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精霊の幸う国の古城管理人【第二部完結】  作者: 橘 佐和
第十二章 天秤は傾かない

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 わずかな時間を置き、ルイスに案内された巻き貝の間は、トルテュフォレの応接室に似た造りの部屋であった。

(えっ、何これ……何これ?)

だが室内に足を踏み入れたエレノアは、まずその行政官の数の多さに面食らう。全員で十人ほどだろうか。まだ年若い面々だとは思うが、彼らは下座にずらっと並べられた長机に着き、エレノアが姿を見せた瞬間に一斉に立ち上がって、礼儀正しく頭を下げてきた。

 そこから少し離れた部屋の中央には、ブライアを筆頭に、あの見慣れない服装の男性が二人。今日は行政官の制服――法務省に属する人間のものは、灰色らしい――を纏ったアリーチェが個別にテーブルを与えられ、その隣には別の行政官を伴い、ハンカチを握りしめてうつむくように座すふくよかな女性の姿があった。

(きっとこの方が、エスタシオン男爵夫人……。フィオレロ様のお母様ね……)

あの温かみのある髪の色がそっくりだ。けれども夫人は丸みを帯びた肩を縮め、怯えるような表情で手の中のハンカチを眺めている。指先が白くなるほど握られたそのハンカチには、何の因果か百合(リリアン)の花の刺繍が刺されていた。それどころか彼女が身に着けるものは、アクセサリーもドレスも花をモチーフにした装飾がなされ、今のエレノアには、なんだかそれがとても痛々しく見えてしまった。

 そしてその隣には――

「よう。久しぶりだな、お嬢様」

相変わらず横柄な態度で、着るものだけは立派な男たちが三人、並んで座っていた。

 それに応(こた)える前に、ルイスが手早くエレノアとヘンドリックに席を示す。そして貴人にするように椅子を引かれ、エレノアは席に着いた。

 天板の縁に美しい飾り彫りが施された白のテーブル上には、レモンと数種のハーブが入ったフレーバーウォーターとグラス、花蜜(ネクター)ポット。二人分の筆記用具も備えられている。トルテュフォレが重厚な雰囲気であるのに対し、こちらは青と白を基調にした繊麗(せんれい)な調度品が揃えられ、軽やかな雰囲気だ。

 二人が着いた席からは、ここにあるすべての人間の様子が見渡せる。アリーチェは固い表情で他の行政官と同様に頭を下げ、背後の壁際には、そんなアリーチェを見守るような眼差しのクラウスの姿があった。

(まるで陸の孤島だわ……。でも……これはきっと、ブライアおば様のご配慮ね。爵位も何もないわたしたちを、あえて執事長であるルイスさんに案内させて彼らよりも上座に置き、整ったテーブルをご用意してくださって……それを周りにもわ(・)か(・)る(・)よ(・)う(・)に(・)見せている)

 役人貴族であろうと無礼は許さないと、暗に示してくれている。

 鞄からあらかじめ受け取っていた何枚かの書類を取り出し、ルイスの言葉を思い出してしっかと顔を上げれば……室内で唯一、にやにやとした笑みを浮かべるあの荒くれ者の顔が目に入る。数秒視線を交わしそのままブライアに視線を移せば、ブライアは静かに頷き口を開いた。

「全員そろいましたので、進行を。イ(・)ラ(・)ー(・)リ(・)ア(・)行(・)政(・)官(・)」

「はい」

その呼び方を変えても、ブライアの口調は穏やかだ。きっと自分にしてくれたように、アリーチェとも向き合ってくれたのだろう。

 アリーチェは机に広げた紙を何枚か並び直すと、あの日と同じようにエレノアを見据えてきた。

「――まずは法務省を代表しまして、この場に並び立ってくださったエレノア=レコンフォール様にお礼を申し上げます。王政の下、長きに渡り一城を預かる大業を担いながら、その権威に甘んじることなく、権力の拳を振るうことなく、正当にこの調停に臨んでくださったことは、わたくしども法を司る人間にとっては大変に喜ばしく、また将来的にはこの国の司法制度そのものにとっても、重要かつ明るい事柄となりましょう。加えて貴重な事例の記録と収集、人材育成のための見学者のご許可をいただいたこと――公共の利益のため、私情を挟まず、高貴なる者の責任と義務を果たさんとするその高潔な精神に、わたくしどもは最大限の敬意をもって感謝の意を表します。ありがとうございました」

「あ、いえ……もったいないお言葉ですわ」

 エレノアも一度立ち上がり、返礼する。

「王家にお仕えする人間として、国の行く末に関わるお役目にご協力できることは大変光栄なことです。当方にとっても慣れない場でありますので、どれだけお役に立てるかはわかりませんが、どうぞよろしくお願いいたします」

