四話
数日後、山から顔を出した太陽が桟橋の上のウルとジュタンを照らしていた。目の前の大きな街に圧倒されたウルは、呆気に取られて立ちすくんでいる。ニコはウルの横に立ち、笑顔をたたえたまま尻尾を大きく振っていた。ホバー船の係留を終えたジュタンは、荷物を持ってウルへと歩み寄った。
「どうだ、でかい街だろう。ここがフリセプンクトの街だ。俺たちはこれからここに住むんだぞ」
ウルの目の前にはレンガ造りの建物が広がっていた。桟橋からまっすぐ伸びた石畳の大通りにはたくさんの人が行き交っており、呼び込みや笑い声があちらこちらから聞こえてくる。
「見上げてばかりいても面白くないだろう。さ、行くぞ!」
ジュタンが大きく笑いながらウルの背を叩くと、ウルは勢いよく前につんのめった。ジュタンと並んで歩き出したニコと目が合うと、ウルは呆気にとられた顔のままおずおずと歩き出す。全身を黒い服で揃えた眼光の鋭い門番らしき男に声を掛けられたのは、街との境に構えられた門をくぐろうとした時だった。
「お前さんたち、どこから来た?」
威嚇するような声に驚いたウルが目を泳がせている一方、ジュタンは慣れた素振りで応えた。
「おぉ、久しぶりだなぁ!会うのはいつ以来だ?ガキは元気か?デカくなっただろう!」
一瞬怪訝な表情をした門番だったが、ジュタンに気がつくと一瞬で笑顔に変わる。
「なんだ、ジュタンか!久しぶりだな、元気にしてたか?俺のとこは相変わらずだ、嫁も娘もとびきりかわいいぞ!こっちのちびっこいのはお前のガキか?」
強面の男に注目されたウルは、ビクッと肩をすくめる。
「違うよ、こいつは訳あって預かってるんだ。こいつを預かることになったもんだから、ついに俺もこっちに移ることにしてな」
ジュタンがそう言うと、門番の男は手を挙げて喜んだ。
「ようやくか!お前何回誘っても頷かなかったのに、どういう気まぐれだ?まぁいい、また飲みにでも行こうや。坊主もまた会うこともあるだろう。よろしくな!」
そう言った門番はグリグリとウルの頭を撫でる。そのまま笑顔の門番と別れた二人は、声を潜めて話し始める。
「ジュタン、この街に来たことあるの?」
「あぁ、家で作ったものを卸しに来たり要るものを買いに来たりな。なんだ、まったく知り合いがいない街のほうが良かったか?」
「そういうわけじゃないんだけど、なんかびっくりした」
怪訝な顔をするウルをよそに、声高に笑いながら堂々と通りを歩くジュタンだった。
「僕、こんな大きな建物初めて見た」
ポツリとこぼしたウルが仰ぎ見る先には、大通りの中でも一際目立つ建物がそびえ立っていた。入口には「フリセプンクト町人会」と書かれた看板が掲げられている。
「ここで仕事を斡旋してもらうんだ。他に移住の手続きもしないといけないから、今日は一日ここにいるぞ」
そう言いながら建物に入るジュタンの後に続くウルとニコ。レンガ造りで厚い壁にもかかわらず明るい屋内は、高い天井と大きな窓がひときわ目を引いた。ジュタンは入ってすぐにある受付へ近づくと、座っている係員の女に話しかける。
「ちょっといいか?フリセプンクトの街に移住をしたくて、手続きをしたいんだが」
「でしたら、向かって右から三番目のカウンターの係員にお声掛けください。申請には数日かかると思いますが、その間は町人会の宿舎をご利用いただけますよ。どうされますか?」
係員は手慣れた様子で愛想よく応える。それを聞いたジュタンは相好を崩した。
「それは助かるな、ぜひ頼むよ。あと、資材調達部のローティンと会いたいんだが、いつ頃なら会えるだろうか?」
すると、係員の笑顔が一瞬で怪訝な表情に変わる。あまりの変わりように、ウルは密かに慄いた。
「失礼ですが、ローティンとはどういったご関係でしょうか?お約束のない方はお通しできませんが」
そう言われてもピンとこないのか、目を白黒させるジュタン。そして、何かを思い出したように懐から一通の封筒を取り出した。
「ローティンとは昔馴染みなんだ。怪しい者じゃない、これを渡してもらえればわかるはずだ。ジュタンが来たと伝えてくれ」
「……わかりました、しばらくお待ちください」
封筒を受け取った係員はそう告げ、静かに立ち上がって横の階段を上がっていく。気が抜けたのか、ジュタンは受付正面のベンチへと腰を下ろした。所在なさげにしていたウルもジュタンの隣に座るが、視線はあちこちを彷徨っていた。
「ねぇジュタン、僕たち大丈夫?ちゃんとこの街に住めるの?」
「あぁ、あの封筒さえローティンに渡れば問題ない……はずだ。ローティンのやつ、いつの間にそんなに偉くなったんだ?」
