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「――〝女神の黒髪〟だと!?」
アーノルドは勢いよく立ち上がり、後ずさる。いつも笑みを絶やさないアレスティアさえもその表情をふと曇らせた。
「お前――、なぜそんなものを」
「だから室長に頼まれたんだって! クローマチェストでは全部破棄か送り返しちまって残ってないし、あっちでも端から掘りまくってるから完璧な形で残されることは少ないらしくて、けっこう大変だったんだぞ。ただ最近は、見た目から黒兎の尾とか黒猫の背とか呼ばれて、鉱物の蒐集家の間で人気が出始めたらしくてな。燃料だけじゃなく観賞用のものが流通し始めてて、これもその走りの一つだ」
「あちらでは採掘場で働く鉱夫たちが、女神の巻き毛に迷い込んだ蝿とまで揶揄されるほどに採掘量が多いらしいからな、使えるものには使うだろう。商売人としては、見習うべきところではないのかね」
「俺たちにだってプライドはあるぞ」
子供のように唇を尖らせるワーグテール。
「殿下、よろしいのですか。――いえ……申し訳ありません」
アーノルド自身も、アレスティアに問いながらすぐにそれを問うてしまったことを後悔する。答えられるわけがない。何か起きたとき、責任の在処を押しつけてしまうことになる。
「アーノルドさんが謝ることではありません。僕ももう――見てしまいましたからね」
「ご心配なく、殿下。私も一応は王宮仕えの身なのでね。所持の手続きと承認くらいは、得る努力をいたしますよ」
「しかし――」
「いいっていいって、本人がそう言ってんだから。一番悪いのは室長! あんなんほっといて、こっちの木箱は俺たちで広げちゃおうぜ」
ワーグテールはアレスティアの近くの机の本をどけて場所を作ると、いそいそと木箱を運ぶ。一方で室長は紐や布をほどき始めており、アーノルドは眉をひそめながら再度問うた。
「しかし室長、やはりなぜそんなものを今さら?」
「今だからこそ、だろうか。〝黒き精霊の瘟〟の際、クローマチェストではそれこそ禁忌のようにこれを扱い、無いものにしてしまったからな。しかし私はこれを歴史の一片として残しておきたいし、少々研究もしてみたい。私たちはこれが何であるかさえ知らずに生活に用い、そして捨てた。後の世のためにも、正確な情報は必要だろう。誰かがやらねばならないことだ」
「好奇心は身を滅ぼしますよ。やるにしても、あなた一人で済むかどうか。暴くのは好まないのでは?」
「これは知る、あるいは学ぶという行為だよ、アーノルド君。なにも〝女神の黒髪〟に限った話ではない、花蜜でさえいまだ正確な分析はできていないし、危険性は何にでもある。魔力の加え方や流し方によっては、燃料用花蜜でも王宮くらいは吹き飛ばせるんだよ。ゆえにどの魔法や素材、薬品も、害になる際はせめて省内の研究所だけで済むように手は打ってあるつもりだが……ふむ、たしかにこれは、想像していたよりなかなかに可愛らしい」
「……」
布の下には紙の包みがあり、それを剥がし切ると、元の包みの半分にも満たないガラスケースが現れた。底には台座が嵌められ――その上には黒い繊維質のものが密集した、ふわふわとした丸い形状の物体が鎮座している。
室長はケースを回し、上下左右に観察しながら言葉を続ける。
「以前、子供が黒い長毛種の仔猫を拾ってきたことがあったが、たしかに寝姿にそっくりだ」
「……なんというか、想像とは異なる見た目ですね……羽毛のような。あちらでは限られた土地の森林資源を使い果たして、本格的に採掘に乗り出したと聞いていたので、もっとこう、硬い石のようなものを想像していました」
「そうだな。とにかく長くよく燃えるから、土着の民族の間では古くから〝燃える綿〟と呼ばれ、すでに日常生活や祭祀で少量が用いられていたらしい。つまりその程度ならば、何も問題はなかったのだ。だが――大きな火は風や光をもたらし、水を炙れば蒸気という新たな動力を生み出す。無論、それは魅力的ではあったのだろうが――」
「クローマチェストには合わなかった……」
「動力機関自体は悪ではないはずだ。ともあれ国内では人類の進歩の可能性を秘めた新素材として重宝され、国外に対しては輸出で対価を得――食糧はもちろん、希少な香辛料や珍しい舶来品をもたらしてくれるこの物質は、海向こうの島国にとってはそれこそ地母神を冠するにふさわしい、大地の恵みであったのだろう。その国柄に関しては、友好関係にある時点で我々がどうこう言うものではないからな。――ともかく感謝する、ワーグテール君」
「感謝はねえ、金と一緒にもらえたら商人としてはありがたく頂戴いたしますが。頼むから、さっきみたいな面倒は起こさないでくれよー!」
「あのな、私は君たち以上に〝黒き精霊の瘟〟を経験してきた人間なのだよ。あの頃は国中の魔法使いや錬金術師が眠る間もなく対策に駆り出され、当時は私もまだ精神の青い若造でね、嫌なものも吐くほど見た。あんな目には二度と遭いたくない、誰が面倒など起こすかね」
「そうだったのですか……」
当時、まだ幼かったアーノルドは屋敷に閉じ込められていた程度の記憶しかない。それこそ魔除けだの病気除けだののお守りやポプリを常に持たされ、庭に出ることさえ満足にできなかったが――感覚的には、子供よりも大人の罹患者や死者の方が多かった気がする。
