3
初日と同じように、控えの間にルイスが訪れる。再び導かれるまま巻き貝の間に入れば、すべての人間が集められていた。
だが今は明確に、初日とは異なる点がある。
「よう、お嬢様。昼食は楽しんだか」
ギルバートの言葉に答える前に、やはりルイスが席を示す。隣の男爵夫人は両手でハンカチを握りうつむいたまま、それでも多少は落ち着いているように見えた。クラウスが近くにいるからか、彼から何かを聞いたのか。
ラヴィルもまた、素知らぬ様子で席に着いている。見学者たちは結審の時が来ることを見越してか、やはりどこか落ち着かない様子だった。
「それでは、皆様お揃いになりましたので――」
「前置きはいい。それで――腹は決まったのかい。エレノアちゃん」
「はい」
ダニエロがアリーチェを制し、胡乱な笑みをエレノアに向ける。エレノアも笑みを返すと、続けて言葉を発した。
「熟考いたしました結果、トルテュフォレとしてはやはり、金銭のお支払いや謝罪はいたしません」
「――ああ?」
ダニエロの野太い眉が、不機嫌そうに形を変える。それからその不機嫌さを隠そうともしない低声を発した。
「そうなるとつまり、調停は決裂ってことだ。次は最悪、お前さんが男爵に訴えられることになるわけだが――人間、生きてりゃ多少の埃は出るだろう。互いに探られたくもねえ腹探り合うより、ここで穏便に済ませちまった方がいいとは、そのよく回る頭では考えつかなかったのかい」
「わたくしに、そのようなお腹はございませんが」
「ほう?」
ダニエロは華奢な椅子の背もたれに寄りかかり、子供の遊びさながらに椅子の前脚を浮かせると、仰け反るようにアリーチェを見遣る。
「姫。兄貴の監査の結果は」
「そちらに問題はなく、あとは財務省からの最終結果の通知を待つのみの状況です。ですが監査人は財務省のもののみならず、イラーリア一門の者が用いる判を添えて押しております。結果は覆らないでしょう」
「そりゃまた――よくもまあ、こんな辺境の地でそこまでまっとうにやってたもんだ。頑固者というか、偏屈というか。ちょっとばかしちょろまかしても、わかんねえだろうに」
椅子を漕ぐ様は、本当に悪童のようだ。一度後ろにひっくり返ればいいのに、と心の中で念じながら、エレノアは投げられた礫を躱す。
「レコンフォール家の人間として、ありえません。また、その疑いようのない帳簿には、あの晩の出来事の一端も正確に記しております。こちらをご確認いただければ、そちらの訴えとの矛盾も明らかになるかと存じますが。つまり――」
「……」
言いかけて、ダニエロの顔付きと雰囲気が変わったことに気付く。肌にぴりっと、緊張が走る。
「その疑いようのない帳簿には、その翌日辺りから不自然な食材の仕入れがあったそうだが? そいつらは誰の腹の中に消えちまったんだろうな」
「……!」
それまでうつむいていた男爵夫人が、弾かれたように顔を上げた。何かを乞うような、責めるような――ごちゃ混ぜの感情が潤んだ瞳が、エレノアに向けられる。だがエレノアも、今日は怯まない。
「もしも拐かしなどを疑われているのでしたら、心外ですわ。あいにくとそれは、当方で迎え入れた旅の画家様と、療養中であった城の新しい執事のお腹に消えたものですから。監査の際にもお話し申し上げましたが――」
「話は聞いてるよ。ご大層なパトロンを持った流れの画家らしいが、その画家が城に滞在したと言ってる人間はお前さんたち城の人間しかいねえ。いわば身内だけだ、信用ならねえ。もしその話が本当なら、そのパトロンの名前を言ってみな。時間はかかるが、今更だ。確認を取る」
「……本当に申し上げてよろしいのですか?」
「法の番人を脅すのか」
「脅しだなんてとんでもない。ダニエロ=グライムス大臣――あなた様の立場を慮った、思いやりですわ」
一呼吸を置き、おもむろにエレノアは立ち上がる。
「――ではその件も含めまして、わたくしからひとつご提案があるのですが」
「……なんだ」
今までとは異なる展開に、今度はダニエロが身構えたのが見て取れた。
エレノアは意図的に少しの間を持たせ、その場にあったすべての人間をゆっくりと順番に見回すと――窓辺に向かい、ゆるやかに片手を持ち上げる。
その手のひらの上にあるのは、光と影がすべる空に浮き上がる、鼈甲の城――。
「わたくしが皆様をトルテュフォレ城にご招待いたします。よくよく考えれば、あちらがすべての始まりの地。残りの話し合いは、あちらでなさいませんか?」
一瞬の水を打ったような静寂ののち、ようやく理解が追いついたらしいダニエロが吠えた。
「――はあ!? 何かと思えば――突然、何言ってやがる!」
「あら。よい提案だと思ったのですが……」
「あのなあ――」
遠景の城に代わり、頬を抱いて小首をかしげるエレノアに、ダニエロは呆れたように息を吐く。一方でアリーチェやクラウス、ブライアもまた、想定外の申し出であったらしく目を丸くしていた。
