6.
私たちはジェリクさんをはじめ元魔王討伐軍の精鋭を何人か加えて、国境近くの街に布陣しているアルウィン王子の騎士団に合流しました。あの追放の日からまだ一年と経っていませんが、なんだか随分と月日が経ったような気がします。でも久しぶりにお会いした王子はちっともお変わりなく、私の心は一気にあの日に引き戻されたように、ずっしりと重くなりました。
「何をしていた?マルゴ…………誰がこの国を出てベルファリアに行けと命じた?」
「それは……」
問い詰められてうまく言葉が出てこない私を守るように、バッシュさんが前に出てアルウィン王子に向かい合います。
「相変わらずだな、アルウィン王子。自分の務めも果たさず王都を見捨てて逃げてきたお前が、恥ずかし気もなくマルゴに八つ当たりか?」
「馴れ馴れしいぞ狼もどき。マルゴを置いてさっさと僕の国から出て行け」
睨み合う二人の間に、私は勇気を出して割って入りました。
「ここで言い争っている時じゃありません!私は後でどんなお咎めを受けても構いませんから、今は一刻も早く王都に……」
思えば私が王子に向かって自分の意見を口にしたのはこれが初めてかもしれません。でもその言葉を一方的に遮って、アルウィン王子は冷ややかな目をこちらに向けました。
「お前のせいだぞ、マルゴ」
「えっ……?」
「お前ならあの程度の魔物、一人でも止められたはずだ。それがあの近衛騎士団の役立たずどもときたら……僕が魔法を唱えるほんの数秒の間さえ持ちこたえることができないんだからな」
とても勝ち目のない相手に必死で立ち向かって自分を守ろうとしてくれた人たちを、役立たずなんて……
「王都を奪われたのはお前がいなかったせいだ。お前が僕の命に背いてベルファリアなんかで遊んでいたせいだ。守れなかった者たちに償え!責任を取れ!」
私に指を突き付けて詰め寄るアルウィン王子。全部私のせい。本当にそう思っているのでしょう。以前の私だったら俯いてじっとその言葉に耐え、そのうち本当に自分が悪いと信じ込んで、自分を責めていたかもしれません。素直だからでも謙虚だからでもなく、ただ臆病だったから。
でも今、私の隣にはバッシュさんがいてくれます。私が誰よりも信頼する人、誰よりも私を信頼してくれる人が。そのことが何より私に勇気を与えてくれます。自分を信じる勇気を。
「……分かりました」
「なんだと?」
「バッシュさん、行きましょう。急げば今日中に王都に着けると思います」
「そうだな。時間が惜しい、すぐに出るぞ。ついて来たい者はついて来い!ベルファリアでもエーテルランドでもどちらでもいい。王都を救いたい者は俺たちに続け!」
「おい、貴様ら勝手に……」
アルウィン王子はバッシュさんの肩に手をかけて止めようとしますが、その手が触れる前にバッシュさんが振り返り、低く唸るような声で言いました。
「マルゴに感謝しろ。あれ以上話を続けていたら本気でお前を殴っていた。これ以上お前と話すことは何も無い」
銀色の目がギラリと野性味を帯び、口の端から犬歯がのぞき、獣人化の兆候が表れた姿。そこに滾る怒りの強さに気圧されて、アルウィン王子は後退りました。それ以上何も言えず、再び背を向けたバッシュさんを呆然と見送ります。
ロレックさんたち、ベルファリア軍の皆さんがバッシュさんの後に続きます。それを見てざわつき始めたエーテルランドの騎士さんたちに、ジェリクさんが呼びかけました。
「何に従い、何のために剣を捧げるのか…………騎士ならば自分の心で決めろ!」
それだけ言って、ベルファリア軍の後に続きます。それが合図となったように、エーテルランドの騎士さんたちが一人、また一人とジェリクさんの後に続きました、
「ありがとうございます、ジェリクさん、皆さん……」
