一話
太陽が照らす雪原を、一艘のホバー船が駆ける。その進路の先にそびえ立つ岩山の見張り台から、軌跡を描きながら走る灰色のホバー船を二人の男が眺めていた。目を凝らした髭面の男がもう一人の男に話しかける。
「あのホバー船、ウルが戻ったのか」
「そういや、今日が帰還予定日だったな。いやぁ、無事に戻って何よりだ」
好々爺然とした面持ちの男性は、満足げに顎を撫でる。男たちに見守られながら進むホバー船は、しかし徐々に速度を落とし始めた。その様を見ていた男たちが首を捻る。
「どうした、不調か?」
「わからん。慌てた様子もなさそうだが」
訝しむ男たちが見守る中、ホバー船が完全に停止する。一筋の風が吹いた、その時だった。雪面に大きなひびが入り、爆発音とともに雪の下から黒い影が飛び出す。その影を紙一重で躱したホバー船を見て、二人は感嘆の声を上げた。
「あいつ、魚を誘ってたのか!」
「いい度胸だ、上手く逃げ切れよ!」
髭面の男は伝声管を手に取り、弾む声で叫んだ。
「今から門を開ける。魚が飛び込んでくるから皆部屋に戻れ。今夜は久々のご馳走だ!」
その声を背中で聞いていた初老の男性は、備え付けられた巨大な銛へと近寄る。その切っ先を岩山の根元へと向けると、そこでは大きな門扉が開き切ろうとしていた。
「ウル、焦るなよ。もう少しだぞ!」
髭面の男が、届かない声援を掛けた。二人が見守るその先で、最高速度で走るホバー船が門へ飛び込む。同時に、魚もホバー船へと飛び掛かる。
「撃てぇ!」
号令とほぼ同時に打たれた銛は、轟音と共に魚の頭蓋を打ち抜いた。少しの静寂の後、門の内側から歓声が響く。見張り台からその声を聞いていた二人は、顔をほころばせながらどちらともなくその手を打ち付け合った。
門の内側から歓声を聞いていた運転手は、ホバー船を受け止めている網の中で転がっていた。作業着を着た黒髪の少年が、気の抜けた声で運転手に声をかけた。
「おーいウル、生きてるかー」
ウルと呼ばれた少年が震える手でゴーグルと帽子を外すと、よく日に焼けた肌と銀色の髪が現れた。
「ギリギリ生きて帰ってきたよ。何とか成功して安心した」
「はは、おつかれさん」
笑みを浮かべた黒髪の少年は、ウルへと手を伸ばす。手を掴まれたことを確認して、作業着の少年は勢いよく彼を引き上げた。ウルは網の横に降り立つと、自身の短い銀髪を無造作にかき上げた。
「ここ最近、なかなか獲物も掛からなかったもんなぁ。しかもめったに見ない大きな魚だ。皆も大喜びだよ」
「自分で言うのもなんだけどさ、結構いい仕事したと思うんだ!」
そう言って笑うウルに周りも気付き、皆口々に労いと賛辞を伝えていく。その傍らで、黒髪の少年は念入りにホバー船を調べていた。
「どうかな、ヴィン。運転していて不調はなかったけど、どこか破損はある?」
「多分大丈夫だ。細かく見てみないと分からないけど、特に修理の必要もなさそうだ。このまま持って行っていいか?」
「うん、よろしく頼む。今荷物を下ろすよ」
そういうと、ホバー船に備え付けられた荷物入れから大きなバックパックと木箱を取り出す。木箱の中からは、ガタガタと重そうな音が響いてきた。その重そうな音を聞いて、ヴィンと呼ばれた少年は弾む声で尋ねた。
「今回の探索はどうだった?何か収穫はあったか?」
「大漁だったよ。エネルギーパックもたくさん見つかったし、使えそうな機械部品もあった。お前の家にもいくつか行くだろうから、また使ってよ」
それを聞いたヴィンは、目を輝かせて頷いた。袖をまくりながら口角を上げると、頭上に顔を向ける。
「おーい、親父!準備ができた、網を上げてくれー!」
上階からは、髭面で腕っぷしの立ちそうな男がこちらを見下ろしていた。ヴィンの合図を聞くと、傍らにあったレバーをぐいと下ろす。辺りに地響きのような音と振動が広がり始めると、ホバー船を収めた網が徐々に持ち上がり始めた。
「親父さん、よろしくお願いしまーす!」
「ウルが新しい部品を見つけてきたらしい!後でうちにも回って来るってよー!」
二人がそう叫ぶと、その男は階下の二人に親指を立てて見せる。それを見た二人は同じように親指を立てながら笑顔を返した。
「さ、ホバー船のメンテと魚はこっちに任せろ。お前は早く帰れ。シリル先生とロゼさんも待ってるだろ」
「助かる、早く今回の成果を見せたいんだよ。じゃあ後は頼んだ」
そのままお互いの拳をぶつけ合うと、二人はそれぞれの目的地に向かって歩き出した。
