第11話 税吏のうそ
【二周目 Day5・午後】
脅迫文は、切らなかった。
黒い一行の先がどこへつながっているか分からない。『娘の名を消す』部分だけ断ったつもりで、娘本人とのつながりを切れば取り返しがつかない。
「消せないの?」
ミアが尋ねる。
「消すことはできるかもしれない。何が一緒に消えるか読めない」
「なら触らない」
守備隊長は返事の代わりにガラス板を持ってきた。黒いすすを覆い、さらに壁ごと布を張る。
「見えると、斬れと言いたくなる」
守備隊長が布の端を押さえた。
「もう言ってる」
俺が返した。
「なら早く隠して」
ミアは守備隊長と一緒に、上からもう一枚布を掛けた。
「脅されたとしても、町を危険にさらした事実は残る」
隊長の声は硬い。
「そうだ。だから、ドーマが何を選んだかを順に見る」
水門の予備鍵は、机の最も目立つ場所に置かれていた。
獣を放った時刻は、門の荷役人が昼休みへ入る直前。北倉に残る人数が一番少ない。
青葉の束は、荷車から一本だけ落ちていた。煙で獣を曲げられると知る者なら、落としたことにも気づくはずだ。
「命令には従った。でも、止めてもらう余地を残した」
「助けを求めるなら、書き置きをすればいい」
「誰かに告げることが、娘を消す条件だったかもしれない」
推測は、まだ救出場所を教えない。
帳簿へ戻る。
別のページに、毎月同じ銅貨十二枚の出金があった。受取人の名はない。印だけが三種類。
「横領した金を別口へ移した?」
隊長が言う。
最初の印は孤児院。
訪ねると、院長は寄付の話を嫌がった。
「税吏から金をもらっていると知れたら、子供たちまで嫌われる」
「本人が来る?」
「来ない。毎月、袋だけ門に置かれる」
袋には銅貨十二枚。差出人なし。ドーマの金と断定はできない。
子供の一人が、机の下から木の札を出した。
「眼鏡のおじさん、たまに計算を教える」
「来ないんじゃ?」
院長が気まずそうに咳をした。
「寄付を受け取るところへは来ない。帳簿検査の日だけだ」
「その日に計算を教える?」
「間違いを見つけた罰だと言って、子供へ同じ問題を十問出す」
善行を隠すにしては、やり方が嫌われ者のままだった。
二つ目の印は水路組合。
組合長は寄付を否定した。だが記録を照合すると、壊れた水位棒の購入日に同額が入っている。
「あれは罰金の返金だ」
「何の罰金?」
「水位記録を一日飛ばした。ドーマが規則どおり徴収して、翌月『再発なし』の報奨として同額を戻した」
寄付ではない。規則を使い、必要な場所へ金を返している。
三つ目は北門外の農家だった。
農家の女主人は、銅貨を机に叩きつけた。
「あいつから恵んでもらってない。屋根税を払いすぎた分だ」
「毎月同じ額を?」
「知らないよ。袋が来るから受け取ってただけだ」
帳面を見ると、夫を亡くした年から減免対象だった。本人が申請を知らず、ドーマが過払いとして返していたらしい。
「三つとも、同じ『いいこと』には見えない」
ミアが言う。
「ドーマがこれを聞いたら、寄付じゃなく返金だって三日怒るわね」
「助けてる事実は同じだろ」
「あの人には違うの。あと孤児院の菓子代だけ、なぜか毎月一枚多い」
院長へ尋ねると、「計算を間違えた罰金」と返ってきた。意味は分からなかった。
寄付先の三地点には、共通点があった。
孤児院、水路組合、北門外の農家を地図上に記すと、古い製粉水路を囲む。
「毎月十二枚」
守備隊長が製粉小屋の記号を指す。
「昔の水車は羽根が十二枚だった」
「偶然かもしれない」
ミアが先に言う。
「でも東だと思う」
「今、偶然と言っただろ」
「言った。賭けるなら東とも言った」
問題は、地図に古い製粉小屋が二つあることだった。
東の上川粉小屋と、南東の下川粉小屋。どちらも今は使われず、古い水車の羽根は十二枚と記録されている。
「匿名の三地点から等距離なのは東」
守備隊長が測る。
「ドーマは帳簿のつじつまを合わせたがる。荷の数が合う東を選ぶ」
「そう思わせるため、南東かも」
ミアが反対する。
「本人の癖を知っているほうは?」
俺はミアに尋ねた。
