3.
かつてのベルファリア王国は緑豊かな美しい国でしたが、国土の半分近くに及ぶ水の女神ハルシアの森は魔物が放つ毒で汚れ、危険な暗闇の森と化してしまいました。
魔王軍との戦いで生き残った騎士さんや冒険者さんたちは、ベルファリア解放軍として魔物たちと戦い続けています。その最大の目標は、森の水源地に棲みついている大毒蛇ルドラを倒し、汚れを取り除いて元の美しい森を取り戻すことでした。バッシュさんと私も、解放軍の皆さんと合流するため水源地に向かいます。
素性が分かった以上、さすがにバッシュさんでは失礼だと思ってバスティアン殿下と呼んだら、笑われてしまいました。
「いまさら他人行儀はよせ。バッシュでいい。俺もお前との話し方を変えるつもりはない」
ということで獣人の時と同じようにバッシュさんとお呼びしていますが、まだ今の姿に慣れなくてなんとなく緊張してしまいます。着の身着のままで攫われてきて装備も何も無い私を、バッシュさんは森の中の古い祠に案内しました。
「ここは……」
「戦女神リュディオンの聖堂だ」
「戦の……女神様?」
祠の地下には立派な石造りの聖堂があって、そこに祀られていたのは白銀の甲冑をまとった美しい女神様の像でした。
「ベルファリアには独自の古い信仰が残っている。よその国では大抵、戦の神は男の姿だが、俺たちは戦の勝利を女神に祈るんだ」
バッシュさんは女神像に祈りを捧げてから、白銀の甲冑を取り外して私に手渡しました。
「着けてみろ」
「えっ!?でも……」
「バチは当たらない。お前にはベルファリアの勝利の女神になってもらわなきゃならないからな」
「そ、そんな滅相もない……」
恐る恐る胸当てを受け取って自分の体に当ててみると、まるで測ったようにピッタリでした。
「初めてお前が戦ってる姿を見た時、どこかで見た覚えがあるのに思い出せなくてずっと気になってたんだ。記憶が戻った時、やっと分かったよ。まさか女神と見間違ってたなんてな」
「や、やめてください……私、女神様に怒られてしまいます」
滅相もなさすぎて真っ赤な顔で小さくなる私を見て、バッシュさんは珍しく声を上げて笑いました。
女神像は甲冑の他にも白銀の剣と盾を持っていて、私は一式まとめてお借りしていくことになりました。傷を付けたりしたら本当に申し訳ありません。でも私はタンクですから、きっと傷だらけになってしまうでしょう。その代わり、必ずベルファリアの人たちを守ってみせます。そう女神像に約束しました。
そして約束を果たす時はすぐに訪れます。私たちが森の中でようやく解放軍の一隊を見つけた時、彼らは散り散りになって敗走中でした。
「モルゴーンです!三魔将の一角、眠らぬ骸の騎士モルゴーンが現れました!」
「本隊はどこだ!誰が指揮を執っている?」
「すぐそこです!ロレック隊長と本隊の数人が食い止めている間に戦線を後退させろと……」
急いで本隊の方に向かうと、大きな骸骨の馬に乗った黒い甲冑姿の骸骨の騎士が解放軍の騎士さんたちを次々となぎ倒していました。傷付き倒れている騎士さんの一人を踏み潰そうと骸骨の馬が高く前足を上げたところに、私は慌てて飛び込みます。間一髪、女神の盾で蹄を弾き返し、骸骨の騎士と向かい合いました。
「ほう……我が愛馬を阻むとは……何者だ?」
骸骨の騎士が虚ろな眼窩をこちらに向けました。
「まさか…………女神リュディオン様が降臨された??」
背後で呆然と呟く騎士さんの声が耳に入り、私は兜の面当ての下でまた赤くなります。紛らわしくてごめんなさい……
「だらしがないなロレック。しばらく見ないうちに腕が落ちたか?」
「王子!?生きていらしたのですか!?」
「当たり前だ。だが積もる話はそこの死に損ないを片付けてからにしよう」