岩の割れ目を削り広げた通路は、頭上から光が差し込みながらもどこか薄暗い。目的地に向かってひたすらに歩いていたウルは、やがて岩肌に並ぶ扉の一つの前で足を止めた。日に焼けた顔に安堵が滲んだウルは、足を三度扉に当ててから器用に肘を使ってドアノブを下げる。
「ただいま、探索終わったよ!」
通路と同じように薄暗い室内、響いたウルの声に応えるように足音が返ってくる。部屋の真ん中に据えられたダイニングテーブルの周りに荷物を降ろしながら、ウルは足音の方向へと顔を向けた。
「おかえり、よく頑張ったわね。疲れたでしょう!」
金色の長い髪を頭の後ろで束ねた女性が、足音と共に姿を現す。穏やかに微笑んだその顔を見て、ウルは照れくさそうに口を尖らせた。
「なんてことないよ。いつも通り問題なくこなしてきたし」
「本当に?今回はいつもより遠いところに一人で行ったんだから、疲れてて当たり前よ。探索中はちゃんとご飯食べてた?どこか怪我はしてない?」
「ロゼは心配し過ぎだよ。子ども扱いするなよな、一人で探索に行くのももう慣れた!」
不満げなウルをよそに、ロゼと呼ばれた女性はその褐色の頬に手を伸ばして撫でる。そして、こめかみに触れた時にビクッとその身を引いたウルを、ロゼは見逃さなかった。
「あんた、ここどうしたの?まだ新しい擦り傷みたいだけど」
トーンが落ちたその声に、ウルは気まずそうに目をそらした。最初は口ごもっていたが、諦めたように口を開く。
「帰る途中で大きな魚を引っかけたから、そのまま門までおびき寄せたんだ。勢いをつけて門の中に飛び込んだから、その時に擦りむいたんだと思う」
ウルが盗み見るように視線を向けると、悲しげな顔を浮かべたロゼの顔が飛び込んできた。
「今手当てするから、座って待ってなさい」
言い置いてその場を去るロゼの背を、ウルはいたたまれない様子で見送った。防寒着を脱いでコートスタンドに掛けると、言われた通りにダイニングチェアに腰をかけて帰りを待つ。どこか気まずげにシャツの裾をいじりながらそわそわと辺りを見回す姿は、先ほどの背伸びした姿とは打って変わって子供の仕草そのものだった。その手に濡れた布巾と小さな木箱を持って戻ってきたロゼは、先ほどの悲しげな顔と声が嘘のように明るい口調で話す。
「さっきの大きな音は銛を打った音だったのね。男の子だから無茶をしたくなるのかも知れないけど、ほどほどにしなさいよ?」
「大丈夫だと思ったんだよ。砦はもうすぐだったし、風もなかったからスピードも出せるだろうって。それにほら、こんなかすり傷くらいすぐ治るよ!」
「はいはい、じゃあちょっと傷を拭くからね。沁みるわよ」
そう言ったロゼは、傷に布巾を当てる。待っている間に血が出てきたのか、布巾には血が滲んでいた。一瞬眉を顰めたウルだったが、すぐにいじけたような表情に戻る。そんな様を横目に、ロゼは木箱からガーゼとテープを取り出した。
「確かに、銛で捕まえるくらいの魚が捕れたらしばらくは美味しいものが食べられるけどね。でも、ウルにこの仕事を教えるときに私が最初に教えたことを覚えてる?あんたの仕事は何?」
「……遺跡を探索して、使えそうなものを探して持って帰ってくること」
「そうね、そのために大事なことは?」
「……常に周囲を観察して、危険は避けること。生きて成果を持ち帰ること」
「じゃあ、今回あんたがやったことは正解だったと思う?」
「……間違ってる」
「そうね、この辺りの魚はこちらからちょっかいを出さないと襲ってこないものね。どうせ、氷の上から発光弾でも撃って連れてきたんでしょ」
「……氷の下に大きな黒い影が見えて、やったって思った。ここ最近は獲物もあんまり獲れてないって聞いてたし、あとは帰るだけだったからちょうど良いやって思った」
それを聞いて小さくため息をついたロゼは、使い終わったガーゼとテープをテーブルに置く。そして、小さく深呼吸をしてウルの方へ向き直った。膝の上で固く握られたウルの手を上から覆うように握ると、ゆっくりと話し出す。
「ウル、今回はたまたま運が良かっただけだってことを絶対に覚えておいて。少しでもホバー船が風に煽られたら、あんたが食われていたかもしれない。ホバー船が網に飛び込んだ時、もっと酷い怪我をしてたかもしれない。落ち着いて考えたら、そんな可能性も考えられたでしょう?」
真っ直ぐに目を見てそう語るロゼの言葉を、ウルも神妙な面持ちで聞き入っている。
「何も考えてなかった。ただ、お土産ができたら皆喜ぶかなって思ったんだ」
最初の威勢の良さが嘘のように落ち込んだウルを見て、ロゼはその頭を優しく撫でる。