「――ちょっと待ってくださいよ、エレノア様。皆様って……そりゃあ、俺たちもってことですか」
「もちろんですわ」
ラヴィルから「できる限り自然な形でありのままを話すこと、そして大臣の言葉を封じ、エレノアの言葉を引き出すこと」を言い含められていたギルバートの援護に、エレノアは深く頷いて応える。
「でも、あの城には変な言い伝えがあるんでしょう。別に信じてるわけじゃないんですが、調停といっても、こうやってやりあってる人間がのこのこと出向いて……大丈夫なものなんですかねえ」
「今回はわたくしがお招きするのですもの。城住まいの精霊たちも、きっと悪さはいたしませんわ。ただ人数が多いので……お部屋の準備に、少々のお時間はいただいてしまいますが」
「それは……なら、まあいいんですけどね」
お伺いを立てるように、ちらりと視線を大臣にやるギルバート。当初から鼻についていた芝居がかった物言いと振る舞いだったが、今となってはなかなかのものだ。
そしてギルバートとのやりとりに、見学者たちもひそひそと言葉を交わし始める。
「てことは、俺たちも? いいのかな」
「王家直轄の城に? ……ちょっと、行ってみたい気はするけど」
「でもあんな古い城、泊まれるのか? それに精霊って……」
決して悪意のない、好奇心さえ含んだささやき。明らかに傾いた場に、ダニエロが唸る。
「てめえ……何を企んでやがる」
「まあ――企むだなんて存外な。わたくしは過去、王国騎士団にお勤めであったというあなた様を最大限に尊重し、名誉のお話をさせていただいたつもりなのですが。騎士というものは、何より主君への忠誠と、貴婦人へ捧げる名誉を重んじるものなのでしょう?」
「忠誠と……名誉だと?」
エレノアは窓に沿って、城を眺めながら数歩を歩む。
空模様は変わらず、空気に白と黒のにじむ世界。ぽっぽっと雨粒が弾け、窓ガラスの上で混ざり合い、滴っていく。
静かに深呼吸をして――光を背負い振り返れば、部屋中の視線が自分に集中していた。
ダニエロは今までになく険しい顔で、こちらを見据えている。しかしエレノアは先程と同じように胸に手をやると、瞳に、頬に、唇に、ゆとりのある笑みを湛え――
「わたくしはクローマチェスト王国建国以来、数百年に渡り王国の歴史と伝統を受け継ぎ、王家のもと由緒あるトルテュフォレ城を守り抜いてきたレコンフォール家の娘。そして今は同家当主であり、古城トルテュフォレの家令でもある、エレノア=レコンフォール」
――たおやかに、宣った。
「そのわたくしがここに立っていることさえ、わたくしの寛大さによるもの。それに加えて、元騎士であったあなた様を、王家の城へお招きしようと申し上げているのに――もはや剣を持たぬあなた様には、これを名誉あることとはお思いになれませんか」
瞬きの間に空気が一変する。そこにあった誰しもが、忘れかけていた事実を思い出す。
自分たちとは異なる、特殊な立場の女性。今となってはその権威もうつろいつつあるが、王家の城をただ一人で預かり、生まれながらにその大任を背負ってきた女性。
ただの貴族ではない不可解な、それでいて妖異な、おとぎ話のような家の娘――。
しかし――
「――粋がるなよ、巣立ちもできねえヒヨッコが」
そんな中でダニエロは一人、豪放に声を上げて笑った。
この辺りは、古強者の貫禄というべきか――自分よりも、周りの人間がぎょっとしてくれたおかげで、エレノアはなんとか平静を装えた。が、それすら見透かしているように、ダニエロは不遜に続ける。
「まだまだ場数不足だな、エレノアちゃん。何かを成そうって人間はな、もっと目ん玉の中に――、ドス黒い炎やキラキラした宝石みてえなもんを飼ってるぜ」
「……?」
何か含ませたような間。エレノアはそれを問う視線を送ったが、鼻で笑い飛ばされた。
「それと誰から聞いたかしれねえが、なら元騎士として話してやる。これから城攻めしようってときに、正門を内側から広げられて、はいどうぞなんてところに行こうと思うか? 上から石投げられるか矢ァ射かけられるか、煮えたぎった油でも浴びせられちゃ堪んねえぜ」
「……冬も近い今この時期に、捨てる油もないのですが。ご厚意のつもりでしたのに、残念ですわ」
勢いに負けじと、エレノアもわかりやすく肩を落とす。
ただ「城攻め」という単語を選んだのには意図があったのかなかったのか、気にはなったが――城攻めというなら、相手の城の正門はダニエロではない。まだ手はある。
だからエレノアは悠然と歩を進め、
「では――あなたはどうなさいますか」
その門の前に立つとほほえんだ。
「ハンナ=エスタシオン男爵夫人」
「……え?」
ハンナは目をしばたたかせ、浅く口を開いたままエレノアを見上げる。
「大臣はあくまでもエスタシオン男爵の代理人であり、あなたやご使者の皆様の補佐人であるというだけです。あなたもまた男爵の代理人としていらしているのなら、ご夫婦であるあなたの方が、より男爵と近しいでしょう。――あなたが決めて、よろしいのですよ」