「あなたのおかげです、マルグレット様。迷うことなどない、私たちは自分が守りたいものを守るだけです。その道を示してくださったのはあなたなのですから」
「よくぞお戻りくださいました。またあなたと共に戦えることを誇りに思います」
「マルグレット様がいてくだされば魔将など恐れるに足りません!」
「我らの勝利の女神、マルグレット様と共に!」
魔王討伐軍で一緒に戦った皆さんが私のことをこんなに信頼してくださっているのはとても嬉しいのですが、とうとうエーテルランドの騎士さんたちにまで女神と呼ばれ始めました……
それを聞いたロレックさんが「ベルファリアの女神様だぞ!」と抗議すると、ジェリクさんも負けじと「エーテルランドのご令嬢だぞ!」と張り合います。
「あ、あの、皆さん……?」
謎の板挟みに困惑してオロオロしていると、後ろからよく聞き馴染んだ声が私を呼びました。
「姉さん……」
振り向くと、目にいっぱい涙を溜めたシャルロットが感極まった様子で抱きついてきました。
「無事でよかった!ベルファリアにいたならどうして知らせてくれなかったの?修道院に向かう途中で行方が分からなくなったって聞いて、ずっと心配してたのよ!」
シャルロットが私を心配??どんなに幼い頃まで記憶を遡っても、妹が私のことでこんな風に泣いたりするのを見たことがありません。
「あ、あの……シャルロット?ごめんなさい。向こうで落ち着いたらいずれは連絡しなきゃと思っていたんだけど……」
「いいのよ!姉さんが無事だったならそれでいいの。ベルファリアで魔王の呪いが解けたのね?」
「えっ……?」
解けたのでしょうか?ベルファリアにいる間は呪いの話なんてすっかり忘れていましたし、特に何かしたわけではないんですけど、かかった覚えのない呪いはいつの間にか解けていたようです。
「あの、バスティアン王子……姉を救っていただいてありがとうございます!こうして姉がまたエーテルランドに戻って来られたのも、ベルファリアの皆さんのおかげです」
バッシュさんに近付いてしおらしく頭を下げるシャルロット。その仕草や声色にはすごく覚えがありました。子供の頃からいつも、シャルロットがこうして下から遠慮がちに上目遣いで微笑むと、その健気で愛らしい表情にみんな心を掴まれ、この子の言うことをなんでも聞いてしまうのです。アルウィン王子もそうでした。いつも王子の隣に寄り添っていた妹のあの姿が重なって、急に私の胸がザワザワしてきます。
ところが、バッシュさんの返事はいたって冷淡でした。
「俺が獣の姿だった時は話したことが無かったな、聖女シャルロット。マルゴのことでお前に礼を言われる筋合いは無い」
おそらく生まれてからこれまで誰からも一度も向けられたことのない素っ気ない態度に、シャルロットの笑顔は凍りつき、ほころんだ花びらのような唇は引きつってフルフルと震えました。
「……いえ、大切なたった一人の姉のことですから、感謝してもしきれません。それにこうしてわが国のために駆けつけてくださった皆さんに、どうして感謝せずにいられましょう。力を合わせて、共に魔物の脅威に立ち向かいましょう!」
また一歩近付いて手を取ろうとしたシャルロットからスッと身を離し、背を向けながらバッシュさんは言いました。
「王都から逃げ出す前にアルウィン王子にそれを言うべきだったな。相手の姿や状況次第で態度が変わる人間を俺は信用しない」
歯牙にもかけないその様子にシャルロットの手は行き場を失くし、それ以上近寄ることはできませんでした。
「マルゴ、行くぞ」
「は、はい!」
バッシュさんに呼ばれて慌てて後を追おうとすると、シャルロットが「待って!」と私の手を掴んで、引き止めました。
「姉さんのことだから大丈夫だと思うけど……くれぐれも気を付けてね。思わぬ敵がどこに潜んでいるかも分からないから」
そう言って自分が首に提げていた護符のペンダントを外し、私の首にかけてくれます。
