十七話
雲が薄く広がる夜空の下、ぼたん雪がとめどなく降り続いている。もはや恒例となった夕食後の勉強会に付き添いながら、ウルはぼんやりとそれを眺めていた。ピークを越えた食堂は人もまばらで、どこか寂寥感を感じさせる。その寂寥感をかき消すように小さな唸り声を上げるソラを横目に、カイラがウルに声を掛けた。
「ウル、この文章の綴りってこれで合ってる?」
声を掛けられたことにも気づかずに外を眺め続けるウルの脇腹を狙って、アウスが揶揄うように指を突き刺した。
「なにするんだよ!」
「ウルちゃん、もうお眠でちゅかー。カイラが呼んでまちゅよー」
ニヤニヤと笑いながら返すアウスに出鼻をくじかれたウルは、呆気にとられながらもカイラに謝る。
「ごめん、気づかなかった。どこか分からない?」
「うん、この綴り確認して欲しい。合ってる?」
ウルは、そう言って手渡された紙へと目を滑らせる。一通り目を通してカイラに紙を返すと、小さくうなずいた。
「大丈夫、問題ないよ」
どこかぼんやりとしているウルを見て、カイラは首を傾げる。一通りのやり取りを見ていたソラも、いつの間にか唸り声を止めて心配そうにウルを見ていた。
「ウル、最近ちょっと変。ずっとボーっとしてる。どこか痛い?」
「そうかな、別にいつも通りだよ。痛い所もない」
「でもお前、今日も昼になんか怒られてたじゃねぇか。やっぱなんかあるんだろ」
「あれは怒られてたって程じゃなくて、ちょっと忘れ物して注意されただけだよ」
そんな話をしている四人に、ジュタンが食堂に訪れる。ジュタンの足元にいたニコが近づくと、ウルはその頭をごしごしと撫でつけた。
「おー、ちびども。今日はもう終わったらどうだ?明日もまだ仕事だからな」
「よっしゃ、終わった!じゃあまた明日な」
「ウルもあんまり無理しない方が良いんじゃない?僕ももう寝るよ。おやすみ」
手早く筆記用具を片付けて足早に立ち去った二人を横目に、ソラが大きく伸びをする。ジュタンはソラの手元にあった紙をのぞき込むと、苦笑いを浮かべた。
「なんだ、ソラ。算数は嫌いか?」
「嫌いー。割合とか、難しいこと言われても分からない」
「そう言うな。算数は出来たら便利だぞ」
ソラはブツブツと愚痴をこぼしながら机の上を片付ける。のっそりと立ち上がったソラは二人に別れを告げると、ニコを呼んでパタパタと食堂を出ていった。
「ウルもお疲れさん。いっつもあいつらの勉強見てえらいなぁ」
「べつに、イズヤさんに頼まれたからやってるだけだよ」
何てことないと笑いながらウルも立ち上がると、二人連れ立って出口へ足を向ける。まもなく食堂を出ようかという時、ウルがぼそりと呟いた。
「ここに来てからさ、もうだいぶ経つよね」
「そういや、もう半年近く経つか。早いもんだなぁ」
「……ロゼさ、先生に会えたかな。いつごろこっちに来るんだろ」
その一言にジュタンは足を止め、困ったように眉尻を下げた。ウルは、ジュタンが立ち止まったことにも気づかずにぼんやりと歩き続ける。躊躇いがちに足を踏み出したジュタンがウルの横に並ぶと、何も言わずにその背を優しく叩いた。
翌日、まばらに明かりがついた薄暗い倉庫の中、ウルとアウスは木箱を重そうに運んでいた。壁際に並んだ棚の前で立ち止まると、息を合わせて棚の下に木箱を押し入れる。
「あー、くっそ重かった。これで最後か?」
「そうだって。明日、僕とソラでこれを農場の方に配りに行くからね」
「おう、わかった。じゃあ戻ろうぜ。俺、腹減ったわ」
「僕もだよ」
倉庫から出た二人は、急ぎ足で資材調達部事務室へと向かう。すっかり日が落ち、館内は人影もまばらだった。いつものように事務室へと入った二人は、常とは違う重苦しい室内の空気に体が固まる。探るように部屋を見渡すと、部長室の入口にぴったりと張り付くソラとカイラの姿があった。
