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翌日の昼。関係者がトルテュフォレへと集う、約束の時間間近――
「それでは皆さん。本日が勝負です。どうぞよろしくお願いいたします」
「はい!」
――エレノアはエントランスホールで、使用人たちに振り返った。
客の対応はおもにはヘンドリックとソワレ、そしてメリッサたちメイドの役目であり、そこに不安はない。
ない、が――。
「いーい? エレノア。あたしは本当は、ずーっと、すっごく怒ってるんだからね!」
なぜか今日はその中心に、小さなクロシェットが大きくどんと陣取っていた。
「ええと……それは、その……申し訳ございません?」
「だからなんで疑問形なのよぅ! 大体あなたってば、勝手に落ち込んで勝手に立ち直って、これだから頭がいい人ってダメなのよ! なんでも自分で決めて、なんでも一人でできると思って、それがぜーんぶ正しいって思っちゃうから! ヴァイスもそういうとこあるからね、あたしにはわかるのよ!」
クロシェットは大音声を発しながら、くるくるとエレノアを四方から睨みつけ、それから満足したようにまた宙に浮き上がる。
「でも――まあいいわ。今はヴァイスもいないし、今日はあたしに任せなさい! あなたもなんとなく顔つきが変わってるし、結婚だって――」
「あ~、クロシェット様~!」
「それ以上はいけません!」
メイドたちにがばりと取り押さえられるクロシェットの悲鳴に、腹の底から吐き出されたようなヘンドリックのため息が重なる。直後、馬の嘶きが聞こえてきて、使用人たちはすぐさま姿勢を正した。
エレノアは一度、皆を見回す。そして正面を向けば、まずヘンドリックとソワレがそれに応え扉を左右に開く。フロントガーデンの馬車回しには、ティーパーティーさながらの馬車の隊列が並んでいた。
先頭は普段ガルニエ侯爵家が使用している馬車だったが、アリーチェは乗っていない。少し寂しく感じたが、アリーチェなりにけじめをつけているのだろう。
後続の馬車からはギルバートらや法務省の面々もぞろぞろと降りてきて、エレノアが皆に向けて短い挨拶を終えると、メリッサたちが荷物を預かり、まとめ始める。
その間、見学者たちは皆、旅行にでも訪れたかのように城や周りの建物を指さし歓談していた。ダニエロもまた、輪には加わらなかったが何かを探るように城を見上げている。
一方でギルバートらはあの夜のことを思い出しているのか注意深く辺りを窺い、ハンナは不安そうにしていたが、付き添っていたクラウスが何事かを話しかけると、いささか表情を和らげて周囲の森に目を遣っていた。
まずブライアが、続いてクラウスとハンナがヘンドリックに案内されながら、何事もなく城内へと進む。
次にはファディル、ラヴィル父子が続いた。
「お嬢さん。いえ――エレノア=レコンフォール様。このような形になってはしまいましたが、偉大なるクローマチェスト王国の、古き歴史とご由緒を刻んできたトルテュフォレ城へ参れたことは、大変嬉しく存じます」
「ありがとうございます。ご足労をおかけしてしまい申し訳ありませんが、そのぶん精一杯おもてなしさせていただきます」
意外にも、ファディルは穏やかに笑んでそう告げてくれた。社交辞令といった様子もなかったが、正直なところ本心はわからない。
(ただ父として……息子のラヴィル様の将来を想うあまり、法学者としての道を違えてしまった。きっとそれだけ、なのよね……)
違えたという言い方も、ふさわしいかわからない。霞や埃を食べて生きていくわけにはいかない――老いたからこそ、清濁併せ呑むという道を選べたのかもしれない。かつて、ヘンドリックが自分に代わってくれたように。
何より、父を支えるラヴィルの姿が、今日までの親子の関係を物語っているではないか。
ラヴィルは何も語らず、ただエレノアが小さく頷けば、日中の健全な光の下にあってさえあの優艶な微笑を返してくれた。
庇の下には、いよいよギルバートらの姿がある。エレノアはあの夜と同じようにヘンドリックを伴い――扉を境に、三人と向かい合った。
「本日はようこそ、トルテュフォレ城へ。ギルバート様、オスカー様、キース様」
「……どうも」
「今となっては懐かしい立ち位置ですわね。〝トルテュフォレの招かれざる客は、あるじの祝福なしには城から戻れぬ〟――昔からの言い伝えですが、悪さをしない者にはなんでもありません。ご不安でしたら、わたくし自らエスコートいたしますが……」
「なっ……いらねえよ、小っ恥ずかしいことすんな!」
エレノアが手を差し出せば、ギルバートは小声で叫ぶように文句を垂れる。それから傍らの二人と顔を見合わせ――
「……」
