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精霊の幸う国の古城管理人【第二部完結】  作者: 橘 佐和
第十三章 レコンフォール家の娘

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 調停はそのまま強行された。日没も早い秋の、夕前のわずかな時間だった。

 とはいえ風呂上がりの法務省の人間はどこかさっぱりとした面持ちで、服装もばらばら。薄ピンク色の髪と残り香が、なんとも締まらない。

 加えてエレノアやヘンドリックのつくテーブルでは、クロシェットが得意満面の笑みでふんぞり返っているので、見学者たちの興味はもっぱらそちらであった。

 そして今は、誰よりもハンナがそわそわとしていて落ち着かない。

 それもそのはず、エレノアが調停のために用意した部屋は、庭に面した迎賓館の小広間だったからだ。しかもその部屋は庭に直接降りられるテラスと大きなガラス扉が張られており、エスタシオン家当主夫人なら、古寂(ふるさ)びた城と同じだけの年月を経てきた庭が、気にならないわけがない。


「――それでは皆様。いろいろと想定外のことが起き、日常ではありえない体験に浮き足だったご気分の方も多いかとは存じますが、改めて気を引き締めてこの場に臨むよう、よろしくお願いいたします」

 そう言うアリーチェも、私用のドレス姿だ。日中を過ごすためのシンプルな作りのものではあったが、やはり締まらない。

「で、どこまで進んでた」

「トルテュフォレ側が申し入れを拒否したところまで。ですが……」

アリーチェの目がクロシェットに向かう。

「その精霊は放っておけ。今は人間同士の話だ」

「待ちなさいよオジサン、それはちょっとあんまりじゃない? さっきも誰かが言ってたでしょう? ここは精霊の幸(さきわ)う国、クローマチェストよ! あたしたちの存在を無視して、あなたたち人間が生きていけるの?」

すでに犬猿の仲になっている二人は、もはや公の場であることなど関係なく言葉でやり合う。

 ダニエロの前まで飛んでいってしまったクロシェットを目で追いながら、エレノアはそのままファディルとラヴィルに視線を移した。

「あの――これは単にわたくしの興味なのですが、たとえば信仰と法律を並べたとき、お二人のお国ではどのような扱いになるのでしょうか?」

「ふむ……そうですな。宗教やその教義がそのまま法律として機能する国も、もちろんありますが」

ファディルが長い髭をさすりながら、答える。

「私どもの故郷には、古くから根付いた女神信仰が残っておりましてな。これは元を辿れば、豊穣や多産を願った古代の素朴な地母神信仰につながるのですが、幸い他宗教に呑まれず、クローマチェスト同様に国独自の発展を辿ってまいりました」

「はい」

「ゆえに、その女神を祭る神殿やその頂にある巫女の力も相当に強いものです。祭事が政(まつりごと)に組み込まれる部分もありますし、それは司法も同じです。具体的には――窮した幼子(おさなご)が食べ物を盗む。不治の病に苦しむ我が子を、長きに渡る苦痛から逃すために母が手をかける、など――。これらは行いだけ見れば、窃盗や殺人という日常の重罪ですが、一度はそうして法で裁かれたものを、巫女が憐れみをもってその御心を言葉にする。巫女が憐れまれたものならば、と――何らかの救済の道が、子や母には開かれる。そんなふうに公的な裁きと信仰による温情、いわば慣例にもとづいた仕組みが、人々に周知され受け入れられているのです」

「そうなのですね……。ありがとうございます」

その話が聞けただけでも、ギルバートたちの前で感じた罪悪感が薄らぐ気がする。随分と自分勝手な想いだ。それを罰してもらう甘えた気持ちでギルバートの方を見れば、やはり鼻で笑われた。

 アリーチェが問う。

「グライムス大臣。となるとやはり、こういった部分も一考する余地があるとわたくしは思うのですが。クローマチェストにも、前例のようなものがあったのでは?」

「あったとしても、領主や聖職者の采配しだいじゃねえか。記録や文書はそいつらが抱え込んでるはずだから、かき集めて精査しねえとわからん。今の王都じゃ自然の精霊なんて見ねえし、〝黒き精霊の瘟(えやみ)〟もあったしな。あれからますます数も減らしたっていうが、どうだか――」