「あ、ありがとうシャルロット……」
あなたは昔から、たくさんの人目があるところでは私にも天使のように優しい言葉や笑顔をくれた。その姿を本当だと信じたい……いつもそう思ってた。だけどあなたのその透き通った空色の瞳は私を映してない。みんなが憧れる聖女シャルロットの姿を演じているだけ。きっと自分でも気付いてないのかもしれないけど、子供の頃からあなたにとって私は常に、あなたを引き立てる舞台の背景の一部でしかなかったんだと思う。だから私も本当の意味であなたと向き合ったことはなかったんだと思う。今この時も……
「大丈夫よ、王都はきっと取り戻してみせる」
そして私は妹に背を向け、王都の戦いへ赴きました。
*
日が暮れる前になんとか王都ティターニアに着いた私たちは、想像していた以上の惨状に言葉を失いました。美しかった石畳の通りには逃げ遅れた人たちの骸がそのまま放置され、建ち並ぶ家々やお店はあらゆる物が持ち去られた廃墟と化していました。そして通りの向こうにそびえていた歴史ある白亜の王宮はもうそこに無く、ただの瓦礫の山があるばかり。わずか数日でこれほど破壊の限りを尽くしたのは、瓦礫の上にどっかりと腰を下ろしてこちらを見下ろしているあの黒鎚の巨人なのでしょう。
「アルウィン王子はどうした?家来どもに囲まれていないと何もできんあの腰抜けは?魔王様に勝った男がこの俺様に恐れをなして逃げ出したってことは、この世で一番強いのはこの俺様だってことだよなぁ?」
ベルファリア軍とエーテルランド軍の先頭に立って巨人と対峙したバッシュさんは、呆れたような笑いを噛み殺しながら答えます。
「魔王を倒したのはアルウィン王子じゃない。あいつは最後にとどめを刺しただけで、実際に戦ったのは俺とマルゴだ。お前がこの世で一番強い?ほんの数日だけでも、身の程に過ぎた夢が見られてよかったな」
「お前たちが魔王様を?ガハハハッ!口先だけなら何とでも言える。誰が強いか、戦ってみれば分かることよ」
そう言うとジャガラッドは自慢の黒鎚を杖代わりにして立ち上がり、瓦礫の山を下りてきます。それを合図に、街のいたるところに潜んでいた大小さまざまな魔物たちが私たちを包囲するように押し寄せました。
「恐れるに足りん烏合の衆だ。日が暮れる前にすべて片付けろ!功を挙げ損なうな!」
バッシュさんの号令にベルファリアとエーテルランドの両軍が大きな声で応え、陣形を組んで魔物たちに立ち向かいます。その中央で、バッシュさんと私の二人が見上げるような巨人と向かい合いました。
「魔王やルドラと違ってコイツはただデカいだけだ。はっきり言って敵じゃない」
「油断は禁物です、バッシュさん」
「分かってる。だが俺にはお前がついている。お前には俺がついている。何も怖れるものはない」
「はい!」
「いくぞ……」
バッシュさんの体がみるみる銀色の毛皮に覆われ、獣の姿に変わっていきます。前傾して両手を地面につくと、ほとんど狼そのもののように姿勢を低く伏せ、私はその上に飛び乗って盾だけを構えました。人馬一体ならぬ人狼一体、それが私たちの辿り着いた答えです。どちらかがどちらかを守るのではなく、常に離れることなく攻防一体となって戦う。お互いがお互いを信じて補い合う時、私たちは一番大きな力を発揮できるのです。
「女の尻に敷かれていい格好だな!曲芸でも見せてくれるのか?」
嘲笑う巨人に向かって、バッシュさんはまっすぐ走り出します。
「お前を倒すのに曲芸など必要なイ。ただ正面かラ叩き潰すだけダ」
「叩き潰す?潰れるの間違いだろう!」
頭上から巨人の黒鎚が唸りを上げて襲い掛かりますが、私は傘のように盾を掲げてそれを防ぎます。さすがにまともに受け止めると私は無事でもバッシュさんが潰れてしまうので、黒鎚の威力をうまく横に受け流します。雨粒を受け流す傘のような形の盾を、ベルファリアで作ってもらいました。この人狼一体のスタイルで戦う時のために。
