第12話 果実を渡す誘拐犯
【二周目 Day5・午後】
製粉小屋を囲む者たちは、誘拐犯の顔をしていなかった。
痩せたほお。泥で固まった服。武器はくわとさびた短剣。
見張りの女は俺たちへ背を向けるたび、窓の内側にいる赤髪の少女に乾いた果実を渡していた。
「もう一つ食べる?」
「お父さんにも」
「あの眼鏡は、甘いものを食うとまゆ間のしわが増える」
「でも好きだよ」
女は半分に割り、片方をドーマへ持っていく。
人質を飢えさせない演技かもしれない。優しく見えるから安全とは限らない。
「北方戦線の避難民だ」
守備隊長がやぶの陰で声を落とす。
「二月前、国境を閉じられた一団がいる。正規の通行証がなく、森へ消えた」
「門で検査は?」
「北から熱病が来るといううわさが出ていた。王都の命令で、書類のない者は検査前に追い返した」
病気だったからではない。病気か確かめる場所へすら入れなかった。
板壁の隙間から中を見る。
ドーマと娘の手首は縛られていた。娘の縄には、血が止まらないよう布が巻いてある。ドーマの割れた額を、さっきの女が洗っていた。
サーラは板壁の隙間へ口を寄せた。
「痛む?」
「質問が雑だ。痛まない傷なら洗わない」
「元気そうで安心した」
「誘拐犯に安心される筋合いはない」
「それもそうね」
言い争える程度には生きている。
小屋の外にいる男が、短剣ではなく食料の残りを数えていた。背は高いが、左脚を引きずっている。皆が何かを尋ねる時、彼を見る。
「あれがまとめ役」
ミアがささやく。
「名前はイヴァン。門の記録にある」
手当てをしている女はサーラ。北の村で産婆と治癒師をしていたらしい。
名前が分かると、二十人という塊が少し崩れた。
小屋の裏では、少年が二足の靴を一つに縫い合わせていた。右足用しか残っていない靴の爪先を切り、左にも履ける形に直している。
幼い子が「ぼくのは」と待つ。
「次。糸が足りたら」
少年は自分の靴を先に直さない。だが裸足では、次の水くみに行けない。
隣の女がそれを見て、自分の上着の内糸をほどいた。
「これを使って。代わりに今夜のまきを一本」
善意だけで分けない。次も続けるため、できる交換にしている。
かまどの鍋には、森のきのこと豆が二十人分より少なく入っていた。木札を一人一枚ずつ伏せ、食べた者から裏返す。ドーマ親子の札もあり、二人が人質だからと量を減らしてはいない。
「誘拐した相手に、同じ配給をするのね」
ミアが小声で言う。
「同じ量を食わせれば、誘拐でなくなるわけじゃない」
「分かってる。だから困るの」
サーラが娘の縄に布を巻いたのも、優しいからだけではない。血が止まれば、人質として使えるからかもしれない。
行動が温かく見えるほど、こちらで結論を完成させない。
「中へ入る」
俺は台所二号をさやごと外し、守備隊長に渡した。
「文字が出たら?」
「腕の届く距離なら、さやから借りる」
「先に斬られたら」
「その時は助けてくれ」
一人で対処できる形に飾らない。
ミアは製粉用の粉袋を抱えた。
「何に使う」
「小麦粉は火のそばでまくと危険」
「脅すのか」
「火を使えば、私たちも小屋も危ない。それを相手にも見える形にするの」
言い方は穏やかだが、袋は十分な脅しに見えた。
「最初は置いていけ」
「どうして」
「交渉相手が危険物を抱えていたら、説明を最後まで聞けるか」
ミアは不満そうに袋を下ろした。
「正しいけど、腹が立つ」
俺、ミア、守備隊長の三人でやぶを出る。
「ベルン守備隊だ!」
隊長は槍を地面に置き、両手を見せた。
「子供を返してほしい。代わりに話を聞く」
避難民たちは一斉に武器を構えた。
先頭へ出た男、イヴァンの短剣は、刃こぼれで半分しかない。
「話なら門でした。名前を聞かれる前に、北に帰れと言われた」
「あの時、国境で隊を率いていたのは私じゃない」
守備隊長は、短い灰色の髪をかき上げた。
「同じ紋章だ」
守備隊長は胸の紋章を外そうとしなかった。
「同じ組織だ。だから、前の判断も記録して調べる」
「調べ終わるまで、子供は森で寝ろと?」