「トルテュフォレを有するシセラスでも、そのような――司法に精霊が関わってくる話など聞いたことがありません。あったとしても、やはり慣例の方でしょうね。資料を調べなければ何とも申せませんが、おそらく人心に任せて処理していると思いますよ」

ダニエロの言葉をブライアが引き継ぐ。法務省の面々も端から端まで考え込むような素振りを見せており、たしかにこれは歴史に残る事例になりそうだ――とエレノアは苦く笑った。

「ま、どっちにしてもあたしたちを縛ろうなんて、するだけ無駄な話よ。あたしたちはあなたたちとは異なる理(ことわり)の中で生きてる。ただクローマチェスト人はあたしたちを見つけて、必要として、大切にして、愛してくれたから――あたしたちもあなたたちを必要として、大切にして、愛して共生しているだけ。どちらかがどちらかを支配はできないわ。体や寿命、在り方、価値観、大事なものもぜーんぶ違うもの。でしょ? ――あ、でもエレノアはあたしの大事な友達よ?」

「クロシェット様」

ひらりと舞い戻って肩に乗るクロシェットに、エレノアも頬を寄せる。それをその場にあった多くの者が目を丸くして見つめていたが、エレノアはダニエロを見据えるとはっきりとした声で告げた。

「法を定めるのはわたくしの仕事ではありません。ですがわたくしは精霊の住まう城を預かる者として、善き友、善き隣人たちの心を煩わせるわけにはまいりません。ですのでまずはそちらが仰るとおり、ヒト自身の手で解決を図りたいと思います」

「ほう?」

 ダニエロは不機嫌そうな眉を片方上げる。そしてエレノアの一挙手一投足を見逃すまいと、鋭いまなざしを向けてきた。

 ――しかし、

「申し訳ありません、師父」

動いたのはラヴィルであった。

「ラヴィル――お前、まさか――」

ラヴィルは立ち上がり、悠然と歩を進めエレノアの傍らに控える。

「ヘンドリック」

「はい」

 エレノアもまたダニエロの視線を真っ向から受けながら、反対側に座る執事に短く指示する。すでに主人の意を承知のヘンドリックは、数枚の紙をまとめた冊子を取り上げ、ダニエロ、アリーチェ、ブライア、ファディル、そして見学者たちの前に置いていく。続けて扉の方へ向かうと、待機していてくれた数人の人間を中へ通した。

「あ、お前……!」

「ああ?」

 新たに通されたのは、あの日夜警に就き対応にあたってくれた警備隊の隊員二人と、隊長のカルロであった。

 じかにギルバートらに向かい合い、剣を抜きかけた隊員はすぐにギルバートに気付いたらしい。互いに一度睨み合うが、カルロに促されると大人しくエレノアの背後に並んだ。

 ヘンドリックもエレノアの元へ戻り、ラヴィルとともに双肩(そうけん)を担うものとして並ぶ。

「――予測される新たなクローマチェスト王国法の下では、結果は従来のような権力や家柄、財産、名誉の所持によってもたらされるものではないそうですね」

「エレノア=レコンフォール――」

 ダニエロの顔が大きく歪む。しかしそれは、心底より楽しそうな――愉悦によってもたらされた、歓喜の笑みのように見えた。

 エレノアも自らの優勢を保つべく、声を張る。

「ではそのすべてを取り払った、法(・)だ(・)け(・)の(・)平(・)等(・)の中で重んじられるものは何か――それは証拠・証人・証言である。それらを積み重ねて提示される互いの真実こそが、最後の結果につながると。――間違い、ないでしょうか」

「はい、結構です」

 エレノアの言に頷き、ラヴィルが先ほど配られた冊子を手にする。

 ラヴィルから与えられた二つ目の任務――それは「一つ目の任務で得た時間で、訴えを無効化できそうな証拠・証人・証言を集め、この場にそろえること」だった。

 それまでただ黙し、場を注視するだけだった若き異国の法学者。それが声を発し、笑み、若穂のようにみずみずしくそこに立っているさまに、同じく若き見学者たちは自らの姿を重ねたのか、期待を含ませたまなざしを向ける。