バッシュさんが私の隣に並んで左右の腰に差した二本の刀を抜くと、骸骨の騎士も騎乗のまま黒光りする剣を構えました。
「バスティアン王子か…………どうにも信じられなかったが、やはり魔王様が討たれたというのは本当なのだな。隣の女は何者なのだ?」
こういう時、私はかっこよく名乗ったりするのが苦手ですぐにモゴモゴしてしまうのですが、バッシュさんが代わりに答えてくれて助かりました。
「マルグレット・ドゥーブル公爵令嬢。この世で唯一、魔王の全力攻撃を一人で止める女だ」
……前言撤回。私だけ化け物みたいに聞こえるじゃないですか……
「と、とにかく!倒れている皆さんに手出しはさせません!」
私も剣と盾を構えます。そういえばちゃんと刃のある剣を手にするのはいつ以来だったでしょう。
「相手にとって不足なし。女とて容赦はせぬぞ……幻影千刃乱舞!!」
骸骨の騎士の姿がいくつにも分身し、振り下ろされる黒剣は何十通りもの軌跡を描いて同時に殺到します。目くらましの幻術の類でしょうか?どれが本物か全然分からなくて避けようがありません。どうしよう……とはなりませんよね。避けませんし。
ガガガガガガガッ!!
幻の攻撃も本物の攻撃も一つ残らず全部受け切りましたが、一撃一撃が軽くてダメージはありません。
「このぐらい、魔王の攻撃と比べたらっ……!」
「馬鹿め、今の技はただの布石……真の狙いはこっちだ!」
剣の攻撃を受けて動きが止まった私に骸骨の馬が襲い掛かりました。肋骨が大きく左右に開き、噛みつく鋭い牙のように私に突き刺さります。ごめんなさい女神様。さっそく鎧に傷が付いてしまいました。でも……
「捕まえました!バッシュさん!」
肋骨に挟まれたまま骸骨の馬を持ち上げると、待ち構えていたバッシュさんがその首を刎ね飛ばします。もう一本の刀で骸骨の騎士の首も一刀両断。電光石火の早業でした。
「マルゴにかかっては三魔将も敵ではないな」
「馬鹿な…………我が愛馬の必殺の一撃をまともに受けて怯みもしないとは…………」
首だけになった骸骨の騎士は呆然と呟きながらボロボロと崩れ去りました。見ていた解放軍の皆さんが歓声を上げます。
「バスティアン王子万歳!女神リュディオン様万歳!」
いやあの……だから女神様ではなくてですね…………バッシュさんの狙い通り、この格好のおかげですっかり皆さんから勝利の女神のように思われてしまったようです。でもこの国の平和を取り戻すためには格好だけじゃなく、本当にそういう働きをしなくてはいけないですよね。
*
行方不明だった王子が魔王を倒して戻り、解放軍の士気は一気に高まりました。これまでバラバラに戦っていたいくつもの部隊が王子の下に集結し、一丸となって水源地の大毒蛇退治に向かいます。
その前夜、解放軍の野営地で盛大に決戦前の夜宴が開かれました。バッシュさんは全部の部隊を回って隊長さんや隊員さんたちとお酒を酌み交わしています。王子様なのにほとんどの騎士さんと顔見知りで、まるで友達みたいに笑い合っている姿は、同じ王子でもアルウィン王子とは全然違います。
所在なくバッシュさんの後について回っていると、私も皆さんからお酒を勧められましたが、とてもバッシュさんのようにはお付き合いできません。すると少々酔いが回ってきたのか、バッシュさんがこんなことを言い出しました。
「俺と勝負して勝った者には女神と踊る栄誉を授けよう。誰か俺に挑む勇気のある者はいるか?」
「ちょっ……バッシュさん!?」
最初に手を挙げたのは骸骨の騎士と戦っていたロレック隊長さんでした。
「やはりお前かロレック。格好悪いところを見せるなよ?」
「手加減は無用ですよ王子。正々堂々と栄誉を勝ち取ってみせます」