小屋の奥で、幼児が咳をした。
熱病の咳ではない。煙と寒さでのどを傷めた音だ。それでも町で聞けば、うわさの証拠にされるかもしれない。
「町へ入れるとは、今ここで約束できない」
隊長が言う。
イヴァンが鼻で笑う。
「正直で結構だ」
「だが、検査もせず追い返すことはしない。戦時避難条項を調べる。病があれば治療する。なければ、通行証の代わりを皆の前で決める」
サーラが小屋をあごで示す。
「決める間、牢へ入れる?」
「武器を預かる。ドーマ親子を縛った事実も調べる」
サーラが小屋から出てきた。両手は薬草の汁で緑に染まっている。
「私たちは二人を傷つけてない」
「縛った」
「縄を外したら、契約が――」
胸元に黒い文字が浮き、サーラは言葉を止めた。
「何の契約だ」
「話せば、子供から消す」
誰の子供かは言わない。ここには何人もいる。自分の子でなくても、誰かの子を選ばされる。
避難民の列から、若い男が一人出た。
「俺は町へ行く」
デンと呼ばれた男だった。妻を背負っている。女の唇は乾き、呼吸が速い。
「サーラの薬だけじゃ熱が下がらない。検査でも牢でもいい。治癒師がいる所へ行く」
「門でまた追い返される」
イヴァンが言う。
「ここにいて死ぬよりいい」
「お前一人が輪を出れば、右隣の子へ契約が移る!」
「だから、この人たちに切ってもらう!」
二人の声が大きくなる。
サーラが薬草袋を二人の顔へ投げた。乾いた葉が散り、イヴァンが盛大にくしゃみをする。
「『皆のため』って言ったほうから黙れ」
「俺は子供を――」
「先に言った。黙れ」
デンが妻を背負い直す。ひもへ指が入らず、三度目でようやく結べた。
「門が怖いなら、お前だけ森にいろ」
「女房一人のために、右隣の子を殺す気か」
言ってから、二人とも相手を見なかった。イヴァンは幼児の靴を拾い、泥を親指で落とし続ける。デンは妻の口元へ耳を寄せ、浅い息を一つずつ数えた。
守備隊長がデンの妻へ近づこうとし、サーラが手を上げる。
「触る前に聞いて」
「診てもいいか」
デンが妻の顔をのぞく。女自身が、小さくうなずいた。
隊長は首に手を当てるだけにした。
「熱はある。だが発疹はない。町の熱病と同じかは、ここでは分からない」
「だから行く」
「行かない者を置いていく道も、契約を切った後に考える」
俺が言うと、イヴァンはすぐにはうなずかなかった。
「全員を町へ連れていく英雄じゃないのか」
「二十人を引きずる縄は持ってない」
「英雄らしくないな」
「辞める前から、なった覚えがない」
デンが初めて、息だけで笑った。
「ドーマを脅したのは、お前たちか」
「最初は違う」
イヴァンが答えた。
「黒衣の書記が、食料と通行証をくれると言った。町の門を開ける手伝いに署名した。断れば、誰を人質にするか自分たちで選べと」
「選んだのか」
「選べなかった。だから向こうが、右隣にいる者を選んだ」
二十人は、眠る時も輪になるよう座っていた。
右隣。
俺は黒い線を目で追う。一人の腕から次の胸に、次の腕からまた次へ。最初と最後もつながっている。
「ドーマ親子を返せないのは」
サーラは自分の腕を走る黒い線へ指を置いた。
「契約が、二人を『門を開ける鍵』と書いてる。外へ出せば輪が締まる」
「黒い文字だけ切れる?」
ミアが小さく聞く。
「輪全体の根を切れば、二十人へ一度に反動が行く。一人ずつなら――」
数えている途中、サーラが首を横へ振った。
「町へは行かない」
「契約を外しても?」
「また追い返される。子供に二度、門の前で頭を下げさせたくない」
イヴァンが「だから言った」とつぶやき、デンがにらむ。さっきのけんかは、何も終わっていなかった。
「町へ行く話はあとだ。まず、その文字を黙らせる」
小屋の床下で、黒い鐘が鳴った。
交渉したこと自体を、契約が裏切りと判定した。
二十人の腕に、同時に文字が浮かぶ。
『町を襲え。拒めば、右隣の者を殺せ』
イヴァンの右隣にいたサーラが、くわを振り上げた。
泣きながら、俺の頭へ振り下ろした。