「あんたの、その皆を思って動けるところ、私は好きよ。でも、それであんたが怪我したり最悪死んじゃったりしたら、元も子もないでしょう。そんなことになったら、他の皆も悲しむわ」
「……ごめんなさい」
俯いてそうつぶやいたウルの額を、ロゼは笑いながら指ではじく。
「分かればよろしい、次はちゃんと避けられる危険は避けること」
「分かった、気をつける」
そう返したウルの顔に、もう憂いは見えなかった。そんなウルの頭をロゼは一撫でして腰を上げる。
「さ、ちゃんと帰ってきたって元気な顔を先生に見せてきなさい。そろそろ帰ってくる頃だって、ずっとそわそわしてるんだから」
「分かった、見せてくるよ。ロゼ、手当ありがとう!」
そう言ったウルは椅子から立ち上がると、テーブルの横に置かれた大きな木箱を抱える。そのまま奥の扉をくぐるウルを優しく見送ると、ロゼは布巾と小さな木箱を片付け始めた。
ダイニングから廊下に出ると、そこには左右二つずつドアが並んでいた。その中の一つを爪先で三回ノックするが、中から反応はない。もう一度ノックをしても反応がないのを確認してから、ウルはドアノブを肘で押し下げた。部屋の中では、黒髪の男性が熱心に机に向かっている。部屋に入ってきたウルにも気づかない様子で、ひたすらに本へと目を落としている。
「先生?」
ウルが控えめに声をかけるが、一向に気付く気配はない。ウルは肩をすくめてから邪魔にならないところへ木箱を置くと、男性にそっと近づいた。
「シリル先生!」
今度は少し大きな声をかける。ようやく気付いたのか、先生と呼ばれた男性は弾かれるように振り返った。ウルがそこに立っていることに気付くと、眼鏡の奥で見開かれていた目に喜びが浮かぶ。
「おかえり、そろそろ帰ってくると思ってたよ。今回も無事に帰ってきた......わけではないようだね」
ウルのこめかみへ貼られたガーゼに気付いて、苦笑いを零す。すると、ウルがためらいながらも話し出した。
「帰りに魚を見つけて、ちょっと無茶したんだ。ロゼに凄く心配された。喜んでもらえると思ってたんだけどな。次は心配をかけない方法で喜ばせるんだ」
「ははは、しっかり反省してるね。あいつもウルのことになると、心配症に拍車がかかるから。お前を拾ってきた時からずっとそうだよ。それにしても、最初に見た時は私の腰くらいの背丈しか無かった子がそんなことを気にするようになったんだなぁ」
そう言ったシリルはウルを見て目尻を下げる。頬を掻きながら大人しく聞いていたウルだが、耐えきれなくなったのか唐突に切り出した。
「僕ももう13だよ、子供じゃないんだ!それよりも、今回の探索の報告をさせてよ。今回はいっぱい成果があったんだから!」
「そうだったね。じゃあ聞かせてくれないか、何か目ぼしいものはあったかい?」
「うん、エネルギーパックと機械部品が思ってたよりもたくさん見つかったよ。それに傷んでない本もあった。今回の探索だと奥までは行けなかったから、もう一回行ってもいいと思う」
ウルはそう言いながら木箱を開いた。その中には紙に包まれた塊がいくつかあり、その下からは本の背表紙が覗いている。
「あぁ、これはすごいね。最近だとめったにない程の成果だ。これだけエネルギーパックがあるとだいぶ余裕が出てくる。町の状態はどうだった?他の集落の遺跡と比べて、なにか気になることはあったかい?」
「あんまり他の集落と変わらなかったかな。ある日急に人が居なくなった町がそのままゆっくり氷漬けになった、そんな風だったよ」
「そうか、ありがとう」
「先生は、なんでこんなに古代文明の本を集めるの?他の皆はエネルギーパックとか機械の部品しか欲しがらないのに」
「ウルは気にならないかい?今では考えもつかないほど進んだ技術を持った文明が、ある時を境に急に滅びた。寒冷化をもたらしてね。今ではわずかに残された過去の遺物を使って人々は何とか生きているだけだ。だが、寒冷化の原因が分かれば、それを止める方法だって分かるかもしれない。今となっては残る手掛かりは、この本くらいしかないからね」
「その方法が分かると、どうなるの?」
ウルから放たれたその一言に、シリルは目を丸くする。まじまじとウルの顔を見つめた後、小さく笑ったシリルはウルの頭を撫でながら言った。
「そうだな、たぶん今よりももっと暖かくなって、毎日おいしいものが食べられるんじゃないかな」
二人の研究はその後も延々と続いた。ヴィンが解体された黒魚を届け、それをご馳走に仕上げたロゼが待ちくたびれて二人に雷を落とすまで、止まることなく続いたのである。