その心もとない返事に顔を青くするウルをよそに、ジュタンは一人でブツブツと何かをボヤいている。ウルは小さくため息を漏らすと、勢いよく立ち上がった。
「僕、ちょっとトイレ行ってくる!」
「あぁ、それなら突き当たりを右へ曲がったところにあったはずだ」
「分かった!」
ウルはそう言うと、教えられた方向へと大股で歩き出した。ジュタンはその姿を目で追いながら、足元に寝そべっていたニコを軽く撫でる。撫でられたニコは立ち上がり大きく伸びをすると、チャッチャと歩きながらウルの後をついて行くのだった。
「なんだニコ、ついてきたのか」
ウルが座っていたそこはトイレではなく、施設の庭に据えられたベンチだった。いつの間にか足元にいたニコに気付くと、ウルはニコを軽く撫でる。
「……砦に帰りたいな」
ポツリとそう呟くウルを、ニコはまっすぐ見上げる。
「ニコは砦見たことないだろ。うちの砦はさ、パッと見は大きな岩なんだよ。でも、中身が削られてて皆そこで暮らしてるんだ。こんなに賑やかじゃないけど、住んでる皆気のいい奴らでさ。ちゃんと温室で野菜とかも作ってるし、温泉なんかもあるんだ。すごいだろ」
いきいきと笑顔で話すウルを、ニコは静かに見上げている。
「僕はちょうど探索から帰ってきたところで、しばらくは砦で先生の研究とかテオの家の手伝いとかをして過ごす予定だったんだよ。ロゼはしばらくしたら砦の周りやちょっと遠くの遺跡の調査に行くはずだったんだ。先生とロゼと僕の三人でいられるのって一ヶ月のうちの数日間だけしかないんだけど、でも、その間にロゼは美味しいご飯をたくさん作ってくれるし、先生もたくさん面白い話をしてくれていろんなことを教えてくれるんだよ」
そう話すウルの膝の上にニコが頭を乗せると、ウルはその頭に手を伸ばして耳元を搔き始めた。穏やかなその手つきとは裏腹に、ウルの笑顔は少しずつ消えていく。
「……先生や他の皆、大丈夫かな。あの日からもう随分経つけど、ロゼはいつ帰ってくるのかな。何で砦が襲われたんだろう。レイザンティって、ニコは何か知ってる?」
そう言い終わった瞬間に止まってしまったその手を、ニコは鼻先で優しく突いた。しかし、ウルの手は動かない。肌を刺すような冷たい風が、一人と一匹の横を通り過ぎていく。中性的な声が響いたのはその時だった。
「さっきからブツブツ何言ってる?」
驚いたウルが弾かれるように振り向くと、そこにはジトッとした目でこちらを見つめる黒髪の少女が立っていた。鼻筋の通った少女は、少し大きい上着の袖を口元に当てながらウルから目線を外さない。突然のことに慌てたウルは、しどろもどろになりながらもベンチから立ち上がった。
「あの、僕はこの街へ移住するために来て!今日手続きをしに来たんだけど今ちょうど待ってるところで!」
そう話すウルの横で、ベンチの向こうからニコが小さく吠える。
「わふっ!」
その声に目を向けた少女は、それまでの胡乱げな目が嘘のように満面の笑みを浮かべる。
「ニコ、お前来てたの!久しぶり、相変わらずの良いもふもふだね!」
そう言いながらニコに駆け寄った少女は、膝をつきながらニコを撫で回す。まるでそこにいないように扱われて愕然とするウルは、それでも強がるように少女に声をかけた。
「ニコを知ってるの?ジュタンの犬なんだけど」
「もちろん、ジュタンおじさんも知ってる。義父さんの友達」
ニコに向けるものとは全く違う温度の無い目に、ウルは怯みかける。が、自分の手を強く握ると負けじと言い返した。
「僕はウルだ。ちょっと理由があって、今はジュタンと暮らしてる。君は?」
そう言われた少女は、少し首を傾げたあとに盛大に眉を顰めてこう返した。
「なんで名乗らないといけない?別にこっちから名前を聞いたわけでもないのに」
その一言でウルの動きが止まる。刺さるような沈黙も意に介さず、少女はニコを撫で続ける。少女は、ニコがふっと顔を向けるのにつられてウルに顔を向けると、そこには大粒の涙を流すウルの姿があった。
「なんで……そ、そんなこと言われないと、いけないんだ……!」
顔をくしゃくしゃにしてたどたどしく吐き出すウルに、さすがに気がとがめたのか少女が慌てて近づく。
「ご、ごめん。見慣れない人がいたから、怪しいやつが来たのかと思った。私はソラ。ここの資材調達部で働いてて……」
「別に聞いてない!」
取り付く島もないウルに、ソラの狼狽は深まっていく。嗚咽を上げ続けるウルの頭には、ただただロゼとシリルの顔が浮かんでいた。