そしてこの盾の使い方はこれだけではありません。バッシュさんがそのまま巨人に向かってぐんぐん加速し、矢のような速さで飛び掛かります。
「行きます!シールドランスッ!!」
私は盾を構えて思いきり巨人の体に衝突しました。全身に伝わるものすごい衝撃。でも私はびくともしません。同じ衝撃でも壊れるのはより弱い方、つまり……
「グオオォォォォォォォッッッ!!!」
巨人は地獄の底から漏れ出たような叫びを上げてその場に崩れ落ちました。
不器用で守ることしかできない私ですが、獣人フォームになったバッシュさんの突進力と私の頑丈さが合わさると、最強の防御力は最強の攻撃力に変わるのです。
「あの巨人を……三魔将をたったの一撃で……」
周囲で戦っていた騎士さんたちも魔物たちも、あまりに呆気ない決着に呆然となり、少しの間、時間が止まったようでした。特にジャガラッドと直接戦って歯が立たなかったエーテルランドの騎士さんたちにとっては衝撃だったようです。
やがて我に返った魔物たちは散り散りになって逃げ出し、それを騎士さんたちが追いかけて掃討していきます。バッシュさんが言った通り、日が暮れる前に全部片付き、勝利の凱歌が上がり始めました。狼の姿から元に戻ったバッシュさんが、荒れ果てた街の様子を見回して呟きます。
「この街もここから復興だな」
「はい。私に何か少しでもできることがあったら……しばらくここに留まってお手伝いしたいです」
「そう言うと思ったよ。だが俺はベルファリア軍を連れて引き上げなきゃならない。他国の軍がいつまでも居座ってるわけにはいかないからな」
「はい……」
バッシュさんの銀色の目が少し心配そうに私の表情を窺っていました。私は王都を追放され、しかも命令を破って他国に逃げた罪があります。アルウィン王子の許しがなければここに留まることもできません。側で守ってくれるバッシュさんがいなくて、私一人でうまくやれるでしょうか?正直、不安です。
でも、それでも私はここでやらなくちゃいけないことがあります。魔物に平和な暮らしを奪われた人たちのために、きっとできることがあります。大丈夫。不安だけど、自分のやるべきことは分かってます。ずっとバッシュさんを側で見てきて、教わったことがたくさんあります。だから大丈夫。私は自分に言い聞かせるように決心を固め、力強くバッシュさんの目を見返しました。バッシュさんは優しく目を細めて頷いてくれました。
「言っておくが……お前をエーテルランドに返す気は無いからな。街の復興支援を手伝うために、ベルファリアの使節としてここに残るんだ。お前が帰るべき国はベルファリアだし、お前がいるべき場所は俺の隣だけだ。約束してくれ、必ず俺の元に戻ってくると」
まっすぐな眼差しと真剣な口調。それは私がこれまで聞いた中で、何よりも嬉しい言葉でした。嬉しくて嬉しくて、胸がいっぱいで、止めようもなく涙が溢れてきます。
「決まってるじゃないですか…………必ずベルファリアに戻ります。だって私、ここにいる時が一番幸せなんですから」
私はバッシュさんの腕の中に身を寄せ、涙でくしゃくしゃになった顔をバッシュさんの胸に押し当てました。バッシュさんの腕がギュッと強く私を抱きしめてくれて、幸せでため息が出ます。
「マルゴ……俺も約束する。いつでもお前を尊重し、大切にすると」
「もう大切にしてもらってます」
「これからもずっとだ」
「はい!」
ベルファリア軍の皆さんの歌が勝利の凱歌から婚礼の時の祝いの歌に変わり、エーテルランド軍の皆さんもそれに合わせます。冷やかしの声や口笛に囃し立てられながら、私たちは照れ笑いの顔を見合わせて、初めてのキスを交わしたのでした。