「帳簿どおりに動くなら東。でも娘を隠すなら、人通りの少ない南東」
「二手に分かれる?」
守備隊長の指が、地図の東と南東を順に示した。
俺は首を振った。
「三人を分ければ、見張りがいた時に戻れない。先に、外れた時の損が小さいほうを見る」
東は町から往復二十分。南東は一時間。
東を選んだ。
小屋の戸は半分外れ、床へ鳥のくそが積もっていた。新しいわだちはない。水車の羽根も、十二枚のうち五枚が落ちている。
ミアが床から赤い糸を拾った。
「娘の印?」
隊長が問う。
「違う」
ミアは糸を鼻へ近づける。
「染料の匂い。去年ここで祭りの旗を縫った時の残り」
壁には子供の背丈の傷もある。だがほこりがみぞへ詰まり、新しくない。
「外れだ」
俺が言う。
隊長は小屋の外へ出て、怒りを隠さず石を一つ蹴った。
「娘が危険な時に、正しい手順で遠回りしている気がする」
「近道を選んで、違う家へ踏み込むよりいい」
「分かっている。分かっていて腹が立つ」
「東を選んだのは俺だ」
「南東もあるって、私、言った」
「今それを言うのか」
「言わなきゃ、私まで全部賛成したことになる」
隊長が二人まとめてにらんだ。町へ戻る二十四分、誰も謝らなかった。
町へ戻る間、ミアは歩数を数えた。二十分ではなく二十四分かかった。地図の距離だけでは、泥道と疲れを数えられない。
次の捜索時間に、その四分も足した。
ドーマ宅の裏口へ回った。
土には、左側だけ深い車輪跡。赤角獣の水場で見た、金具の欠けた荷車と同じ幅だ。
ただしわだちは北へ向かい、製粉小屋は東にある。
「違った?」
隊長が地図を畳みかける。
「荷車が大通りを使ったなら、東へ曲がる場所が先にある」
わだちを追う。
二つ目の角で、同じ幅の荷車跡が三本に増えた。市場の共同車、粉屋の荷車、ドーマの車。どれがどれか分からない。
俺は左金具の欠けた跡だけを探した。一定間隔で土を深く削る線。
途中で消えた。
石畳へ入ったためだ。
「ここから先は?」
ミアが周囲を見る。
俺は答えを持っていなかった。
荷車の音を聞いた人を、一軒ずつ尋ねる。
パン屋は昼前に一台。染物屋は二台。路地の少年は「眼鏡の男が乗っていた」と言ったが、眼鏡を見たのか尋ねると首を横へ振った。
「税吏だから眼鏡だと思った」
見たものと、知っていることが混ざっている。
四軒目の井戸番が、片輪だけ音の違う車を覚えていた。
「東へ曲がった。けど、途中で音が重くなった」
「荷を増やした?」
「大人の足音が一つ消えた後からだ」
道端の泥に、大人の靴跡と重なる小さな足跡があった。途中から足跡は消え、代わりに荷台のわだちが深くなる。
少女が自分で歩き、途中で荷車に乗せられた。
その近くで、ドーマの眼鏡のレンズが一枚見つかった。割れ目に新しい血が乾いている。
逃亡者なら、自分の視界を捨てていかない。
ミアが布でレンズを包む。
「娘さん、眼鏡ひもを作りかけてた」
「これを見つけたら、父が近くにいたと分かるように?」
「それとも、殴られて落ちただけ」
ミアはレンズを布へ包もうとして、一度落とした。泥へ沈む寸前で受け、何でもない顔で包み直す。指先だけが、しばらく震えていた。
木の幹には、縦線二本と横線一本。
「子供同士の伝令印」
ミアが指でなぞる。
「声を出せない。助けて」
製粉小屋へ続くやぶへ入る。
枝の低い位置に、赤いひもがもう一本結ばれていた。
結び目は左へ二つ。
守備隊長が槍に手をかける。
「抜けば、枝へ金属音が伝わる」
俺が止めると、彼女は手を離した。
ミアは自分のかばんから同じ赤ひもを出し、帰り道の枝に一つ結ぶ。
「増援を呼ぶ印?」
「違う。私たちが戻らなかった時、ここまで来たと知らせる印」
「誰に」
「宿へ。夕食までに帰らなければ、母さんが守備隊を動かす」
隊長は地面に小石を三つ置いた。自分、俺、ミア。小屋から戻った者が一つずつ取り除く。声を出せない退路の確認だった。
それから足音の幅を合わせ、やぶを一歩ずつ進む。
ミアの顔から、迷いが消える。
「中に見張りが二人以上いる」
その直後、やぶの奥で子供の咳がした。
別の誰かが、「静かに」と優しく言った。