「わ、……私が?」
それに顔をしかめ、小さく舌打ちして奥歯を噛むダニエロ。しかしそれさえ気付かずに、ハンナは焦ったようにきょろきょろと忙しなく視線を動かした。
きっと彼女にとっては、今日まで記号でしかなかったすべての人間たち。大臣、名前すらおぼろげな使用人たち、人形のような少女、領主とその執事、異国の法学者たち、見学者たち――そして息子によく似た、穏やかな気質の青年。
「――まあ、俺たちは大臣でも雇い主の奥様でも、偉い方々の言うことに従いますよ」
「……!」
そして隣からもたらされた一言に、はっと表情を変えて――エレノアをその瞳の中心に据えると、椅子を倒して立ち上がった。
「行きます――私は、行きたいです――! もしもあの子に――フィオレロに近付く可能性があるのなら――どこへでも!」
「歓迎いたしますわ。ご子息の件も――多少は、気が晴れるとよろしいのですけれど」
エレノアはそっと、ハンカチごと固く結ばれていたふくよかな手を両手で包む。
それからアリーチェとファディル、ラヴィル父子に向き直ると、決定の体で問うた。
「ということで、よろしいですね」
「え――あ、えっと」
前例もない事態に、アリーチェも戸惑ったように法学者たちの方を見遣る。答えたのはファディルであった。
「私は反対です」
「と、仰いますと?」
「まずお嬢さんには、こういった司法の場がなぜ領主の城や館、聖堂などで開かれるのか、お考えいただきたい。これらは一種の、公の場であると見なされましてな。いわば中立の場でもあるのです。だからこそ真っ当に、公平に、一人の人間の人生を裁いたり、当事者たちの訴えに耳を傾けることができる」
「それは――たしかに」
「ですので、それを当事者どちらかの住処に移してしまうと、いろいろなことが不公平になってしまうのです。慣れた場所、慣れた人が身近にあれば、片方は精神的に優位にもなりましょう。ですが片方は逆の思いをするかもしれない。今回に限っていえば、すでに男爵夫人たちも王都から離れたこちらにおいでになっているのですから、これ以上は――」
「そうですわね……。お話は、よく理解できました」
エレノアの言葉にファディルは頷く。しかしエレノアは席には戻らず、今度はファディルとラヴィルの席まで歩みを進めると、自らの席を手で示した。
「ですが公平さを問うならば、どうか一度、あちらのわたくしの席にお座りになってみてはいただけませんか。お体が辛いようでしたら、ご子息の……ラヴィル様でも構いません。どうか」
「……?」
父子は一度視線を交わす。ラヴィル自身も不思議に思ったらしく、自然なまま反応してくれた。
「……ラヴィル」
「はい」
父に言われるまま、ラヴィルは立ち上がる。そしてそこにいるすべての人間の視線を集めながら、ブライアの前を横切り、ただ静かに座すヘンドリックの隣に立った瞬間――
「――ああ……」
すべてを理解したように嘆息した。
それで十分だった。
「師父」
ラヴィルが短く父に訴える。その傍らにあったエレノアも、静かに頷いた。
「今回わたくしはそちらのお申し出に応じ、見学者の皆様を受け入れております。加えて、進行や立会、代理人にいたるまで、いわば専門家である法務省の方を加えた皆様と――日常には縁のない慣れない場、慣れない分野で向かい合ってまいりました。それもたった二人で、です」
見学者たちのペンが一斉に動く。中には頷くような仕草を見せる者もいて、言いたいことに気付いてくれたようだった。
「中立性や公平性を説くならば、わたくしどもにも同じように、専門家のご用意や列席があってもよかったように思うのです。これでは――陸の孤島ですもの」
「……つまりは最初から、錘の数や大きさが違っていたということですね。わたくしも、できうる限り中立であろうとするあまり、本質を見抜くことを忘れておりました」
ブライアが重く呟く。その呟きがダニエロやファディルにはどう聞こえていたか、窺い知ることはできない。ただ、
「――少し時間をくれ。前代未聞のことで俺たちも正直対応がわからん。今までそんな文句をつけてくるやつもいなかったんでな」
「文句?」
「褒め言葉だ。財務省にネチネチ言われながら、出張予算組んだ甲斐があった」
「そうでしたか……ではわたくしどもは、優雅にアフターヌーンティーでもしばいてまいります」
「そうしてくれ。あと言葉遣いを直した方がいいぞ」
「……」
おそらくその後はラヴィルとギルバートらが上手く話を誘導してくれたのだろう。また図らずもブライアやハンナ、クラウスがこちら側に寄ってくれたこともあって、翌日からの調停の場はトルテュフォレに移されることになった。
(だからといって、休んでいる暇もないのだけれど――!)
そうしてラヴィルから言いつけられた一つ目の任務をなんとかこなしたエレノアは、その足ですぐに、二つ目の任務に取りかかるべく奔走するのだった。




