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〝我が息子レオンシュバンツと、その友人であるヴァイス君が面倒をかけていること、大変申し訳なく思う。
しかし、同じく届いたヴァイス君の手紙を読む限り、彼はあなたのことを随分と気に入ったようだ。大変に賢く、王家への忠誠厚く、ひたむきに一族の意思を継ぎその城を守っていると伺っている。
あなたのような存在があったことを、この年齢になるまで知らぬまま果てずして、幸いであった。兄であり、先の国王であったオルウェン=クローマチェスト、そして我々の先祖らに代わり、礼を申し上げる。
実は息子の友人ということもあって、ヴァイス君のことは、ごく幼い頃から知っている。彼が他人に興味を示すことも珍しい。今はそちらでの生活が楽しいようだから、いつかそれが許されない時が訪れるまで、できる限り世話をしてやってほしい。
もうお気付きかもしれないが、ヴァイス君は相当に歴史ある家に産まれ、その幼少時より、絵に関しては類いまれなる才能を発揮していた。
しかしながら家に縛られ、それを試す機会も認められる機会も与えられず、本人も長男としてその家に産まれた責任を果たそうと努めていたように思う。父を見つめ、母を想い、自らの心を、日々自らの手で圧し殺しながら。
特に、彼の母は彼の教育に熱心すぎるきらいがあった。彼はきっと、その母に認められたかったのだろう。
私はそれが気になってはいたが、もはや他家の事情ゆえ、どうしてやることもできなかった。今となっては悔いることしかできない。レオンシュバンツも、あるいはそうであったのかもしれない。
ともに同封した割り符は、力足らずな自分が唯一彼に与えられる思いやりの心でもある。一生を養うには少ないが、ヴァイス君がありのままでいられるしばしの間、ぜひとも彼のために使ってやってほしい。
エレノア=レコンフォール。
あなたには、これを預けるに足る信頼を、きっとヴァイス君も持っているだろうから。くれぐれも送り返すことのないよう、良い時分に役立ててやってほしい。
最後に、大変に厚かましい願いではあるが、我が息子夫婦の話も聞いてやってくれるとありがたく思う。今はもはや、孫を可愛がるばかりの愚かな爺の願いだと思って、一考をお頼み申し上げる。〟
「……」
そこまで読んで、エレノアは何も言えなくなってしまった。神妙な顔で目線を止めたエレノアに、ヘンドリックとアレックスも黙して待つ。
外の葉の一枚が落ちる音すら聞こえそうな静寂の中、ややあって、エレノアはぽつりと呟いた。
「ヴァイス様は、今、やっとご自分の人生を生きていらっしゃるのね……」
だからあんなにも一心に、時には切羽詰まったかのようにスケッチブックやカンバスに向かっていたのか。描いた絵を誰かに見てほしくて、あんなにも無邪気に、子供のように手を引いて。
(本当は、誰よりご両親に……お母様に、見てほしかったのかもしれない。褒めてほしかったのかもしれない……)
画家として。
きっと今は、幼い頃から封じ込めてきた想いを少しずつ少しずつ、自分の手で癒して、満たしているのだろう。
「わたしは何か、彼にしてあげられたかしら……。フィオレロ様やリリアン様のことは、ずっと考えていたけれど」
『でなければ、わざわざあなたを選んで昼夜関係なく叩き起こしたりせんでしょう。おそらく――』
「アレックス」
『まあ、よろしいじゃありませんか。おそらくエレノア様以外は皆気付いていたと思いますが、あの画家様は、あなたのことを好いておりましたよ』
「そう……」
――と、エレノアはそこではたと顔を上げる。
「って、どさくさ紛れに何を言っているの。また冗談? ヴァイス様とはあの嵐の夜が初対面だし、口論のようなことも何度もしてしまったし……それに好いているといっても、いろいろあるんじゃないかしら……。お手紙にはお母様と少し行き違いのようなものがあったとあるし、わたしへのわがままも、単にその代わりかもしれないわ……」
『おやおや。やはりあの画家様は、お気の毒だ』
鶺鴒の姿をしたアレックスは、肩をすくめるように羽を盛り上げる。逆にヘンドリックは口をつぐんだまま、肩の力を抜いた。
「でも、この場合どうなるのでしょう。ヴァイス様はやはり名家のご出身らしいのだけど、そんなお家のご長男が出奔なんて……たしか、二十歳くらいまではお家にいらしたと仰っていたけれど、それから五年か六年になるのかしら。もし爵位などをお持ちの場合は?」