時期的には父が不義を働いた頃でもある。が、当時は閉塞感もあり国中の人間が何かを不信し、苛立っていた雰囲気があった。決して擁護するわけではないが、そういった不安定な心が間違いを起こさせたのかもしれない。
「――それで、もう一つの箱はなんなんだ? からくりとか言っていたが……ただの鳥かごの置物じゃないのか?」
室長がガラスケースを再び布で包んだのを見て、アーノルドはもう一つの包みの方へ目をやる。机上には黒い木製の厚い台座が付いた真鍮の鳥かご。そしてその中には、止まり木にぽつりと佇む黄色と水色の羽根を持った小鳥の模型があった。
「見た目はそうですね……試してみましょうか」
説明書きを読んでいたアレスティアが、実物と見比べながらそのからくりを覗き込む。アーノルドにはひどく既視感がある姿だったが、それは財務省の人間が監査に使用する時計を操作するときの姿だと気付いた。
下部の台座から、ネジを巻く音が聞こえ――何かスイッチのようなものが押されると、途端にかごの中の小鳥が何かを探すように左右に動き、鳴き声のような愛らしい音が流れ始める。――これには、アーノルドも破顔した。
「おお、これはたしかにすごいな! ちょっと離れれば、からくりだとは気付かれないんじゃないか? アリーチェ……妹が喜びそうだ」
「だろ!? あっちじゃ質のいいパーツも大量生産されてるから、各国から腕利きの職人たちが大勢集まってて、変わったもんがいっぱい開発されてんだよ! これは自動人形っていって、なんかすげえ細かい歯車とか金属片みたいのを使って動かしてるらしいんだけど、面白そうだから一度分解してもらおうと思ってよ!」
「それはなんだか、可哀想な気もしてしまいますね」
「つなぎ目のない空の下に、鳥かごの鳥か。なかなか皮肉が利いていて、いいセンスだ」
「褒めてんのかそれ……」
ちよちよと愛らしいさえずりが、室内の空気を間延びしたものに変えていく。
(技術の進歩の両極端の土産が持ち込まれたようだな……。この件に関しては、クローマチェストではどうしても悪い話の方が先行してしまうからな。こんな――平和なものも生まれているのか)
動く小鳥をなんとなく見ていれば、突然そのかごの上にふわりと虹色の光が降りてきた。
「! これは――」
「――グリ。どうしました?」
アレスティアがそっと手を伸ばすと七色の光はやわらかく弾け、精巧に造られた球体関節人形のような小さな少女の姿に変化する。
少女は白と黒、二つの人形を縦に割って半分ずつ貼り付けたかのように、髪も、瞳も、ドレスも、靴も、左右でその色を違えている。色味のないモノクロームの装いではあるが、代わりに七彩の花で編まれた花輪を襷のように掛けており、これがまたあざやかにドレスに映えていた。そして頭にはやはり大きな白黒のリボンを乗せていたが――その脇には、小さな鹿の角が伸びている。
彼女は生まれながらにして〝精霊の祝い子〟であるアレスティアに宿り、光と闇を半々に司る精霊のグリであった。
グリはアーノルドたちにぺこりと頭を下げると、ふわりと飛んでアレスティアの肩に手を置く。そして耳打ちでもするかのように小さな声で、ぽそぽそと言葉を紡いだ。
「アレスティア、ママが探してる……もう帰らないと」
「母上が? それはいけませんね」
「うん……ママ、すごく心配してるよ。あちこちに人、遣らせてた」
アレスティアは立ち上がって、アーノルドがたたんで掛けておいたロングマントを手に取る。
「申し訳ありません。そういうことなので、僕はこの辺で――」
「お帰りになるのなら、私も一緒に参ります。遠い地に佇む、古城の土産話をしていたことにでもいたしましょう」
「私も行こう、研究所に寄りたい。ワーグテール君、君は掃除の続きと、戸締まりを頼むよ」
「久々に会ったってのに、忙しないな。まあいいや、俺もしばらくは王都にいるし――王子様も、またな!」
「はい」
「また、があっては困ります」
自分以外、誰も諫めない。駄目な大人が集まったものだとアーノルドが心中で事態を難じていれば、マントを着込んだアレスティアとグリの姿がすうっと消えていく。
これこそが、好奇心旺盛な若き王子に宮廷魔術師が吹き込んだ悪知恵であった。原理はよくわからないが、光の扱い方によってある程度、物体の姿を視認できなくすることが可能らしい。
「ほう、これは見事ですな。光を操れるなら、多少は――とは思ったのですが」
「はい。でもこれ、透明になるのはいいんですが、その間は視力にやや問題が出るんですよね。グリのサポートがなければ、多分歩けもしないです」
「そんな危険なことをしていたのですか!? 手は――手はつなげますか!?」
「いえ、グリがいればさほど不便は感じないのですが……触るのはどうでしょう、試してみましょうか」
「!」
ぽっかりと開いた空間から聞こえるアレスティアの声が動き、右手にきゅっと軽い圧力を感じる。
「おお……」
「感覚はあるのかね」
「あります。……しかし、姿が見えないのに話せたり触れられるのは、不思議な感じがしますね」
「まさに精霊のなせる技だな。人ではこうはいかんだろう」
「悪用すんなよー? たとえば――」
「殿下の前で下品な話をするんじゃない」
何を考えているのか、にやにやと頬を盛り上げて笑うワーグテールを一度足蹴にし、アーノルドとアレスティア、室長の三人は部屋を出る。店に訪れていたオーナーとマスターに挨拶を交わし外に出れば、つなぎ目のない空はいつの間にか水色と橙色がうっすらと混ざり合い、秋色の紗の天蓋をやわらかく降ろし、世界の色を変えていた。