「ウルとアウス、戻りました」
「この雰囲気、どうしたんだよ。ってかお前ら二人は何やってんだよ」
「二人ともおかえり。部長たち、今大事な話をしてるから静かにね」
入口で立ち止まったままの二人へ、事務員の青年は声を潜めて答える。普段の呑気な顔とは程遠い張り詰めた顔を見て、二人は息を吞んだ。そんな二人を見た青年は、少し表情を和らげると穏やかに声を掛ける。
「怖がらせてごめん、そこまで緊張しなくても大丈夫だよ。この二人、もう上がって大丈夫って伝えたんだけどねぇ。どうしても何話してるか気になるみたい」
「こういうことってあんまりない。何か面白い話をしてるかもしれない」
「もしかしたらすごい儲け話かもよ」
「絶対にそんな話じゃないとは伝えたんだけどねぇ」
困ったように笑う事務員の青年を尻目に、片側の口角を吊り上げたアウスも扉に近づく。
「俺も混ぜろよ、ちょっと場所空けてくれ」
「もう、お前ら。やめろよなぁ」
ウルが呆れたように三人に声を掛けると、三人の目が見開かれる。扉から素早く離れた三人がウルに近寄り何事もなかったように明後日の方向を向いた、ちょうどその時だった。勢いよく部長室の扉が開いた。中からは険しい顔のローティンを先頭に、イズヤ、ジュタンと続いて出てくる。その最後尾に、普段は見当たらない一際目を引く金色が続く。その金色が目に入った瞬間、ウルは息を呑んだ。
「ロゼ!」
叫ぶやいなやロゼに駆け寄ったウルは、そのまま縋りつくようにロゼに抱きつく。咄嗟のことで呆気にとられたロゼも、状況が掴めたのか震える手でウルの背に手を伸ばした。
「……置いていってごめんね。でも、元気そうで良かった」
「すごく怖かった。もうずっと会えないのかと思った」
そう呟いたウルから嗚咽が漏れ始める。震えるウルの頭にそっと頬を寄せたロゼは、あやすようにその背を優しく撫で始めた。その様子を見ていたローティンが、場をとりなすように話し始める。
「あー、積もる話もあるだろう。俺たちは先に上がるから、この部屋は自由に使ってくれ」
「ありがとう、助かる。俺も残るから、すまんが三人分飯を残しといてくれ」
「おう、分かったよ」
ローティンの一言で他の面々が動き出す。気がかりな顔で二人を見つめるソラだったが、ローティンに背を押されてゆっくりと歩き始める。事務室の扉が閉まると、外に出た一行は階下へと向かい始めた。後ろ髪を引かれるように振り返るソラだったが、階段に差し掛かると隣に立つローティンへと尋ね始める。
「義父さん、あの女の人は誰?」
「あの人はロゼさんだ。ウルと一緒に砦で暮らしていた人だよ。三人の話が終わったら紹介するからな」
「あの人も資材調達部に来る?」
「いや、あの人は来ない。また街の外に出ていくそうだ。たまにここへ顔を出すことはあるだろうがな」
「ウルは?ウルはあの人に付いて行く?」
「……どうだろうな。それはウルが決めることだよ」
その一言を聞いたソラの足が止まる。横を通り過ぎたローティンの背を一身に見つめるその顔からは色が失われていた。気付けば日が暮れている窓の外、強い風が窓を揺らす。ガタガタと鳴るガラスの音は、ソラの心をより一層ざわつかせた。
一行が事務室を後にしてしばらく、ようやく泣き止んだウルがロゼから離れる。盛大に鼻をすすると、ウルは辿々しく尋ねた。
「先生は無事なの?もう、この街に来てる?」
その問いに一瞬目を泳がせたロゼは、なんとか答えようと口を開くが、そのあとに続く言葉はなかった。何かを察したウルが自分の腹部を握りしめると、見かねたようにジュタンが助け舟を出した。
「ひとまず座るか。暖炉の前の方が温かいし話もしやすいだろう」
そう言ったジュタンは暖炉の前に椅子を並べる。三人がそれぞれ椅子に腰掛けると、静かに深呼吸をしたロゼが俯きながら話し始めた。
「順を追って話すわ。落ち着いて聞いてね」
