3-9
俺は衣装卵を“ブースタージャケット”に入れ替え、即座にロケットを起動させる。俺の体を空を飛び、横たわる数々の白い糸を眺めながら、オオグモの方へと飛んでいく。
少女は俺の体を追って、こちらを振り向いた。目が赤く、そして頭部の二本の小さな曲がり角が赤く、ここからでも分かるくらい光り輝いている。
おそらく強化形態だ、短時間特化の。逃げて、いなし切れば彼女は消耗して終わる。追いつかれたら……恐らく。
彼女の背中に、大きく翼が広がった。これまでは、彼女の身長くらいの長さが、彼女の両脇に広がるくらいだった。
今や、片方が車一つを包めるくらいにまで。巨大化した、二つの黒い翼が、空に広がった。
翼を振り上げ、彼女は飛び上がる。まずい、追いつかれたら確実にやられる。機動力を確保する手段は、ロケットと“飛翔”のみで、それぞれにクールダウンがあり、両方を使い切った状態で、あのヴァンピに追いつかれたのなら。
空を大きな黒い翼が飛んで、ばさばさと軌道を曲げながらこっちに向かってくる。俺の足の下、遠い地面には、白い巨大クモと、いまだ衰えず戦い続けるマルメロの姿が見えている。
追いつかれたら……やられる! ヴァンピがプレッシャーを放ちながら、こちらに近づいてくる! “飛翔”で撒けるか? 俺は懐から銃を取り出し、彼女に向ける。
ぽん、と、抜けた音がして、紫色の玉は空中を飛んでいく。それは過たず向こうのヴァンピの片翼に当たり、直後爆発。
爆風の中から、なんら気にする様子もないヴァンピの体が突き出てきた。
翼を攻撃すれば、あるいは撃ち落とせるかも。続けて“雷撃”の呪符を解き放つが、巨大化した翼自体もまた強化形態になっているようで、効いた様子がない。これ以上無駄に体力も消耗できない。
俺の体は白いクモの体の上に落ちる。クッション性のある地面でありがたい。もうすぐ、ヴァンピも俺の所までやってくる。
避けろ、かわせ、致命打を食らうな。ここで切ったのならもう後は長くない。ここさえ乗り越えれば俺が勝てる!
樹木の壁や天井に囲まれた巨大な箱型の空間、足元には揺れる魔物の白い地面。向こうから、ヴァンピが迫りくる。
赤い光を放つ目が、俺を追って白毛の足場へと上がってくる。
今は獣の腕じゃない、人の腕、人の手だ。そして、指から伸びた、宝石のように透き通った長く赤い爪。その先は鋭く、人の肉を容易に切り裂いてしまえそうで。
五つの爪先がまとまり、束ねられて、赤い切っ先が俺の顔へと突き出される。
頭を下げて、屈んで避ければ、膝の先に付いた赤い棘がきらめきを返す。
“飛翔”を使い、ヴァンピの体ごと押し返すように真後ろへと羽ばたいた。あまり離れすぎれば白クモの大糸が飛んでくるが……そろそろもうそっちを見る余裕がない。離れすぎず、近すぎず。
ヴァンピが、俺の腹があった辺りに、赤い結晶棘の付いた膝を蹴り上げ、その体勢のまま風のあおりを食らって後ろに足を付く。いったん“飛翔”が使えない……ロケットもまだ回復していない。
ヴァンピは屈んだ。そして飛び出してくる。赤く伸びた爪と両腕を左右に広げ……俺に掴み掛ってくる!