「ご両親との関係もあるでしょうし一概には申せませんが、それほどの時を置き、なおかつパトロンに生活を頼っているとなれば、おそらく廃嫡や勘当されているのでは。爵位については、褫爵が適当でしょう」
「……剥奪、ってことよね」
「有り体に言えば」
「……」
家族も、住む場所も、金も、名誉も、あるいは友人、もしかしたら許嫁も、すべてを捨てて……絵を選んだ。そこにどれだけ壮絶な決意があったのか、エレノアは考えるだにぞっとした。もし自分なら、きっと耐えられない。
(……帰る場所、作ってあげなきゃ)
再び黙り込んでしまったエレノアに、アレックスが困り顔で、呆れさえ帯びたような声音で続ける。
『しかしそこまでして進む道ならば、いっそ惚れ惚れしますな。男としては、うらやむ部分も憧れる部分もありますが――なかなか』
「普通の人にはできないわ……」
「ですが以前のクロシェット様のご言い分も合わせ、大公殿下までもが気にかけるほどの家であれば、王都でも限られてまいります」
ヘンドリックの言葉の裏を察し、エレノアは最初に開けた手紙をちらりと見遣る。それからひとつ息をつき、アレックスと同じように困った笑顔を作った。
「……いえ、やめましょう。前にも言ったとおり、彼はただの無名の放浪画家。絵のことしか頭にない自由な人。ご本人も……きっとそれを望んでいるからこそ、ああいう振る舞いをなさっているのかもしれないし。だからもう、あの方はそれでいいです」
それにヘンドリックは、髭の下でかすかに笑む。
「……まったく、あなたらしい」
「……だめかしら?」
「いえ。しかしこのところ、トルテュフォレにおいでになる男性陣は、一癖も二癖もあって困ったものです」
「あら。あなただってちょっと楽しそうよ、ヘンドリック」
軽く咳払いをして笑みをごまかす執事に、エレノアの気持ちもすっと楽になる。
フィオレロ、ヴァイス、アーノルド。皆、自分の人生に確たる信念を持ち、自ら選び抜いた道で、誠実に生きている人間だ。迷っても、孤独でも、立ち止まっても。
手紙はその後こちらを気遣う文言とともに、何かの縁であるから、もし負担にならなければ折々に触れてまた手紙をいただけると嬉しい、と締められていた。亡き妻が、若かりし頃に送ってくれた手紙を久しぶりに読み返したくなった、とも。
エレノアの表情も自然とほころぶ。
「社交辞令かとも思ったけど、ヴァイス様のこともご様子をお知らせした方がいいのでしょうね……割り符のこともあるし。ヴァイス様ご本人は絵のことに一生懸命で、あまり筆まめというわけでもなさそうだし……」
「光栄なことです。お祖父様が生きていらしたら、たいそうお喜びになったことでしょう」
「そう言われると、何も言い返せないじゃない……」
しかも先には、二人の王子からの手紙が控えている。
だが、ここまで来れば迷うこともない。
エレノアは弟君であるアレスティアの名が記された封筒を選び取る。
(……気になることが、ないわけじゃないのだけど。これ……フェイリム殿下とアレスティア殿下の字、同じに見えるのよね。ご兄弟だから? それともご面倒を避けるために、代筆者がいらっしゃるのかしら。それにしても、封筒一枚とっても美しいわ……)
もう慣れた動作でペーパーナイフをすべらせる。厚めの紙だったので、抵抗があるかと思えばほとんど無い。なめらかに直線のまま、封は開かれた。
『アレスティア殿下といえば、神童と名高いお方ですからな。手紙もいかほどのものか。たしか――数年前には隣国の姫君との婚約も話題になりましたな。最初は兄上のフェイリム殿下とご婚約なさるはずだったのが、何がどうなったかアレスティア殿下に変わったと』
「何かご事情がおありだったのでしょう。でも――たしかまだ、ずいぶんとお若かったはずよね。国王陛下といっても、殿下にとってはお父様を亡くされて、お辛かったでしょうね……。空位になった今となっては、ご婚約もどうなったか……わたしが踏み込むことではないけれど……」
便箋も触れている指が心地いい。クローマチェストらしい、ささやかな秋の花の装飾が上品だ。このシンプルさが奥行きを感じさせ、ますますに品格を高めている。
(封筒と同じ文字だわ……)
今までの手紙と同じように時候の挨拶から始まっているが、ずいぶんと大人びた言葉が並んでいる。かといって難解な言葉を使うわけでもなく、背伸びをしているような不自然さもない。
