その乱入者を振り払おうと、その巨体を動かそうとするが、食い込んでいる剣を支えにして、乱入者は土蜘蛛の背中にしがみ続ける。
食い込んでいる剣と、乱暴に動く土蜘蛛の力で、土蜘蛛の背中の傷がどんどん広がっていく。そしてついに、剣がすっぽぬけて、乱入者は剣ごと空中に放り投げられた。
そのチャンスを土蜘蛛は見逃さない。仕返しとばかりに大きな口を開けて、空中にいる憎き敵を飲み込もうとするが――
『蜘蛛ごときが邪魔ですよ、雷でも喰らいなさい』
土蜘蛛の頭上から雷の中級魔法が落ちてくる。土蜘蛛の体全体が発光したかと見間違えるほどに雷が蹂躙すると、土蜘蛛の全身からプスプスと煙が立ち上っていた。
そのまま空中へ投げ出されていた乱入者は、冒険者達の円陣の中へと見事に着地する。
「サプライズ、俺の言ったとおりだっただろ?」
『はい、正しく慧眼というやつですね』
そう、その乱入者こそ、この作品の主人公ベルフ・ロングランである。
「お、お前はあの小僧!!」
カリスがベルフの姿を驚愕の目で見ていた。いや、カリスだけではない。その場に居る人間と魔物、双方全てが驚きで目を見開く。
そして、アーノルドはベルフを救い主のような目で見ている。ベルフは、この場で唯一、デーモンの支配に掛かっていない人物だ。ベルフ以外に、この場を切り抜けられる人間はいないと判断していた。
「おい、早くあの黒い魔物を倒すんだ。でないと、お前まで心を支配されてどうにもならなくなるぞ!」
アーノルドの言葉にベルフは、ちらりとデーモンを見る。黒色の山羊のような魔物は、ベルフを興味深く見つめていた。
ベルフは少し考えるとサプライズと話し始める。
「まあ、どっちにしても俺達のやることは変わらないか」
『そうですねベルフ様、さっさと用件を済ませてしまいますか』
そう言うと、ベルフはデーモンに向かって突撃――ではなくて、同じく冒険者達の円陣の中にいたカリスへ向かって、手に持っている剣を振り下ろした。




