5.
大毒蛇ルドラがいなくなっても、水源地の水が完全に浄化されて元の美しい森に戻るには長い年月がかかる……と思ってました。でもフィーナ様が浄化の祈りを始めると、たった数日で見渡す範囲の沼地はみるみるきれいな泉に変わり、ひと月も経つと木々から立ち上っていた瘴気が止まりました。
暗闇の森にまた陽の光が差し込み、梢で歌う鳥たちの声も戻ってきました。私は初めて見るベルファリアの森の美しさにすっかり心を奪われました。魔王軍の魔物たちが我が物顔で闊歩していた頃とはまったく別物の景色です。
瘴気が晴れると暗闇に潜んでいた魔物たちは陽の光から逃げるように姿を消していきました。私たちは広大な森に囲まれるように点在するベルファリアの街や村を一つひとつ巡り、周辺にまだ残っている魔物がいれば全部排除して、これまで辺境や他国に避難していた人々が戻って来れる場所を取り戻していきました。
手強い魔物はもうほとんどいなくて、私はかすり傷一つ負うことはなかったのですが、バッシュさんはなんだかすっかり過保護になってしまい、私に向かってくる魔物をあっという間に倒してしまうので何もすることがありません。無理して怪我をしないか、見ていてハラハラします。でもそれを言うとムスッとなって「俺を信用しろ」と言うばかり。私だってちょっとは信用してほしいんですけど……
そんなモヤモヤをフィーナ様に相談すると、少々お疲れの様子で取り合ってもらえませんでした。
「……あたしは森の浄化で忙しいの。ノロケを聞いてほしいだけならまた今度でいいかな?」
「のっ、ノロケ!?……なのでしょうか?これは???」
「バッシュ兄に心配されて、大事にされてるんでしょ?よかったじゃない」
「……フィーナ様は言い方がちょっと意地悪すぎます」
「性格悪いからね。知ってるでしょ?」
可愛らしい顔をわざと意地悪そうにしかめてニシシッと笑うフィーナ様。そういう素振りがいちいちチャーミングで憎めないお方です。でも私は真面目に悩んでるんですけど、いまひとつ伝わっていない気がします。
「まだ不安?自分が役に立ってないと、また追い出されるんじゃないかって」
心の奥を見透かすようにズバッと聞かれ、私は一瞬言葉に詰まります。
「……私はタンクです。守るしかできないので、守ってもらっていたのでは一緒にいる意味がありません」
「一緒にいたいからいる、じゃダメなの?」
「えっ……?」
「別に必要ないならタンクじゃなくたっていいじゃない。ただの相棒でも恋人でも、一緒にいる意味はあるよ」
「こっ!?恋人!!?」
思いもよらない言葉に頭が真っ白になった私を、フィーナ様は呆れ顔でジトッと見ています。
「まさかとは思ったけど……あれだけいつも一緒にいて、ホントにそういうの無いんだ?二人とも」
「そ、そういうのって……バッシュさんが私にそんなこと……」
「あー……バッシュ兄も同じこと言いそう。マルゴはどう思ってるのよ?バッシュ兄のこと」
「どっ…………どう??……想って…………???」
フィーナ様は私の中の開けてはいけない扉を開けてしまったかもしれません。今まで本当にそんな風に考えたことは無かったんです。バッシュさんをどう思うとかよりも、自分がそんな立場になることを想像もしていなくて。でも突然そんなことを言われてバッシュさんの顔を思い浮かべたら…………あ、あれ??なんだか急に心臓が異常な速さで……あれっ?……え……えっ??えっ???