そこで言葉を切ったロゼは、目に力を込めるとまっすぐウルを見つめた。
「ウルをジュタンに預けて砦に戻った時には、もう誰も残っていなかった。もちろん先生も。特に荒らされた跡は無かったから、恐らく略奪が目的ではなかったんでしょうね」
その一言を聞いたウルの目に再び涙が溜まり始める。目元をゴシゴシと拭ったウルは口を引き結ぶと、まっすぐにロゼに向き合った。
「その後、私は砦の東にある町へ行ったわ。砦の皆はそこへ逃げる手筈になっていたからね。東の町に着いたら、砦の皆は逃げ込んでいた。男たちも。怪我人はいたけど、皆命に別状は無かった。でも、そこにも先生はいなかった」
淡々として力が入っていない言葉が続く。話を続けるロゼの顔を見ながら、ジュタンの眉間に皴が刻まれていく。耐えきれなくなったように、ジュタンの目線は窓の外に移った。
「そこで砦の皆から話を聞いたわ。先生はレイザンティに連れ去られた。自分の身と引き換えに砦の皆を助けたのよ」
その一言を最後にロゼは口を噤んだ。しばらく続いた沈黙は、ウルの震える一言によって破られた。
「先生が、連れて行かれた?嘘でしょ?」
「……嘘ならどれだけよかったか」
歪に引き上げられた口角が真実を物語る。痛ましげに張り付けられたその表情を見て、ウルは知らず己の拳を握りしめた。そのまま固まるウルに、ロゼは言葉を続ける。
「奴らの目的は略奪じゃなかったって言ったわね。おそらく、先生を連れ戻すために砦に来たんでしょう。砦の男たちが全部教えてくれたわ。自分の名前を伝えて砦のみんなに手を出さないように伝えた後、奴らに言われるがまま飛行船に乗り込んだって」
「なんで?レイザンティって色んなところを襲って物を奪う奴らなんでしょ?なんでそんな奴らが先生を?」
ウルの疑問に、ロゼの瞳が揺れる。一度目を閉じて再び目を開いたとき、その目に先ほどの力は無かった。
「先生はね、昔レイザンティの一員だったのよ」
ロゼから発せられた思いもよらない一言にウルの体が固まる。
「え?そんな、まさか。先生が?だって、砦じゃあ皆から頼られるようなことばっかりだったのに」
力無く首を横に振るロゼを見て、次第にウルの息が乱れ始める。それでも何とかロゼの発言を否定しようと、必死で言葉を吐き出した。
「わかった、どこかから連れてこられて無理矢理協力させられてたんだ。だって先生がそんな酷いこと出来るわけがないよ」
「レイザンティで生まれてレイザンティで育った。少なくともあいつはそう言ってたわ」
その一言を聞いたウルが勢いよく立ち上がる。震えながら目を見開いてロゼをにらみつけると声を荒らげた。
「嘘だ!先生はそんな奴らの仲間なんかじゃない!」
「落ち着け、ウル。残念だが、事実だ」
窓に目を向けたままのジュタンが独り言のようにそうこぼすと、そのまま話を続ける。
「あいつはレイザンティの研究者だったし、俺とロゼはあそこで奴隷みたいに扱われていた。お前も、レイザンティに襲われた村からさらわれてきたんだ」
再び沈黙が訪れる。ウルは力無く立ち尽くしながら、信じられないというように二人を見返した。そんなウルを見てロゼは小さく頷く。
「昔先生がレイザンティにいた、それは変えられない事実よ。でもね、先生のおかげで私たちがレイザンティから逃げられた、それも事実なの」
力無く椅子に腰掛けたウルは、そのまま頭を抱えこむ。まるで何もかもを拒むようなその姿勢を見て、ロゼは疲れたように言葉を続ける。
「今日はここまでにしましょう。詳しいことは、あなたが聞きたくなったら話すわ」
温かな暖炉の前にいるにも関わらず、ウルは吹雪の中にいるような心地でその一言を聞いていた。唐突に話されたあまりにも重い真実は、ウルの胸を焼き尽くすような痛みを与えていた。
次回更新日は11/2(月)22時です。