 一方で、父であるファディルは何かを言いかけて黙し、朽ち木のように身を縮めてうつむいた。

「――まず皆様にお配りしたものは、当日のトルテュフォレ城における帳簿と物資の在庫管理表の写しとなります。この地方では〝午前様の夫婦喧嘩〟と呼ばれる嵐の中、訴え人であるエスタシオン家のご使者に対し、トルテュフォレ側では嵐を乗り切るに十分な飲食物を譲渡し、お引き取りいただいております。その分は正確に紙面上に記載されており、ご存じのとおり財務省における監査にて不備がないことが確認されています。貴族の使用人に対し無礼な働きを見せ、王家直轄の城を預かる身の誇りや名誉を汚すような真似は、いたしておりません」

「そうよそうよ! そもそもあのときエレノアは、わざわざそいつらを引き留めてカゴいっぱいのご飯やお菓子やお酒を渡してたもの。あたしも見てたんだから!」

「――だそうでして、そもそも訴え自体が不当であるとこちらは主張します。もう一方の放浪画家とここにいらっしゃる精霊のお嬢様については、そちらの皆様がエレノア様に対し直接的な暴行を加えていたためやむなく対する形になっただけで、過失も相殺されるものと考えますが、いかがでしょうか。これについては、当日夜警に就き対応にあたったお二人も、証言しています」

 ラヴィルは警備隊の面々を示す。その二人は少し緊張した面持ちで頷く。

(……できる限りは、街の人たちを巻き込みたくはなかったけれど)

エレノアも礼を述べる気持ちで、二人に頷いてみせる。

 昨日赴いた警備隊の本部詰め所では、事務方とそれより上の経営陣がすぐに集まり、協力を申し出てくれた。特に出資をしている街の有力者たちにとっては、新たに生み出されようとしている仕組みの方が興味をそそられたらしい。代わりというわけでもなかったが、事が終わったら一度話を聞かせてほしいと求められた。

「――まあ待ちな。そんないっぺんにまくしたてても、周りの奴らも困っちまうだろ。それより――ひとつお前さんに訊きたいんだが」

 ダニエロはラヴィルの言葉と視線をかき消すように手を振り、立ち上がる。

「てめえ、自分が何をしてるかわかってるんだろうな?」

嘲り脅すような視線と口調に、エレノアもその意図を察する。父に背き、権力に与(くみ)することを拒み、こちら側に立ってくれた青年。

 それはつまり、父のお膳立てをすべて無に帰(き)すということだ。安定した生活も、収入も。

 しかしラヴィルは、優雅に、そしてしなやかに応えてみせた。

「ええ、もちろん。私は父から学んだ法学者としての信念にのっとり、同じく信念を持った、救うに値する女性の代理人としてこの場に立っています」

「信念――か。その上、女のためとは青臭ェ」

「熟しすぎて腐り落ちるよりましです。あなたは――どの程度でしょうね」

「……俺はとっくに、喰われてるよ」

短く息を吐き出すようにダニエロは笑う。

「ま、あんまり一方的になるのも面白くねェだろう。証言っていうなら、こっちだってできるしな。――あんたら、あっちはああ言ってるが、実際はどうなんだ。直接的な暴行とまで言われるくらいだから、そこまでしたならお前さんたちにも記憶があるだろう」

ダニエロはギルバートらの背後に立つ。ギルバートは相変わらず、大げさな手振りでそれに答える――

「いえ、とんでもない。直接的な暴行なんてこちらには身に覚えがないし、そうだ――こっちはたしかそっちの夜警の男に、剣まで抜かれて立ち去るよう脅されたんですよ。それを振り払うのに、多少乱暴な振る舞いになったかもしれませんが」

――ふりをして、上手く誘導してくれた。

 それからは、舌戦(ぜっせん)だった。

「それについては、警備隊の現場責任者であるカルロ隊長からお話を伺います。まず、隊員による抜刀の事実はありましたか」

「いえ――剣を抜く抜かないには、こちらも規則がありますので。あー、それでも抜くことになったなら、よほどの状況であったのではないかと。あ、いえ。しかしながら、抜いたとは報告されていません」

「いつもどおりお話しいただいて構いませんよ。ではそれがどのような状況であったのか、先程の冊子の次のページをお開きください。こちらは夜警としてトルテュフォレにお勤めになっている隊員たちが、引き継ぎのために毎日交替で記している業務日誌の写しとなります。こちらには夜遅く、エスタシオン家の使者を名乗る男が現れ、その一人がエレノア様に対し無礼で品に欠ける物言いをし、胸ぐらをつかんで突き飛ばしたと記載があります。いかがですか」