「あー…………いいよもう。その顔見たらもう分かったから」
どんな顔でしょう?私、今どんな顔をしてるんでしょう?顔が熱くて、頭の中も熱くなっててもうパニックです。
「自分の気持ちに鈍感な人たちって面白。後でバッシュ兄にも聞いてみよっ」
「そっ、それだけは絶対にやめてください!私のことなんて何とも思ってないに決まってるじゃないですか!」
「決まってないよ。バッシュ兄って昔から女を寄せ付けないっていうか、私の他に気安く話す子なんかいなかったのに、マルゴには気を許してるじゃない」
「それはただ一緒に戦ってきたパートナーというか……」
「戦いが終わったらパートナーは終わり?冷たいなー」
「そ、それはバッシュさんが決めることで、私がどうこう言えることじゃ……」
「だから聞いてみようって言ってるんじゃない」
「だからやめてください!お願いします!」
騒いでいる私たちに気付いて、間の悪いご本人がやってきてしまいました。
「ずいぶん仲がいいな。俺がどうしたって?」
「っっっ!!!!?」
また一気に心臓の鼓動が速くなって、顔と頭に上る血が沸騰したみたいになります。
「バッシュ兄、ちょうどいいところに。あのね、マルゴがね……」
「ひああああっ!わあああああああああっ!!」
「お、おいどうしたマルゴ?……お前、また顔色がおかしいぞ?」
「~~~~~~~~っ!!!!!!?」
ずいっと近くで顔を覗き込まれ、パニックが頂点に達した私は、自分でも何を言っているか分からないまま「だっ!だだだだだいじょぶっっ!!大丈夫ですっ!!!私は大丈夫ですから〜〜〜っっっ!!!!!」と意味不明な言葉を残し、その場を全力逃走したのでした。
後日、フィーナ様はお腹を抱えて笑いながら、会う人ごとにその時のことを言いふらしていました。本当に酷い方です。あの後、私を心配したバッシュさんから事情を聞かれたフィーナ様が一体何を話したのか、恐ろしすぎてとても聞く勇気がありません。
「聞きたい?」
「聞きたくありません!」
「えっ?ホントに聞いとかなくていいの?だってバッシュ兄ったら真顔であんなこと……」
「えっ??」
「……やっぱり聞きたい?」
「もうっ!!」
完全に遊ばれてます。結局フィーナ様はニヤニヤしながらもったいぶるばかりで何も教えてくれませんでした。バッシュさんも特段、これまでと変わった様子は無く、私だけ変に意識してしまって恥ずかしい……
自然に振舞おうと思えば思うほど余計にギクシャクしてしまって、バッシュさんの顔を見て普通に話せるようになるまで、しばらくの時間と心の鍛錬が必要でした。
*
ベルファリアにやってきてから早くも半年が過ぎ、王都フラン・ビアシュの城下にはすっかり人の活気が戻ってきています。魔物がいなくなったことで交易が再開し、市場にはたくさんの品々が並ぶようになりました。壊れた建物の再建も進み、改修された女神リュディオン様の神殿にはなぜか私にそっくりな像が建っています。
私はほとんど毎日バッシュさんと一緒に街を歩き回り、困っている人がいればお話を聞いて、お手伝いしたり、必要な物を差し入れたり、ささやかながら自分にできることを探しています。日暮れが近くなるといつも二人で王宮の前の高台に上り、ポツポツ灯り始める街の灯りを眺めながらその日の出来事を話し合いました。
「ベルファリアって本当に染物が盛んなんですね。あんなにたくさんの工房があるなんて」
「ハルシアの森は何百種類もの染料の元が採れるからな。工房ごとに秘伝の配合レシピがあって、そこでしか出せない色があるんだ」
「どれもこれも素敵な色の布地ばかりで……見ているだけでも楽しかったです」
「あちこち引っ張り回されて疲れただろう。みんなお前に見てもらいたくて色々新作を用意してたみたいだぞ」
「疲れるどころか、いくら見ていても飽きないですよ。私なんかでよかったらいつでも見に行きたいぐらいです」
急にバッシュさんがまじまじと私を見て、フッと笑いました。
「お前がそうやって楽しそうにしていると少しホッとする。戦いが終わった後も街の復興の手伝いばかりで、ろくに休んでなかったからな」
「それはバッシュさんも同じじゃないですか」
私が笑い返すとバッシュさんは言われて初めて気付いたような顔で頭を掻きます。
「こき使うためにこの国に連れてきたみたいで時々心配になるんだよ。来るんじゃなかったと後悔してないかって」
「思うわけないじゃないですか、そんなこと。前にも言いましたけど、ここに連れてきてもらって感謝してます。来てよかったと思ってますし、ずっとここにいたいと思ってます。この街も、街の人たちも大好きですし、何より……」
うっかり口を滑らせかけて慌てて口をつぐみました。何よりバッシュさんがいるから、私にとってここはもう、世界中どこを探しても他に無い特別な場所なんです。タンクでも女神の化身でも、どんな役でもいいからずっとここにいてもいいですか?これからもずっと……バッシュさんの側にいてもいいでしょうか?
「どうした?」
急に黙り込んだ私の様子にバッシュさんが怪訝な顔をしました。私は勇気を振り絞って顔を上げ、一言だけなんとか口に出しました。ちょっと声が震えてしまいましたけど。
「……バッシュさんがいるから」
「ん?」
間が空きすぎて伝わりませんでした。ああ、女神様。リュディオン様。どうか私にあと少しだけ勇気をください。
「……バッシュさんがいつも側にいてくれたから、私はここが大好きになりました。この国に来て後悔したことなんて一度もありません」
「マルゴ……」
バッシュさんが私を見て何か言おうとして、少し言葉を探しています。その少しの間が恐ろしく長く感じて、心臓が痛いほどに強く速く鳴っています。私はもう自分が口に出した言葉を後悔し始めました。だってこれまで私が強く願ったことで、叶ったことなんて一つも無いのに。
その時でした。高台に続く坂道を駆け上ってくる馬の足音が聞こえてきたかと思うと、あっという間に私たちの前を通り過ぎ、王宮の方へと駆け去って行きました。緊急事態を伝える早馬のようです。
「ずいぶん飛ばしていたな。何かあったのか……?」
「バッシュさん、王宮に戻らないと」
「ああ、一緒に来てくれ」
さっきの話は一旦忘れて、私たちは嫌な胸騒ぎを覚えながら早馬を追って王宮に向かいました。そして、そこで思いもよらなかった知らせを聞くことになったのです。
*
「エーテルランドの王都が陥落しただと!?」
あまりに唐突で予想外な知らせに、王宮は騒然としていました。魔王が滅び、ベルファリアに残っていた魔物たちも一掃され、もうどこにも脅威は存在しないと思われていました。一体何があったというのでしょうか?
