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明くる日からの話し合いは、遅々として進まなかった。
「――ですから、わたくしどもは謝罪も金銭のお支払いもいたしません。そもそも、そちらの訴え自体がないものと考えております」
「お前さんも大概強情だな、エレノアちゃん。王家直属の城なら、それなりの予算も流れてるだろ。ちっと気前よく払や、それでいい。あとは適当なメッセージカードでも付けてくれりゃ、万事丸く収まるって言ってんのに」
「よくありません。予算はクローマチェストの民から王国に収められ、そこから頂戴しているものです。なあなあでお渡しできるものではございません。カードも書きません」
そんなやりとりが手を替え品を替え繰り返され、数日――慣れないことと我慢もしていたが、ついにエレノアのメモを取る手が止まった。
(……なんだか、ものすごく不毛なやり取りだわ。まるで話を先に進めたくないみたい。相手の言うことは、一貫して変わらない。和解金を払えばそれで済む――それは理解できるけれど)
初日の使用人たちとの会話が思い出される。ちらりとダニエロを窺えば、駄々をこねる子供に対するような、甘苦い笑みでこちらを見ていた。
あの日以来、男爵夫人は列席しなかった。まずは心の安寧を――という事でクラウスが付き添い、お茶をしたり散歩をしたり、ゆるやかな時間を過ごしてもらっているそうだ。
つまり先のように――言い方は悪いが、場を乱す人間はいない。
にも関わらず、何も話が進まない。使者を名乗る男たちに至っては、あくびまでしている始末だ。
停滞というよりは、意図的に堰きとめられている雰囲気を感じ取ったエレノアは、そのまま顔を上げるとアリーチェとその傍らの法学者の親子に向き直った。
「イラーリア行政官と、そちらの学者様方にお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「それは――わたくしがお伺いいたします。お二方はあくまでも、最終的な――」
「いや、構いませんよ。お嬢さんのお声がけとあらば、いくらでも」
老いて節くれ立った手と声が、ゆるやかにアリーチェを制止する。あの独特な色合いのクロークの、フードに包まれた年輪の刻まれた顔が優しくエレノアに向く。落ちかけた肉厚のまぶたの奥には、やはり紫の瞳が覗いていた。
「改めて、私は法学者のファディルと申します。息子のラヴィルとともに各国の法を学び、いくつかの国を巡りながら、司法に関する事柄を取り扱わせてもらっております。息子ともにクローマチェスト語には不自由のないつもりですので、なんなりと」
その古老の隣に目を遣れば、たおやかにあの青年が頭を垂れる。
ソワレがほころぶ花ならば、彼は実って揺れる穂だ――エレノアはそんなことを思いながら、一度唇を濡らし言葉を続けた。
「では――仮に、わたくしどもが彼らの言い分を承け金銭を支払った場合、今の王国法ではそれはどのように解釈され、記録として残されるのでしょうか」
エレノアの視線はファディルに向けられていたが、反対側の空気が明らかに変化したのを肌で感じる。視界の端にあるダニエロやアリーチェの表情は変わらないが、見学者の雰囲気は違っていた。
数拍の時をおいて、ファディルは薄く長い白ひげを擦り、しゃがれた声で答える。
「まず、今回はお嬢さんの立場が少々特殊であることが取り上げられます。またエスタシオン男爵の爵位についても、少々危うげな手続きの跡が見られるので、双方の力関係は位階に関係なく、直接的に王家に近いトルテュフォレの方が強いとみなされるでしょう。それを前提に」
「はい」
「ひとつには、和解へ向けた積極的な姿勢への高い評価。ふたつには、高位の者から下位の者へ、温情を持って慈悲を与えるという名誉の獲得。最終的には当事者や仲裁者であるご領主様、それぞれの代理人、立会人、公証人などの心象も加味されますが――和解には双方の利があるべきと考えますので、金銭の代替としては、この辺りがもっともあり得るものでしょう。記録としても、そのように残されるのではないかと」
「……ありがとうございます」
エレノアは走り書きしたメモを再度読み直し、ファディルの言葉を反芻する。
(やはり《《記録としては》》、ね……。いくら書面上はそうだとしても、人の口に戸は立てられないし、多くの人はそこまで調べない。きっと聞いたままを、聞いたまま受け入れるわ――それがゴシップならなおさら。地方とはいえ一城の、歴史ある家令筋の一族から謝罪と金銭を得たとなれば……多少は鼻高々になって、自慢したくもなるわよね。ましてや、名誉や名声を望むなら)
