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精霊の幸う国の古城管理人【第一部完結済み】  作者: 橘 佐和
第九章 望まぬ侵攻

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 その日からの監査はスムーズに進んでいった。ヘンドリックもいくつかの条件を満たせば多少の時間は席を外すことを許されたので、午後からは庭園へ出て、一般公開で訪れる街の昔からのお客様をお迎えしていた。

 その間、エレノアは交代で執務室に詰めていたが、客人の中にはエレノア、もしくはヘンドリックに会えなかったことを残念がり、もう一度時間と日を改めて訪れてくれるという人もいた。美貌の執事目当てにやってきたお客様には申し訳なかったが、それでも昨日の出来事は噂になっていたらしい。街では「薄羽ドラゴンが巨大化して、空を泳いでお城の向こうに消えていった」とか「トルテュフォレの空が虹色に染まっていた」とか不思議な噂が流れていたらしく、エレノアもそういった話を多く耳にした。

(なんだか、わかるようなわからないような……?)

いつもとは様相の違う庭にますますおかしな噂が立ちそうだったが、そこは庭師の宗旨替えで乗り切った。

 若いカップルのお客様や偶然立ち寄った旅人の姿も見えたが、古城の存在感に圧倒されたり、話上手なコックに振る舞われるお茶やお菓子にはしゃいだり、お土産にと綺麗な葉や木の実を拾ったり――それぞれの楽しみ方をして過ごし、メリッサの花束もみるみる数を減らしていった。

 アーノルドやアリーチェも休憩がてらたまに庭先に出て、その光景を眺めていた。


 そのアーノルドの手が止まったのは、監査三日目の夕方近くのことだった。

「――なんだこれは」

「え?」

その険しい口調に、エレノアもアリーチェも弾かれたように顔を上げる。アーノルドに目を向ければ初日と同じように不機嫌そうな渋い顔をしており、エレノアもすぐに立ち上がって事務机の前まで足を進めた。

「アーノルド様、何か問題でも?」

「問題どころじゃない。なんだこのふざけた帳面は」

「お兄様――」

アリーチェもすぐさまエレノアの隣に来て、その差し出された帳簿を手に取り――途端に噴き出した。

「これ――もしかして、エレ姉様ですか?」

「え? な、なんですか?」

笑いを(こら)えているのか、小刻みに肩を震わせるアリーチェからおそるおそる帳簿を受け取る。示されたページを見てみれば、

「あ」

真っ先に目に飛び込んできたのは、ページの半分近くを占領する猫の集合住宅だった。

「な、なぜこんなものがまだ残って――」

アーノルドはうろたえるエレノアの手から帳簿を抜き取り、再度目線を落とす。

「やはり君の落書きか。途中まではまともな内容だから、おそらく書き換えを疑われないようにそのまま取ってあったのだろう。次のページには、本来あるべき帳面が別の字体で清書されている。こちらは先代家令かヘンドリック殿の字だろう。それにしても……よくもまあ、こんな細いマスにこれだけの猫を並べたものだ。ご丁寧に一匹一匹名前まで付けて。ショコラ、ジェラート、マドレーヌ――食するつもりだったのか」

「ね、猫は食べません! というよりこれは、本当に幼い頃の落書きですから……! ちょうど一部を任され始めた頃の本当に初期のもので、この頃は猫を飼いたかったのに祖父に反対されていたのと、途中で計算に飽きてしまって……!」

まさかこんなものが挟まっていたとは夢にも思わなかったエレノアは、慌てて弁解を重ねる。もしも監査に影響があったら――と思ってのことだったが、アーノルドは帳簿を机に置くと、こめかみを押さえ呆れたように続けた。

「イラーリア家でも同じだ」

「……はい?」

「イラーリア家の子供も、皆ごく幼いうちからこうして帳簿を付けさせられる。しかしそこは、やはり子供だ。気もそぞろになって、次第に遊び始める。それを親が面白がって、後生大事に取っておくんだ。イラーリア家には、こうした歴代の落書き簿を集めた綴じ本がある。一門の集まりではいつまでもいつまでもそれを持ち出され、その度に恥をさらす羽目になる」