同時に、背後から、空気の揺れる音がする。何度も聞いた音だ。今に白い糸の濁流が、俺の居るここを狙って飛び出してくる。
目の前からは、大きな翼と両腕を広げたヴァンピ。背後からは、お尻の突起を俺に向けた巨大グモ。横に避けても翼に捕まる、ヴァンピの真下に逃げ先はない。背後に逃げれば白い糸が押し寄せるだろう。上へ逃れるには手段がない。
ロケットはまだ使えない、“飛翔”はまだ戻らない、“瞬転”の呪符は枯渇した、ほかのスキルが使えるカードはすべてマルメロに使っており。
捕まれば。ヴァンピの体に生えた、赤く透けた結晶の凶器に、体をずたずたにしてやられてしまうだろう。
俺は刀の柄を握り、屈んで深く息を吐き。ヴァンピの行動を止めようと――
その時、俺の足元が揺れる。鳴り響く、けたたましい爆発音。
「「「「キィィィィィイイイイ!!!」」」」
何重にも重なったような大きな声が、俺の足元の塊から発せられ、空気を震わせる。地面が揺れ、俺は振り飛ばされないように刀を立てて屈みこむ。
「あなたの相手は……わたし、だろうがぁ!!」
もう一度、大きな爆発音がして。
巨大な白クモの体が暴れだした。
吐き出そうとしていたお尻の突起は照準を失い、狂ったように揺れながら空気に乱雑に糸を噴き出している。複雑な弧を描きながら、白い糸は空中を舞って広がる。
地面がずれたことでヴァンピと俺の位置関係もずれ、ヴァンピは一度羽ばたき、空中に距離を取ってこちらや白クモの体を見下ろす。
“飛翔”とロケットのクールダウンが回復していく。相手の形態変化は、時間消費型か、行動消費型か。行動でエネルギーを消費しているのなら、空中に浮かんでいる間は時間稼ぎのうちに入らないだろうが。
さっきから怖いぐらい派手な音が聞こえている。俺の知ってるマルメロの攻撃の威力じゃないのだが……カードブースト、今の一連の敵を倒したことによるレッドパールの経験値の蓄積と本体強化。それでもなお余りあるパワーアップがマルメロに起こってないか……?
まぁ、なんにせよ、マルメロの一手で俺の窮地が一つ抜けられた。白クモはお尻から糸を出し終わり、乱雑に舞った白く太い糸が、オオグモ自身の体の上にも降ってくる。
揺れる地面で俺は刀を手放せずまともに動くどころか立ち上がれもしない。不規則な俺の動きをヴァンピが追えないのもそうだが……一か八かで今突っ込まれたら、俺は無様に攻撃を受けなければならなくなる。
ロケットで飛び立つか。今のヴァンピの機動力じゃすぐに追いつかれるだけだ。というか大分足場にしている白クモが暴れていて、揺れて気分が悪い。飛翔だけここから離れるだけでは、飛び上がったところを狙われるだけ。
空中で、ヴァンピが体を構えた。また五つの爪の先を合わせて、その切っ先をこちらに向ける。突っ込んでくる気だ。
防げない、止められない、避けるか? どこへ。どこに逃げても状況は同じ、居るだけで勝手に動いてくれるこの足場が一番狙われにくいとも言える。
ヴァンピはただ爪先を合わせてこちらに向け、翼を大きくはためかせ。
俺は地面から刀を抜き、死ぬ気で体を捻り、彼女の突っ込んでくる方向へと、飛び上がる。
彼女の右腕の爪が、俺の肩を裂き、胸から、反対の脇腹までを通って、横身にした俺の体の脇をすり抜ける。俺が抜いて差し出した刀の柄が、突っ込んできた彼女の鳩尾に入る。
「ぐっ……!」
飛び込んできた少女の顔が、すぐ間近にある。彼女は痛みに顔をしかめ、俺の肩と少女の肩が勢いのままぶつかる。
彼女は、目の前に居る俺を切り裂こうと、爪の付いた左腕を振り上げる。俺はその左腕を脇の下から掴み、俺の体を引っ張り上げ、少女の背中側に回って翼の上に立つ。