 場を見渡し最後にアリーチェにほほえめば、アリーチェも隠しきれない笑みを唇に刻んでくれた。

 と、しゃあしゃあと振る舞ってはみたものの、エレノアにはアリーチェが語ったような記憶がまったくない。

「ねえヘンドリック……わたくし、いつ見学を許可したかしら。まったく記憶にないのだけれど」

「はい、ガルニエ侯爵とクラウス様がいらしたときに。エレノア様はなかば呆(ほう)けて、名簿を見ながら生返事なさっておいででした」

「あのときかぁ……」

座りながらこっそりと隣のヘンドリックに問えば、たしかに過去の自分は受け入れていたらしい。今となっては晒し者のような気もするが、国のためと言われてしまえば今さら拒否しても仕方がない。

(それにしても――やっぱり、不当につっぱねなくて正解だったわ。アレックスも言っていたわね。法で国を治めようとするならば、貴族も貧民も、男も女も、子供も大人も、その法の下ではすべて平等でなければならない、と。多分……こういうことよね。……)

 しかしそれを思ったとき、何か違和感のようなものが頭の中に落ちてきた。

(……なんだろう)

考えてみても判然としない。

 ただ自身で口にしたように、今ここは非日常の世界であり、法律だの調停だのについては完全に門外漢だ。気になったことはすべて書き残しておこう、とエレノアは早速ペンを取った。

 

「――それでは第一回の本日は、各人のご紹介と顔合わせ、訴えに対する双方の主張の確認をいたします。それに先立ちまず皆様には、クローマチェスト法務省が掲げる〝調和と和解〟の精神に則(のっと)り、この場は裁判ではなく調停であること、そして最大の目的は双方の和解であることを、改めてご留意いただきたく存じます」

 調停は、アリーチェのそんな言葉から始まった。

 もう聞き慣れた、アリーチェの可愛らしい声が少しずつ非日常の世界をつむいでいく。それにつれて、エレノアも自分の心臓の鼓動の音が大きくなっていくのを耳の奥で感じていた。

(……アーノルド様の監査のときは、それでもわたしはどこか自信があった。不正はないと自分が一番わかっていたし、多少知識があったから。でも今回は違う……公の場で、しかもわたし自身、それほど深い知識も知見もない。家令として、この分野は完全に勉強不足ね……)

エレノアはそれでも、ペンだけは走らせる。

(その上、やましいこととは言いたくないけれど、フィオレロ様たちを匿っていたことは事実だし。とにかくわたしたちは、フィオレロ様とリリアン様をお守りすること、トルテュフォレに落ち度がないことを示すことが一番の目的だけれど……困ったわ、何をどうすればいいのかしら。今まで無縁の世界だったのだもの……そんな中で、相手は法務省の方を代理人に立ててきているし、法の知識では戦えない。アリーチェ様は和解と仰ったけれど……そもそもの訴えが、こちらを刺しに来ている感じがするのよね……)

顔を上げてアリーチェを見れば、時折なにかを書き付けながら進行もしている。その間、エレノアの緊張した頭は一時の安らぎを得るように、すごいなあ、と呑気に考えていた。

 続けて相手側の自己紹介になったが、まず立ち上がったのが、相手側で唯一法務省の制服を着た中年の男だった。

 ローブに似た法務省の制服を着ていてもわかる、文官にするにはもったいなく感じるほどがっちりとした体つき。背も高く威圧感があるが、それ以上に目つきが悪く、どこか胡乱(うろん)げで――エレノアの第一印象は「近付きたくない人」だった。

「あー、俺はフロリアン=エスタシオン男爵の代理人で、こちらのハンナ=エスタシオン男爵夫人、ならびに同家使用人らの補佐人を務めるダニエロ=グライムスだ。ついでに若いのが多い法務省の中、年齢が行ってるせいで法務大臣を押しつけられてる気の毒なおっさんだ。以後、よろしく」

「――大臣?」

目を大きく見開き、口をぽかんと開けて顔を上げたエレノアに、自称気の毒なおっさん――ダニエロはニッと笑い机をトントンと叩いて書類を示す。

「調停の申込書、読んでないのかい。相手側の代理人の名前くらい覚えてこようや、泣(・)き(・)虫(・)と(・)う(・)も(・)ろ(・)こ(・)し(・)の、エ(・)レ(・)ノ(・)ア(・)ち(・)ゃ(・)ん(・)」

「――っな……!」

「まったく、あなたという人は――グライムス大臣!」

固まるエレノアに、呆然とするヘンドリック。ブライアが額に手を当て呆れたように息をつく中、アリーチェの甲高い一喝が響いた。

「よろしいですか、こちらはもう一言一句もらさずに記録しているんですのよ! 後世に残る貴重な事例なのですから、もう少し威厳や品位というものを持って、格式ばってお言葉を発していただかないと、困ります! そ、それに加えて――こともあろうに、エ、エレ姉様を――」