悪戯心で、兄宛には珍しい女性の差出人の手紙を覗いたところ、あまりに美しい文字で、古式ゆかしく優美な言葉が綴られており、どれほどに麗しい方がこれを記されたのか――と、その感動がまるで詩のようにしたためられている。
他人より、ぜひとも自分を褒めてあげてほしいくらいだ。
「……なんだか、さっきからすごく恥ずかしいわ。わたしが送ったのは、すべてお詫びのお手紙だったはずなのに、なぜか褒められて……いいのか悪いのか」
『やはりお勉強した甲斐がありましたなあ』
「きっとエレノア様の真摯なお言葉が、読んだ方々の心に届いたのでしょう。レコンフォール家の人間として、言葉を重んじることは正しい在り方のひとつですから」
「それなら、素直に受け取ってもいいのかしら。でも……読んでくださった方々も、きっと皆さん、お優しい人柄なんだわ」
それから、兄の手紙についてひとつ謝罪しなければならないことがあるとも書かれていた。
〝あなたのことは、今回少しの思い出話とともに、兄から話を伺いました。
これも非常に心苦しいのですが、実を申しますと、兄は今でも文字や文章を書くことを好まず、弟の私が代筆をいたしております。
しかしながら、その言葉のひとつひとつは、間違いなく兄から申し遣ったものです。とかく人嫌いの兄が、きっと長い夜を経て、そのかたくなな心の中から見出した言葉です。
だからどうか私の筆に惑わされず、その向こうにある兄の想いを、汲んではいただけないでしょうか。
あんなにもお優しく、包み込むような言葉を編むことができるあなたの手ならば、暗夜からこぼれた砂粒のような星々を、きっとすくえるはずだと信じています〟
その後は、兄には内緒で綴った手紙だとも書かれている。そして――
「……ん」
「いかがされました」
「ええと……その。またよくわからないのだけど……、文通相手になってくれないかって……」
「文通?」
ヘンドリックがまたもや怪訝そうに眉を動かす。
『さっきも聞いたような』
「ええ……。自分はあまり城から出られないので、雄大な自然と共存する遠き地の人々の暮らしぶりやいとなみを、せめてあなたの書く文章で体験させてほしいと……」
『ふむ、ライオネル公爵夫人とはまた少々違った趣きのご要望。国を統べる位置にあるお方に、ふさわしい物言いですな』
「……おじいちゃん、わたしが小さい頃から、本を読むことと字を書くことだけは、他に何があっても責めなかった。……その能力を与え育ててくれたこと、心から感謝します。こんなにも、それを重んじてくださる方々に巡り逢えるなんて」
エレノアは読み終わった手紙を折り、祈るように胸に抱く。
何より王家の人々に届いたことで、先祖たちが連綿と守り続けてきたものが、やっとどこかで報われた気がした。
「クラウス様もおっしゃっていましたが、エレノア様もまた、その知識や教育の欠片を誰かにお与えになっていらっしゃいます。聖堂を訪れる子供たち、後から入ってくる使用人たち――成果も目に見えず、永遠に終わりの見えない知のリレーですが、そこに無駄なことはありません」
「ええ、今ならしっかりと理解できるわ。わたくしも今以上に、謙虚に学ばなければなりませんね……。とりあえずクラウスに頼んで、読みやすい法律の本を教えてもらおうかしら……」
「――エレノア、エレノア~!」
手紙を置いたところで、楽しそうな声を上げながらピンクの光が飛び込んでくる。
「クロシェット様。ご挨拶はお済みになったのですか?」
「ええ、一人一人にしっかりと!」
『おや、私のところにはいらしておりませんが』
「げ、アンタいたの? た・だ・い・ま! ふんだ、これでいいんでしょう?」
ピンク色の光は、アレックスから離れるようにエレノアの方へやってきた。
「それよりみんな、元気そうね! メイドのみんなは驚いてたけど、いっぱいおしゃべりして歓迎してくれたし、クラヴィスがね、ウィシュカに頼んで今日はごちそうにしてくれるって。いいわよね? あ、ヴァイスの道具も綺麗にしてくれてありがとう! それよりお庭を見たわよ! ビックリしてその辺にいた子たちに訊いたら、ティーパーティーすっごく楽しかったって言ってたわ。もし知ってたらあたしも絶対残ったのに、悔しい! そうそう、新しい執事にも会ったわよ! 周りに精霊がたくさんいたわ、それも女の子ばっかり。あたし、話しかけたらすっごく怒られたんだから!」
「……ふふっ」
自分の周りをくるくると回転し、途切れることのないおしゃべりをするピンク色の光に手を差し出す。クロシェットは少女の姿に戻ると、ハッとしたように残ったフェイリムの手紙とプレゼントの前に降り立った。




