第14話 許さない町の配給会議
【二周目 Day5・夕刻】
ベルンの北門は開いていた。
それでも、イヴァンたちは入ろうとしなかった。
夕暮れの街道で二十人が固まり、開いた門をわなのように見ている。製粉小屋で下ろした武器は、守備隊の荷車に積まれていた。逃げようと思えば、森へ戻るしかない。
「戦時避難条項を使う」
守備隊長が門の帳面を見せた。
「診察で流行病がないと確認できれば、三十日は町の保護下へ入れる。黒い契約に従った件は、別に調べる」
「その診察をするのは、町の人間か」
イヴァンの隣で、治癒師のサーラが尋ねた。俺の右腕を温石で治療した女だ。年はハンナと同じくらいだが、目の下には眠れていない者の黒い影がある。
「町の医師と、薬屋のサナだ」
「子を裸にするなら女を寄越せ。三十日って今書け。あとで四十日に伸ばすな」
隊長は嫌な顔をせず、条件を一つずつ帳面に足した。
「異議はない。ほかには」
「槍を下げて。子供の熱を測るのに要らない」
門兵たちが隊長を見る。
槍の穂先が、ゆっくり空から消えた。
イヴァンはそれでも動かなかった。先にサーラと、毛布を掛けた子供三人を通す。門の内側で誰も取り押さえないのを確かめてから、ようやく自分の足を進めた。
イヴァンは敷居の泥を靴の裏で三度落とした。四度目にまだ土が残っていたが、後ろの子に押されて町側へよろめいた。
最後に門をくぐったのはドーマだった。
ドーマは娘の手を引き、町へ入ったところで立ち止まる。
「広場を借りたい」
守備隊長がまゆを寄せた。
「娘を休ませてからでもいい」
「休ませたら、私は明日へ逃げる」
眼鏡を失った目で、ドーマは広場を見た。
「都合の悪い順に話す」
*
鐘を一度鳴らすと、北倉の焼け跡から、市場から、炊き出しの鍋から人が集まった。
広場の中央に立ったドーマは、紙を持たなかった。
「娘を町の外に預けていた。名を消すと脅され、黒衣の書記と契約した。北門を開け、赤角獣を追い立てた。止めてもらうため、水門の鍵と帳簿に手掛かりを残した」
そこで一度、唾を飲む。
「北倉が焼けた責任から、逃げない」
人垣の前から、パン屋のロザが出た。
太い腕には、火傷を覆う新しい布。北倉に置いていた小麦を失い、店のかまを三日止めると聞いている。
彼女はこぶしを握った。
ドーマの娘が父の腰にしがみつく。ドーマはかばわなかった。ただ、娘の手だけを自分の背中から外した。
「この子へは何もしないでくれ」
「子供に親の勘定を払わせるほど、うちのパンは安くないよ」
こぶしが上がる。
落ちたのは、ドーマの頭だった。
ごつん、と乾いた音がした。
ロザが殴ったこぶしを下ろす。
「相談しな、この馬鹿」
ドーマは頭を押さえた。
「できるわけがない。娘の名を消すと――」
ロザは娘を指さず、ドーマだけをにらんだ。
「できるようにするのが町だろ。税だけ取り立てて、そこをさぼるな」
ロザの声は震えていた。
「それと、今のは赦した音じゃない。うちの冬の粉を返すまで、顔を見るたび腹を立てるからね」
ドーマが背筋を伸ばす。
「承知した」
ロザのこぶしがもう一度上がりかけた。
「素直に承知するな。余計に腹が立つ」
誰かが小さく笑い、すぐ黙った。
ヨアクは笑わなかった。焦げた北倉の鍵を地面に置く。
「焼けた麦は戻らない。助かった袋も煙を吸った。倉番の一人は手を火傷して、春まで指が曲がらんかもしれん」
ドーマは焦げた鍵へ目を落とす。
「見舞いと補償を――」
ヨアクが鍵を靴先で押さえた。
「金を払えば終わると思うな。だが、お前がいなくなれば数え直す者もいなくなる」
ヨアクは守備隊長へ向いた。
「逃げないよう見張れ。北倉の復旧は、こいつに最後まで数えさせろ」
守備隊が調べる間、税の職務は停止。娘と同じ仮宿に置き、町の外へ出るときは届け出る。北倉の復旧は無給で数える。読み上げの途中、ドーマの娘が「お父さんは数えるの速いよ」と口を挟み、ドーマが初めて顔を覆った。
次に、避難民のことが議題になった。
「町を襲う契約に、署名した」
イヴァンは人垣の外から言った。