懐から“凍結”の呪符を掴み、抜き出し、発動させ目の前にかざす。ヴァンピは顔をこちらに向け、俺が握る呪符を視認した。
水色の氷弾が放たれ、真下へと突き刺さった。
俺の体は大きな翼に押しのけられ、宙を舞う。“凍結”はヴァンピの体を避け、白クモの体表の一部を凍り付かせただけだ。
「ゴールデンちゃん!!」
「はいよ!」
俺は翼に体を払われ、ヴァンピの体から離れて空中を飛んでいく。ヴァンピは白クモの背中の上、俺とは反対の位置に。暗い体に、金色の光の線が入った、ふくよかな体の人型が現れる。
紺色の人型は、両方の手で、胸の前に三角の形を作った。その空いた三角の隙間に、黄金の光が集まり、そして。
放たれた。
黄金の光線が放たれ、ヴァンピの体をかばった大きな翼が瞬く間に霜に覆われていく。ヴァンピは動けないし、その内固まるし、下手に動けばその全身が冷たい光に晒される。
ここだ。俺は懐にしまったカードを一つ取り出し、発動させる。
「“グリーンメテオ”!!!」
突如として現れる巨大なプレッシャー。上空に、巨大な白クモの体に負けるとも劣らない、植物で出来た巨大な隕石。
それが、落ちてくる。“飛翔”を用いて、俺の体はさらにクモの巨体から離れる。ヴァンピが、翼の陰から見上げた先に、巨大な隕石の輪郭が見えているだろう。
緑星が、ヴァンピの体を影で覆い。そして。
巨大白クモの体の上から、大きな緑の塊が突き刺さる。クモはその質量に自分の体を支えきれず、体が地面に落ちて、八つの足を離してピンと伸ばす。隕石に巨体がへこんで潰れる。
「見えたわよ!!!」
緑の星の表面を掠めるように、翼の生えた少女の体が、真下から抜け出してきた。ゴールデンちゃんのやつ……さては、潰れさるか潰されないかのチキンレースを、早めに切り上げたな。あるいは、ヴァンピが気合で光線の中を抜け出してきたか。
まぁ、後はもう、関係ない。ヴァンピは空を飛び、俺の方へと飛んでくる。“飛翔”はもう使った。彼女の手には鋭く尖った赤い爪が生えており、避けなければ、俺はその爪に体を切り裂かれて負ける。
ヴァンピは凍った片翼を引きずり、無事な片翼だけを羽ばたかせて、空を落ちる俺の方へと近づいてくる。翼は、浮遊器官的なやつだろうか。ちゃんと両方凍らせていれば、ヴァンピの体は宙に浮かなくなったのだろうか。
ヴァンピは、俺の方へと、ぐねぐねと軌道を曲げながら飛んできて。そしてもう、俺の真上まで来る。
ヴァンピの笑った顔が頭上に見える。俺はただ、勢いに任せて空を落ちていくだけだ。
ロケットの噴出音が聞こえる。
俺の体は動かない。向こうに居た、赤いオーラをまとった黒い人影が、まっすぐ空を飛び、駆け抜けて。
音に、顔を振り向かせたヴァンピの瞳に。
ナックルを付けた拳を高々と振り上げた、マルメロの姿が映った。
切り札は、やっぱこうだろ。
「待っ――」
「“落星”!!!」
派手な爆発音が鳴り、ヴァンピの体が俺の体の横をすり抜け、地面に叩き落される。俺は猫のように体をひっくり返して地面に着地。隣に、マルメロが乱暴に落ちてくる。
“K.O.”。地面に落ちたヴァンピの体の上に謎の文字が出現し、消えた。拡散していた黄色い球が空中に一つになって縮み、見えるほどの濃さになって、俺たちの視線の先にある。球は小さくなり続け、そのまま縮んで消えた。死んでも死なない不思議空間は、たぶん閉じたらしい。
しゅるしゅると、広がっていた少女の翼が背中に戻っていく。指の先に付いていた赤い結晶が、ぱきん、ぱきんと音を立てて砕け、宙に消えていく。
ヴァンピは、墜落した体勢から、地面に両腕を付いて上体を持ち上げ、ぺたん、と、その場に女の子座りになって座り込む。
「私は、負けたのね」