「そうです――いや、そうだ。報告はたしかに受けたし、その書き付けもある。俺たち街の人間にとって、この城とレコンフォール家の人間は特別だ。特に俺は、レコンフォール嬢の父親とは親友だったからな。だからよりによって、その一人娘によくもと思ったから、はっきり覚えてる。だが抜刀前にレコンフォール嬢の制止が入って、例の画家とそこの――」

「あたしがみんなに頼んで、さっきみたいに吹っ飛ばしてもらったのよ! ねえヘンドリック、あなたも見てたでしょう?」

「はい、たしかに」

「これらの証言は、業務日誌とも一致いたします」

 それまでの振る舞いからは想像ができないほどの、たたみかけるようなラヴィルの論説と場の動かし方に、アリーチェでさえ口を挟めず息を呑む。しかし、ダニエロだけは相変わらずマイペースでもあった。配られた冊子を扇子のように振りながら、テーブルの前に歩み出て寄りかかる。

「なるほどな――証拠・証人・証言か。だがそれなら、その業務日誌とやらは証拠にならねえだろ。そんだけ大切なお嬢ちゃんなら、街の人間だろうが城の人間だろうが、昨日今日で口裏を合わせることだってできるし、そもそもこんなもんまで用意してあるってことは、捏造の可能性もある」

「いいえ、捏造ではありません。その証拠として――エレノア様ご本人の、日記を提出いたします」

「あ……はい。……いえ、でも……本当に?」

 だがそこで、一番気まずそうに固まったのが、陣営のトップを張るべきエレノア本人であった。

 エレノアはついにこの時が来てしまったと内心怯えながら、先程までの勢いをなくしておずおずとテーブルの下からあの日記帳を取り出す。

 見慣れたはずの、花と魚の絵が加工された革(ヴェラム)の表紙。しかしそれが今は別物に見える。そのくらい、開くにはためらわれた。

「日記だあ? なんだかご大層な本持ち出してきたが――変わらねえだろ」

「いえ。ですがこちらは、至って私的なものですので、ごく限られた数人の、代表の方にご確認いただきたいのですが。さあ、エレノア様。例のページを」

「あの……でも、ラヴィル様。これは、本当に本当に必要なものなのですか? その、なんと申しますか、一応わたくしにも恥というものが……!」

「大丈夫、ここは公の場ですから。大抵の情報は、記録はされますが秘匿もされます」

 それについては何度も説明を受けたが、それでも個人的な日記を人目に晒すのははばかられる。しかもそ(・)の(・)ペ(・)ー(・)ジ(・)は、ひどくやさぐれた気持ちで記した、あ(・)の(・)ペ(・)ー(・)ジ(・)だったのだ。

 日記を抱きしめたまま挙動不審になるエレノアに、そこで立ち上がったのがアリーチェだった。

「お待ちください、でしたらわたくしが――妙齢の淑女の日記を殿方が目にするなんて、とんでもない! まかり間違っても許されませんわ!」

「おい待て、姫。それじゃ公の場として成り立たねえだろ。俺も確認する」

つかつかとエレノアの前まで歩み、威圧感のある腕を伸ばし手を広げるダニエロ。

「――寄越しな」

「そっ、それはちょっと……!」

「あのなあ――どうせ口裏合わせるならそういうところも調整しておけ、学者! そんでお前さんも、偉そうにアタマ張るなら自分が赤っ恥かく覚悟くらい決めとけ、エレノア=レコンフォール!」

「ああっ!」

「グライムス大臣!」

力任せにエレノアの手から日記を引き抜くダニエロと、慌てて駆け寄るアリーチェ。しかし、

「大丈夫よ、エレノア! あのときあたしも読んだけど、変なことは全然書かれてなかったから! 恋もキスも経験ないのに、男の人に乱暴にあごを引き寄せられてビックリしてすごく怖くて、恋物語なんて嘘ばっかりとか? 突き飛ばされて尻もちついて、打ちどころが悪かったのか翌日には青アザができちゃって、赤ちゃんみたいなお尻になって座るときちょっと痛かったとか、そのくらいよね! へーきへーき!」

「…………」

「ク……クロシェット様……」

エレノアの敵は味方の中にいた。

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