「食料と通行証を渡すと言われた。脅されたから何も悪くない、とは言わない」
「実際にくわを振った奴もいる!」
縄屋のモリスが叫んだ。製粉小屋で見た顔と声が重なったのだろう。イヴァンの後ろで男が一人、目を伏せる。
「俺だ」
くわを振った男は前へ出て、包帯の巻かれた俺の右手を見た。
「この人の肩を打った」
サーラが男の前へ半歩出た。
「黒い文字に命じられていた」
男は顔を上げない。
「打ったことは同じだ」
俺が答える前に、サーラが男の腕を引いた。
「その話は腹と傷を見てから。今は寝床」
言い方は冷たかったが、男の震えを隠す位置に立っていた。
ミアが食堂から大皿を運んできた。皿の中央に、乾燥豆を二十八粒並べる。
「北倉の損失を引くと、雪の終わりまで二十八日分、町全体の食料が足りません」
広場の空気が変わった。
善悪より、腹は具体的だ。
「二十人増えれば、もっと減る」
猟師ベルドが言った。群れを殺さずに森へ返した男だが、町の子供の冬も同じ目で数えている。
「追い出せとは言わん。ただ、助けた後の飯を誰も考えないなら、俺は賛成できない」
「ほどこしを受け続ける気はない」
イヴァンのあごが上がる。
「北の根菜は霜の下でも育つ。水車を直せる者が二人、皮なめしが三人いる。働く場所がないなら、明朝出ていく」
「あの根菜を町へ植える気か?」
魚屋の男が鼻をつまんだ。
「煮ると三日、通りが臭う。去年の市で靴底煮を売ったのは北の連中だろ」
「豆焼きを壁材にしてる町に、食い物を笑われたくない」
避難民の女が言い返した。食糧の相談は一瞬で料理の悪口へ変わり、ロザまで「うちの豆焼きで壁が立つなら見せてみな」と参戦した。守備隊長が槍の石突きで地面を三度叩くまで、誰も明日の話へ戻らなかった。
「今夜のうちに出るとは言わないんだね」
ロザが腕を組んだ。
「子供が歩けない」
「なら、歩けるまで食べな。代わりに明日はかまの灰をかいてもらうよ」
イヴァンが、初めて答えに詰まった。
サーラは大皿に寄り、豆を三粒横に動かした。
「病人と子供へ同じ減らし方はできない。大人の配給を先に落として。薬草を採れる場所があるなら、私が町の治療にも入る」
ヨアクが別の豆を二粒戻す。
「赤角獣の荒らさなかった東畑を早刈りする。実入りは悪いが、何もしないよりましだ」
会議の端から声が飛ぶ。
「買い急げば?」
「南の商人は火事をもう知ってる」
ミアが答える。
「今日の値は平時の二倍。町が一括で買えば三倍になる。金のない家から先に飢えます」
答えの代わりに、仕事が増えていった。
共同炊き出し。東畑の早刈り。根菜の試験畑。煙を吸った麦の選別。家ごとの備蓄調査。ただし隠した家へ罰金を課せば、さらに食べられなくなる。
ドーマが地面の豆を見たまま口を開いた。
「災害時共同申告の条項がある。隠した備蓄を炊き出しへ一部出せば、過去の未申告を問わず、必要量は各家に残せる」
「そんな逃げ道、よく覚えてたね」
ロザがにらむ。
「私が作った」
「ますます腹が立つよ。使える規則を作っておいて、自分は相談しなかったのかい」
ドーマは返せなかった。
会議が終わる頃には、夜になっていた。
鐘が閉会を告げても、ロザはドーマをにらんだまま、イヴァンは門の位置を確かめたままだった。ドーマの調査も避難民の聞き取りも、明朝また続く。
それでも、ロザは仮診療所へ運ぶ黒パンを二かご焼き、ヨアクは使っていない共同浴場の鍵を出した。モリスは子供用の寝台へ張る縄を、代金は後でいいと言って持ってきた。
俺は自分のおわんに残った豆焼きを一枚、炊き出しのかごに置いた。
ミアが横から見る。
「一枚で町は変わらないわよ」
「俺が四枚食わないという実績になる」
「それは大事件ね」
近くで聞いていた子供が笑い、かごからもう一枚取って逃げた。
「二枚ね」
ミアが数える。
「寄付ではない。盗難だ」
追いかけると、子供は避難民の列へ潜った。イヴァンが無表情で横を向き、サーラの上着だけが不自然に膨らんでいる。
「町ぐるみか」
「今日からね」
ミアまで反対側へ回り込んだ。




