二話
その日の夜のことである。魚を解体していた賑やかさも今はなく、粉雪が音もなく降り続ける。幾人かの見張りが、門に備え付けられた見張り台から周囲を見渡す、いつも通りの夜だった。黒い岩肌の地面が一面真っ白に染められたころ、突如頭上から破裂音とともにまばゆい光が周囲を満たした。その光は大型の飛行船とそこから飛び降りる無数の人影を浮かび上がらせる。即座に辺り一帯に早鐘が鳴り響いた。見張り台から、男が必死の形相で声を張り上げる。
「空から賊が侵入した!女子供は早く逃げろ!男は少しでも時間を稼げ!荷物は持つな、緊急事態だ!」
その声をきっかけに、人々は次々に通路へと飛び出してくる。女たちは子供たちを守るようにして正門へと集まる。男たちは手に手に武器を持ち、上階を目指して駆けて行った。カンカンカン、まるで人々の焦りを体現するように、そして助長するように打ち付けられる鐘の音は、人々の混乱に埋もれることなく鳴り響いていた。
そんな喧騒など知らず泥のように眠るウルを起こしたのは、腰にナイフを下げたシリルだった。
「ウル、起きなさい。ウル!」
昼の穏やかな口調とは一変した鋭い口調に、ウルは飛び起きる。起き抜けでぼやけていた顔が、外から響いてくる早鐘に気付いた瞬間さっと青ざめた。
「どうしたの?何があったの?」
「賊が侵入した。お前はロゼと逃げなさい。ホバー船はメンテナンスが終わって裏門に停めてある」
シリルがウルの手を引いて部屋を出る。二人が表に出た時、辺りの混乱はピークに達していた。早鐘に交じって轟く発砲音と怒声、女に手を引かれて泣きながら走る子供たち、短く言葉を交わし、すぐさま走り出す男たち。ウルは、普段の穏やかな砦とはかけ離れた光景に呆気にとられる。立ち尽くすウルを引きずるようにして、シリルは裏門に向かって足早に進み出した。そんなシリルの背を見つめながら、ウルは尋ねた。
「これからどうなるの。先生、先生も一緒に逃げるんでしょ」
震えるウルの声は届かないのか、シリルは何も答えない。感情の見えない顔で、ただただ一心に裏門へと向かうだけであった。不安に駆られたウルが頭上を仰ぐと、船体に歯車とねじが描かれた飛行船が目に入る。照明弾に照らされるその姿に、ウルは底知れない恐怖心を抱いた。二人がひたすらに進み続けると、やがて人気がない裏門にたどり着く。そこには低い唸り声をあげているホバー船と、その上で計器を確認するロゼが待っていた。ホバー船へと近づいてくる二人に気が付くと、ロゼの顔に安堵が広がる。
「さぁ、しっかりこれを着て」
シリルはそう言って、向かい合ったウルの肩に防寒着をかけた。そのままウルの両頬を両手で覆い、ウルの額に自分の額を合わせる。一呼吸置いたシリルは、先ほどまでの剣呑な雰囲気を殺して穏やかに話し出す。
「いいかい、ウル。何があっても生きるんだよ。大丈夫、お前は強い子だ。何があっても負けない子だ。ウルはこれから、どこまでも遠いところに歩いていくんだよ。ウルはそれが出来る子だって、私はちゃんと分かっているからね」
そう言い切ると、力強くウルを抱きしめる。ウルがその背に両手を伸ばそうとした時、己から引きはがすようにシリルがウルをホバー船に押しやった。
「早く行け!」
そう言い捨てて走り出すシリルの背中に、ロゼはあらん限りの声で呼びかける。
「無茶するんじゃないわよ!」
アクセルを全開にしたホバー船は、砦を背にして走り出す。雪を蹴立てるホバー船の上、ウルは呆然と砦を見つめることしかできなかった。止めどなく涙が流れるのを感じながら、ウルの頭の中ではなぜ、という言葉が渦巻いていた。
ロゼが操るホバー船は、そのまま林へと逃げ込んだ。速度を落として走り続けるホバー船の上で、ウルはようやく涙を拭う。自分の下敷きになっていた防寒着に袖を通しながら運転席に近寄ると、震えながらロゼに声をかける。