一度息を呑むと、その手を躱して一歩を踏み出し、扉の境を越えた。
オスカーとキースもそれに続き――特に何も異変がないことを三人で確認しあうと、ようやく肩の力を抜く。エレノアも差し出した手を下ろし、淡く笑んだ。
「ようこそいらっしゃいました。本日は歓迎いたしますわ」
「……ああ」
しかし、彼らに関してはメリッサたちからの反発が相当に大きかった。それはフィオレロやリリアンを想ってのことであったが、調停のためと無理に呑み込んでもらった部分も多い。
馴れ合いになってはいけない。彼らは同情も必要としていない。彼らの生い立ちと彼らの罪は別の話だと、ヘンドリックからも重々言い含められた。何よりリリアンと彼女の周囲の人間の恐怖や悲哀を想えば――心から彼らを赦すことはできますかと。
その瞬間、ペタペタの銀貨が頭の中に思い浮かんだ。
エレノアは――頷けなかった。これもまた、法では解決できない心の問題なのだろうと、その苦さを噛んで受け入れるしかなかった。
「――おい、お前たち。いつまで遊んでんだ、行くぞ!」
「皆様、お城の中ではお行儀よく、勝手にあちらこちら出歩いたり、不用意に美術品や調度品にお手を触れないように! 間違っても、間違ってもお城の方々にご迷惑をおかけしないように、よろしいですね!」
「はい!」
一方で、まるで教師と学生のようなやりとりを始めた法務省の面々に、つい笑みがこぼれてしまう。しばらくトルテュフォレで過ごしていたアリーチェも、必死に声を上げている。
エレノアはふとある提案をしてみた。
「よろしければ皆様、自由時間にお城の中を見学なさいませんか? もしご興味がおありの方がいらっしゃいましたら、ご案内いたします」
王都の年若い見学者たちには、古い建造物がよほど珍しいのか、わあっと歓声が上がる。ダニエロはいい顔はしなかったが、自由時間まで縛る権利もないらしい。ほどほどにしておけよ、とエレノアにも見学者たちにも目を遣り、先陣を切って足を踏み出した。
瞬間、
「――ッ!?」
「うわああッ!」
すさまじい突風が吹き荒れ、ダニエロも見学者たちもまるで見えない何かに背後から引っ張られたように、庇の外にばたばたと倒れ込んだ。
その叫び声と物音に、ロビーにあった面々が振り返る。そして真っ先に、ギルバートがその存在に気付いた。
「あ――お前! やっぱり居やがったか、あの時のピンク!」
「お久しぶりね、嵐の夜の乱暴者さん! どーお、自分たちと同じ目にあってる人たちを反対側から見る気分は! でも今日はまだまだよ!」
「ク――クロシェット様!?」
天井からひらりと舞い降りてきたピンク色の光は、外に出ると光の粉をまき散らし、いつものリボンとフリルがいっぱいのドレス姿の少女に変化する。そして両手を天に広げ、同じ色の光の粉をキラキラと降らせると、高らかに宣言した。
「さあみんな――トルテュフォレの招かれざるお客様よ! 目一杯のおもてなしをしてさしあげて!」
ピンク色の光の粉が弾け、法務省の面々に降りかかる。
「わぁっ、なんだこれ!」
「髪や服がピンクになってる!」
(ああ……)
以前、ピンク色に染められてしまった図鑑さんの姿を思い出して、エレノアは嘆息した。止めてあげたいが、自分がクロシェットをどうできるというのか。ただ今はヴァイスがいないことに、安堵することしかできない。
ピンクの粉を吹きつけた風は、今度は黄葉樹の葉を巻き上げ、つむじ風となって彼らを囲む。木の実がばらばらと礫のように降りつけ、弾むように地面で踊り、かと思えば光のうさぎや鹿の群れが頭をかすめ、霧散して消えていく。
「これは――ティーパーティーのときと同じですわ……!」
「う、嘘だろ――本当に精霊?」
「俺、初めて見た!」
もはや立ち上がることすら忘れて、見学者たちは驚きか喜びかわからない様子でそれらを見回している。巻き添えになってしまったアリーチェもところどころピンクに染まり、まるで本当にお人形のよう。
クロシェットの甲高い笑い声とともに光の狼や熊に追いかけられ、あるいはおとぎ話に出てきそうな大蛇やドラゴンに嚇されて縮こまる見学者たちを見ながら、エレノアはソワレに近付いた。
「……ソワレ、見えてる?」
「はい。あの……なんと申しますか、皆さん楽しそうです」
「そう……」
こそっと問えば、なんとなく予想していた答えが返ってくる。城内にいる面々も、安全圏からそれらを見守っていた。
「なんか、すげーな……」
「俺たちじゃなくてよかった」
ぼやくオスカーとキース。
「私たちの国では、精霊は人間を惑わせたり騙したり、悪事を働くものとして言い伝えられているので、きっとこんな目に遭った者が大昔にいたのかもしれませんね」
「しかし自然界の精霊など、なかなか人前に現れるものではないからの。生あるうちに、珍しいものが見られて良かった」