「それは……まあ、お気の毒に」

「しかし私が書いていたのはマス目を利用した数字のパズルであって、知的好奇心にあふれた高尚な落書きだ。下手な猫の絵と一緒にしないでいただきたい」

(下手な絵……)

あまりに歯に(きぬ)着せぬ物言いに、エレノアもショックを受けつつ、しかし落書きに知的も何もないだろうと持ち直す。ただ一人、アリーチェだけがにこにこと自慢げに割り込んできた。

「でもお兄様。わたくしは落書きなどせずに、至極まっとうに励んでおりましてよ」

「それは余裕がないとか遊び心がないというんだ」

「あら、でしたらエレ姉様の甘党な猫さんたちも、監査には影響ありませんわね」

言葉を詰まらせるアーノルドに、エレノアもほっと胸をなで下ろす。どうやら影響はなさそうだ。

「それにしても……」

 アリーチェは再度帳簿を手に取るとまじまじと見つめ、今度はごく真面目な表情で、しかしその帳簿に隠れるようにして顔を上げた。

「あの、エレ姉様。つかぬことを伺いますが……」

「はい、なんでしょう」

「これは、幼い頃のエレ姉様がお書きになったのですよね。猫の名前や、この……上の方の、きちんと項目や金額が記されているところも」

「ええ。間違いなくわたくしが記したものですわ」

「……」

アリーチェは表紙に記載されている年代を確認すると、アーノルドの机からさらに新しいものを取り上げ、視線を交互に動かす。それから、肩を落とし呟いた。

「……やっぱり、お義母様やクラウス様が仰ったとおりですわ」

「え? ブライアおば様たちが何か――」

アリーチェは伏し目がちに、唇を噛むように尖らせてそのページを見つめている。不思議に思いエレノアも口を開きかけるが、その直後に扉がノックされた。

「はい」

反射的に答えてしまいアリーチェを窺うが、アーノルドから構わないと示され、会釈をして声をかける。

「どうぞ」

「はい。失礼します……!」

クラヴィスの声で返事があったが、何やらガチャガチャとドアノブをいじる音が聞こえるだけで、なかなか姿を見せない。

「あらまあ。一体どうしたの」

二人の手前、みっともないことはさせられない。エレノアが内側から扉を開けば、クラヴィスが山ほどの荷物を乗せた大きな銀盆を抱え、それをかばうようにして不格好にドアノブに手を掛けていた。後ろには、同じように荷物を抱えたナーデルがいる。

「申し訳ありません、エレノア様。――お荷物が、届いております」

「まあ――これは、どうしましょう」

銀盆の上には、色とりどりの花や葉を纏った一風変わった包みが大量に並べられていた。それを目にしたエレノアはすぐに二人を部屋に通し、自身が使っている長机のものを端に寄せる。

 クラヴィスとナーデルはほっとしたように空いた場所に銀盆を置き、改めて居住まいを正した。

「先程、午後の郵便で届き始めました」

「郵便屋さんのお話によると、明日の朝の便にも同じくらいの量が控えているそうです~」

「そんな――」

慌ててエレノアが差出人を確認すると、今までは家単位で送られてきたものが、それに加えて個人の名前で個別に送られてきている。しかも一人二人ではない。

「どうしましょう、こんなに――どうしましょう」

「ほう――懐かしい。花編箋(はなあみせん)じゃないか」

アーノルドは鼻眼鏡をかけ直し、エレノアの隣まで来て包みを一つ取り上げる。

 (つる)や小枝、樹皮。もしくはそれらから()られた紐などで、細く円筒型に編まれた素朴な包み。封口には季節の花や葉、木の実を模した飾りがリボンで結ばれ、送り主を示すタグがくくりつけられている。筒の中にはくるくると丸められた小さな便箋と、棒金(ぼうきん)状に並べられた金貨銀貨が収められていた。