「三魔将の一角、黒鎚の巨人ジャガラッドが北の関門峡谷を破って侵入しました。魔物の軍勢はわずか数百ですが、黒鎚の一振りで城壁さえも吹き飛ばすジャガラッドを止める手立ては無く、わずか数日で王都まで……」
「アルウィン王子は何をしている?」
「近衛騎士団を率いてジャガラッドと交戦したようですが、護衛の騎士たちが持ちこたえられず、撤退を繰り返し……やむなく王都を放棄したようです」
「民を残して逃げたのか、あの馬鹿!王都は今どうなっている?」
「魔物どもが好き放題に暴れ回り、逃げ遅れた者に多くの犠牲が出ていると思われます」
呆れた様子で報告を聞いていたバッシュさんが私の方を振り返り、心配そうに肩に手を置きました。まさかエーテルランドが……王都ティターニアがそんなことになるなんて想像もしていませんでした。お父様やお母様、家の人たちはみんな無事でしょうか?シャルロットはアルウィン王子と一緒でしょうか?街の人たちは……ベルファリアと同じように、今度はエーテルランドの人たちが魔物に襲われ、恐怖に震えているのでしょうか?いても立ってもいられなくて、私はバッシュさんにすがりつきました。
「ごめんなさい!バッシュさん、私……エーテルランドに戻ります!」
「分かってる。止めはしないさ。もちろん一人で行かせる気も無い」
「えっ?」
「俺も行く。いつでもお前の隣には俺がいる。そうだろう?」
「はい!」
すぐにエーテルランドへの援軍が編成され、その日のうちに私たちはフラン・ビアシュを出発しました。大きな部隊ではありません。百騎に足りるかどうかというぐらいでしょうか。
かつてベルファリアが魔王軍に攻められた時、エーテルランドは援軍を出しませんでした。アルウィン王子がまだ究極魔法を習得できておらず、魔王と戦う準備が整っていなかったのです。そのことがあって、ベルファリアの人たちの中にはエーテルランドへの援軍に反対する声もありました。国内の守りが手薄になれば、いつまた魔物たちが攻めてくるかもしれない、そう恐れる人たちの気持ちも分かります。
でも、ベルファリア解放軍で一緒に戦った騎士さんたちや冒険者さんたちのほとんどは援軍に志願してくれました。
「ベルファリアの民だろうとエーテルランドの民だろうと関係ありません。守るべき者がいるなら守る。あなたがそういう御方だから、我々はどこへでもついて行きます」
「ロレックさん…………皆さん、ありがとうございます!」
翌日、エーテルランドの国境に着くと、国境を守る守備隊の皆さんは関門を開いて私たちの援軍を迎え入れてくれました。どういうわけか、魔王討伐の時に一緒に戦った騎士さんたちが何人も国境に配属されていて、顔見知りの方が多かったので、すぐに話が通じたのです。
「マルグレット様、よくご無事で…………ベルファリアにいらっしゃったのですね」
「ジェリクさん!?どうしてあなたが国境に?」
国境守備隊の隊長さんも顔見知りの若い騎士さんでした。魔王討伐の時の働きが認められ、王宮を守る近衛騎士団の団長に昇進するはずだったのですが……
「アルウィン王子の命令ですよ。あなたが王都を追放された時、あの決定に異を唱えた者は全員国境送りになりました。おかげで王都が襲われているのにここで何もできず、むざむざと敵に明け渡してしまう始末です」
「そんな……」
私だけじゃなく、ここにいる皆さんまで王都を追われていたなんて…………悔しそうに俯いたジェリクさんの肩を、バッシュさんが軽く拳で叩きました。
「すぐに取り戻してやるさ。アルウィン王子は今どこだ?」
獣人の姿だった時のバッシュさんと一緒に戦ったことがあるジェリクさんですが、もちろんそんなこと知る由もなく、慌てて床に片膝をついて深々と頭を下げました。
「バスティアン・ベルフローゼン殿下、この度の援軍に心より感謝申し上げます」
「困った時はお互い様だ。ってのはもちろん皮肉だが、今回は貸しにしといてやる」
「……恐れ入ります。アルウィン王子はこの国境近くまで軍を退いて兵を集めていますが、千や二千の寄せ集めがいたところであのジャガラッドに太刀打ちできるとはとても……」
「だったらここでまだ留守番をしてるか?」
「まさか!馬鹿な命令に付き合うのももう我慢の限界です。お供させてください、バスティアン殿下」