そこまではいい。
(でも……なんだろう。仰っていることはわかるけど、それだけじゃない。やっぱり何かが違うのよ。何かしら……)
先日も胸の中に波紋を起こした一滴の違和感。見えない切っ先に前髪をかすめ取られるような、見過ごせない感覚。見極めれば、何かの突破口になるかもしれない――
「――そんなに難しい顔してると、年取ったときに眉間のしわが消えなくなっちまうぞ。エレノアちゃん」
その思考を遮るように、ダニエロが再び口を開く。エレノアは眉間にかかる前髪をくるりといじり、目線を上げるに留め応えた。
「ご忠告には感謝いたします」
「お前さんが何を悩んでるか知らんが、もうわかっただろう。あのオンボロの城の、後生大事に護ってる名誉とやらに、さらに綺麗なお洋服着せてやれるんだ。それでいいだろ――俺も不毛な争いはとっとと終わりにして、王都に帰って愛する嫁さんにケツ蹴られながら、可愛いガキどもにせっつかれつつ、牡鹿祭の準備でもしたいんだよ」
「まあ、意外に愛妻家ですのね。いえ、恐妻家でしょうか?」
「ああ、お前さんも十分そうなる素質がありそうだ。若い頃の嫁さんにそっくりだからな。泣き虫ってのも、案外うわさだけか? とうもろこしは――まあわからんでもないが」
「……」
誰も彼も、どこからその話を仕入れてくるのか。それに冬支度というなら、忙しいのは王都の人間より北国にあるこちらの方だ。
(少しは見直したのに。……早まったかしら)
自らへの呆れとともに息を吐き出し、エレノアは最終的に、何も決めないことを決めた。
「――少々、考えるお時間を頂戴できませんでしょうか。和解金の額に関わらず、わたくしどもが扱う一切の資金は王家のものです。多くのお時間はいただきません、ですが形だけでも一考する必要はあります。特に――イラーリア家の方ならば、その意味がご理解いただけるかと」
「……」
アリーチェとダニエロが目配せする。アリーチェは迷うことなく頷いた。また、ブライアもそれに続く。
「わかった――いいだろう。そろそろ飯時だし、偉い人間には建前ってもんが必要だろうしな。ただし待つのは昼飯の後までだ。優雅にアフターヌーンティーは無しだぞ、エレノアちゃん」
「結構です。よい昼食を」
余裕とともに浮かべられたエレノアの笑みに、ダニエロもまた不敵な笑みで応える。
アリーチェの声で休憩が宣言され、各々が立ち上がる。メモを整理するふりをして席に残り、去っていく面々を密かに観察すれば――見学者たちの間に少し、騒立った空気が流れているような気がした。
彼らが退出すると、ファディルらも立ち上がる。
「私はぜひ、優雅なアフターヌーンティーもいただきたいのですが。クローマチェストの菓子は、じつに美味しい」
やわく深まる顔の年輪と、悪戯そうな口調。年齢のためか、ややおぼつかない足取りを息子のラヴィルが支える。
「でしたら今の時期は、温かいお菓子などいかがでしょう。パイやフルーツのグラタン、スープ――皆で分かち合えば、心も体も満たされます」
「おお、それはぜひとも、ご領主に頼んでみませんとな」
エレノアがほほえみを返せば、ファディルはブライアを見遣り、部屋を後にする。
その間際――
「……」
丸まった背を見送るエレノアの瞳を、ラヴィルの眼差しが捕らえた。
「……?」
揺れるビーズ細工と亜麻色の髪の狭間から射し込む、朝焼け色の眼光。それははっきりと意思を宿し、しかし次の瞬間には何事もなかったかのように、再び老いた父に向けられる。
かたくなに閉じられたままだった薄い唇が、何かを紡がなかっただろうか。
最後まで残ってくれたブライアは、歯がゆそうな面持ちで短く告げる。
「――エレノア」
「はい」
「ガーデン・ティーパーティーの前から、覚悟はしていたけれど。……あなたも、わかっていますね」
「はい。この調停、目的は和解でも金銭でもないようですね。目的はやはり……トルテュフォレの権威の失墜……」
「そうね。誰がなんの目的を持ってこのようなことを企んだのかはわからないけれど。少なくとも今はアリーチェさんもあなたを見守り、別の何かを警戒している――お互い見誤らないよう、気をつけましょう」
「はい」
エレノアが力強く答えれば、ブライアも深く頷き、控えていたルイスを伴って去っていく。
「ヘンドリック。わたくしたちも、まいりましょう」