「お兄様、エレ姉様。それはなんですの?」

きょとんとした顔で近付いてくるアリーチェに、アーノルドは驚いたように答える。

「まさか知らないのか。いや……私が幼い頃はまだ王都でも使用されていたが、今では紙切れ一枚に変わってしまったからな……。これは昔のクローマチェストの貴族社会でやり取りされていた、花編箋(はなあみせん)という礼状だ。パーティーや茶会に招かれた客が、後日ホストに感謝や称賛の気持ちを伝えるために贈る心づけのようなものだ。中身を受け取ったホストは、簡単な受取状や菓子を中に入れて、また送り返す。この際ホストの負担にならないように、筒は硬貨を重ねて並べられる程度の細さで作らないといけない。昔は私も飴や砂糖菓子を詰めさせられたものだ」

「ああ、現在の花片箋(はなびらせん)の元になった風習なのですね。……でも花片箋(はなびらせん)は、言ってしまえばただ花びらの形をしただけの小切手ですし、受取状やお礼も特に送ったりいたしませんわね。お礼のお礼というのも変といえば変かもしれませんけれど、小切手一枚というのもなんだかすごく、こう……さもしい気分になりますわ……」

「そうだな。クローマチェストの古き良き文化だ。お前もクラウス君に習って、送らせてもらったらどうだ。送り先がここならば、もはや気負うこともないだろう」

「まあ、なんて素敵な提案ですの、お兄様! わたくしもぜひ、やってみたいですわ!」

珍しく兄妹らしい会話をしている兄妹の隣で、エレノアだけが一人うなだれる。

「しかしこれでは、さすがに頂戴しすぎでは……。そりゃあわたくしだって、今回は少々予算が心許(こころもと)なくて、お心づけで回収できたらいいな、などと少しは思っておりましたが、でもさすがにこんなには……。いやだわ、リンまで」

「リン。……ああ、あの態度の悪いあなたの友人か」

山葡萄(ヤマブドウ)を模した飾りのついた、小さな麻紐の袋。中には十枚の銀貨が重ねられており、丸められた手紙を広げたエレノアは目の奥が熱くなった。

『エレにとっては、こんなの少ないってわかってる。でも母さんと弟がどうしてもって。家族みんなで出し合ったから、何かの足しにしてちょうだい。昨日は呼んでくれて本当によかった。一生の思い出よ。ありがとう。この先なにかあったとしても、エレ一人養うくらいウチでだってどうにかなるから大丈夫。だから堂々としてなさい。あんなヤツの言うこと、気にするんじゃないわよ。 リン』

 それを横から覗いていたアーノルドは、眉をぴくりと動かして呟いた。

「……やはり一発、殴られておくべきだったな」

「ちょっ、見ないでください! リンったら、リンったら……こうなったら、袋の形が変わるまでお礼をぎゅうぎゅう詰めにするんだから」

目を潤ませながら大切そうに包みを胸に抱くエレノアに、アーノルドは付き合いきれないとばかりに踵を返し、事務机に戻っていく。

「なんでもいいが、帳簿にはしっかり付けておきたまえよ。こういうものはくれるというなら貰っておけばいいし、素直に受け取ることも礼儀の一つだ」

「……はい。そう、ですわね。――クラヴィス、ナーデル。ウィシュカのところへ行って、今年のお礼はいつもの倍はいると伝えてちょうだい。何かいいお菓子のアイディアがあればいいのだけれど――二人も何か思いついたらよろしくね」

「はい、かしこまりました」

「お菓子を詰めるときは、ぜひお手伝いさせてください~」

今回のガーデン・ティーパーティーは、メイドたちも含めいつも以上に城の者が力を合わせて催したものだった。腕いっぱいに感じた重みが、そのまま彼女たちへの称賛にもなっている。クラヴィスとナーデルも満足そうな笑みで朗らかに答えると、足取りも軽やかに退室していった。

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