お互いに木剣を手に取ると真剣な顔で構えます。ロレックさんは本気の勢いで鋭く何度も打ち込みますが、バッシュさんは難なく受け流し、一瞬の隙を突いてロレックさんの木剣を叩き落としました。
「まだまだぁっ!!」
すかさずロレックさんがバッシュさんに掴みかかり、今度は取っ組み合いが始まります。何度投げ飛ばされても立ち上がってかかってくるロレックさんに、苦笑いしながらもどこか楽しそうなバッシュさん。子供みたい……
とうとう根負けしたバッシュさんを地面に転がすと、ロレックさんは両手を突き上げて勝利の雄叫びを上げました。本気すぎませんか……?取り囲んだ野次馬の皆さんは拍手喝采。なぜかバッシュさんも拍手しています。
「踊っていただけますか?女神様」
泥だらけの手をゴシゴシ拭ってから差し出され、お断りするわけにもいきません。拍手が手拍子に変わり、誰かが楽器をかき鳴らし始めました。結局、ロレックさんの健闘のおかげで次々と挑戦者が名乗りを上げ、バッシュさんはヘトヘトになって何度も地面を転がされ……たぶんわざとだと思いますけど、私もヘトヘトになるまで皆さんと踊ることになったのでした。
ようやくダンスから解放されて戻ると、私の疲れた顔を見たバッシュさんは「次は俺と踊るか?」と笑いました。すみません、明日でもいいでしょうか……
「これで奴らはどんな時でも勝利の女神がついていると信じて戦える。誰一人死なずに戦いを終えられたら、間違いなくお前のおかげだ」
「バッシュさん……」
私のおかげではないと思いますけど、私が何かの役に立って皆さんが無事に戻れたらそんなに嬉しいことはありません。
「そうやって一人一人のことを大切に考えてくれるから、みんなバッシュさんを慕って、心から信頼してるんですね、きっと」
「買い被るな。誰だって見知った顔がいなくなるのは嫌だろう。だから今日、全員の顔を見ておきたかった」
大きな戦いになるとなかなか全員無事というわけにはいきません。知らない人が知らないうちにいなくなっても胸は痛まないかもしれませんが、全員の顔を知っていれば一人を失う心の負担はとても重くなります。バッシュさんはそれを自分に課しているんだと思います。誰かを失うことは避けられないと分かっていて、それでも誰も失いたくないと思えるように。私もその重さを少しでも一緒に背負いたいと思いました。
「私も……今日知り合えた皆さんを守りたいです。一人でも多く……できれば全員無事で帰れるように、全力を尽くします」
意気込む私を見て、バッシュさんは少し表情を曇らせました。
「お前はそういう奴だと分かっていた。自分の痛みには鈍感なくせに、目の前の他人が傷付くのは耐えられない奴だ。だから……そんなお前の優しさにつけ込んでこの国の戦いに巻き込むべきじゃないと……本当は分かっていた」
「巻き込まれたなんて思ってません!エーテルランドに居場所がなくなって、どうしたらいいか分からなかった私を強引に連れ出してくれて感謝してます!…………本当、強引でしたけど」
顔を見合わせて少し笑うと、バッシュさんは銀色の目を優しく細めました。
「そういうところだよ。俺がお前に……」
「?」
何か言いかけた言葉を途中で飲み込み、また真剣な表情で私に向き直ります。
「この戦いでお前を絶対に死なせない。平和になったこの国で生きて、幸せを見つけてくれ。お前を連れてきてよかったと思わせてくれ」
バッシュさんの言葉はまっすぐ胸の奥に届いて、暖かさがじぃんと伝わって、なんだか胸がいっぱいになります。
「もちろんそのつもりです!」
私は思わずちょっと涙ぐんでしまったのをごまかすように夜空を見上げました。バッシュさんの目と同じ色の月が、まだ続いている宴の喧騒の上に優しい光を注いでいました。