「はい。しかし――いかがいたしますか」
「そうね――できることなら茶でもしばきながら? 優雅に思索に耽りたかったのだけれど」
「はしたのうございますよ。――まったく、とんだ御仁と行き当たったものです」
ダニエロの口調を真似てみれば、即座に叱られる。エレノアはぺろっと舌を出してごまかすと、今度こそメモをまとめた。
「わたくしは一度、席を外します。少し外の空気を吸って、考えをまとめたいの。オータムロゼッタの清々しい香りで、鬱々とした気分を浄めてこようかしら。時間までには戻ります」
「それは――いえ。ノーザンシセラスであれば危険はないでしょうが、お一人でよろしいのですか」
「ええ。それに多分……一人では、なさそうだから」
一度振り向いて、窓の外を眺める。
厚い城壁とシセラスの街並みの向こう、薄水の空に浮かぶ、鼈甲の城。
塔の中の小部屋ひとつさえ、ありありと思い描ける。しかし思い描いたら、なぜか物寂しくて、恋しい気持ちになった。
・◆・◆・◆・
(たしか、この辺だったはず……)
サンドイッチやお菓子を小さなバスケットに詰め込んでもらったエレノアは、あの客人を迎える薔薇園まで降りていた。
服をひっかけないよう、注意を払いながらロゼッタの花の間をすり抜け、水車を横目に立ち並ぶ庭木のもとまで躍り出る。この辺りは「勝手知ったる」というやつだ。
秋の川辺は少しひんやりとした空気が流れている。流れは澄み、水草が呑気に揺れていた。注意深く周囲を見回せば、物置小屋の影に詰まれたレンガの山に、座るように寄りかかるラヴィルの姿があった。
エレノアが近付くと足音に気がついたのか、ラヴィルはその端正な顔を上げる。
「よかった、いらしてくれて。ええと――レコンフォール、様」
「どうぞ、エレノアとお呼びください。ラヴィル様」
目の前に立つと、香水とは異なる不思議な香りがふんわりと薫った。嫌いではない。
「お食事もまだでしょう。よろしければご一緒に。ピクニックには、少し遅い時期かもしれませんが」
「ああ、すみません……気がつかなくて。ありがたく頂戴します」
バスケットを示すと、大人びた笑みと耳触りのいいハスキーボイスが返される。切れ長の目が細まると、星屑を宿したまぶたがささやかにきらめいた。
(異国の方とお会いする機会なんて滅多にないから、なんだかそわそわしちゃうわね。お化粧のせいか、瞳がすごく印象的だわ。幻想的な雰囲気でとても素敵な方なのに、問題が現実的すぎて、ちょっと残念ね……)
ラヴィルはバスケットを受け取ると、中にあったナプキンをレンガの上に広げ、エレノアを座らせてくれる。しかし自分は立ったまま胸の前で手を重ねると、胸元に垂らした長い三つ編みを地に触れさせんばかりに頭を下げてきた。
「ラ、ラヴィル様!?」
「実は――あなたにお詫びしなければならないことがあり、こうしてご内密にお呼び立ていたしました」
焼き菓子に伸ばしかけていた手を、エレノアは慌てて引っ込めて姿勢を正す。
「あの、どうかお顔を上げてください。つまりそれはその……やはり何か、今回の調停のことで」
「そうです。私も公には口を出さないよう、事前に父からきつく言い含められていたのですが……しかしそれは、私が学び、志した法の精神とは相反するもの」
「ラヴィル様……」
「しかしそれより何より、あなたのように可憐で愛らしく、歴史や伝統を重んじながらも新たな時代の新たな境地に挑まんとする、勇敢で思慮深い女性に苦渋の表情をさせてしまっていることが、私には耐えられない。いえ――あなただけではありません。あの精巧な少女人形のように美しく、際立って聡明なイラーリア様、威風堂々たる佇まいの中にも優美さを宿した侯爵様――そしてかつては朗らかに、愛くるしい笑みとともにご家族を守ってきたであろう男爵夫人。皆様が不安と哀しみに沈み、悲嘆に暮れるお姿をただ眺めるしかできないことが、私にはこの上なく苦痛なのです……!」
(……ん?)
あの幻想的なかんばせを歪め、心からのその苦痛に耐えようと自らの胸元を鷲づかみする手に、エレノアは気付く。
(ああ、多分この方……〝一筋縄ではいかない方〟だわ……)
とんだ御仁と行き当たったものです――というヘンドリックの言葉が脳裏に浮かぶ。
今年は何か、おかしな巡り合わせの年なのだろうか。同じく一筋縄ではいかない城の魔術師が、たしか占いも嗜んでいたはずだ。一度診てもらった方がいいだろうかと思案しつつ、エレノアは今度こそ焼き菓子をつまむと、苦悩する青年を前にぽいと口に放り込んだ。