「ロゼ、戻ろうよ。まだ先生が残ってるよ。拳銃の音もしてたし、助けに行かなきゃ」
「……砦には戻らない。今からこの先にある知り合いの家に向かうからね」
「なんでさ、先生が死んじゃうかもしれない。早く戻ろうよ!」
「何度も言わせないで!」
轟くロゼの怒声に、ウルは思わず口を閉じた。林の中を吹き抜ける風が一斉に木々の葉を揺らす。その音は一瞬を永遠のようにも感じさせた。平静を装いながらも、普段より幾分か低い声色でロゼが話し出す。
「今は、先生を信じるしかない。私たちがあそこにいても、何の役にも立たないわ」
何かを言いたげに口を開いたウルだが、諦めたように唇を噛み締めて俯く。そんなウルを横目に、ロゼが話を続ける。
「今向かっている先は古い知り合いの家よ。信頼できる人だから安心して。到着は夜明け近くになるから、気をしっかり持ちなさい」
そう言うと、ホバー船の荷物入れを指さした。ノロノロと動き出したウルは、そこから毛布を取り出す。椅子の上で毛布に包まると、いじけた声を出す。
「……先生、絶対に無事だよね?」
「えぇ、絶対に無事よ」
前を見据えたロゼは、己に言い聞かせるように震える声で応える。その様を横目で見ていたウルは、おずおずと再び口を開いた。
「砦の上にいたの、飛行船だった。本でしか見たことなかったけど、普通の賊があんなの持ってるのかな。歯車とねじが描いてあるように見えたよ」
その一言にロゼは顔を強張らせた。不自然な間が空き、ウルが不安げにロゼへと顔を向ける。眉間に皺を寄せたロゼは、深呼吸をして静かに話し始めた。
「よく見ていたわね。あれは『レイザンティ』っていう組織の印でね。各地の集落から資源を奪って回ってる。砦が狙われた理由は分からないわ。偶然かもしれないし、何か目的があったのかもしれない」
それを聞いたウルは息を呑む。毛布の上から胸元を掴むと、眉根を寄せながらロゼに尋ねた。
「そんな危ない奴ら、いくら切り札があるって言っても、先生たちは本当に大丈夫なの?僕たち、また前みたいに砦に戻れるの?」
「……今は信じるしかないわ。さぁ、無駄に話しても体力を消耗するだけよ」
硬い声でそう言ったロゼの目は、ひたすらに前だけを見据えていた。諦めたように俯くウルは、毛布の下でかじかみ始めた指先をすり合わせる。二人を乗せたホバー船は、林を縫うように進み続ける。
どれだけ走ったのか、気づけば空の端が白み始めていた。ロゼの顔にも隠し切れない疲労の色が浮かんでいる。だが、その手は操縦桿をしっかりと握っていた。
「ウル、もう少しで着くわ。……ウル?」
しかし、ウルからの返事はない。ロゼが顔を向けると、椅子の上のウルはガタガタと大きく震えている。その唇は青く変色し、顔からも血の気が消えていた。
「ウル!」
悲痛な声を上げたロゼが、即座にホバー船のアクセルを踏み込んだ。木々の間をかすめるようにホバー船を走らせる。
「もう少しなの、お願いだから!」
躱し損ねた木の枝がロゼの白い頬をかすめる。頬を伝う血もそのままに、一心に目的地を目指す。まもなくして、岩肌に取り付けられた扉が見えた。
「ジュタン!」
扉が目に入ったロゼが声を張り上げる。扉の向こうから犬の吠え声が聞こえると、すぐさまその扉が開いた。ドアの向こうには、白い犬とごま塩頭の大柄な男が立っていた。男は、ホバー船を見るやいなや足を引きずりながら飛び出した。扉に近寄り急停止するホバー船の上でロゼがウルを抱きしめた。
「ウル、しっかりして、ウル!」
事情を察したのか、男がホバー船からウルを降ろす。
「低体温症だな、すぐに温めよう」
男に抱えられたウルは、遠のいていくロゼの声に耳を傾けながらその意識を手放した。