語り合うファディルとラヴィル。
そして光で形作られたドラゴンがピンク色の花のブレスを空に向かって吐いたところで、ようやくクロシェットが庇の中央に躍り出た。
「どう、ちょっとは思い知った? これがあの日の夜に起きたことよ! あたしがここにいるみんなの力を借りて、こんなふうに悪い奴らをやっつけたのよ! 調停だかなんだか知らないけど、あなたたち人間の法律でどうやってあたしたち精霊を裁くっていうの? そんなのどう頑張っても無理よ。だってあたしたち――自由だもの!」
ひらひらと地面に舞い落ちていた黄葉樹の葉とピンクの花びらが、今度は逆さまにぶわりと空に落ちていく。同時に子供たちがはしゃぐような声が空に昇り、見学者たちは皆、顔を見合わせた。
「そうだよな……ここ、クローマチェストだもんな。王都じゃもう見ないけど、精霊がやったことってどうなるんだ?」
「わからない……でも考えてみたら、大学でもまったくそんな話なかった。というより、思いつきもしなかった」
「アリーチェさん……」
「えっ」
問いかけるような視線が一斉にアリーチェに集中する。が、こればかりはアリーチェにだってわからない。
「グライムス大臣」
「……」
仕方なく上司であるダニエロにそのまま投げてみるが、誰よりもクロシェットの洗礼を受けていたダニエロは、不機嫌ここに極まれりの表情であぐらをかいて低く唸った。
「――精霊だと? 冗談じゃねえ、まさかお前も〝精霊の祝い子〟か? エレノア=レコンフォール」
「あ、いえ――わたくしではなく、彼女は……」
「違うけど似たようなものよ! エレノアはトルテュフォレの精霊みんなのお姫様みたいなものなんだから、あんまり失礼な口きいてると、本当に全身ピンクの可愛いオジサンになっちゃうわよ!」
「……っ」
真っ先に限界を迎えたのは、アリーチェだった。
とても名門貴族の令嬢とは思えない、むしろクロシェットにも近い笑い声を上げて、地面にしゃがんだままお腹を抱え込む。
「ア、アリーチェ……! だめだよ、失礼だよ!」
「だって――だって、クラウス様。ご覧になって。大臣の髪、本当に可愛らしい、お菓子みたいなピンク色なんですもの……!」
慌てて駆け寄ったクラウスの制止も甲斐なく、アリーチェは大臣の方を指さす。ダニエロのまるで老いた獅子のような、白髪交じりの薄金色だった髪色は、たしかに今は花蜜飴のような愛らしいピンク色に染まっている。
クラウスはそれに苦笑すると、アリーチェの小さな鼻の頭を一度ぬぐい、携帯手鏡を差し出した。
「アリーチェ、君もだよ。まるであの精霊の女の子を大きくしたみたいに、ピンク色だ」
「まあ――いやですわ、皆さんも」
言われて、互いに互いを見比べる見学者たち。髪や肌だけではない、彼らが纏うローブも灰色の生地にピンクの染料を絞ったように花柄が咲いており、見る影もない。濃淡や程度の差はあれ、ひとつの種族のように同じ髪色、服装になっていた。
そして誰からともなく笑いがこぼれ、悪態とともにダニエロが立ち上がったところで、ハンカチで口元を押さえたブライアがエレノアの隣に並ぶ。
「かなり濃厚な花蜜油の匂いね。元は練り絵の具かしら」
「はい、彼女は例の画家様に宿っている精霊ですわ。先日、先にお戻りになられて」
「そうでしたか――ですが今は大至急、お湯の準備をさせなさい。調停に関する物資は、すべてノーザンシセラスが負担いたします。燃料も後からこちらに運ばせますから、持ち出し分は別で記載してちょうだい」
「あ――は、はい! でも、よろしいのですか?」
「一応、公的な出来事ですからね。場所の変更も含め、賄賂だの癒着だの、変な詮索をされないためにもその方がよいでしょう」
そこまで言うと、ブライアはハンカチにかこつけてさらに声をひそめた。
「――ところでこれは、あなたの指示ですか?」
「いえ、とんでもないことです……」
「そうですか。でしたら、彼女にも何かご褒美を用意しなければなりませんね」
「え?」
ブライアの視線が、何事かを言い争うクロシェットとダニエロに留まり、エレノアは小首をかしげる。
「あの虫の好かない無頼漢には、ざまあみろな気分でした」
「まあ――おば様ったら」
その普段なら絶対にありえない言葉の使い方に、エレノアとブライアはくすりと笑い合う。どうも口の悪い相手といると、それが伝染ってしまうらしい。
それから使用人総出で風呂の支度をしたが、風呂から出た後も皆々ピンクの染め色と匂いは薄く残っており、またその間、エントランスガーデンを汚し葉っぱや木の実だらけにしたクロシェットはヘンドリックからお説教をされつつ、やはり内密にご褒美を提案されていたのだった。