「あー、ハイハイ……威厳ね、威厳。ンなもん、そっちで適当に書き付けといてくれや。帳簿じゃないんだから、多少改ざんしたって黙ってりゃ問題ないだろ。その後世とやらに、現場に理解のある立派なお大臣様がいたって思われるような、それなりの口調に直しておいてくれ」

「法の番人が法を破ることを堂々と勧めないでください!」

「中身が同じならいいだろ……ったく、イラーリア家の奴らは変なふうに真面目で、変なふうに面倒くさい。――だいたい、テメエらもテメエらだぞ。どいつもこいつも、相手側が王家直属の城の家令だって知るや否や尻込みしやがって。見てみろ、執事連れてる以外はどう見たってただのお嬢ちゃんだろうが」

「ええ――そうは言いますけど、大臣。彼女、こんな状況でも全然慌ててないじゃないですか」

「そうそう。やっぱり立場的に場数が違いますよ。ディベートなんかの講義はありましたけど、ただ大学を出ただけの僕らでは……」

「現に、あ(・)の(・)イラーリア家の監査も難なく通り抜けたそうですし」

ダニエロに話を振られた見学者たちも、ちらちらとエレノアを見ながら好きずきに口を出す。

(わ……わかった。わかったわ。この人がいるから、ブライアおば様やアリーチェ様は、余計にわたしたちを立ててくださったんだわ……!)

 エレノアは唇をムッと一文字(いちもんじ)に引き、ぎゅうっとペンを握りしめると、「近付きたくない人」に加えて「法務大臣ですって信じられない!」「誰がとうもろこしよ、誰がエレノアちゃんよ、すっごく失礼!」「口が悪くて、なんならならず者たちの親玉みたい!」とつらつらと書き連ねる。

 そんな中、くすりと笑む声が聞こえた気がして顔を上げれば、あの異国の法学者の子息と目が合った。

 先程はわからなかったが、クローマチェスト人とは少し異なる面立ち。温厚さを含んだ怜悧(れいり)な紫の瞳は神秘的で、お国柄なのか、目元に施された濃い化粧が、衣装と合わせてエキゾチックな雰囲気を醸し出している。すらっと通った鼻筋と色素の薄い唇も、どこか蠱惑(こわく)的だ。

 子息はエレノアと目が合うと気まずそうにそっと目をそらしたが、口元に手を当て笑みを隠している。

「――っ」

 それにエレノアは殊更にわざとらしく咳払いすると、なかば自棄(やけ)っぱちに声を上げた。

「失礼いたしました。まさか法務大臣様御自らお越しくださるとは、夢にも思いませんでしたので」

「俺だって、できることなら王宮の大臣椅子でどっかり座りながら茶でもしばいて、片手間にサインなりハンコなり押してたかったさ。だがあいにく、ウチの省はまだ青い。若(わけ)ェのはご覧のとおりで、まだまだ人材不足でな――だからって、爺に片足突っ込んでるおっさんを、こんな北国まで引っ張り出してんじゃねえって話なんだがな。爺はな、寒いと体の節々が痛むんだぞ」

「それはお気の毒様ですこと。しかしながら、お口の関節のお加減は随分とよろしいようで、大変結構なことでございます」

それにはおもに、見学者の方から忍び笑いが起こる。

「見学者は静粛に!」

アリーチェが声を上げるが、もはや格式など微塵も感じられない。ダニエロも大きく笑むと、結局先程と同じ口調で続けた。

「――聞いてたとおり、俺に負けず劣らず頭も口も回るみたいだな。エレノアちゃん」

「どなたからお聞きになったのか存じませんが、お褒めの言葉として受け取っておきます」

「そりゃあ凍死者も出るような嵐の晩に、そうやってすげなくあしらわれて、外に放り出されたこちらの方々からよ」

「……」

半目で睨むように荒くれ者たちを見れば、ますます親分と子分に思えてくる。

「そのご使者の方々も、あの夜と比べて人数が足りないようですが」

答えたのは、あの夜に直接やりとりした荒くれ者だった。

「エスタシオン男爵家に直接雇われてるのはここにいる三人だけですよ、お嬢様。残りは、人探しなら頭数が多い方がいいと思って途中で雇っただけの奴らなんで、給金を渡してとっくに帰しました」

「ああ、そうですか」

相変わらず、芝居じみた話し口と手振りが鼻につく。ペン先が記したのは、「子分の中で一番偉そうな人」。

 エレノアは仏頂面のまま手元の書類に視線を落とし、とにかくさっさと事を終わらせたい一心で、淡々と話を進めることにした。

「それで――代理人のグライムス大臣にお伺いいたしますが、そちらの訴えというのは、具体的にはどういったことでしょうか。調停の申込書には、彼らへの暴行、脅迫とありましたが」

 だがしかし、

「――そんなことは、どうでもいいです」

間髪を入れず室内に響いたのは、震えながらもはっきりとした、女性の声だった。

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