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(翌年の夏は、なんだか凄まじい嵐とともに、訪れたような気がするけれど――)
思い出すと、少し楽しくなる。
しかしそれに浸る前に、エレノアは広げたままの手紙を折り、真白の封筒に戻す。そしてその封筒を日記にはさむと、そのまま日記を閉じた。
「エレノア――」
「申し訳ありません……クロシェット様。多分、祖父が亡くなった頃のわたくしにとって、書くということは……心を整理すること以上に、その日の自分をここに閉じ込めて、葬る意味があったのだと思います。一日という区切りで人生を終えていく自分を、あの羽根ペンがずっと看取り、この日記に埋めて葬送してくれていたのだと――でなければ、唯一の肉親を喪って悲嘆に暮れていた、幼いエレノアの心が生きていけなかったから」
「……エレノア」
「その幼いエレノアの心の中に、もうずっと長い月日、ひとつだけ刺さっていた刺も……先程、ようやく抜くことができました。……まるで童話の王子様に宛てたような、あんな幼い少女の手紙を覚えてくださっていたなんて……フェイリム殿下は、なんてお優しい方であったのでしょう。わたくしにはもったいないほどの、幸せな時間を頂戴いたしました」
「そ――そうよ? だから、あなたはこれを受け取っていいのよ? フェイリムだって、あなたのために用意したんだから。きっと――だから」
「いえ。……だからこそ、開けないのです」
「な――なんで? どういうこと?」
「幼いエレノアには叶わぬ、幻想の恋だったと――自分でもようやくそれを理解し、その想いを看取ることができたということです。いいえ、違いますね……今度はお優しい殿下が、それを傷つけることなく看取ってくださったから。わたくしはもう、それだけで満たされてしまったのです」
「そんなの――わからないわ!」
クロシェットはぎゅっと唇を噛みしめ、エレノア以上に苦しく、悲しそうに形を変えた瞳で何かを訴えてくる。
たったひとり、この場に参列してしまった者にふさわしい表情で、もう届かない想いを、もうここにはいない人間に向けて投げかけてくる。
「なんでよ……、なに書いたのよ、アイツ! エレノアも変よ、幸せならそのままでいいじゃない。ずっとそのままだって、ここにいるみんなは誰もあなたを責めたりしないわ」
「……そうですわね。けれど……それだけでは大切なものを――ここにいる皆を、守り切れないのです。もし今よりさらに世の流れが変化したとき……王家直轄の城であるこの城も、どうなるかはわかりません。万が一、廃城ともなればわたくしどもはここにはいられませんし、さりとて買い上げるにしても譲り受けるにしても、維持費を捻出するとなれば、貴族ではないわたくしが用意するには到底不可能な額が毎年覆い被さってまいります。時代が移ろいゆく今、いざという時なんの後ろ盾もないわたくしが皆と皆が住むこの城を……〝家〟を守るには、方法が限られてくるのです。……わたくしは、わたくしが絶望の淵に立っていた時に支えてくれた皆に報いたい。それを考えたら――少女のまま、可愛い小さなエレノアのままではいられないのです」
「そんな――じゃ、じゃあレオンやレオンのお父さんに頼みましょうよ! それなら大丈夫! フェイリムだって、いざとなったらきっと――」
「なりません。そのいざという時は、国や王家に連なる者に取って、場合によっては命や人生をかけた重要な転換点になります。そのようなときに、王家にお仕えする人間のいたって私的な小事を優先しては、国と国の行く末の大事に関わります」
「……っ」
顔をくしゃっと歪ませるクロシェットに、エレノアは優しく笑いかける。
「どうかそんな顔をなさらないで、クロシェット様」
「だって……だってあなた、結婚する気でしょう。お金のために? そんなの、本当は全然、これっぽっちも望んでないくせに」
「……そうかもしれません。でも……今になってなぜこの手紙が手元に届いたのか、恋を願うあなたがひとり、ここにいらしてくれたのか。きっとこれも、何かのお導きであったのでしょう。暗夜に浮かぶ優しい星々に見守られて、悼んでくださる方を前に甘き死を迎えることができた幼いエレノアはもういないけれど――これよりを生きるわたくしは今度こそ〝エレノア様〟として、このトルテュフォレ城と、この城に住まう皆の人生を預かる家令として、確固としてあろうと――ようやく、心を決めることができたのですから」
エレノアはリボンと秋の飾りがついた箱を取り、日記帳の上に置くと両手で抱く。
「ですからこの箱は、開けません。日記ももう書きません。これよりは、〝エレノア様〟であるわたくしが年老いて、本当に皆に見送られる日が訪れるまで……可愛い小さな彼女には、ここで淡く甘い夢に沈みながら、安らかに眠っていてもらおうと思います。〝エレノア様〟である、わたくしの代わりに」
エレノアは日記を引き出しの定位置に戻し、プレゼントの箱をからっぽの箱の隣に並べて、わずかな間を置き……引き出しを、戻す。
かちり。
小さな鍵の音。
カラン。
ガラスと金属が触れ合う音。
そしてそのまま立ち上がると、無言のままソルオータのボトルを一番奥にしまい込む。それをずっと黙って見ていたクロシェットは、本当に小さな、消えそうな声を絞り出した。
「……こんなの、嫌よ。フェイリムだって――ヴァイスだって、こんなのきっと望んでないわ」
「……そうですわね。でも……そうですわね」
エレノアは視線を落とし、たったひとつ、テーブルに残された手紙を視界に入れる。
上下関係もなく、心が自然のまま、自分が自分であるがまま――。
「わたくしには、まだわかりませんけれど……もし彼を城に迎えて……また旅立つ彼を見送って、それを繰り返しても……。わたくしのお婿さんになってくださる方は、わたくしを許してくださるでしょうか……。それともふしだらではしたない、淫らな女だと、わたくしを罵るでしょうか……」
「エレノア――あなた――」
エレノアは一度寝着のそでで目元を拭うと、そのありあわせの紙で作られたようなくたびれた封筒を拾い上げる。
それから棚にある私用のレターケースにそれをしまうと、クロシェットに振り向くことなく、長い間ずっと立ち尽くしていた。
夜半からは、雨が降り始めた。




